「鎖を持つ家」
3

 診療所を後にして一旦国道に戻る。
 信号を左折してアクセルを踏み込む。一キロも走らない内に海水浴場の看板が見えてきた。ハンドルを左に切り、駐車場に車を滑り込ませる。
 観光シーズンを過ぎるとめっきり人がいなくなるって、シンが言っていた通りで、車の台数もそんなにない。気の早いもんで、海の家は既に店終いした後だった。
 別に海水浴を楽しむって訳じゃない。
 エンジンを切り、窓を閉めてカバンを掴んで車から降りる。
 幸い辺りに人影はいない。
 トランクに入った工具箱の中から差し金とハンマーを取り出してカバンの中に突っ込む。
 「……よしっ」
 そのまま肩にカバンを掛けて、オレは何食わぬ顔で海水浴場を後にした。

 
 診療所に戻る道すがら、コンビニじみたパン屋を見付けて、水とパンを購入。
 「あ、ストローも付けてもらえますか?」
 目についた果物ナイフも念のために購入。
 暗い店内を見回すと、なぜか薬局コーナーらしきものまであった。
 「うちねぇ、ホントは薬局なんよー」
 おいおい、メインがパンの薬局屋なんて聞いたことないよ。
 「…あ、じゃあ熱冷ましのシートみたいのって売ってます?」
 「さて…あると思うし、ちょっと待っててねぇ」
 人の良さそうなおばちゃんがごそごそと商品をひっくり返してくれる。
 「……なかったら良いですよ」
 「いやいや、確かあったはずなんよ。えーとねぇ………あっ、あったあった」
 引きずり出された商品は何年前だってぐらい外箱が色褪せていた。
 「これでも良いかい?」
 ま、多分中身に問題ないだろうし。ないよりかはマシだろう。
 「良いですよ」
 思った以上にタイムロス。店から飛び出し、走るペースを無理にでも上げる。
 

 車で来た道を走って帰る。
 「はぁっ、はぁっ、はぁっ……あ゛ぢーっ……はあっ…はあっ……」
 笑えるくらい運動不足だ。
 太陽が高くなるにつれて気温がどんどん上昇してくる。整備の行き届いていない道路は全体的に白っぽくて、余計に日射しを反射しているような気がする。
 汗でシャツが背中にびったりくっついているのが気持ち悪い。
 浜からの風も生温い。
 乾いた唇を嘗めたら塩っぱかった。
 くっそーっっ。シンのアホーっっ!!テメーのせいで汗だくじゃねーかっっ。オレが暑いの嫌いなの知ってんだろーがっ!!!
 会ったらボコボコにしてやるからなっ!!
 貧血起こしそうになりながらそれでもオレは走り続けた。
 焦って焦って走る。色々入ったカバンが重い。
 アノ、体力バカと違って、オレは元々そんなに早く走れる方じゃない。マラソンは嫌いな種目の筆頭で、マラソン大会の日は学校をサボって遊んでいた。
 それでも今は自分の足だけがたよりだ。この距離だ。こんな、普通の車すら滅多に通らないような場所で、いつ来るか分からないタクシー待ってるより、走った方がずっと早く診療所に戻れるはず。
 とにかくジジイが出発する前に戻らなくっちゃ意味がない。
 「はぁっはぁっはぁっ……っ…ぁっ…」
 絶対明日は筋肉痛だ。
 真直ぐ正面を睨み付け、肺で、全身で、激しく呼吸を繰り返す。フォームなんて滅茶苦茶で、スニーカーがバタバタと物凄い足音を立てている。足の裏が痛ぇ。咽も痛ぇ。
 こんなことならもっと鍛えときゃ良かった……。
 波の音がひっきりなしに聞こえる。
 強い日射しのせいで景色の全部がはっきりしている。水田と山の緑が目に痛かった。
 冗談抜きで死ぬほど急いで、診療所の曲り角まで走り続けた。
 一度も足を止めなかったのに気がついたのは、随分後のことだった。

 破裂しそうな心臓を落ち着かせる余裕もない。
 応接室のカーテンが閉まっているのを確認すると、診療所の駐車場まで一気に走り込み、一つだけ屋根がついている場所に止めてある、車の運転席のドアのところにしゃがみ込んだ。
 荒い息を整え、カバンの中から差し金を取り出す。
 「…さて…と…出来っかな……」
 この島に来る時に、飲み友達の長谷ちゃんから車を借りた。この長谷ちゃんは一癖も二癖もある男で、ニコニコしながら結構手癖が悪い。
 例えば大阪の道頓堀には、長谷ちゃんの盗んだバイクが2台放り込まれてて、大掃除を伝えるニュースでその1台が釣り上げられる瞬間が放映されたとか。その近隣の交番のお巡りには、長谷ちゃんの名前を出すだけで『あ〜あの子ね』と、言われてしまうとか。梅雨の時期に友人のバイクのシートをカッターで切って、スポンジ部分でカイワレを栽培したとか。
 そんな可愛いものから、100円パーキングで無料駐車をする方法やら、5秒で車の鍵を開けてしまう方法から、キー無しでエンジンをスタートさせる方法まで熟知していて、なおかつ実践したこともあるとかないとか。長谷ちゃんの名誉のために言っておくが、万引きだの泥棒だのは、オレが知ってる限りじゃやってるところは見たことないし、警察に捕まったこともない。すげー良い奴で、ナチュラルにおばあさんをおんぶして信号を渡っちゃうような性格の持ち主だ。因に乗ってる車は5年ローンでコツコツきちんと支払いしている。バイト先はコンビニの深夜枠。
 窓枠の隙間から差し金を滑り込ませる。長谷ちゃんの話ではドアロックの下部の先端部分に差し金の先を引っ掛けて、そのまま引き上げれば簡単にロックが外れるって話しだ。
 ………まさか自分でやる日が来るとは思わなかった……。
 …っつても今一つ感覚が分からない。
 擁護が来たらアウトだ。こんな犯罪じみた行為、警察に通報されても文句は言えない。勝ち目もない。気分ばっかりがやたらと焦る。
 背後を気にしながらガチャガチャと5分ばかりやっていると、何の拍子か差し金の先端に抵抗を感じた。
 「これか?」
 差し金を掴んだ両手に力が入る。息を詰めて、ゆっくり垂直に引っ張る。
 「……くっ…」
 ガチャッ…。
 よしっ!!
 思わずガッツポーズを取る。急いでドアを開きトランクルームをあける。
 ボフン。
 手応えと共にトランクが上がった。
 妙にドキドキした。車上荒らしの気分ってこんな感じかと思った。
 ドアを閉じてトランクルームに入る。良かった。思ったより広い。
 急いでトランク開閉レバーのワイヤーを探す。
 「……これかな?」
 ワイヤーなんて言ったら、もっと細いのかと思ってたけど、想像以上に太くて固い。オレの小指ぐらいの太さぐらいあった。
 掴んで運転席側に向かって動かすと、トランクルームの開閉部分の金具が連動してパカパカ動いた。
 これは、長谷ちゃんの愛読書(?)のサバイバル本からの知識。
 およそ日常生活の中では使わないサバイバル術が満載の、長谷ちゃん並みにクセの多い本だった。例えば人工呼吸法一つ取っても、咽の気管をナイフで切り開いて、気管にストローを差し込んで息を吹き込め!!だとか、地雷原に迷い混んだ時は起爆装置を捜せ!!!だとか、乗っていたラクダが暴走し始めたら手綱を短く持って、同じ方向に引っ張り続けて大きく円を描いて走らせろ!!!!とか。とにかく実践出来ないものばかりの本だった。その中に車のトランクルームに閉じ込められた時の脱出方法っていうのがあって、他がとんでもない内容ばかりだったから妙にリアリティを感じて、万一(?)のことを想定しながら読んだ。
 ……まさか本当に使うことになるとは思わなかったけど。
 最後に素早く辺りを見回して、トランクルームに入り込んだ。
 手を伸ばして慎重にドアを引っ張る。
 一瞬(万一開かなかったら…)なんて思いかけたんで、最後は一気に引っ張って閉めた。 途端、真っ暗な密室に変わった。
 そろそろと手を伸ばしてワイヤーを探る。
 「…んっ!!」
 ボフンッ。
 ヤるじゃん、サバイバル本。
 今度は安心して、力一杯ドアを閉めた。

 なるだけ楽な姿勢を探して身体をリラックスさせる。
 トランクルームの隅に入っていた毛布が暑いんで、足で蹴って小さくする。
 ごそごそしてたら、後方座席側に、何やら動く場所を見付けた。
 押したら倒れて、光が差し込んで来た。
 ああ、ひじ掛けの部分だ。この車、長モノが入れられる、トランク一体型なんだ。良かった、これで最悪の場合トランクルームに冷気が入れられる。
 冷房無しの真夏のトランクルームはヤバそうだもんな。
 走って体温上がってるから、余計に暑いし。
 カバンの中から水と熱冷ましのシートを取り出す。額に張り付けてから、ストローを使ってペットポトルの水を一口飲んだ。
 よし。
 後は擁護の出発するのを待つだけだ。

 ……………………………。
 いけねぇっ!!!
 暗闇に慣れて、待つのに飽きて来た頃、運転席のドアの鍵を掛け忘れたのに気がついた。
 やっべぇ……。バレるかもしれない。
 鍵掛けに行くか……でも、もういつ来てもおかしくないし……。
 なんてうだうだ悩んで5分が過ぎる。
 ……んーだよっ。さっさと鍵掛けに行きゃぁよかったぜ…。
 だからって言っても、次の5分間の間に来ないとも限らないし……。
 見付かったら、苦労も何も水の泡だ。
 出るに出れない。
 見付かりゃ、即通報だろうし……。
 どーすっかな…。
 更にまた5分が過ぎる。
 ………あーっ、アホかっオレはっ。
 出るぞっ!!出るっ!!!速攻やれば、1分も掛からねーって。
 意を決してワイヤーに手を掛けて……砂利を踏む、規則的な足音が耳に入って来た。
 ああ……っ……バカだ。さっさとやっときゃぁ良かった………。
 カバンの中から果物ナイフを取り出す。
 「……あれ?」
 間近に擁護の声が聞こえる。
 ドアの鍵に気付いたらしい。
 ガチャッ。
 ドアが開かれる。緊張が一気に高まる。トランクルームが開いたら…、脅迫するしかないだろう。こんな小さなナイフがどれだけの効力あるか分かんねぇけど。右手で力一杯握りしめる。
 息をひそめて開けられるのを待った。
 緊張のあまりに吐きそうになった。
 絶対犯罪者には向かねぇと思った。
 バタンッ。
 飛び上がりそうなくらいビビる。
 滅茶苦茶心臓に悪い。
 更にナイフを持つ手に力が入る。情けないくらいに手が震えていた。
 ブルルルン。
 「………え?」
 エンジンが掛かり、車が振動を始めた。え?おい、ジジイ、鍵開いてたんだぞ。ちょっとは警戒しなくて良いのかよ?
 ゆっくりと動き出す。……気にならねぇのか?
 砂利の振動が直接伝わる。
 砂利をバキバキ踏み付けるタイヤの音が間近に聞こえる。
 「…………」
 声を押し殺して、全身で車の動きに神経を注ぐ。
 ウインカーの音。
 一旦止まる車。
 また、ゆっくりと動きだし、片方に重圧が掛かる。……頭の方に曲がったから…左折だな。先刻長谷ちゃんの車を止めに行った方角だ。シンの実家もこっちの方角だから…間違いないな。擁護はシンに会いに行く。
 希望的観測込みの確信で。
 砂利道の振動から、もっと滑らかな、アスファルトの上の振動に変わる。
 よかったぁ。一先ずは潜入成功(?)だ。
 やっと一息ついた。
 ガチガチになった身体の緊張をゆっくり解きながら、握った果物ナイフをカバンにしまった。関節ががっちり固くなって、ギシギシ音を立てる。ホント、オレって犯罪者にはなれないと思う。
 不法侵入はおいといて。
 暫くしたらクーラーの冷気らしいものが僅かに流れ込んで来た。
 ラッキーだ。暑さも何とか凌げそうだ。
 車は走る。走る。
 多分きっと、シンのところへ。
 もうじき会える。
 嬉しくて、暗闇の中で少し笑った。
 この何日間のことを思い返す。まるで悪夢だ。一人にされたって思った時の、あの狂いそうになってしまった感覚がまだ身体のどこかに残ったままだ。
 もう、あんな思いはしたくない。
 寂しいとか思うのも絶対に嫌だ。
 大体、オレはそういうキャラじゃない。
 追い掛けるのも…シン、お前だからやるんだ。ありがたく思え。
 首根っこ洗って待ってろよ。
 ボコボコにして、謝らせて、抱き着いてやる。
 親戚の目なんてクソ食らえだ。
 血の雨でも、キスの雨でも、何でもかんでも降らせてやる。
 言っとくけどな、お前を好きにさせたのは、オレじゃなくってお前なんだからな。
 責任とれ。
 一生束縛するって約束守れ。
 男だろうがっ。
 今更、一人になれねぇよ。バカ。

 狭くて暗くて暑いけど、我慢出来ないところじゃない。
 会えると思ったら、気持ちの緊張が解けていくのを感じた。
 大きなあくびか出始める。
 「………眠みぃ…」
 そう言えば、もう丸1日以上眠ってなかった。
 シンの家までは車で小1時間の道程だ。
 休んでおくか……。
 足の痺れない体勢を探して、カバンをまくら代わりにして。
 オレは間もなく、眠りに落ちた。
 

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篤君、それは犯罪行為です。