「見聞録」
7

 「・・・そんな、理想なんて高くないですよ・・」
 高い訳ない。高かったらどんな仕事だって良いなんて思ったりしない。
 「ねぇ、岡野君」
 「はい?」
 「あたしはね、こうやって今みたいに一人で回らせて貰うようになったのって、この仕事手伝うようになってから5年も経ってからなんだよ」
 「・・・・でも、俺回らせて貰えるって言ってもこんな仕事ぐらいしか・・・」
 「そう?でも、仕上げ仕事任されるのって、本当に凄いことなのよ。電気工時って、部屋内の仕上げはだいだいが他の業者が仕上がってからじゃなきゃ出来ないわ。業者さんによってはもう現場から引き上げているのもいるよね。もし例えばここで壁とか天井とか傷付けたり汚したりしたら岡野君は、元に戻せる?」
 「・・・いいえ」
 「でしょ。コウイチにもお父さんにも、勿論あたしだって出来ないわ。だって、プロじゃないもの。もしも失敗して、この面一面張り替えになったらいくらぐらい掛かるとおもう?」
 天井のクロス?・・・1メーター四方だったら、クロス屋さんガンガン捨ててるし。張るのも変型なしの一枚ものだから・・・
 「・・・1000円位ですか?」
 「まさか。その10倍は取られるわよ」
 「えーっっっ」 
 「単価の問題じゃないの。問題は人件費。それから装置だって必要だしね。現場で貼ってる最中の補修だったら缶コーヒー1本程度の仕事量なんだけどね」
 「高いんですねぇ・・」
 「これでも安くなったのよ。バブルの頃はその3倍は取ってたからね」
 「へぇ・・・・・」
 あんな・・なんて言っちゃ悪いんだけど、あんな仕事がなぁ・・。バブルの時には3万かぁ・・・。
 「あ、岡野君、今『あんな仕事なのに』とかって、思ったでしょう?」
 ぎくっ。
 「あ、いえ、あの」
 「クロス屋さんって、物凄い技術職よ。本当に上手い人なんて、何年経っても壁紙の繋ぎ目を分からないように仕上げられるんだから」
 「・・すみません」
 「・・・とにかくね、それくらい他の業者の仕事って、追加や補修で頼むと大変なのよ。だから、お父さんもコウイチも信用出来ない人には絶対に仕上げの仕事はさせないの。知ってた?」
 ・・そう言えば、たまに仕事が忙しくて派遣呼んだりした時に、エラク器用な奴が来ても、絶対に梃子(テコ・助手の事です)しかやらせないや。
 「確かに。でも、だからって、やっぱ俺時分の仕事に自信持てないです」
 「もっと重要な仕事とか任されたないとダメ?」
 「・・・いえ、そんなんじゃないんです。・・・なんか、俺・・・・ダメなんです・・」 ガリッと、口に入れていた飴を齧る。甘い味が口に広がって、でも、気持ちは凄く苦い。 「ダメなんです。俺、夏からずっと通ってるのに、まだ何やってるのか全然分からなくて」
 「・・・何が?」
 「・・・全部です。全体の進行具合も何もかも。だから、次に俺何やれば良いか分からないし、足りないもんも仕事の予測も、業者との絡みだって全然。ミーティングの時だってそうです。俺が話せることって言ったら、今やってる仕事の進行具合と電材の保管場所ぐらいしか------」
 「それで良いのよ」
 凄くしっかりした口調でお姉さんは言った。優しい感じとか、励ますような感じとかそんなんじゃなくて、凄く、しっかりした・・・まるで、親方みたいな口調で。心のどこかで慰められるんだろうなぁ、って、思って、それを密かに期待もしていた俺は、あんまり意外な口調に思わずお姉さんの顔を見てしまった。お姉さんは、真直ぐ俺を見詰め返して、それからゆっくり、俺に言い聞かせるように言った。
 「それで良いのよ。岡野君は自分の事をよく知ってるわ。だからいい加減な事はしないし、やらない。こういう仕事では一番大切な事よ。誰でも自分をよく見せたいから、見習いの人って、必要上に喋りたがるしやりたがるわ。それって、凄く危険なことなの。命に関わる仕事だから、能力の限界を知るのって何よりも大切なの。お父さん達の目は確かよ。だから、能力にちゃんと見合った仕事を言うの。それを100%こなせて初めて信用って生まれるの。報告も、在庫管理も大切な仕事なの」
 「・・・でも------」
 「それにね」
 お姉さんは悪戯っぽく笑って続けた。 
 「報告と在庫管理の能力は、間違いなく高野電気工事の社員の中では岡野君が一番よ」
 笑いながら。でも、すっごく真面目に。
 「必要以上の自信は危険だからいらないわ。でも、最低限の自信は必要よ。ね?」
 「・・・・・はいっ」
 ・・・最低限の自信・・。確かに俺は前の仕事をリストラされてから自信って、何もかも失っていた。何をやっても駄目だって言われるような気がして。自信がある顔しているとバカにされるんじゃないかって、何か不安で。だからって、気の利いたこと一つ見つけられなくて、自分に言い付けられた仕事をこなすのが精一杯で。
 なんか、不思議な感じだった。
 本当に、本当に、少しだけど、救われたって言ったら大袈裟かもしれないけれど、お姉さんの口調が、俺に僅かに、自信をくれた。
 「・・・・ありがとうございます」
 思わず俺はそう言ってしまった。そしたらお姉さんは、
 「どういたしまして」
 と、すごく優しく笑っていった。
 直後、バシーッッ!!と、俺の背中を思いっきり叩くと、
 「ほらっ!!コウイチ達待ってるわよっ。手伝ってあげるからダウンライト、一気に付けるわよっ」
 「は、はいっっ!!」
 思わずピンッッと、背筋を延ばして返事してしまった。
 ・・・お姉さん、物凄くバカ力です。

 5分後、俺はお姉さんの作業を見て、心底驚いた。
 (すげー、早ぇ・・・・・)

  つづく。     もどる    8へ    topへ

 

ようやく岡野君立ち直ったかな。さて、次回はいよいよ・・・?