「見聞録」
4
「電気屋さん、ちょっとストリッパーあるかなぁ?」
「あ・・ありますよ」
「あ、本当?貸してくれる?」
「良いですよ」
脚立の下から見上げて困った顔をしていた設備屋さんに、腰道具からストリッパーを渡した。
「いやーっ助かったよ。間違えて2ミリの線切っちゃってさー、オレのヤツ歯こぼれしちゃっててさー。もー切り憎いったらなくってさー。じゃ、借りるよっ。ありがとねー」
設備屋さんは嬉しそうにストリッパーを受け取ると、キッチンの天井にぶら下がっている電線の皮をパチンパチンと軽い音を立てながら切り、
「はーい。返すねーっ。やー、やっぱり電気屋さんのストリッパーは良いヤツだよねー。力全然いらなかったよぉ」
と、笑顔で道具を俺に返した。
そのまま慣れた手付きで芯線がむき出しになった部分を換気扇に差し込み、
「よしっ」
と、カバーを嵌めた。
「ありがとねー、じゃ、ごめんよー」
脚立をたたんで部屋を後にして行った。
「・・・ふー。・・・さてと・・」
当たり前だけど、現場には色んな職種の職人が出入りしている。俺達電気屋、換気扇や排気孔などを設備する設備屋、部屋の壁の骨組みを作る大工、壁を張るボード屋、壁紙を張るクロス屋。電話屋やテレビ屋みたいな弱電屋。GL屋、クーラー屋、掃除屋。左官屋なんて言うのはポピュラーな仕事。他にもとにかく色んな業種があって、それぞれに職人が居る。
職人には職人の道具ってモノがある。例えば大工屋にはノコギリ・トンカチなんて感じで、必要不可欠な道具が多数ある。で、身近に持ち歩く為に出来たのが腰道具なんだけど、電気屋って言うのは破格に道具が多い。
コウイチさんの話では、仕事が昔に比べて複雑になったし、量も行程も増えたから、TPOで道具は増える一方とのこと。確かに電気屋って、他の職種と違って現場が始まってから最後の日まで現場での仕事が続くから施工項目は他の比にならないと思う。腰道具に入るペンチやドライバーみたいな道具から、大型なのは50キロ以上もある電動工具まである。100とか200種類じゃきかないかもしれない。照明器具やコンセントなどの配線器具を始めとする電材まで入れたらもう数えきれないぐらいある。また、他の全ての業者と絡む唯一の職種のために、特に絡みの多い業者の持っている道具の主要のものも用意しているぐらいだ。詰め所が他の業者より大きい理由がその道具の数の多さが理由だったりするのだ。
俺なんか、未だに半分以上道具の名前が覚えられないでいる。
ストリッパーみたいないつも使っているのは直ぐに覚えられるんだけどね。
ちなみにストリッパーって言うのはおねェちゃん達がお店で裸になっちゃうアノ、ストリッパーが語源の道具。平たく言うと電線の皮剥き器。これにも大きく分けて2種類あって、俺は初級者用の柄を握るだけで皮がむけるタイプのものを使っている。
親方さんが『道具は良いものを大切に使った方が上達する』って、言って、結構良いものを買い与えられているから、切れ味はかなりに良い。
俺の腰道具はその他にもペンチ、電工ハンマー、電工ナイフ、スケール(注・メジャーのこと)、プラスドライバー、マイナスドライバー、モンキースパナ、ラジェット、レンチ、ハッカー(注・針金を固定するための道具)ペンチ、ニッパー、鉛筆、マジック、消しゴム、はさみetc.etc・・・。ずっしり腰に重いけど、突発の工事でも直ぐにコウイチさんや谷田君に道具を何でも貸して上げられるように準備している。俺自身使いこなせない道具も多いけど、とにかく便利である。
腰道具にハケ一本って業者もいるけどあれって腰道具必要ないかと思ったりする。腰道具に道具がいっぱい刺してある方が、何となくプロっぽいしね。結構お気に入りなのだ。
お姉さんの腰道具を朝見たら、ペンチ、ニッパー、ドライバー2本と鉛筆・マジック、スケールしか持ってなかった。やっぱ、毎日現場に来るか来ないかの差ってここら辺にあったりするよね。
今みたいに設備屋さんにすぐ道具貸してあげられて感謝されたりもするし。うん。道具ってやっぱ大切だ。
何か、鼻歌なんて歌いたいような気分になった。
ダウンライトのセットもスムーズに行って気分がなんだかすごく良かった。
午前10時の休憩時間。
「はい」
「おっ?恵美、これは何だ?」
「中国茶。日本茶よりたくさん出せるからお茶の時間に使って。飲みやすい方が良いかと思ってウーロン茶にしておいたよ」
「おう。サンキューな」
高野電気工事は自販機のお茶ではなく、ポットで沸かしたお湯でお茶だのコーヒーだの入れて飲んでいる。夏場はクーラーポットで麦茶だ。
「ほら、この前来たとき、みんなしてすごい勢いで麦茶飲んでたから。急須にお茶ッ葉足して入れ直すなんてこまめなことするとは思えないから。これなら色が無くなるまでかなり飲めるよ」
「へぇー、お姉さんって詳しいんですねー」
俺が感心すると
「あら、そお?」
と、笑顔で返された。・・わぁ。
「アネキは食い意地張ってるからなー」
「あ、そう。じゃあ、食い意地の張ってないコウイチはこれもいらない訳だと」
「うわっ、お新香ッスか?」
「うん。最近凝っててねー。これが赤かぶ。これが大根。大根はぬか漬けよ。結構自信作よ」
「へー、うまそうッスねー」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。さ、どうぞ」
「あ、スイマセン。・・・あ、すっげーうまいッス」
「本当?うれしー。谷田君っていっつもおいしそうに食べてくれるから好き。さ、お父さんも」
「おう。旨いぞ恵美」
「岡野君もどうぞ」
「はいっ。じゃ一つ。・・あ、美味しいです」
「でしよーっ。結構お漬け物って中国茶と合うのよー」
「う゛ー」
あ、コウイチさん唸ってる。
「・・・・食べる?」
「・・・・うん」
お姉さんが笑って漬け物の入ったタッパーをコウイチさんに差し出した。
「じゃ、『ごめんなさい』は?」
たっぷり十秒、漬け物を目の前に唸るコウイチさん。そして、
「ごめんなさい」
ぽっきり折れた。
「よしっ」
ぽりぽりと漬け物を齧るコウイチさんは、やっぱりいつもと違ってすごく可愛い感じがした。
「ケケッ。弱ぇーっ」
からかう様に谷田君がコウイチさんの耳許で笑った。
「うるせえッ」
ぶーっ、と、ふて腐れるのも、笑っちゃいそうになる程子供っぽくて可愛いかった。
つづく。戻る 5へ TOPへ。
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