「見聞録」
17
コウイチさんとコンビで仕事をするのは別にこれが初めてって訳じゃないけど。
でも、コウイチさんが好きなんだって気が付いて、コンビを組むのはこれが初めてだ。
動揺しないで仕事なんて………出来ないって……(焦)
「岡野君、アネキとオヤジが組むと、異常にペースが早くなるから。気を付けて」
「は、はいっっ」
思わず声がうわずってしまう。
狭いシャフトの中。ほとんど身動きが取れないくらいハマッタ状態で身体を潜り込ませている俺。誰にも今日の動揺しまくっとているところなんて見せたくない。出来れば落ち着くまで一人でいたい。絶対に間違えられない仕事をしているってだけでも一杯一杯なんだから、自分を落ち着かせながら仕事がしたい。にも関わらず、ばっちり見詰められちゃってるこの状態。唯一の逃げ口である、シャフトの扉には、動揺しまくっている俺を見上げる屈託のない笑顔。しかも。よりにもよって。
俺を動揺させている張本人が、ここに、いる。
「岡野君、暑くない?」
「な、何でです?」
「だって、顔、真っ赤だよ」
「あ、あああ…いえ、や、あの…大丈夫ですっ」
「そう?無理しないでねぇ」
「は、はいぃ…」
子供みたいに。何だかとても嬉しそうな顔で。ニコニコしながら。まるで…子供みたいに。可愛くて、可愛くて、カワイイ…っっっ。
「岡野さーんッッ、もうそろそろ始めますよーッッ!!大丈夫ッスかー?」
「は、はーいっっ。どうぞーっっ!!」
電線が通過する、貫通穴を通して谷田君が俺に声を掛けて来た。
「こっちはいつでも良いでーすっっ!!」
もう、こうなったら、無視だ。ひたすら仕事に集中しよう。側にコウイチさんがいると思うから動揺しちゃうんだ。いないと思えば大丈夫。
……そうだそうだ。コウイチさんは最上階。コウイチさんは最上階。コウイチさんは……
「頑張って〜」
……背後から声がー………。
ダメだって。何やってるんだよっっ。仕事中は集中しなくちゃダメだってっっ!!そう。俺は今、幹線やってんだからっっ!!!決心したばっかりだろーがっっ。この仕事だけは責任持ってやるんだろうっ!!
……と、自分を叱ってみるものの、それとこれとは別問題で。
人に見られてこんなに緊張するのは、ホント、小学校の父親参観以来だよぉ……。
なんて、一人パニクッてる間に、谷田君は親方さんに声を掛けていた。
「親方さーんっ!!!いきまーすっっ!!!」
「おうっ、雄太、無理して引っ張るんじゃねぇぞー」
「はーいっっ」
「谷田くーん、頑張ってねぇー」
「はーいっっ。お姉さんもーっっ」
「よしっ、じゃ、雄太いくぞーっっ。せーのっ!!」
「そーれっ」
「せーのっ」
「そーれっっ」
もう、半ば力ずくで頭を仕事モードに切り替えた。
一先ずもう、動揺したままでも良い。とにかく、今度は失敗しないようにしなくてはっ。
「谷田くーんっ、頭出たよーっっ」
「はーいっ。親方ーっっ!!」
「おーうっ」
「下の階に幹線入りましたーっっ!!」
「岡野ーっっ!!」
「は、はーいっっ!!!」
シャフトの中で、自分の声が反響する。
「今度は失敗するんじゃねぇそーっっ。気合い入れてけよーッッ」
「……はーいっ!!!」
そうだ。本当に。失敗しないようにしっかりやろう…っ。
失敗して頭を下げるんじゃなくて。成功して胸を張らなきゃな。うん。たまにはね。
「こっちもいつでもオッケーでーすっっ!!!」
「いくぞーっ!!!」
「はーいっ!!!」
「せーのっ!!」
「そーれぃっ!!!」
シャフトの狭い中に押し込んだ身体は不自然な格好で。でも、それでも、満身の力を込めて幹線を引っ張る。他の業者も利用しているシャフトの中は、ガス屋の配管が張り巡らされていて、足を踏ん張る余地は全くない。それでも俺の小柄な身体だったら何とか身体を全部入れて、中で作業をすることが出来る。誰よりも多分シャフト内で俺が有利だと思う。だから、俺が一番使えなきゃならないんだ。きっと。
見習いだから出来なくても良いんじゃない。見習いでも使ってくれたんだから、与えられたチャンスは必ず生かさなきゃならないんだ。
幹線のために。現場のために。そして、コウイチさんのために。
好きな男を喜ばせるぐらい出来なくてどうするよっ!!
「あ、少しまってくださーいっ。配管避けまーす」
「親方さーんっ!!待って下さいっス!!今、岡野さんがルート変更してるッス!!」
「おーうっ!!」
「……慌てなくても良いからね」
直ぐ側でコウイチさんの声が聞こえた。
「…はいっ」
コウイチさんのために。…あなたのために。
良い仕事をします。俺が出来る精一杯の仕事をします。
心臓はずっとドキドキしていた。側にコウイチさんを感じないではいられなかった。
でも、だから。
自分のパートは責任もって仕事をしようと強く思った。
「……くっ……手が…」
無理な姿勢から、配管を避けて壁側に幹線を流そうとする。でも、手首程もある電線は、俺の力ぐらいじゃびくともしない。
「んっ!!……クソッ……んんっっ!!」
満身の力を込めて手前の方に跳ねようとしている頭を押す。でも、後少しのところで力が足りない。
「岡野君、大丈夫?」
コウイチさんが、シャフトの中に上半身を入れて来た。
「……足下が悪いから……んっ…ふんばれなくて……このままだと電線の頭がガス屋の配管跨いじゃうんです…っ…」
電線の頭の部分に妙なクセが付いていた。今まで通りに真直ぐ下りれば問題ないのに、それが出来ない。苦戦している最中に、それが先刻自分でやったミスのせいだと気が付いた。必要以上に電線を引っ張り出してしまったせいで、床に届いて撓んでしまった電線は、それ自体の重みで歪みを作り出したんだ。
「大丈夫?」
「…大丈夫…です……すみません…俺が先刻ミスったから……」
「いや、そんなことないよ」
「岡野ーっ!!まだかー?!」
親方さんが聞いてくる。
「もう少し待って下さいっ」
すかさず上の階の谷田君が伝言を上階に伝える。
「もう少しッスっ!!」
「おーっ!!慌てんなよーっ!!」
上の方から親方さんの声が聞こえた。
「変わろうか?」
「いえ、大丈夫です。それよりコウイチさん、腰痛くしてるんですから、そんな姿勢良くないですよ。外で待ってて下さい」
「そんな、それじゃあ、折角のコンビの意味がないって」
そう言いながら、なんとコウイチさんは更に身体をシャフトの中に入れて来た。
「こ、コウイチさん?」
思わず力が抜けそうになる。
「危ないッ!!」
コウイチさんが右手を伸ばす。間一髪のところで弾けかけた幹線を押さえた。
「ダメだよっ。電線を扱ってる時は気を抜かないッ」
「は、はいっ」
「岡野君」
「はいっ」
「オレ、抱き寄せて」
「は、はいっ!?」
「いいから、早くッ!!」
「は、はいっっ!!」
オレは言われるがままにコウイチさんの不安定な上半身を左手で抱き寄せた。
「よいしょっ!!」
その勢いに合わせて、コウイチさんが足で床を蹴る。グッと、身体が密着する。現場にあるまじき密室と密着。思わず慌てた。
「コウイチさ…」
「今だ!!電線押してッ!!」
「は、はいっっ!!!」
鋭い指示の声にほぼ条件反射で反応してしまった。2人の体重が一気に幹線に掛かる。
すると、今までビクとも動かなかった太い線が一気に壁の方に移動をした。
「あ、動きました。動きましたよっ」
「ユーウッ!!」
不安定な姿勢のコウイチさんが、オレに体重を預けて顔を上に向ける。
オレの耳もとで谷田君の名前を呼んだ。
「おうっ」
コウイチさんがオレに縋りながら、谷田君に指示を出す。
「今だ!!」
絶妙のタイミングで幹線が落とされた。全ての配管を避けて…そのまま下の階へと続く貫通穴に入っていった。
「はいっ」
その、掛け声だけで線は止まった。
コウイチさんがオレの腕の中で小さな溜め息をつく。
「あてててっっ」
「だ、大丈夫ですかっ?」
思い出したように腰の痛みに力が抜けかけるコウイチさんを左手で支えた。
「ん、大丈夫だよ。……やったね、このシャフトは特別配管が複雑だったから。良く頑張ったね。凄いよ。岡野君」
そう言いながら、コウイチさんはオレの手から離れて、シャフトから出て行った。
「岡野さん、スタンバイ出来ました。いつでも良いッスよ」
下の階から、谷田君の声がする。
……そっか…移動したんだ…。
「さ、岡野君、下ろしてオレ達も下に行こう」
シャフトの外にはコウイチさんのいつもの笑顔があった。
「……はい」
欲情しかける自分を必死で押さえる自分がいた。
抱き寄せた時、抱かれたいのか、抱きたいのか…判別出来ない欲情が吹き出した。
だから。
向ける限りに顔を仰け反らせ、谷田君の名前を呼んだコウイチさんの声を聞いた時、どす黒い感情までもが吹き出した。
忘れ始めていた、ものすごく懐かしい感情だった。
否定しようとしたけれど、誤魔化しきれない程、その感情ははっきりしていた。
それは、第6感にも似た確信で。
「ユーウッ!!」
……………アレは……親友を呼ぶ声じゃない。
嫉妬に心が潰されそうになった。
耳元で叫ばれたから。
細かなニュアンスまで聞こえてしまった。
多分きっと。
(………コウイチさんは…俺と……同じだ………)
そして、谷田君も…。
「……岡野君?」
「はい?」
「どうしたの?もう少し下ろした方が良いよ」
「あ、はい…」
アレは、親友を呼ぶ声じゃ、なかった。
アレは………
………恋人を呼ぶ声だ……。
つづく。
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