「鎖を持つ家」
6

 枝道のない、真直ぐな細い道。
 午後5時15分。
 今ならまだ2時間は明るいって言うのに、鬱蒼とした森の中は既に薄暗い。
 「……こんなところで日ィ暮れたらシャレになんねぇぞ。おい……」
 心配事をわざと口に出してみたりする。
 あー………こんなことなら懐中電灯も買っときゃ良かった。
 っつても、後悔先に立たず、だ。
 「月明かり…は……期待出来ねぇよなぁ……」
 見上げても被い被さるような木々に遮られてて、空も見えない。心なしか気温も低いような気がする。
 なるべく横を見ないで歩く。
 ……右も左もどこまでも森が続いている。太い木々の間に細い木がヒョロヒョロと隙間を埋めている。根元は熊笹が一面を被っていて、地面自体がほとんど見えない。物凄い湿気で、木の幹はどれを見てもびっしりと苔がついている。
 原生林ぽいところがまるで富士の樹海。
 どこまでも暗いいやな感じに森が左右に続いている。
 無意識に足が速まる。
 先刻のガキ。
 気にしないようにしても、どうしても思い出してしまう。
 だから、せめて頭のなるべく隅の方で考える。
 ガリガリに痩せてて、着ていた巫女みたいな格好の着物の袖からは枝みたいな腕が覗いていた。血の気らしいものなんて全くなくて、白を通り越して青白く見えた顔色。不釣り合いなぐらいギョロギョロとデカい目。普通アレぐらい小さい子供だったら、成熟していない分単純な感情は表に出易いのに、あのガキには感情らしいものが何一つなかった。ニィ…と笑った口元も、形だけで感情が無かった。
 無気味なガキ。
 歩調がどんどん早くなる。
 ……オレは超常現象だの心霊現象なんて言うのは信じてない。
 あんなのは、どれもこれも科学的な根拠で説明がつくものだと思っている。
 テレビとかでやってるのは、純粋にバラエティと思って見ている。
 でも。
 確かにオレの携帯電話は壊れていた。
 あの時、力任せに床に叩き付けた携帯は、折畳む部分が壊れてブラブラだったし、中の電線みたいなのが1本ブッ千切れていた。にも拘らず電話は繋がった。
 凄いノイズの向こうで笑っていたガキの声。
 『シン様…ここにいるよ……もう、会えないよ……』
 今でも耳にこびりついている。
 あのガキの声。
 すぐに追い掛けたのに、後ろ姿すら見ることが出来なかった。
 あんな格好で早く走り去ることなんて、絶対出来ないはずなのに……。
 「………っ」
 走り出す寸前の歩調になっているのは自分でも分かっていた。
 日暮れまでに時間があまり無いことも、この道がどこまで続いているのか分からないのも、この道の先にシンがいるのかどうかも本当は何の確証もないのも、皆不安材料の一つで。些細なことがバカみたいに怖く感じてならない。
 不安と恐怖は混同し易いものだ…なんて教授の話が今更リアルに納得出来る。
 (……あのガキ…一体何ものなんだ……?)
 なるべく頭の隅に追いやって。考えずにいられないんだったら、怖いと思わずにいられないんだったら、せめて思考のメインに置かずに……なんて考えてる自体、頭は怖がり始めてる証拠だった。
 どこまでも続く道が踏み固められていて、少なくとも人の使われている気配があることだけが救いみたいな感じに縋る。戻ったところで手掛かりがある訳でもないし、第一擁護の車がまだ止まっているとは限らない。
 手掛かりを失えばまた振り出しに戻る。
 シンにもう一度会いたかったら。
 ギュっと口を固く結んで、ただひたすらに目の前の道を睨み付けながら歩き続ける。
 前に進むしか今のオレには出来ないなら。
 「……くっそーっ……シンの野郎、絶っ対殴り飛ばしてやるかんなっ」
 会いたかった。
 もう、どうしようもなく会いたかった。
 一人は嫌だった。
 誰でもない。
 オレはシンに会いたかった。

 忘れ果てていた心霊特集のテレビ番組の再現VTRなんて思い出したり、心霊写真を思い出したり。そうなってくると振払っても振払っても漠然とした恐怖心は頭に居座る。薄暗く見えなくなっていく左右の森が絶対に見れなくなってくる。後ろも怖い。前も怖い。
 何度も足が止まりそうになる。止まったら動けなくなるような気がして、必死で歩いた。湿気を含んだ森の空気はひんやりと冷たくて、今が真夏だってことを忘れそうになる。
 止まっちゃいけない。行かなくちゃいけない。
 この道の先に何があるかは分からないけど、少なくてもシンに会えるかもしれない。
 (………取り返しがつかなくなる前に)
 ふと、そんな言葉が頭を過る。
 会えなくなるなる。でも今ならまだ間に合う。
 壊れた携帯電話で話した言葉を思い出し、そういうことだから、と、頭が無理矢理考えた。
 自分でも、無理があると思いながらも必死で無視して。
 疲れた身体を叱りつけながら歩く。歩く。
 会いたい。会いたい。会いたい。………会いたい。
 どうしてこんなところにいるのか分からないけど。いるならオレは会いに行かなくちゃならない。だって、会いたいんならオレが行動を起こさなくちゃならない。
 シンはオレに会いに来てくれないから。
 捨てられたんだから当たり前って言ったら当たり前だけど。
 ……いや、違う。もしも捨てるんなら、あいつじゃなくてオレが捨てる。
 こんなの、絶対理不尽だ。
 このオレがあのアイツに、捨てられるなんて絶対、あり得ないんだから。
 (行かなくちゃ……早く……あの……)
 湿った道をあり得ない速さで歩き続ける。息はとっくに上がっていて。考えまでが乱れに乱れる。
 (行かなくちゃ……行かなくちゃ……早く……あの……家に…)
 ………………家………?
 思わず足が止まってしまった。
 どうして今……オレ………家って……思ったんだ………?
 『ギャアッギャアッッギャアッ』
 「うわあっ!!!」
 絶妙の(?)タイミングでカラスの鳴き声。
 思わず心臓が口から飛び出しそうになり、オレは咄嗟に走り出した。
 なぜか同時に聞こえた、ジャラ…という鎖の音を強引に無視して。


 山城。そして山代。
 『やましろ』には、二つの言葉が隠されている。
 古くからこの島で営みを続ける一族、山城。
 山城一族が守り続ける家、山代。
 信じ難い話かもしれないが、山城一族の名前は山代よりも歴史が浅い。
 つまり、この島により古くから存在しているのは一族ではなく、家なのだ。
 そもそも山城という一族の名前は、山代を隠す隠名なのだ。
 意味を持つ名前ほど、世に出るのは危険だからと、山代は自ら自分の名前を山城と言う一族の名前の中に紛れ込ませたのだ。
 例え口を滑らせたにしても、この島では『やましろ』は、山城なのだ。
 山城一族には忌わしい能力が脈々と受け継がれている。
 傍目から見れば羨望される能力なのかもしれない。
 だが、狭い島国の中では、透視の能力も霊視の能力も念力も人間関係を悪化させる副産物しかもたらすことはなかった。
 恐れられ敬遠され、遂には追放された一族は、山へと逃げるしかなかった。
 彷徨い歩き行き着いたのが、朽ち果てる寸前の祠だった。
 元々一帯の水源を守る意味で作られた祠は、人里離れた山奥に建てられたのが災いし、忘れ果てられ、朽ち落ちる寸前にまで死にかけていた。
 初めは雨風を凌ぐために。
 やがては生活の拠点に。
 祠はゆっくりと少しずつ修復が重ねられ、増築が進められた。
 やがて意識を取り戻す祠。
 土地の水が拍動を始めた。
 死を目前としていた祠は、話す力も、伝える力も全て失ってしまったいた。
 ただ、黙って一族を体内に受け入れ、自分の身体を修復してくれるのを待ち続けた。
 祠はやがて『家』へと姿を変貌を遂げた。
 家の中心に残された祠だった時の本体は自分の存在理由を忘れずにいた。
 やがて思い出す自分の名前。山代。山の依代。
 一族は、家に気配を感じ始める。
 家に憑く気配ではなく、家そのものに気配があることに気付くのには時間は掛からなかった。
 山代は一族の能力を介して意志の疎通を行えることに気付いた。
 人により、命を吹き返し家へと変貌を遂げた祠。
 祠を家に変えることにより、新しい居住区を手にいれた一族。
 利害は一致した。
 山代は一族に山城と言う名前を与えた。山城。山が住処。
 発音する言葉は同じであったが、意味は全く異なった二つの名前の誕生である。
 人なくしては家は生きられない。住む家なくしては人は繁栄は困難を極める。
 こうして、一族と家は深い繋がりを手に入れたのだった。
 家を守り、土地を守ることによって、一族は繁栄を約束された。
 長い年月が経ち、一族はやがてその大半が山里を目指す。
 隠された特別な力を隠し、決して山代の存在を明かさず、選ばれた数人を山代の中に繋ぎ止め。
 産業・流通・商業・政治。そして他のあらゆる分野において、山城一族は頂点に立ち始めた。やがて、島一番の財閥へと成長を遂げた。
 山城一族は山代を中心とした一帯を守り続けた。
 強大な権力は、この何一つ主要と呼べる特産物もなく、産業も事業も持たないこの小さな島国を観光開発から遠ざけた。島に残された手付かずの自然は、一族の手によって守られていると言っても過言ではない。
 繁栄は山代がもたらしいてることを熟知している一族は、今や東京へと進出出来る力を持ちながらも決して移動することはなく、ただひたすらに土地と家を守り続けているのであった。
 贅を凝らして再築された山代は、一族の大半を自分の中から手放した時、どうしようもない孤独に襲われた。
 自分に必要なのは自分の中で営む人間だ。
 約束のためだとは言え、人間を自分の中から放出するのは測り知れない恐怖であったのだ。
 人間に忘れられ、朽ち果てていく運命だったかつての自分。
 記憶を失い、名前を忘れ、存在理由を失い、意識を失い、命すら失う寸前だった。
 死を恐れるのは人間だけではないのだ。
 山代は孤独に打ち勝とうと、目には見えない鎖を作った。
 自分の中に僅かに残した人間を完全に束縛し、閉じ込めた。
 目には見えない鎖で自分と人間を固く繋ぎ合わせる。
 一生山代から出ないようにと……出れないようにと………。
 見えない鎖は一族に掟を作らせる。
 繁栄のための生け贄の登場である。
 一族の当主は一生を山代の中で暮すこと。
 一族の象徴である山代にその証を見せること。
 決して一人で逃げだせないように。
 その左の足と左の腕を切り離し、山代に捧げよ…と。
 枝道のない真直ぐな細い道の奥に人知れず存在する祠……家、山代。
 先代を失い、次期当主にその息子、シンを指名した家、山代は今現在も存在する。


 「………それじゃぁ、シン君、始めようか」
 「はい。……擁護先生」
 「ん?何かな?」
 「……いえ。宜しくお願いします」

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ようやくシン君の登場であります。でもっ、「始めようか」って、こら擁護っ、何する気だっっ!?続きは次回をお楽しみに。