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高野電気工事 2 ++
間仕切り配線。 これは部屋内の中で行われる幾つかの配線処理の中で一番最後に行われる行程だ。
マンションは最初は各世帯ごとに、風呂場も部屋もトイレも何にも仕切られていないガラーンとした大部屋状態になっている。 これに大工が壁やら廊下やらを組み立てながら次第に部屋が出来てくる。
この、大工が壁だの何だのを作って細かく部屋を作っていく仕事のことを現場では『間仕切り』って言っている。 間仕切り配線は、大工屋が間仕切りした壁の中や天井裏なんかを使って、照明やコンセントなどの電気系統の電線を伸ばす作業のことを差す。
電線はデリケートなものだから、絶対に傷つけられない場所を探し、時には無茶苦茶複雑なルート(経路)を辿る。 電気屋の腕の見せ所だ。 だからこそ、そのルート取りは職人の性格がモロに現れる。
伸ばした電線の処理の仕方によって、工事の丁寧さは一目瞭然だ。 コウイチは、親方さんも認める技術の持ち主だ。 ヤツは、何本もある電線をまるで綺麗な女の髪の毛みたいに、クセも捻れも出さずに真直ぐ伸ばすことが出来る。
電線の数は多い。長さも半端じゃない。慣れない奴にやらせると、たった一本の電線すらまともに伸ばすことも出来ない。 それをコウイチはまるで電線が生きているかのように巧みに扱う。次々に電線を始末していく様は流れるような一連の動きで、時折俺は見蕩れてしまうこともあるくらいだ。
『ユウッ。お前何ぼんやりしてんだよ。ほらっそっち持てっ』 大抵は、叱られて我に帰らされるんだが。 間仕切り配線。 全世帯必須項目の数もの勝負。
家の寿命を左右する重要な作業行程だ。 コウイチは、昨日間仕切り配線が途中で終わった部屋にいた。 ヘルメットを床に椅子代わりに置いて、その上にケツを置いて足を投げ出し、ベランダ側のガラス戸に寄り掛かってふてくされていた。
俺が入ってきたのに気がついてもピクリとも動かない。 「どーしたよお前」 目の前に立って声をかけると、途端に口がヘの字になった。
「何?怒ってんのか?」 んーん、と、首を横に振る。 「じゃ、何だよ」 「…………何でもねぇ」 「つー顔じゃねぇだろう」
「…………」 「どうしたよ」 「…………」 「コウイチ」 「……うっせぇ…」 どうやら完全にヘソを曲げている。
…全く…一体何をしたんだか。 昨日のコウイチを思い出してみる。 昨日の仕事も間仕切り配線。 飽きた飽きたと文句を言いつつも、一旦始めればコウイチは没頭してしまうタイプで、結局昨日一日で二フロアーを伸ばしきった。いつもより五部屋も多く出来たと満足そうに仕事を切り上げた…時は、ご機嫌。
『へへーっ……俺さぁ、今日ライブ行くんだよねぇー』 だからシャワー浴びて帰るし先帰っていーよー……つってた時は、ご機嫌レベルも最高潮。 コウイチは黒のディバックの中に着替えを詰め込んでいたのか、パンパンに膨れ上がっている鞄を肩に、
『良いだろーっ。じゃあなー』 なんて、スキップ寸前の歩調でシャワー室へと歩いて行った。ここまで来ると、子供レベルのご機嫌具合だ。 昨日のライブはコウイチが学生時代から熱を入れてるバンドだからつまらなかったなんてこともなかっただろう。
…にも関わらず、今日はこの有り様だ。 変わりようにも程がある。 問題があったとしたらシャワー室からその後なんだが…。 コウイチの隣にしゃがみ込んで顔を覗き込むと、ぶいっ!と目を背けられたが構いやしない。
「なぁコウイチ、昨日のライブつまんなかったのか?」 「…………いーや」 「じゃあ……盛り上がった挙げ句に終電に乗り遅れた」 首を横に振られる。
「親父さんに怒られた……つーんなら親方心当たりあるだろうし……なぁ、どうしたよ」 頭をぐしゃぐしゃと撫でてやろうとした俺の手を避けて、むくれた顔のままコウイチが立上がる。
「はいせん」 そのままのろのろと腰道具を装着する。俺は見上げながら声をかけた。 「おい…お前、昨日シャワー浴びに行く時ゃあんなにご機嫌だったろーが。どうしたよ?シャワー浴びてて何かあったのか?」
ぴた。コウイチの動きが止まった。おっ? 「シャワーが原因か?」 動かないコウイチ。だが背中は「正解っ」と言っている。 こういう時は分かりやすい性格なのがありがたい。
「そうなんだな?」 「……………」 「お湯が出なかったとか?」 ハズレだ。全然反応がない。 「すげー汚れてたとか」
ハズレ。 「石鹸がなかった」 これもハズレ。 もしやと思って聞いてみる。 「使用後だったとか?」 ピクッ。コウイチの肩が小さく揺れた。
……アタリ、だ。 使用後って言っても、別に他の職人がシャワーを浴びた後って意味ではない。 この場合の『使用後』は、現場の隠語で、『ナニした後』って意味だ。
つまりは、ヌいたとか、ヤッたとか。 出したモノが直ぐ洗い流せるからシャワー室は狭くとも都合の良い場所だ。 つっても大人二人で使うには本当に狭い。 無理矢理電話ボックスに入り込んでヤるようなもんだ。サイズ的には間違いなくアウトだ。密室好きでもない限り、あまりの狭さに絶対集中出来ないだろう。
その上、仮設のシャワー室は中でガタガタやってれば、部屋ごと揺れてバレバレだ。最悪周りを囲まれて、出るに出れない状況に陥る。 他でヤッて後でシャワーを浴びにくるのが常識(?)だ。
現場でのセックス。 別に珍しいことでもなんでもない。 探せば場所なら幾らでもあるし、慣れればベッドの上より興奮出来る時もある。
問題は、大抵の場合、相手も男だってことぐらいだ。 当たり前だ。現場はいっくら綺麗にしたところで埃だらけの場所なのだ。 釘もビスも至る所に落ちてるし。夏は暑いし冬は寒い。見付かる危険もとにかく高い。
彼女でも呼んで、現場でセックスでもやろうもんなら、即、その日が失恋記念日だ。 結果、ヤるのは職人同士になってくるって訳だ。 言っておくが、現場の男がそういう趣味の奴が多いって訳じゃない。
俺達みたいに現場で働いている奴でそういう奴が、たまに現場ででもヤッたり、好奇心旺盛な奴等が遊び半分でしてみたり。ただそれだけだ。 仕事で疲れ過ぎて、ヤりたくなった時って言うのは、家まで我慢出来ないしな。
男の身体は厄介なのだ。 だから、シャワー室が時折汚れているのは理由も分かる。 野郎同士の使用後の簡易シャワー。 確かに自分のじゃなけりゃ気持ち悪いな。
でもよ俺達だって汚したことあるしお互いさまじゃないのか? 言い掛けて、止めて、言葉を探して、口を開いた。 「…まぁ、確かに誰のか分かんねぇのこびりついてる部屋ってのは最悪だよな。何?他のシャワー空いてなかったのか?」
「違う」 「何が?」 「……違う」 コウイチは、奥歯に何か挟まったような感じでそう言うと、無言で立ち上がり、脚立に昇って配線を始めた。
「おい、何が違うんだよ。おい、コウイチ」 「………」 むうっ、と、黙り込んで。 それきり、午前中俺達の間に会話はなかった。
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