「鎖を持つ家」
プロローグ

 嫌な夢を見た。
 誰も知らない山奥に、一本の細い道が続いていた。
 人1人が通るのもどうかってぐらい細い道で、両脇にはびっしりと熊笹が生い茂っている。原生林っぽい森は、ものすごい湿気で、木の幹も、時折むき出しのデカい岩も苔で緑色になっている。夏なのに、ひんやりと冷たい空気が足下に溜まっている。
 踏み固められた地面もしっとりとしていて、気を付けて歩かないと、直ぐに転んでしまいそうだった。
 オレは、何だかとても焦っていた。
 急いで『あの家』に行かなくちゃならなかった。
 行って、助け出さなくちゃいけなかった。
 助ける……ってよりも……奪う………いや……奪い返す……そう、奪い返さなくゃならなかった。
 時間がなかった。
 とにかく全然時間がなくて、無茶苦茶焦っていた。
 早く行かなくちゃ、取り返しのつかないことになる。
 取り返しのつかないことになる前に、どうしてもオレは奪い返したかった。
 ………そいつが『誰か』なんて、その時は考えもしていなかった。
 ただ、ひたすらに焦ってた。
 細い道のむこうに『あの家』がある。
 ジャラ…と、鎖の音が聞こえる。
 怖かった。
 どんどん家に近付いて行く。
 どんどん怖くなっていく。
 恐怖心が何度もオレの足を止めた。
 止まったら、足が地面に潜り込んでしまうんじゃないかってぐらい重くなった。
 次の一歩が踏み出せない。
 「………っ」
 夢の中で、オレはあいつの名前を呼んだ。
 得体のしれない恐怖を全身に感じながら、オレは何とか次の一歩を踏み出そうとする。
 「………っ」
 あいつの名前を呼びながら。
 
 遠くでガキの笑い声が聞こえた。

 

 「…………っっ!!……………」
 半ば力ずくで夢から覚めた。
 「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
 嫌な汗でシャツが濡れて背中に張り付いている。
 「…………チッ」
 真っ暗な部屋の中。散乱した部屋の中。リビングの入り口の壁にうずくまっているオレ。
 すぐ傍らに、力任せに叩き付けた携帯電話が転がっていた。
 「………………」
 嫌な夢だった。
 やっとの思いで夢から逃げてきたっていうのに。
 目が覚めたら覚めたで、信じたくない光景は変わらなくて。
 「……………っ」
 頭を抱え込んで身体を小さく丸め込む。
 …………いない。
 途端、叫びだしそうな不安感が全身を襲うっ……。
 「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
 自分の呼吸の音しか聞こえない。
 「…………………ン…ッ…」
 思わずあいつの名前を叫びそうになる。
 咄嗟に堪えた。どうして堪えたのが自分でも分からない。
 でも、歯を食いしばって言葉を必死に飲み込んだ。
 そうでもしないと、もう…………気が狂いそうだった。
 『…ごめん』
 あいつの声が耳に残る。
 『……もう…戻らない』
 信じられない。
 信じられない。
 「…………シ…ンッ」
 一生って約束だった。
 一生オレを束縛する。
 約束するって言ったのに。
 あいつは、オレを捨てやがった……っっ。
 「……シンッッ……!!」
 頭にキテんだか、不安なんだか、さみしいんだか、何だか全然分かんねぇ。
 頭を掻きむしる。掴んだ自分の髪の毛を全部引っこ抜くぐらいの力で引っ張る。ヒリヒリ痛む髪の付け根で、どうにか正気を保っている気がしてきた…。
 ショックなのがショックだった。
 いなくなることが…こんな……だなんて、思わなかった。
 最悪だ………っっ!!!!!
 自分でもどうかしてると思った。思ったのにどうにもならなかった。
 野郎1人いなくなったぐらいで、こんなに動揺している自分が嫌だった。
 たった2日でおかしくなりそうになっている自分が嫌だった。
 まるで、あいつ無しじゃいられなくなってるって考えるだけでも嫌だった。
 引き止めることも出来なくて、追い掛けることも出来なくて。
 『……ああ…っ…分かった…よっ……好きにしろ……よっ……!!!』
 ………こんなになるなら、逆切れてんじゃねーよ、オレ…。
 怒りまくってシンの部屋中滅茶苦茶にして、そのくせ自分のアパートに帰れなくて…バカみたいに帰り待って………。
 ……最悪だ……どこもかしこもあいつの触った手の感触を憶えてやがる……
 「…………シンッ……!!」
 
 『…はい山城です…ただいま電話に出られません……発信音の後にメッセージを……』
 『ーーーーーーーっっっ!!!!!!!!』

 悩んで悩んで、半日悩んであいつの携帯に電話をかけた。オレから絶対に電話をかけねぇっていうのが密かな自慢だったのに。
 なのに、電話は留守電に切り替わった。
 力任せに床に叩き付けられた携帯電話は、バキッと嫌な音を立てたままだ。

 「…シンッ……シンッ」
 気がつけば、バカみたいにあいつの名前を呼んでいた。
 「シンッ、シンッ!!……シンッ!!!」
 鼻の奥がツン…と、痛む。
 パニック寸前で。本当にもうギリギリで。
 
 1人なんだ…って、思ってしまった。そう思ったら、突然何かのバランスが壊れた。
 感情っていう感情が、一気に内側に向かってガ−!!って集まり出した。
 ものすごい勢いだった。
 感情があるべき場所から全部真ん中の一点に集中していく。自分の意志じゃ止められなかった。自分の身体を力一杯抱き締めて、全身を緊張させて強ばらせた。それでも、感情をとめることが出来ないっ。マジでヤバいと思った。もしかしたらおかしくなるかもしれないと思った。思ったけど、もう、どうにもならなかった。
 気が狂うって、こういうことかもしれないって、どこかで思った。
 携帯電話が鳴ったのは、オレの感情が限界以上に集中して固まって、
 爆発しようとした瞬間だった。

 『ジリリリリリ……ジリリリリリ…』
 
 「っっ!!!!!」
 引きつったように息を吸う。心臓がバクバク言っていた。気持ちがおかしくなりかけてて、何も考えられない状態だった。
 音って、いうより、神経を逆撫でられるような刺激だった。
 「………」
 オレは、無言で床に転がった携帯電話を見詰めた。
 暫く鳴って、電話は切れた。
 (あの着信音…………)
 ぼんやりと頭の奥が考える。
 答えを見つける直前に、また、電話が鳴った。

 『ジリリリリリ……ジリリリリリ…』
 
 ダウンロードして設定した、黒電話の着信音。
 この音は、あいつからの電話じゃなくちゃ鳴らない音………。
 
 飛びつくように電話を拾った。
 『ピッ』
 「もしもしっ!!もしもしっ!!」
 携帯から、ものすごいノイズ音がした。
 「…もしもしっ!!もしもしっ!!おいっ、シンッ!!」
 夢中で叫んだ。涙が溢れたのにも気がつかなかった。
 「おいっ!!どこにいるんだよっ!!ふざけんなっ!!…こんなことしやがって…!!シンッ!!」
 涙で変に声が震えた。受話器に耳を力一杯押し付けて、シンの返事を待った。
 「……おいっ…シ」
 手の中の携帯電話の違和感に気がついた直後、ガキの笑い声が聞こえた。
 「………………シン様…ここにいるよ……」
 ザワァッ…!!と、頭のてっぺんまで鳥肌が立った。
  ガキ特有のカン高い、感情の足りない声。
 「ここにいるよ」
 ノイズの音の中、いやにはっきりと聞こえた。
 「…………誰だ……お前……」
 電話の向こうでガキが笑った。
 「…ここにいるよ……もう会えないよ…」
 堪え切れずに吹き出したような、笑い声。
 「だ、誰だっ!!どういうことだっ!!シンを出せっっ!!!」
 「…来いよ……今ならまだ会える……」
 「どこだよっ!!」
 「……夢で……見せてやっただろう……」
 「夢って……」
 ガキはバカにしたような口調で島の名前と地名を言った。
 それは、シンの実家のある場所だった。
 「……擁護(おうご)に会いな…後はあいつに案内させる……」
 ブツッ……と、電話を切られた。
 受話器からは何の音もしない。
 本来聞こえるはずの、ツー、ツーってあの音もしない。
 オレは、ゆっくりと耳から携帯を外した。
 ゆっくりと、ゆっくりと手の中の携帯電話を見た。
 床に叩き付けられた携帯電話は、折りたたむ部分が壊れ、辛うじて細い線で繋がっているだけだった。
 オレは無言で携帯電話を裏返した。
 電池のフタの部分が外れて、中身もどこかにすっ飛んでいた。
 ゆっくりと床に視線を下ろす。
 離れた場所に、外れて飛び出してしまった内臓電池が転がっていた。

 電話なんて、かかるはず、なかった。


 長いこと手の中の壊れた携帯を見詰めていた。
 それっきり、携帯はウンともスンとも言わない。
 あたりまえだ。
 電線が切れて、中に入ってた電池が飛び出して床に転がってたら、電源自体普通入らない。
 夏だって言うのに、嫌な寒気に襲われた。
 「………………………なんだよ………」
 何だか気持ちがものすごくささくれだっていた。
 自分の心臓の音も、自分の呼吸も、ざわざわと血管の中を血が流れる感覚も、何もかもが不快に感じた。落ち着かないような、イライラした感じ。
 自分の声まで不快に感じた。
 感覚の奥の方で、思考が蠢いているような感じ。
 ああ…まだ、何も考えられない。
 『…シン様…ここにいるよ……ここに、いるよ……』
 カン高いガキの声。
 「ーーーーーっっ!!!!」
 自分を取り戻そうと、手近に落ちていた本を思いきり壁に叩き付けた。
 バシィッッ!!!!!
 「はぁっ…はぁっ…はぁっ……う…あ゛あああああっっ!!!!!」
 携帯を力一杯握りしめたまま寄り掛かっていた壁に拳を叩き付ける。
 痺れるような痛みが走ると、その後、溜まったストレスみたいな嫌な感じが少し消えたのに気がついた。
 「ああっ!!ああっ!!…うわあああっっ!!!」
 何度も何度も叩き付けた。終いには後頭部まで壁に叩き付けた。
 「あ゛ーーーーーっっ!!!!!」
 腹の底から叫んだ後、バカみたいに涙が出てきた。
 「……ぁぁぁ…っ…!!……っく……シン…っ」
 嗚咽の合間にあいつの名前を呼んだ直後だった。
 まるで、ブラックホールの最期。
 一瞬の空白の後、爆発したみたいに感情が溢れ出してきた。まるで、先刻の逆で、おかしくなりかけた感情が、一気に正常に戻ろうとするみたいな、ものすごいエネルギーを身体の中で感じた。不思議だったし、腹立たしかったし、嬉しかったり、悲しかった。まるで全部の感情が一気に最大になったような感じ。やっぱりこれも自分じゃどうにもならない…っ。感情が、すごい奥の方から鼓膜を破りそうな勢いで吹き出してくるような…そんな感じだった。穴っていう穴から、何か吹き出すんじゃないかと思った。飲み込まれて、死ぬんじゃないかと思った。でも、それでも良いと思った。狂うよりよっぽどマシだと思った。
 髪の毛が逆立ちそうなほど、感情が外に向かって噴き出した。
 オレが出来ることなんて…泣くことしかなかった。
 真っ暗な部屋の中で、オレは声を上げて泣きじゃくった。
 止めようと思っても止められなかった。
 シンに抱き着きたかった。もう、無茶苦茶抱き着きたかった。ベアハッグみたいにしがみついて、絞め殺してやるぐらい、思いっきりしがみつきたかった……っ!!!!
 壊れた携帯を渾身の力で握りしめた。そのまま口に持ってって、拳ごと噛み付いた。
 ものすごく痛かった。それでも噛み締める。噛み締める。
 玄関のドアが、蹴られてガンガン音を立てた。
 「うるせーぞっ!!!!!今何時だと思ってんだよっ!!!!!」
 ドアの向こうで誰かが怒鳴ってた。
 そんな声も音も聞こえなくなるぐらい、オレはワンワン泣いてやった。

 「……………ふぅ……」
 泣くだけ泣いて。
 もう、まぶたも鼻の下も擦れてヒドイことになってた。
 それでも、一杯一杯だった先刻に比べれば遥かにマシだ。
 徐々に物事が考えられるようになってきた。
 落ち着いて、頭をできる限り冷やして、冷静にして。
 手の中の携帯を改めて調べた。
 もう、完璧ぶち壊れてる。試しに床に落ちてる電池を拾って嵌めてみたけど、電源すら入らなかった。
 「……やっぱ、壊れてら…」
 一先ず声に出して確認してみる。
 『……シン様…ここにいるよ…』
 ガキの声は耳に残ったままだ。
 『……もう……会えないよ…』
 うるせぇっ。
 『……来いよ……今ならまだ会える……』
 テレビの上の時計を見る。時間は夜中の12時を回っていた。
 『××××××、×××××××』
 ……ガキの言葉を信じるんだったら、シンは実家に帰ったってことだ。
 でも、何で?
 『…擁護に会いな…後はあいつに案内させる……』
 おうご…おうご……おうごって言ったらどっかで聞いたような……………あ、そうだ。木村診療所の先生だ。シンの実家じゃ、結構有名で…そうだよ、オレ、昔シンの実家に一緒に泊まりに行った時、夏風邪ひいて世話になった先生だよ。そうだそうた。間違いない。
 『……来いよ…今ならまだ会える…』
 選択肢も何もなかった。これで下手な意地張ってここで腐ってたら、本当にもう会えなくなるような気がする。
 オレは立ち上がって、リビングの電気を付けた。
 照明が一斉につくと、今まで暗闇に慣れていた目が痛いくらいに眩しがった。ジジイみたいに目を細めながらも、オレは電話のところまで歩き、受話器を持った。ツー……と、言う音が当たり前なのに、聞こえてちょっとホッとしながら、オレはダイヤルを回した。
 「………頼むッ……起きろよっ……起きろってっ……おいっ……あ、もしもしっ?……オレ。…うん。そう。ごめん。……だよな。こんな時間だし。でも、急用なんだ。……うん?………や、違う。じゃなくって、長谷ちゃんの車借りたくてさ。……そう。今。………ダメ。オレ、ソッコー出発しなきゃなんねーの。……え?あ、シンの実家まで。………うん。いやいや、そんなんじゃないけどさ。………や、話すと長くなるんだよ。……そう。……うん……うん………うん。今から出発しないと間に合わない。……うん………え?良い?サンキューっっ。……いいよいいよ、そんなの全然オッケー。………ん、じゃ、今からそっち行くから。あ、あのさ、悪ぃんだけど、借りてる間、長谷ちゃん家にバイク置いてっても良い?……ん?いいよ。勝手に使って。鍵置いてく。……うん。……うん………………や、ここには、いない。オレ1人で行く。………ううん。あいつ、先向こうにいるし……うん。………アリガト。じゃ、速攻行くから宜しく。じゃ」
 ふう……。これで、朝まで待たなくても直ぐ出発出来る。
 パシッ!!
 オレは、気合い入れのために、自分で自分の顔を叩いた。
 見回せば、まるで泥棒にでも荒らされたかって惨状のリビングルーム。片すには、かなりな労力が必要だろう。でも……謝るもんかっ。もとはと言えば、あいつが悪いっ。
 そうだ。いきなり『すまない…』なんて真顔で言いやがって。
 ふざけんなっ。約束が違うじゃねぇかっっ。
 大体お前、オレと付き合う時なんつったよっ。
 オレが『一生束縛出来るのかよ』つったら、お前、神妙な顔して『約束する』って言ったじゃねぇかっ!!ウソ吐いてんじゃねーよっ!!!!
 勝手に盛り上がって、勝手に終わりにすんなっっ!!!…んな寝言、
オレは信じねぇんだからなっ!!!
 絶対お前のところに行ってやる。決めた。絶っ対だ。
 何があったか知らねぇけど、絶対お前のところまで行って、思いっきりブン殴ってやる!!!!
 待ってろ、バカ。
 今更お前無しでいられると思ってんなよボケッ!!!
 さんざん毒を吐いてるうちに、どんどん元のペースに戻ってくる。
 そうだ。捨てられたからって、ぐじぐじシンの家で待ってたところであの真面目バカ、帰ってくる訳がない。ショック受けておかしくなってるなんてオレらしくない。第一、今ならまだ、間に合う。
 少なくともあのガキはそう言ってたし、オレもそう思う。
 もしも邪険に扱われたら…なんて気弱な考えがよぎりかけた。
 慌てて掴んで丸めて捨てた。
 その時はその時だ。
 捨てられるんだったら、せめて捨ててやる。
 「……………よし……っ」
 そう。それでこそオレ。
 とにかく、出発しよう。
 カバンの中から財布を出して中身を見たら、3000円しかなかった。ま、これは後でコンビニにでも寄って下ろせば何とかなる。
 免許も持ってきた。今日は酒も飲んでない。眠気もない。っつーか、それどころじゃない。着替えも何も…ま、それもどっかで揃えりゃなんとかなる。
 握ったままの携帯を見た。
 …あの電話は一体何だったんだろう……。
 いや。でも、今は信じるしかない。
 手掛かりって呼べるものがあるとしたら、今はホントそれしかなかった。
 オレはちょっとだけ悩んで、その壊れた携帯もカバンの中に突っ込んだ。
 「……後は………あ、そうだ」
 シンの部屋に向かった。
 6帖程度のフローリングの部屋は、殺風景なほど何もない部屋で、ベッドとテレビと机ぐらいしかない。オレは部屋の突き当たりまで歩いて行って、机の上のパソコンに電源を入れた。
 ブンッ………。
 暫くしてモニターが光り、立ち上げを始める。
 デスクトップ上にあるランチャーから、年賀状のソフトを立ち上げ、住所録を開いた。
 シンと擁護先生の付き合いは長い。オレは1回しかあったことはないが、話にだったら何度か聞いたことはあった。たまに擁護先生のことを話すシンは、まるで自分の親戚みたいな口調になる。年賀状も送りあっている仲だ。先生のところを1人で訪ねるんだったら住所ぐらいは持ってった方が良いだろう。
 「…木村…木村…木村擁護……あ、これだ」
 木村診療所の住所と名前を拾う。
 「えーと…紙…かみ…」
 勝手知ったるシンの部屋。文具は右の3段の引き出しの一番上。
 引き出しの中はあいつらしく、きっちり整頓されていた。
 手前にペン類。その奥に糊とハサミ。その奥に定規。あまりにらしくて鼻の置くがツン…としかけた。
 気を取り直してペンを取る。引き出しを閉じて、真ん中の段を引き出す。
 真ん中はパソコン用紙が入っている。
 引き出すと、丁度紙が使い切っていてたんで、新しい包みを破ろうと1包み取り出したらーーーー。
 その下に封筒を見付けた。
 「………」
 手に取ると、和紙の手触り。どこにでもある普通の封筒だった。その表には墨書きでシンの名前が書かれていた。ムカツクぐらい綺麗な女の字。
 裏返すと、水屑、とだけ書かれていた。
 何か、ものすごく腹が立った。
 まるで隠すみたいな1通の手紙。1人暮しで、物を隠してること自体おかしい。つまりはこの家に来る誰かに隠してた訳で。……つまり、オレ。
 消印は1年前。
 余計に腹が立った。
 良心が痛まなかったかって言ったら、多少は痛んだ。でも、オレはその中に入っている手紙を取り出した。
 好きだの何だの書いてあったら、テメーのパソコン、ブッ壊してやるっ。
 …くそっ、何で手が震えんだよっ……。
 封筒と同じ素材の和紙で出来た便箋。目を瞑って一気に開いて、意を決して手紙を開いて、目を開けた。
 「………」
 オレが想像していた内容はそこには一切書かれていなかった。
 ものすごく短い手紙だった。読むのに10秒も掛からなかった。
 難しい言葉は一つもなかった。
 なのにも拘らず、オレはその意味が理解出来なかった。
 「………何だよ……コレ……」
 ゆっくりと目で追いながらもう一度手紙を読んだ。
 『山代は次期当主としてシン様を選びました』
 さっぱり訳が分からなかった。
 『……もう会えないよ…』
 ガキの笑い声と、夢で見た細い山道が頭に浮かんだ。
 全部が見事にバラバラで、繋がる気配も見せてこない。
 でも、すごく嫌な予感がした。
 しかも、ものすごく当たりそうな感じの。
 殴り書くように擁護先生の診療所の住所と電話番号をメモってカバンに突っ込んだ。手紙も突っ込み、パソコンの電源を切った。
 頭の中は随分マシにはなったものの、結局は混乱しっぱなしで。
 それでも、腹だけは決まっていた。
 絶対に会いに行かなきゃならない気が、すごくした。
 「………よしっ」
 口の中だけで呟く。
 そのままオレはカバンとバイクのメットを掴むと、シンのマンションから飛び出した。

 長谷ちゃんの家で車を借りてコンビニに向かう。ATMで金を下ろして、サンドイッチと飲み物と下着と歯ブラシを買った。腹ごしらえをしながら車を高速道路に向かわせた。
 休みなく飛ばして、港について、カーフェリーに乗って一息つく頃には、すっかり明るくなっていた。
 早朝6時10分カーフェリー出発。2時間40分後には島の港に到着する。
 ものすごく身体が疲れていた。でも、仮眠を取る気にはどうしてもなれなかった。
 波を掻き分けて進んでいく船の音を聞きながら、潮風に当たり、オレはずっと進行方向の先に見える、島を眺め続けていた。

 長い1日の始まりだった。

 

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