「見聞録」
10


 昼休み。
 休憩所や車の中や詰め所とか、現場のあちこちで皆が一斉に一時間の休みを取る。
 ここでしっかり体を休めるのは何よりも大事なこと。
 午後に疲れを残せば大怪我のもとになりかねない。
 他の職人もそうだけど、電気屋が使う工具の中には、人間よりも何十倍も何百倍も力を出すものがあって、取扱いは本当に注意しなくてはいけない。親方さんの左手は親指を除いた4本が全部手術で縫った後がある。ベビーサンダーって名前のグラインダー系の道具で自分の手を切ったからだって教えてくれた。
 グラインダーって言うのはハンディタイプの高速回転ディスクで、ディスク部分に付ける部品によって研磨機や丸ノコギリや鉄板の切断機として使える万能工具の一つ。何年か前に色んな芸術を紹介する番組の中のコーナーに、素人が自分のアート性を競うっていうのがあったんだけど、その中で体に鉄板を付けて何か機械をくっつけると物凄い火花が散って綺麗っていうパフォーマンスやってたグループがいたの覚えてるかなぁ?その人達が使っていたのがグラインダーなんだよね。あれの中で特に馬力があって、主に金属の切断用に使う工具がベビーサンダーって言うんだ。
 ……話が長くなっちゃったんだけど、その工具で昔親方さんは自分の指のほとんどを切り落としたんだそうだ。まだ若い頃で、徹夜でマージャンやった次の日に、捗らなかった午前中の仕事の挽回をしようって、昼休み返上で作業を続けた結果の操作ミス。
 現場で手や足を切断してしまうことって良くある話で、実際扱う工具は一瞬操作を間違えば、あっという間に大変な目にあってしまう。
 幸い親方さんは直ぐに病院に搬送されてくっつけられたけれど、傷口は今でも酷くひきつれて紫色のままだ。
 『…まぁ、バカだったのさ』
 親方さんはくっついただけでも良かったさと、俺がまだこの現場に入ったばかりの頃に話してくれた。
 『休み時間は必要だから取るモンなんだ。しっかり食ってしっかり休め』
 と最後に言った。
 怪我と弁当は自分持ち。
 これって現場の常識。
 朝一番と昼休み明けの一番が怪我をしやすい危険な時間。
 回避するには親方さんの言う通り、しっかり食って、しっかり寝る。なのだ。
 親方さんは食後に弁当より旨そうに煙草を一服した後、直ぐに眠りについた。
 コウイチさんと谷田君に至っては、どっからか持ち込んできた硬質の発砲スチロールの上にお互いにより掛かり合って眠っている。コウイチさんなんかは食べてる最中からトロン…とした顔をしてて、結局は食べ切る前に眠ってしまった。
 皆どんな環境でも眠れて凄い。
 俺はまだ現場で寝るって上手く出来ない。寝ようと思うと逆に緊張しそうで。
 こーいうところ、良くないよなぁ。前からホント変わんない。誰かに寝顔を見られるかと思うと、妙に緊張してしまう。
 それでもせめて体は休めとかなくちゃいけない。
 なるべく楽な姿勢を作って。ぼんやりしたり、本を読んだり。
 なるべく午後に疲れをひきずらないように……。
 静かな時間。
 結構、好き。

 …それにしても皆良く眠る。
 メリハリがあるっていうんだろうか。仕事をしている最中は、皆凄く仕事に熱中して、食事のに時には気持ち良いぐらいたくさん食べて、そしたら残りの時間はぐっすり眠る。親方さんは何か、本当に『休憩』って、感じで、谷田君は熟睡してるのか?ってぐらい静かに眠っていて。そしてコウイチさんは、まるっきり子供みたいな可愛い顔ですやすや眠る。
 ………コウイチさんって、不思議な人だ。
 無茶苦茶喧嘩っ早くて、あっちこっちで衝突しては殴り合ったりしたりする。その時のコウイチさんは目なんてもう血走ってるし、形相もヤバいくらいに恐い。時折相手が血みどろになって気を失っても殴り続けたり。あのバカ力の谷田君が抱き着いて止めても、時には力で振り解いたり。最中に、少し嬉しそうに笑っている口の端が本当に恐い。
 午後一番の職長会議(親方同士のミーティング)に出ている時のコウイチさんは、厳しい職人の表情。年功序列なんて、コウイチさんの辞書には無い。
 本当は…とても綺麗な人なんだけどね……。
 時折とても子供っぽかったり。
 色んな面を持ってる人だ。
 こんな人もいるんだなぁ…って、思う。
 厳しい世界で頑張ってきた人は、魅力的なんだよね。きっと。
 俺にはいっつも優しいし。仕事を教えてくれる時は丁寧だし。
 年上とかそんなの全然関係無しに、尊敬出来る人だと思う。
 前の上司なんかと全然違う。
 あの時、この人が上司だったらな………。
 …………あの時…。
 アノ、時
 「…………っ…」
 俺は慌てて自分で自分の顔を叩いた。
 イカンイカンイカンッッ!!!何考えてんだよっ、俺ッッ!!!
 「…………岡野君?何してんの?」
 「わぁっっ!!……お姉さん」
 「何ビックリしてんのよ」
 「や、ややっ、いえっ……あの、お姉さんいたの忘れてました」
 「忘れないでよ」
 お姉さんが読んでいた文庫本を閉じて笑いながらムクレてみせる。
 「すみません、ホント、忘れてました」
 「やーよー。若年性?…なんてね。岡野君は眠らないの?」
 「ええ。寝ようとは思うんですけど、寝付き悪い方で」
 「フフッ、あたしも」
 「お姉さんもですか?」
 「昔からね。現場で眠るのは苦手」
 へーっ、コウイチさんと何でも似てるって訳じゃないんだ。
 「あら、意外そうな顔して」
 「……先刻も思ったんですけど、お姉さんてどうして人の考えてること分かっちゃうんですか?」 
 そうねぇ…と、微笑いながらお姉さんは考えるような仕種を見せる。そんな仕種はコウイチさんにとても似ている。
 お姉さんが俺の顔を見る。
 その時突然気がついた。
 ………ああ…そうか、目が似てるんだ。形とか、色とかもそうだけど、それよりも感じる印象がコウイチさんと同じだ。お姉さんも、コウイチさんと一緒で、真直ぐ相手を見詰めて話す。自分からそらしたりしない見詰め方とかが同じなんだ。……そっか…そっかぁ……
 別に些細な発見で、だからどうだってもんでも無いのに、何だか、何だか嬉しかった。
 …後で気がついたんだけど、この時俺は随分と長いことお姉さんと見詰めあっていた。
 「…岡野君」
 お姉さんの笑顔が少し柔らかくなって、俺の名前を呼んだ。
 「真直ぐあたしのこと見てくれるのって、初めてだね」
 そう言われるまで、自分が何してるのかも気がつかなかった。
 「……っっ!!!す、すみませんっっ!!」
 うわわわっっ、俺ってば何してるんだかっっ。思わずお姉さんの目に見蕩れてしまった。
 「そんないきなり目を逸らさないでよ。失礼ねぇ」
 お姉さんが閉じた文庫本を鞄にしまう。しまいながら言葉を続ける。
 「岡野君って、人と話する時、目が泳いでるって知ってた?…それってね、自分の心が他人にバレるのが恐い人のクセなのよ」
 『知ってた?』って、いうふうに首を傾げる。
 「別にあたしは人の考えてることが分かるって訳じゃないんだよ。でもね、どんな気分なのかな…っていうのはちょっと考えれば分かるもんよ。……あのさ、話が少し飛んじゃうんだけど、現場ってさ男社会じゃない?どんなに女のあたしが頑張っても、結局は『所詮女の仕事』って言われちゃうんだよね」
 ちょっとだけ、お姉さんの表情が強ばったような気がした。
 「…初めて現場にきた時はまだ16になったばっかりでね。女で子供じゃ、しょうがないんだけとね。バカにされるか邪魔にされるかどっちかだったな。ちょっかい出されたり恐い目にあったことも一杯あったかな。現場って、凄く恐いところだなってずっと思ってた。でも、好きなのよね。電気工事がさ。そしたらなんとか頑張るしかないじゃない?で、考えたの。きちんと危険を予測しようって。あのね、人って、考えていること本当はすごく表に出てるのよ。良く見れば分かるの。ああ、この人、あたしをどう思ってるな…ってね。人間鍛えると何とかなるのよね。そのうち細かいところまで何となく分かるようになってきて、現在にいたるって感じかな?」
 さら、っと言ったその言葉は、俺にとって少なからずショックだった。
 お姉さんが電気屋を継がなかった理由が見えた気がした。
 「お姉さん」
 「何?」
 「この仕事、どうして今も続けてるんですか?」
 もしかしたらとんでもなく失礼な質問だったかもしれない。でも、気持ちよりも先に口が喋ってしまっていた。
 「そうだなぁ…意地半分の趣味半分ってところかな?」
 「現場って楽しいですか?」
 限られた時間。決められたノルマ。絶対にクリアしなければならない仕事。俺は前の職場で何一つ楽しいことを見つけられなかった。それどころか弱味に付け込まれ、成績欲しさにあんなことまで自分はやった。やった自分に今度は負けて、最後は会社に見切られた。
 自信も何も全部なくして、楽しいことなんて何にもなかった。
 今も大して変わらない。現場の仕事がしたいとかじゃない。今の皆に好かれたいだけ。受け入れられたいだけの自分。コウイチさん達と楽しい時間を過ごせば楽しい。でも、だからってイコール現場は楽しい所…と、言う訳じゃないんだ。
 …お姉さんは俺の俺の気持ちが分かったのかどうかは分からなかった。
 でも、ハッキリ一言俺に返した。
 「楽しいよ。大好き」
 それから俺とお姉さんは随分たくさん喋った。
 俺の前の仕事場の話とか、ここの現場の話とか。
 お姉さんは自分の意見を強要したり、言えない話を無理に聞き出したりはしなかった。
 ただ、ずーっと、喋りあった。
 三人が目を覚まさないように小さな声で。
 何かを解決したとかじゃない。でも、何だかとてもスッキリ出来た。
 まるで今朝までの詰め所みたいにグジャグジャと積み重なってた感情が、少し区分が出来たような、そんな感じが心地よかった。
 「……それにしてもお姉さん、仕事早いんですねぇ」
 そして話は午前中のダウンライトの話になった。
 「お姉さん、工具持ち替えないで凄いですよ」
 お姉さんと俺の決定的な違いは工具の量にあった。
 俺は釣り竿(電線を手繰り寄せる道具のこと。)を使って電線を手繰り寄せ、スケールで30センチを測り、ペンチで切って、ストリッパーで皮を剥いて、機具に差し込んでセットする。
 ところがお姉さんはペンチで手繰り寄せ、ペンチで30センチを測って、ペンチで切って、ペンチで皮を剥いて機具に差し込みセットしていた。
 信じられない。全部の行程をペンチ1つで出来るなんて。
 「そう?」
 「そうですよ」
 「だって、持ち変えるの大変じゃない?それに色々持ったら腰道具重いし」
 「そんな一つの道具で全部やる方が大変ですよ」
 「そんなことないよ。持ち替える時に手から工具落として仕上がった床傷つける方が大変よ。ね、岡野君、電気屋ってね、ペンチとニッパとマイナスドライバーがあればほぼ全行程出来るのよ。知ってた?」
 耳を疑う俺を見ながら、コウイチさんとそっくりの悪戯っぽい笑顔を見せて、
 「いつか試してみると良いよ」
 と、言った。
 
 1時10分前。
 お姉さんが眠っている3人を容赦なく起こす。
 「んー………」
 眠そうにコウイチさんが目を擦る。
 お姉さんが親方を起こしているスキにまた眠ろうとして怒られた。
 寝ぼけているのか暖かいところを探して、これまたやっと起きて、ぼー…としている谷田君の腹の上に落ち着こうともぞもぞしていた。
 「おいっ」
 谷田君が慌ててコウイチさんの頭を叩く。
 「ねぼけてんなよっ」
 「んー……」
 不満そうに目を閉じたまま声を出しているコウイチさん。
 思わず俺は言ってしまった。
 「仲良いですよね。あの二人」
 あんなにコウイチさんに懐かれてる谷田君が羨ましくて。
 そう思ってから、思った自分に妙に慌てた。
 (羨ましいって…何にだよっ)
 自分にツッコミながらお姉さんの方を伺う。
 気付かれたら…って、密かに焦って。

   つづく。  9へ戻る  TOPへ  11へ

あれれ?岡野君って………。

では、また来週っっ!!