「見聞録」
16
「岡野さん…岡野さんっ」
「……は、はいっっ!!」
「もうじき頭出ますよーっ。大丈夫ッスかー?」
「う、うん。大丈夫だよー」
シャフトの上からの谷田君の声で、現実に引き戻された。ホコリっぽい匂いと、自分の格好と重機や掘削機の音なんかで、自分は現場にいたことを思い出す…。休み明け1本目の幹線で俺に電線の頭が下りてくるのは初めてだから、そんなに長い時間はボーッとはしてなかったとは思うんだけど……。
「……はーいっ。頭掴みましたーっ。じゃあ引っ張りますよーっ」
今まで上の空でしたっていうのがバレバレの、覇気のない声。
「…はーいっ。せーのっ」
「そーれっ」
「せーのっ」
「そーれっ…」
………どうしよう………。
今自分が引っ張っている幹線のスタート地点では、コウイチさんが立ってるんだって考えるだけで顔が熱くなる。先刻の俺に向けた笑顔を思い出すだけで、脈拍が上がりそうになる。心臓をばくばく言わせていると、まるで刷り込み画面みたいに一瞬より短い時間、前の上司の笑顔が浮かぶ。何かが心臓に刺さったみたいに痛くなって、氷水を心臓に掛けられたみたいに冷たくなった。
「岡野さーん、大丈夫っスかー?」
「……はーいっ、大丈夫ですよーっ」
平静を装って、無理に元気な声を出す。
ムキになって幹線を引っ張った。
…勘違いしちゃいけない。
コウイチさんは俺が見習いだから優しくしてくれているだけなんだ。
俺なんかに好きだなんて思われたら、迷惑だろうし、それよりなにより気持ち悪いよな。そんな…優しいからってぐらいで何で俺も惚れちゃうんだよっ。俺の好みの男が皆が皆、ホモって訳ないのに。ましてコウイチさんなんかあんなに格好良いし、可愛い人なんだから、絶対もう付き合ってる人がいるに決まってる。こんな俺みたいな情けないヤツなんか見向きもする訳ないって。見習いだから笑いかけてくれるだけなんだって………。
「岡野さんっ…岡野さんっっ!!!」
「………は、はいっっ!!」
「引っ張り過ぎッスっっ!!電線たわんでますよっ!!」
「……っっ!!す、済みませんっっ!!」
「待ってて下さい。今引き上げますから。おーい、コウイチーっっ!!」
「おーうっっ」
「戻しーっっ!!」
「んあーっっ?!」
「す、すみませんっっ!!俺がボーッとしてて…。すみませんっ!!」
「ダメだよーっ、ボーッとしちゃあ」
いつもと変わらない優しい声のトーン……。
目の前で少しずつ太い幹線が引き上げられていくのを悲しい思いで眺めた。
(……やっぱり俺って何やってもダメだ……)
ちょっと優しくされただけで、はた迷惑な変態心出しちゃって。ロクに仕事も出来ないくせに。いつまで経っても使えないくせに。
仕事が楽しい……なんて、もう少しで自分に騙されるとこだった。
スケベ心のカモフラで、張り切って見せるなんて。
そんなとこ、昔の俺から全然変わってない。
男が男に惚れたって………報われるはずなんてないのに。
「………どうして俺ってこーなんだろう……」
溜め息混じりにグチが溢れた。
「何だ、岡野、またしくじったのか?」
突然真後ろでドスの聞いた声を掛けられ、俺は心臓が口から飛び出しそうな程ビックリしてまった。
「ーーーっっっっ!!!………親方さん…」
「おう、オレもここから合流だ。どうした?引っ張り過ぎたか?」
「済みません」
「良いか岡野、この幹線ってーのはな、建物全体の電源供給の要の工事なんだよ」
「…はい」
「上手く通せたかどうかなんてぇのはよ、別に素人にゃあ分からねぇことだ」
「はい」
「でもな、オレ達はプロだからよ」
「……はい」
「…これぐらいの電線の曲がりなら大した問題じゃねぇ。でもな、間違えたって事実の方が辛ぇのさ。職人ってぇのはよ」
親方さんの言葉の意味。この現場に来たばっかりの俺だったら多分分かったつもりで分かってなかったと思う。ああ、職人ってプライドの高い人なんだなぁ、って、それぐらいしか考えなかったと思う。
でも、今なら何となく分かる。
電気工事士に関わらず、現場で働く職人って、誰もが誰も、自分の仕事に責任を持って、誇りを持って仕事をしている。そのこだわりは見習いの俺でも思わずあきれたり、感心してしまったりする程。あんな大きな建築物を造っているにも関わらず、図面の単位が全てミリ表示なのからも伺えることで。職人なんて大体がおよそアバウトな性格なんだろうな…なんていうのは大間違い。1ミリずれただけでやり直しなんて、ごく当たり前の世界なのだ。
ある意味職人って、建築物って一つの作品を作り上げる、芸術家みたいなものなのかもしれない。自分の作品には一切の妥協を許さない。……いや、許せないんだ。
出来上がったものって、長い時間そこに在り続けるんだもんな。
多分、プライドとかの問題じゃなくて、職人そのものの存在価値だったり、存在理由だったりするんだ。
より良い仕事がしたい。出来れば1つのミスもなく、現場を仕上げていきたい。
職人が現場を去れば、残るのは出来上がった建築物だけなんだから。
罪悪感が襲ってきた。
----でもな、間違えたって事実の方が辛ぇのさ。職人ってぇのはよ-----
頭じゃなくて心で分かったから。
「………済みませんでしたっっ!!」
今までの人生で、俺って多分人よりたくさん謝ってきてると思う。でも。
自然に頭が深く下がった。気が付けば最敬礼の姿勢になっていた。
心から申し訳ないと思った。
俺なんかの下らない感情で、大切な幹線を失敗してしまった。
「何だ大袈裟だなぁ。こんなの大したモンじゃねぇって」
「でも、俺がぼんやりしてなければ間違えなかったことです。済みませんでしたっっ」
……昔。
ビジネスマナーで、『マナー』の定義って言うのを本で読んだことがある。
自分ではない誰かに対して発生した気持ちを形に現すこと。
何のことだかさっぱり分からなかった。
その形をより綺麗に見せるのがビジネスマナー。
へー…と、読み流していた……。
ただ、下げるだけではない頭。ただ、言うだけではない謝罪の言葉。
『初めに心在り』
………俺って本当、何に対しても気付くのが遅いよな…。
「ま、良いってことよ。コウイチなんてぇのは、まだまだ職人に毛が生えた程度のもんだしよ。気にしちゃいねぇって」
「おーいっ、岡野くーんっっ、もうそろそろ良いかーい?」
「あっ、はーいっっ。もう良いでーすっっ!!」
気が付けば、引き出し過ぎた電線が丁度良い位にまで引っ張りあげられていた。
「コウイチさーんっっ、本当、済みませんでしたーっっ!!!」
「気にしなくて良いよーっっ。頑張ってーっっ!!」
「……はーいっっ!!」
物凄くあの人が好きだと思った。
優しい言葉を掛けられたからって訳じゃない。
腹の底からブワァァッ!!って、沸き上がるみたいに、好きだと思った。
話をしただけで、身体が熱くなった。
でも、今は仕事中なんだって、頭が自然に理解した。
あの人のことをどう思っていても、今は仕事中。俺は与えられた仕事をしっかりやらなくちゃいけない。想いたければ、後でゆっくり想えば良い。あの人は今は俺の上司なんだから。
自分の気持ちに動揺しなかった自分をこっそりと誉めてやりたいと思った。
「じゃあ、俺は上に上がってコウイチと変わってくるからよ」
「はいっ」
「頑張れよ」
「はいっっ」
コウイチさんに対する気持ちが自分でも押さえきれなくなって、いつかコウイチさんに迷惑を掛けてしまうんなら、俺がこの仕事を辞めれば良い。それだけのこと。
でも、今はこの現場だけは。少なくともこの幹線だけは、責任持って、仕事をしよう。
辛いな、と、心のどこかかチクリと思った。でも、それよりもコウイチさんにとって、『デキる見習い』でありたいと、思った。
(頑張ろうっっ)
心の底から、そう思った。
「岡野さーんっ、今ポジション変わるらしいッスからーっ。ちょっと待ってて下さーいっ」
「はーいっ。あ、谷田君」
「なんスか?」
「ゴメン。俺、ぼんやりしてて。迷惑掛けて、済ませんでした」
「大丈夫ですよ。俺なんか、もっとスゲーことヤらかしたこと腐る程あるんですから。岡野さんは凄いッスよ」
困ったような、照れたような、優しい口調の谷田君の低い声。
本当、これ以上迷惑を掛けないようにしなくちゃ………
「おーい」
廊下の向こうからくる足音と、のんびりとした声を聞いた時、俺は思わずシャフトの中で飛び上がり、頭をひどくパイプにぶつけた。
「オヤジとポジション変わったし。サポートするよ。一緒にやろう。……あれ?頭どっかに打った?」
身体を屈めて、俺の入っているシャフトの中を覗き込み、俺を目を合わせて。
「大丈夫?」
コウイチさんが心配そうに声を掛けてきた。
コウイチさんと……コウイチさんと………コウイチさんと…………コンビで仕事?!
思わず逃げ出したい衝動にかられたが、生憎俺はシャフトの中で。唯一の出入り口には
(?)
と、真っ白になっている俺に目を合わせて、ニコーッと、笑うコウイチさん。
ある意味絶対絶命だった。
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