「見聞録」
19
「……俺、この仕事、辞めます」
噛み締めるように、俺は同じ言葉を繰り返した。
それは、俺にとってのコウイチさんへの別れの言葉だった。
突然の俺の言葉にビックリしているコウイチさんの後ろには、完成間近のマンション。俺が初めてこの現場に来た時は、まだ中階層までしかなかったマンション。
何もかもが初めてで、何をやっても迷惑ばかり掛けていた。
厳しさに慣れて、忙しさに慣れて、作業に慣れて、道具に慣れた。
俺より2つも年下なのに、職人として電気工事の総指揮を取るコウイチさんを初めて見た時から圧倒されっぱなしだった。
自分の仕事にプライドを持って、決して引かない姿を格好良いと思った。
第一線で働く姿が羨ましくて、こっそりマネしたこともあった。
短い時間の間に、あんまりにも色んなことがあり過ぎて、思い出すことも出来ない。
そして、今日。
ものすごく色んなことを気付かされた一日だった。
なにより俺は自分の気持ちに気が付いた。
俺はコウイチさんが好きだ。
でも、コウイチさんが好きな人は俺じゃない。
「………岡野君」
驚いて声も出なかったコウイチさんがようやく口を開いた。
「はい」
俺は、真直ぐにコウイチさんを見詰めた。
改めて、綺麗な人だと思った。
「…ねぇ、岡野君」
「はい」
「本気?」
「……はい」
「俺、何か悪いことした?」
「いいえ」
「…電気工事は嫌い?」
「…いいえ」
いいえ。大好きです。俺、この仕事やって良かったと思います。偶然でも、あなたに出会えてこの仕事が出来て、ホント、良かったです。
「じゃあどうして?」
あなたが好きだからです。
咽まで出掛かった。でも、言葉を飲み込んでしまった。だって、言ってどうする?困らせることしかきっと出来ない。だったら言わない方が良い。
何か言わなきゃと思った。でも、言葉が見付からなかった。
結局俺は黙り込んでしまった。
コウイチさんはそんな俺を黙って見詰めていた。
目を逸らすことも出来ず、俺は長いことコウイチさんの目を見詰め続けていた。
「……分かった。良いよ。続けられないんだったら仕方がない」
優しい口調が悲しかった。
残念だよと、続けた後にコウイチさんは俺に訪ねた。
「いつ?」
「………」
今日までで、って言葉がもう少しのところで出ない。明日から仕事に来ないってことの無責任さが分かるから。引き継ぎもしないで消えてしまうことの大変さは前の職場で何度か経験したことがある。たとえバイトでも、任せた仕事は必ずある。引き継ぎしないで消えてしまえば、仕事の支障は思った以上に大きくなるものだから。
「……仕事が一段落付いてからで。…良いですか?」
「良いよ」
ゆっくりと、無表情になっていくコウイチさんの表情が怖かった。
嫌なヤツとか思うんだろうな。きっと。辞めちゃうんだもんな。どう思われたってしょうがない。でも、コウイチさんにはそう思われたくなかったな…。
や、違う。
高野電気工事の皆は、そう思われたくない。親方さんにも、お姉さんにも。谷田君にも。仲間として認めてくれた人達に、ヤなヤツだなんて、やっぱり思われたくない。
思われたくない…けど……思われるんだろうな……。
………辛いな。
今更ながらに、辞めるって言ってしまったことを後悔していた。
でも。でも、だからって、続けて辛い思いをするのはもっと嫌だった。
「さ、行こう。後1本だから」
くるりと背を向けコウイチさんが歩き出す。その後を一緒に並んでしまうことのないように少し離れて後についた。
恋愛って変だと思う。
普通男だったら女が好きになるし、女だったら男を好きになるし、とにかく異性が好きになる。だから、男が好きになったりなんかしてしまう俺の感覚がちょっとおかしいのかもしれないけれど、好きな男が女が好きなら諦められる。
恋愛する時の嫉妬って、自分と同性の方がより強い気がしてならない。
俺は男だから、女にしかない感覚って言うのがあるんだったら、そういうのって、全く分からない。価値観もそうだし、外見的な特徴だってそう。
もし、自分の好きな人が、女の人のそういった部分が好きになったっていうんだったら、本当にどうしようもない。自分にないものを必要として、好きになったんだから。努力して、手に入れられるんだったら頑張ることは出来るかもしれないけれど、女にしかないものを好きになられちゃったら努力したって絶対男の俺には手に入らない。
だから、どんなに悔しくても悲しくても、諦められる。
でも、好きな人の好きな人が俺と同じ男だったら・・・・。
もう、単純に優劣が付けられるんだ。
選ばれなかった自分って、そいつより劣っているってことな訳で……。
同じ男だったら、手に入れることは決して不可能じゃないのに、自分にそれがないのを思い知るのは凄いショックで。だから、相手をついつい憎んでしまうんじゃないかなって思ったりする。
部長の時もそうだった。
自分以外の人に、笑ったり優しくするのを見せられる時、女の人より相手が男だった方が、酷い嫉妬心に襲われた。
(俺がいるのに、酷いよ……)
なんて、思ったり。
階段を上がるコウイチさんの背中を見上げる。俺より少し背が高いし、俺よりきっちりしっかりした筋肉がついているし、見た目には1回りも大きく見える人なのに、なぜだか今は小さく見えた。失恋したけど、今日気付いてしまった気持ちはやっぱり変わらなくて。無表情になってしまったあの顔を見た今でも、抱き締めたいな、とか、キス出来ればな、ってつい考えてしまったりする。
でも、抱き締めたりとかキスしたりとか…それ以上のことをしたりさせたりしてるのは、俺じゃなくって谷田君なんだ。
がっしりとした谷田君の太い腕がコウイチさんを抱き込んで、あの唇でキスをして、あの身体で………。
自分にないものばっかりだ。
男なのに、俺には谷田君よりも良いところなんて1つもない。
仕事も出来ない。恋愛も出来ない。
同じ男なのに。
凄く悔しい。
良い人だっていうのが分かる分、悔しい。
器用な人間って訳でもないから、二人の仲に気付いてて、ニコニコ笑っているなんて出来ない。
諦められないのに勝てないんだっら、もう逃げるしかない。
「……はぁ…」
分かってはいるんだけどね……。
やっぱり辛い。何で辛いのに恋愛しちゃうのかなぁ。変だよなぁ……。
「遅−いっっ」
最上階ではお姉さんが腕組みをしてて膨れっ面をしていた。
「暗くなったら作業が大変になっちゃうでしょ。もーっ」
「すみませんっ」
謝る俺の隣で、コウイチさんは無表情だった。
「どうした?」
一番に気付いたのは、悔しいけれど、谷田君だった。
「どうしたコウイチ?何かあったのか?」
「……うん」
「何?」
気が付いたから、2人の親密さが分かる。
どうして昨日まで…いや、先刻まで気付かなかったのか自分でも分からない。
「……ううん。……さ、急ごう。最後1本」
「…………ああ」
何か言いたげな谷田君の顔を見ているだけで暗い気持ちになりかける嫌な自分がいた。
つづく。 18へ戻る TOPへ 20へ
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