「鎖を持つ家」
1

 空の色も。
 海の色も。
 山の濃い緑も。
 以前2人で来た時と全く変わらない、この、島。

 『間もなく船は港に到着します。車で乗船のお客さまは、係員の指示に従って乗車して下さい。また、エンジンは切ってお待ち下さい。乗船券は出口付近の係員にお渡し下さい……間もなく船は到着します…車でお越しのお客さまは………』

 船が接岸する。最下層にあるハッチが大きな音を立てて開いていく。途端に薄暗かった船内に光が差し込んでくる。
 『お待たせ致しました。係員の誘導に従って、順番にお進み下さい』
 オレは、前から順に1台また1台と車が発進して行くのをハンドルに凭れながら眺めていた。次第に視界が開けてくる。
 「さ、どうぞ。真直ぐお進み下さい」
 係員の1人がオレの方を向いて誘導灯を大きく振った。
 エンジンをかける。ギアをドライブに入れる。サイドブレーキを戻し、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
 鉄板性の床にタイヤのゴムが軋んだ。音が船内の壁に反響して何倍も大きな音になって反響していた。
 「お疲れ様でした。チケットをお願いします」
 車のチケットと自分の乗船券を入り口側で立っていた係員に渡した。
 「ありがとうございます。良い御旅行を」
 こんな顔してても、旅行者に見えんのかな。
 ちょっとおかしくなって笑った。
 巨大な駐車場を横切って、ターミナルを旋回し、構内の通路に出る。そのまま道なりに車を走らせ、左折。一つ目のT字路を右折。歩道橋を潜ると、敷地の外だ。信号を左折し、そのまま直進。後は、島の中央を反対側まで突っ切れば良い。
 途中でガソリンスタンドが少ないことに気が付いて、給油。
 夏の日射しが次第に強くなっていく。時間は9時30分。
 今日も1日、暑くなりそうだった。
 昨日から一睡もしていないのに気分は妙に興奮していて、何だかすごく変だった。

 3日前、シンが突然別れの言葉を言い出した。
 『……実家に戻る』
 『ん?何で?』
 『家を…継がなきゃならなくなった』
 一瞬耳を疑った。
 シンはオレと同じ大学に通う、心理学科の2年生だ。
 物静かで、穏やかで、そのくせ一度決めたら頑として聞かない。相手が誰であったって、絶対だ。
 口下手で、気の効いた台詞なんて聞いたことがない。
 不器用で、しょっちゅうオレを怒らせる。
 それでも、いざと言う時は、こっちが赤面するようなとんでもないことを真顔で言うし、エラく器用に手は……動かせる。
 見上げて話さないと、目が合わないのがムカつく。
 運動らしい運動なんて東京に来てからやってないくせに、とことん厚い胸板も、がっしりとして長い腕も、デカい手も、長い指も。絶対折れそうにない太くて長い首も、むかつくぐらいの股下の長さも。おいモデルかよ、ってぐらいの体型も。皆好みで、秘密にしていた。
 絶対二股掛けられるような奴じゃない。
 絶対裏切るような奴じゃない。
 絶対嘘つくような奴じゃない。
 だから、信じた。
 告白されたのは、1年生の時の冬。場所は図書館。
 臨床心理学の文献を探している最中だった。
 忘れられない。
 他に幾らでも席は空いていたのに、あいつは真直ぐオレの前の席まで歩いてきた。
 『……座れば?』
 いつまでも座らないあいつに確かそう言葉を掛けた。
 告白はその直後。
 驚いて、逃げた。
 でも、あいつは諦めなかった。
 3ヶ月間逃げ回って、オレはとうとう捕まった。
 『あんた、おかしいんじゃねーのっ?』
 『……』
 『気持ち悪ぃんだよっ。ホモ』
 『………』
 3ヶ月間、冷静になれる暇なんてなかった。別に付きまとわれた訳でも、ストーカーまがいのことをされた訳でもない。ただ、諦めて貰えなかっただけだ。
 最初は気色悪かった。
 でも、同時に気にならずにはいられなかった。
 バカみたいに意識して、バカみたいに狼狽えたりした。
 逃げ切るために、オレは咄嗟に思い付いた約束を突き付けた。
 『………い…一生だ…っ』
 『………』
 『一生束縛しろ。絶対オレの側から離れるな。いつでもオレの目のつくところにいろ。いつでもオレのことだけを考えろ。オレを絶対1人にするな』
 出来ない約束を突き付けた。
 『…何があっても、オレだけは、裏切るな』
 目を逸らさずにオレを見つめるあいつを睨み付けながら、(どーだっ)と、思った。
 普通の恋愛でも大変だっていうのに、男同士の恋愛が一生なんて絶対無理だ。止めを刺したつもりだった。
 でも。
 あいつは、ゆっくりと、噛み締めるように、言葉を返した。
 『………約束する』
 ………もしも、何かがおかしくなったって言うんなら、多分その言葉が切っ掛けだった。オレは無茶苦茶動揺している自分の気持ちを隠すのが精一杯だった。で、多分、きっと。隠しきれてはなかっただろう。
 自分でも顔がどうしようもなく熱くなるのを感じながら、それでも必死に平静を装った。
 『………どうだか』
 その時点で好きだとか何だとかの感情があったかどうか定かじゃない。
 でも、少なくとも、オレ達はその日から付き合いが始まった。
 自分で言うのもどうかと思うが、オレは基本的に性格の良い方だとは思えない。思ったことを思った通りにやった試しもないし、嬉しかったからっていって、計算無しにニコニコ笑ってみせたの自体、幼稚園に通ってた頃まで記憶を遡らせないと覚えがない。直ぐ手は出るし、へそも簡単に曲げられる。下手したら女より気が短いし、下手な男よりプライドは高い。自分でもいい加減持て余し気味の性格で、自分が女だったら、絶対オレは自分に恋はしないと思う。
 シンは…そんなオレを本気で束縛出来た初めての人間だった。
 身動きが出来なくなるような束縛じゃない、最終的に手の中にいるのに気がつかされるような、そんな感じ。
 色んな意味で、想像以上の奴だった。
 オレは、気がついたら、シンが側にいるのが当たり前になっている自分に気付かないまま、何一つ変わらないと思い込んだまま毎日を過ごした。
 だから、3日前の突然の言葉にオレは耳を疑った。
 『……実家に戻る』
 『ん?何で?』
 『家を…継がなきゃならなくなった』
 『何で?』
 『………』
 『…ま、いいや。で?いつ帰って来んの?』
 『…………もう、戻らない』
 『………は?』
 『……篤(あつし)……済まない』
 『………や、オレ…何言ってんのか全然分かんねぇよ……』
 プァップァーッ。
 後ろからの軽トラックのクラクションに我に帰った。
 いけない、いけない……。
 走り始めると、バックミラーにうつる信号は直ぐに黄色に変わった。
 軽トラックは結局赤信号に捕まっていた。
 「…ダメだなこんなんじゃ」
 運転してる最中でも、シンのことを考えてるようじゃ、末期だろ。
 随分進んできたらしい。町名はいつの間にかS町に変わっていた。
 もうじき港と丁度反対側の海に出る。
 そしたら、突き当たりの信号を左に曲がって南下すれば良い。
 地図で確認。よし。間違いないな。
 左折。海を右手に見ながら南下。
 後1時間もしないでシンの実家のある村に到着する。
 山の中の小さな村。
 この前は2人で………。
 慌てて、考えるのを止めた。
 続きはあいつに会ってからだ。

 うねうねとした細い山道を上っていく。途中で対向車に会ったらかなりに怖い。
 ガードレールが細い丸太を何本か横にながしたような、いい加減な奴だった。
 家が疎らになってくる。
 杉木立の向こうに小さなダムが見えた。
 もうじきだ。
 嫌な緊張感を憶えた。
 
 「…………あった……」
 山奥の小さな村に不釣り合いなくらいしっかりとした、白いタイル造りの建物。
 『木村診療所』
 看板だけが開業の古さを物語ってるぐらいボロかった。
 『急用により、今日明日の診察はお休みします』
 関係ない。オレ患者じゃねぇもん。
 躊躇いもせずに何度もドアチャイムを押してやった。
 だって、オレには今手掛かりがコレしかない。
 何十回鳴らしたかと中で分からなくなった頃、ようやく診療所の扉が開いた。
 「申し訳ない。休みを貰っててねぇ。悪いが明後日、出直してくれんかなぁ」
 ちっちゃいジジイが顔を出す。
 「擁護先生ですよねっ」
 咄嗟に扉を掴んで言った。
 「…い、いかにも。僕が擁護だが……………君は……?」
 明らかに不振そうな表情の先生に、慌てて言葉を付け足した。
 「お、オレ…っ、妹尾(せのお)と言います。妹尾篤です。…山城シン…君の知り合いで……あの、彼に会わせてもらえませんかっ」
 老人の顔が一瞬で固くなった。
 「…………まぁ、立ち話もなんだから……お入り下さい…」
 固い声が、オレを招き入れた。
 警戒心丸出しの声だったけど、構ってなんていられない。
 オレは、誘われるがままに診療所の中に足を踏み込んだ。
 
 
  
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はー、やっと主役の名前が書けました。