++ 高野電気工事 ++



 高野電気工事二代目、高野恒一(たかのこういち)は、朝から妙に機嫌が悪い。
 俺、谷田雄太(やたゆうた)は、色んな意味で心配でならない。
 アイツは基本的に裏表のない人間だから、内心穏やかじゃないが…なんて精神的に器用なマネは出来ない男だ。感情がモロ外に出るから分かりやすい。
 だから今日も、
(オレは今ご機嫌ナナメだねっっ)
 なんて表情で電気屋の休憩所でふてくされているから、ああ、コイツ機嫌悪ィな…ってすぐに分かる。
 季節は春。ようやく極寒の一月二月を乗り切って、寒さから厳しさが和らぐ頃。空は青いし空気は旨い。現場も後半戦に差し掛かり忙しいながらもようやくゴールが見えてきている。
 先週、最上階のコンクリートが固まり切って、最後の型枠ばらしも終わった。
 ここのところは業者との大きな絡みも無いし、これといってコウイチが機嫌の悪くなる理由が見付からない。
 御無沙汰で………ってこともねぇし…。
 全く理由が見付からない。
(職人にからかわれるって時期でも…ねぇよなぁ…)
 ……余談になるが、コウイチは現場での喧嘩が耐えない。命知らずな駆け出しの職人達が、からかい半分下心半分で何かとちょっかいを出してくるからだ。
 理由は奴の見た目にある。
 ぱっと見た目の線の細さと一見女性的な顔の造りに(さては中身も大したもんじゃねぇな)と騙される奴は十人中十二人(延数)。
 危険・汚い・きついの三拍子揃った現場系の仕事なんて言うのは、体力勝負のゴツイ男か、見習いのモヤシ系か、親方クラスのオヤジ系もしくはジジイ系と、なぜかひしめくヤンキー系で全体の九十八%を占められている…つっても過言ではない。
 一言で言えば、ムサい。
 コウイチのような『掃き溜めにツル』的な見た目良しの男なんてのは、全くもって皆無に等しい。
 なぜかと言えば答えは一つ。現場はモロに弱肉強食の世界だからだ。
 現場にもハラスメントは存在する。下手したらあからさまな分、普通の会社よりもキツイかもしれない。
 見た目が弱そうなだけで、何かと風当たりは強くなるのがこの世界。止めて欲しければ実力を見せなきゃならない。本当に弱い人間は、精神的にやられるか体力的に捩じ伏せられる。
 酷い話?そんなことを言う職人なんて現場には存在しない。精神力も無い、力も無い、そんな職人に建築なんて任せられない。
 強い人間が支配して、弱い人間は支配される。
 最高の建築物を造る上での最低限のルールだ。
 見習いだって知っている。
 現場職人って仕事は、弱い人間には続けられない厳しい職種なのだ。
 実力が全て。 
 そんな中で最後は常にトップの地位に君臨するコウイチは、ある意味信じられない存在だ。
 見た目の弱さなんてハンディを抱えながらも、現場に通い続けられるのは体力も精神力も兼ね備えている強い人間であるからだろうが、それだけじゃ、地位の確立は難しい。
 あいつが何をやってそこまで上り詰めたんだか……考えるだけでも恐ろしい。
 とにかく強くて恐いのだ。
 コウイチは気性の荒い男だ。
 一度キレれば俺でも手に負えない。
 例えば、腕っぷしには自信のある鳶の奴等や左官の若手相手でも、売られた喧嘩を嬉々としながら一々買う。しかも常に圧勝する。
 ヤツは無類の喧嘩好きだ。
 ぱっと見に騙されるのは危険だ。細身のクセに…なんて思ってはいけない。コウイチはただ単に着痩せしているだけなのだ。
 現場で日々鍛えられた身体。
 アイツの力はもしかしたら本気を出せば俺より強いかもしれない。
 アイツには本当に気を付けた方が良い。
 コウイチは凶暴な男なのだ。
 …何せ全く血を怖がらない。頭からダラダラ血ィ流しながらでも、平気で暴れ続ける。 相手が血まみれでもお構いなしだ。
 連戦連勝を続ける結果、現場が低階層から中階層へと進む頃には現場内でも一目置かれる存在になり、ちょっかいなんぞ出す奴は消えていく。
 ここまで来るとコウイチとの喧嘩で病院送りになった…なんて程度の話は、もう珍しくも何とも無くなって、伝説にもならない。
 今は既に現場も後半。
 高層階までコンクリートも打ち終り、建物の全景が現れる頃。
 アイツのことを全然知らないって言うのならいざ知らず、この時期になってまでコウイチにちょっかい出すような命知らずな職人はいないのだ。
 …だがしかし。
「お前、どうしたんだよ?」
「……………別に」
 コウイチの機嫌は悪いのだ。
 見習いの岡野さんなんかは、もうビビッて朝の一服どころじゃない。
「…あ、あのコウイチさん?」
「………………ん?」
 ギロッ……と、見るなっつーの…。
「あ、いえっっ、なななんでもないです。アハハ……」
 ほら、硬直しちまったじゃねーかっ。見習いっつても年上なんだからちっとは敬意を払えよ。敬意を。
「………………コウイチ」
 見るに見かねたのか、プカーっと煙草の煙りを吐き出しながら、とうとう親方さんまで口を開いた。
 親方さんは、電気工事歴四十年の純ガテン系。 
 一歩…いや、半歩間違えばヤクザ風。目付きが悪いヘビースモーカー。高野恒二(たかのこうじ)。話せば分かる五十八歳。コウイチの親父さんである。
 銜え煙草のままジロリとコウイチを睨み付け、親方さんはドスの効いた声で続けた。
「おう、お前ぇ、うぜぇ」
「……………そーかよ」
 コウイチが不機嫌そうに立上がる。
 そしてそのまま外に出ていった。
 なんつーか、全く親子の会話じゃない。
「……あ、あの…コウイチさん…一体どうしたんですか?」
 ドガァッ!!と、休憩所のトビラを蹴り開いてコウイチが出ていった後、『ヒイッッッ…』と、体を竦ませたままの姿勢で岡野さんが心配そうに親方に訊ねた。
「…さぁ知らねぇなぁ。大方アイツのことだから、またつまんねぇことで腹立ててんだろうよ。気にすんな、あんなアホウのことなんざ」
「…でも、昨日の上がりの時は機嫌良かったんですよ?」
「んじゃ、その後何かあったんだろ。…おう雄太、知ってるか?」
 親方さんが俺に話題を振ってきた。
「いえ、分かんねぇッス」
「帰りにでも何かあったんじゃねえのか?」
「昨日は俺達一緒に帰らなかったッスから」
「何だお前ら一緒じゃなかったのか?」
「はい。アイツ、ライブ行くとか言ってたんで俺先に帰りました」
「じゃあ知らねぇか」
「はい」
「……俺、自転車乗って帰ろうとした時に、コウイチさんがシャワー浴びに行くこと見ましたけど…手、振ってくれて『じゃあねー』なんて言ってて…楽しそうでしたよ」
 岡野さんの目撃証言を聞きながら、親方さんがまたフーッ…と、煙りを吐く。
「……放っとけ。そのうち元に戻んだろう」
 確かにその通りだ。コウイチは、怒りやすいがご機嫌にもなりやすい単純な男だ。
「…どうしますか?もう時間ですよ」
 岡野さんが遠慮がちに親方さんに声を掛けると、
「仕方がねぇなぁ…」
 なんて呟いてから、親方さんが身を乗り出した。
 途端にヤクザ風の表情が職人顔に切り変わり、いつもはコウイチがする作業指示を出し始めた。
「んじゃ…ま、今日は七ー八階の間仕切り配線だな。雄太、お前はコウイチと昨日の続きから回れ」
「はい」
「岡野」
「はいっ」
「朝一番に組の野郎から共用廊下の防滴コンセントのブラブラしてる奴で指摘受けちまったからよ、午前中一杯は俺と回ってくれや。ついでにガスメータの電源も繋いじまおう」
「はいっ。えーと、何持って行きますか?」
「コの字金具はまだあったか?」
「はい、…二箱はあります」
「んじゃ、それと…ビスは五十ミリな。二ミリのFとワゴもいるな…」
「はいっ。…えーと、ガスメーターの電源も付けるんだったら、一緒にパテも持って行った方が良いですよね?」
「おう、そうだな。お前ぇもいくらか気が回るようになったじゃねぇか。じゃ、必要なもん纏めとけ」
「はいっっ」
 コウイチの代わりに久し振りに親方さんが仕事の指示を出す。
 コウイチが聞いたらまた怒り出すかもしれないが、やっぱり親方さんの指示出しの方が気分がビシッと引き締まる。
 貫禄が全然違う。親方さんはやけに迫力のある人だ。この人に言われると、良い意味で緊張出来る。
 最高の仕事をしなきゃならないんだと、不思議と気分が高揚してくる。
 高野電気工事の真のボス。絶対に欠かせない人だ。口では色々言っているコウイチも、絶対の信頼を寄せてる。
 だがしかし。
 親方さんはこの現場で現役を引退する。
 会社を大きくするために、自分は奥に引っ込むんだと言っていた。
 本音は生涯現役。
 それでもコウイチに早く現場での一人立ちをさせたいっつー親心には勝てなかったらしい。
 引き継ぎも親方さんらしく、この現場の施行総指揮をいきなり全てコウイチに任せてしまうという、豪快なものだった。この現場では、親方さんは黙ってコウイチの仕事振りを眺めている。
 例えばもっと効率の良い方法があったとしても、好きなようにやらせる。他の職種の職人とぶつかっても傍観者を決め込む。
 他の職人と直接の衝突が無い今の親方さんは、おかげでギリギリ温和に見える。
 だが、俺は前の現場での親方さんを知っているから、内心必死で口出しするのを我慢しているのが手に取るように分かる。
 あの人が、大人しくサポーターに回っているってだけでも、信じられない光景なのだ。
 血の気の多い息子だから。
 全く良く似た親子だから。
 内心ハラハラしてるだろうが、それでもそんなことは絶対に表に出さない。
 こうやって、必要な時に必要なことだけをする。
 凄いのは、子供をフォローする親じゃなくて、仕事をサポートする上司に見えること。
 
「…現場は頭で覚えるもんじゃねぇからよ」
「時間掛けてもよ、あいつはあいつのやり方探しゃあ良いのさ」
「ま、俺を越えようなんざ十年早ぇがな」
 
 ニヤっと笑って煙草を吹かす。
 ああ…隣の芝生は青いもんだぜ……
 俺の親父とエライ違いだ。
「よし、じゃ、今日もしっかり頼むぞ」
『はいっ』
「いくぞ」
 親方さんの、これもまた久し振りの仕事スタートの合図を聞きながら、俺達は二手に別れてそれぞれの持ち場へと歩き出した。
 歩きながら、俺はコウイチのことを思い浮かべた。
 思い浮かべながら心の中で呟いた。
 ……アイツ…何もなきゃ良いんだが……。

 

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『見聞録』シリーズのある意味第1弾です。見聞録より随分前に書いた作品でしたっっ。続きをお楽しみに!!