ハート

 建物全体の電気を統括する部屋の名前は「借室」。
 電気系統のいわば心臓部のわりには地味な名前で、逆に一発で覚えてしまった。
 東電から送られてくる電圧はトランス(変電機)1つが650アンペアで、送電後はむき出しの圧着端子の部分に触れるだけで即死出来る。電気椅子より強力で、脂肪なんかは瞬時に蒸発するらしい。黒焦げの炭状になるんだとコウイチはまるで他人事のように笑いながら言う。
 このマンション91世帯分の全ての電線は、この一部屋に来るまでに結束を繰り返し、数千回路が12回路にまで集結される。本数にして36本。電気屋の腕の見せ所であり、俺に言わせれば神業だ。引き込まれた電線は一つ一つが親指よりも太い銅線で、俺が体重をかけても曲げるのは難しい。それだけごつい電線を俺より小柄なコウイチは、ベンドを使って器用にクセを取りながらセットしていく。床の溝状の開口部を這う電線は、素人の俺が見ても上等な出来栄なのが良く分かる。
 多分コウイチはこの職業に向いているんだと思う。
 高校時代に陸上部で知り合った、今の俺の恋人。

 178の身長も、それでも俺よりは5センチ低く、体脂肪の少ない細みの体は俺が簡単に抱き込めるものの、凄まじい筋力を持っている。腕力重視の鳶の奴等相手でも十分互角に戦えるぐらいだ。笑えば子供みたいな感じのくせに、血の気が多く喧嘩好き。本当は女性的な線の細さも、気の荒さに影を潜めている程だ。
 高野電気工事の二代目。この現場が親方である親父さんとの、事実上最後の従業員としての仕事場となる。次回の新宿の現場から、コウイチが親方さんの後を継いで総指揮を取る。
 俺は見習いとして2年間電気工事の仕事を手伝ってきた。
 目的は夢を叶えるためだった。
 写真家になるのが俺の夢。独学で写真を学び、金を溜めては世界を回る。南米。アフリカ。アジア諸国。ヨーロッパ。半年近く滞在し、シャッターを切り続ける。何千枚の中のたった一枚か二枚の作品の為に自分を費やす。まだまだ小さな賞しか貰うことは出来なくて、夢を叶えるのにはかなりな時間が必要だ。
 今はアメリカに行くための費用を溜めている。
 それもじき目標額に達する。
 だから、多分次の現場には俺は行かない。
 コウイチは一瞬泣きそうな顔を隠せなかったものの、心の底からアメリカ行きを喜んでくれた。
 「俺、お前の写真も好き」
 俺達は絶対にお互いの夢を邪魔し合ったりはしない。
 だから、一緒にいれる限り離れずに過ごして、遠く離れることも出来る。
 いつか俺達は世界のどこかで結婚する。

 借室は外部からの影響を最小限にするために、壁全面にスポンジ状の断熱材を張り巡らせる。スポンジの厚さは15センチ以上もあって、トビラを閉めてしまえば音が完全に吸収されるから中の声が漏れることはない。現場でセックスする時に一番使う部屋だ。
 現場は規模が大きくなればなる程出入りする業者の数も職人の数も多くなるが、部屋内で出会わす率は下がる。一日誰とも会わないことも珍しくはない。流石に全裸でのセックスは出来ないものの、ウォークインクローゼットに潜り込んで手早いセックスぐらいだったらやろうと思えば簡単に出来る。
 今回の現場は所帯数が少ないから大っぴらには出来ないが、それでも早朝とか夜だったら楽勝だろう。
 現場でセックスするのには慣れている俺達だが、それでもいつ誰が来るか分からない場所でするのは気分が落ち着かない。よっぽどお互いがガツガツしてなければ部屋内でセックスすることはほとんどない。
 その点、借室は電気屋しか出入りしない部屋だから、ゆっくり楽しみたい時は絶好の場所だ。受電前なら電気の供給もないからどこに触れても危険はないし、広さも十分に確保出来る。コウイチのじらされて追い詰められた顔を見るのが好きだから、たとえ現場でのセックスでも処理みたいな感じでではしたくない。なるべく時間をかけてやりたいし、深くいかせてやりたい。だから、俺達のする場所はよほどのことがない限り、借室ででと決まっている。

 日曜日の朝。今日は現場は全休なものの、建物の共用廊下のモルタル仕上げの為に左官屋と、借室の挟み込み作業の為に俺達が現場入りしていた。
 親方さんと、もう一人の見習いの岡野さんは休みを取った。
 俺達は、お互いに誘うこともなく、当たり前のように化粧ベニヤを運び入れ、その上に上着を広げ、キスから始めた。
 俺の口に入り込んできたコウイチの舌を吸い込むように引き入れる。
 舌を絡ませながら口全体で舌を密着させる。腕の中でコウイチがゆっくりと反応を始める。
 「・・ん・・っ・・ん・・・・」 
 鼻から漏れる甘えたような声はセックスまでしたい合図。
 そのまま服の上に倒れ込んだ。
 休みの日のセックスはそれだけでも開放感があった。お互いの家でやるより、全然現場の方が良い。環境が懸け離れてるせいかもしれない。コウイチの感じ方もとにかく早くなる。
 「んっ・・あっ!!・・・ユウ・・やべぇ・・・俺・・も・・・欲し・・・っっ」
 腰を浮かせて俺のに擦り付けようとする。
 「バカ。まだ扱いてもねぇじゃねぇか」
 「でも・・・欲し・・いよ。俺、今すげー勃ってるし」
 「焦んなよ。ゆっくりやっても良いんだろう?」
 「・・・あっっ・・・ユウ、ダメだ。俺、今・・すげーエロくなってる・・っ」
 「・・俺も。・・・だから、焦らしてやる」
 感じはじめると、エロいことを口走りはじめるからすぐに分かる。
 コウイチは自分も俺も興奮させる方法を知っているに違いない。
 焦れてオナニーを始めようとする右手を掴むと文句の声を喘ぎながらも上げる。
 扱いてやると途端に声を上げ、うっとりとした表状に変わる。
 鳶相手に売られる喧嘩をいちいち買って、嬉々としながら飛び掛かるコウイチにはどうにも見えない。
 無意識に足を広げて腰を突き出す頃には、イク感覚に溺れてしまって、格好の凄さにも気付いていない。目を閉じて激しく腰を前後する。見てるこっちまでイキそうで、本当にヤバい。
 コウイチが気持ちよさそうに全身を硬直させてゆるく口を開く。喘ぎ声も出ない。射精が近い。
 たまらなくなって、細い腰を両手で持ち上げてしまった。

 結局仕事が始まったのは昼飯を食べた後で。
 篭った匂いを外に出すために換気扇を回し、トビラを開く。
 「さみーっっ」
 ドロドロになった上着は丸めて車の中へ。化粧ベニヤはバキバキに折って燃やした。
 午後の仕事は俺達は怒濤の追い上げを見せた。
 
 夕方、仕事は何とか終わりに漕ぎ着けた。
 「よしっっ。・・・・んー、我ながら良い出来vv」
 満足そうにコウイチがまとめあげた電線を眺める。
 「ああ。きれーだな」
 「だろ」
 俺の言葉に嬉しそうにコウイチが笑う。
 その顔を見て、コウイチは本当に電気工事士なんだなと、思った。
 着実に職人としての道を歩いているコウイチをうらやましく思った。
 「・・・よーしっっ。俺も頑張るかっっ!!」
 「なんだよ。突然大声だして。びっくりすんじゃねーかっ」
 「コウイチ、俺すっげー写真家になってやるからな。待ってろよ。絶対なっからな。お前に相応しい男になってやるからな。いいな、待ってろよ。絶対、なっからな」
 半ば自分に言い聞かせるように、そう告げた。
 「・・・おうっ」 
 首に、マフラー代わりの白いタオルを巻きながら、コウイチは笑ってくれた。
 「ユウ、アメリカ行ってすっげー写真一杯取ってこいよ」
 「ああ」
 「で、納得したら帰ってこいよ」 
 「おう」
 「・・・・・・おぅっ」
 早く帰ってこいとは絶対に言わないコウイチの気持ちが分かる。
 だから、かわりに言ってやった。
 「納得いく写真、取れたら直ぐ帰る」
 「・・・・おうっ」
 本当に嬉しそうにコウイチは笑った。
 ものすごく、久しぶりに、なんだろう・・・そうだ。
 胸がドキドキした。

 2月14日
 俺は今、アメリカのユタ州にいる。
 アメリカは何もかもが大きい。自分の器の小ささを実感させられる。
 今、このシャッターに納まりきれない気持ちをどう取り込むか必死で感じようとしている。毎日が発見だ。貴重な体験をしているのを肌で感じている。
 良い写真が出来たら送ろうかと思っている。
 そんな時、コウイチから郵便が来た。
 封筒の中には手紙と小さな包みが入っていた。
 『元気か?俺は元気だ』
 から始まる手紙は短くて、近況が少しと、新しい現場のことが少しと、天気のことが少し書いてあった。それから最後に
 『すげー写真家になれ』
 と、書いてあった。
 嬉しかった。
 包みはチョコレートだった。しかも、ハートの形のチョコレートだった。
 グランドキャニオンの一番下まで自力でおりた日に、そのチョコを一気に食った。
 すごく、うまかった。

                            おわり。topへ
 
 

 

久し振りに復活ですvv