「216」

 1度切除した場所だから。
 『辛いよ?』
 川上先生はXPを眺めたまま考え込んでいた。
 「でも、必要なんですよね」
 先生は、困ったように眉をしかめて『うん…』とだけ言った。
 2度目の交通事故。同じ場所の損傷。飛び出した軟骨は直接脊髄にくっ付いている骨。だから前の手術より難しくなる。今度は飛び出した骨と一緒に神経までメスで切り付けられる危険があった。最悪一生立てなくなる。
 成功すれば腰と左足の痺れと痛みが無くなる。
 失敗すれば歩けなくなる。
 何もしなければ、この状態が一生続く。
 コルセットで固定して、痛み止めが切らせなくなる一生。
 辛い顔を見せたくない。だったら。
 「お願いします」
 怖くなかったかって、言ったら、正直凄く怖かった。

 
 「…んで?大丈夫なの?」
 手術を決めた日の夜、同居人で恋人のサトちゃんが、サラダのレタスをぐさぐさ突き刺しながら何でもないような口調で聞いてきた。
 「ん。大丈夫」
 「…お前の大丈夫はあてになんねぇんだよなぁ……」
 サトちゃんの怒ってる時と心配している時の口調は2〜3年の付き合いじゃ、絶対に聞き分けられない。
 「んな、心配しなくても大丈夫だから」
 「…別に……心配してねぇけどさ…」
 溜め息をついて顔を上げた。
 「やるからには良くなれよ」
 「おう」
 「……ん」
 お互いの気持ちが何となく分かるから。
 のろのろとまたサラダに視線を落として、食べるでもなくレタスを突くサトちゃんを眺めながら、次の言葉を探して、止めた。


 麻酔が切れて目が覚めて、激痛が全身を襲っていた時、ふと思い出せたから、乗り切れたんだと思う。


 物凄い痛みだった。
 どこが痛いかよく分からないぐらい痛かった。
 寝返りどころか足も起てられない。腰の傷は脈と同時にズキンズキン痛む。
 結構、地獄。
 っーか、地獄。
 身動きが取れない体には点滴を打つ針だの、尿道には管だの、鼻には酸素チューブだのと差し込まれてて、すげーストレス。ぼんやり目を開けると、やたらとデカい点滴がぶらぶらと4つも5つもぶら下がっている。
 見ているだけで気が狂いそうになった。
 痛くてどうしようもない身体に無限に薬が入ってくる感覚。
 何か考えようにも痛みが全部打ち消してくる。
 冷静になんていられなかった。
 肉体的に痛い。精神的に痛い。
 そう言えば、前の手術の時も酷い痛みで、朝が来るまで苦しみ抜いた。
 (朝が来たら楽なる…朝が来たら…)
 必死で自分に言い聞かせる。それでも痛みの辛さには、涙が出そうになった。
 傍目から見たら、身動き出来ずに呻いているだけで、静かなもんだったと思う。
 でも、本当に苦しい夜だった。
 術後、1度だけ打てる痛み止めの効力が切れると、直後吐き気が襲ってくる。
 大量の胃液が逆流。不思議と口の中の味を感じなかった。
 3回吐き戻すと、器が胃液で一杯になった。
 無理矢理のうがい。下がらない熱に焦っている看護婦。点滴。点滴。点滴。
 熱が上がると脊髄に雑菌が入り、6時間後には足が麻痺してしまう。そうなったら最低でも3年、最悪一生足が動かなくなる。術後の熱はそれだけ危険なものらしい。遠くに看護婦がオレの熱が下がらないと電話しているのを聞いた。先生が駆け付ける。先生に曲がらない身体を無理に曲げさせられて、脊髄に直接抗生物質の投与をされる。痛い。痛い。歯を食いしばる気力も無くなりかけていた。
 「頑張れ」
 先生が頭を撫でる。
 「……何時ですか?」
 朝が近くにあって欲しかった。
 「12時半だよ」
 辛くて涙が、出た。
 熱が籠った、神経を直接逆撫でるような痛み。
 同じ格好なんてしてられないぐらい痛いのに、身体が全然動かない。
 痛い。いたい。いたい。
 集中治療室はオレ1人っきりで。
 拷問とか、死刑とか。
 そんなことされてるような気分だった。

 
 ゆっくりとカーテンの向こうが明るくなり始める。
 朝が来る。
 やっと終わると思った。
 朝が来たら、前の手術の時みたいに起き上がれると、思った。
 起き上がれたら、この部屋から出られると思った。
 出れれば、楽になれると本気で、思った。
 なのに朝が来ても、痛みは少しも変わらなかった。
 それから4日間、オレは集中治療室から出られなかった。


 聞こえているのに返事もしない。
 本当に気力を失うと、思考も止まる。
 初めての体験だった。


 激痛の中、薬で無理矢理作られる眠りの最後に夢を見た。
 サトちゃんの夢だった。
 出会って間もない頃のサトちゃんで、今よりも、もっと子供の表情をしていた。
 断片的なシーンが続くだけの話の無い夢で、目が覚めても、どんな夢だったか全然思い出せなかった。
 (……サトちゃん…)
 思い出したのは、その時だった。
 サラダのレタスをぐさぐさ突き刺しながら、手術の話を聞いていたサトちゃん。
 2人しかいないのに、なかなか素直に自分が表現出来ないサトちゃん。
 でも、オレのことを心底心配してくれていた、あの声。
 「…んで、大丈夫なの?」
 端から聞けば、ぶっきらぼうで投げやり気味の小さな声。
 オレだから、隠れた真意が分かった、あの、言葉。
 
 「やるからには良くなれよ」

 …ああ、そう言えばそんなこと言ってたっけな……。
 言われたのって、先週だよな。なんか、すっげー前に言われたような気分だよ。
 
 「おう」

 ……そうだ…オレ、おうって返事したんだよな…。

 ……何してんだよ、オレ。こんなんで凹んでちゃダメじゃん…………。
 激痛の中、顔は動かせなかったけど、思い出したら笑えてしまった。
 そうだ。サトちゃん待ってるじゃん。
 帰らなくちゃな。


 4日後。
 オレは集中治療室から普通病棟に移動になった。
 それからのオレの回復の早さは先生もビックリしていた。
 情けない4日間。
 でも、改めて好きだと気付いた4日間。

  終わり。  topへ

 

入院中に浮かんだネタであります。ちなみに「216」は、集中治療室の部屋番号でした。