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高野電気工事 3 ++
コウイチ。 気性は荒いが真っすぐな…俺の恋人。
俺とコウイチは高校の部活で出会って以来の付き合いだ。 当時剣道部には竹刀も持ったことのない初心者はコウイチ一人だった。 随分長い間、防具も付けさせて貰えず、ただひたすら毎日顧問のマイティー(本名は忘れた)指導のもと、道場の隅っこの方で素振りを練習し続けていた。
誰もが絶対続かねぇ…と、内心思っていたに違いない。素振りが竹刀さばきの基本になるから重要なことだと分かっていても、練習の中では最も地味なジャンル。
小学生のガキじゃあるまいし、来る日も来る日も素振りだけなら、逃げ出したくもなるはずだ。 マイティーは、懲り始めると完璧を目指す熱血バカで、ちょっとでも動きが基本から離れようもんなら、徹底的に矯正しようとシゴキにかかる。
『ダメだっ。もう一度っ』 『一度』は素振り三十回。 言う方は楽だがやる方はたまったもんじゃなかっただろう。 俺達が素振り練習を一通りこなして、面だの胴だのと打ち込みをして面を付けた後、更に細かい練習をして、フリーで打ち合う稽古をノルマ分こなし、休憩時間になっても、同じ素振りをひたすら繰り返している日もあった。
下駄箱側の水道で水を飲みながら、女子共は騒ぐ。 『ひどいよねーっ。あれじゃイビリと変わんないよー』 『マイティーのせいで高野君やめちゃったらどーすんのよねー』
『そうよそうよっ。高野君やめちゃったらどこで目の保養しろって言うのよっ』 『ねーっっ』 当時のコウイチは今よりも小柄で細身で、女みたいな…って感じは無いが、綺麗な顔した男だった。
黙って与えられた課題を黙々とこなすコウイチ。 そのうち嫌になってやめるだろう。 俺も、意見は皆と同じだった。 だがコウイチは、剣道を辞めなかった。
毎日俺達の練習の邪魔にならない場所で、ただひたすらに素振りの練習をやり続けていた。 ゴールデンウィークの連休が終わる頃、コウイチは何かを掴んだのか、どんどん上達を始めた。
剣先の動きが綺麗な放物線を描くようになり、背筋がぴんと伸び始める。竹刀を振って止める瞬間の手の力の入れ方も理解が出来ているのが見ていて分かる。変なクセは何一つ無かった。
積み重ねた練習時間と、元からあったセンスが、基本の動作をコウイチの身体に叩き込んでいたのだ。 (あいつ…すごいな) 純粋に、そう思った。
意識してコウイチを意識した瞬間だった。 夏になる頃、コウイチは念願の防具装着の許可をマイティーから貰った。 装着した防具は、一層コウイチの線の細さを強調してて、なぜか直視することが出来なかった。
あいつの、凛とした、後ろ姿ばかりを見ていたような気がする。 皆に混ざって試合をする頃には急速に実力の差が縮まっていくのを感じた。 初めてコウイチに負けた時、奴の気迫の凄さに初めて気付いた。
初めは剣道の話から。 次第にくだらない、例えば昨日のテレビの話もするようになった。 打ち解けていくにつれて、コウイチの色んな表情を知った。女みたいに綺麗で可愛い顔をしているのに、それからは想像も付かない程に激しい気性の持ち主なことにも、やがて気付いた。
だからあんな剣道が出来るんだなと納得出来た。 男として。凄く、惹かれた。 …切っ掛けは…もう思い出せない。 気付いたらいつも側にいたいと思うようになっていた。
一番の友人でありたいと思った。 一番の親友になった後でも、それ以上を求める自分の気持ちがあるのに気付いた。 一年が過ぎて、新入部員が入る頃、俺は、自分の過熱していく感情が何なのかようやく気が付いた。
気付いたら、最後だった。 もう黙っていることが出来なくなった。 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。 県大会の帰り道。列になって学校に向かって自転車を走らせる最後尾で。皆から少し離れて。
……お前、勇気あるな。 コウイチは驚いたような顔をした後、真直ぐ前を見詰めて自転車を漕ぎながら言葉を続けた。 『…んじゃ……まぁ……後で…キスぐらいしてみるか?』
普通に言ったつもりだろうが、コウイチ、あの時のお前は笑ってしまうぐらい耳まで赤くなってたぞ。 あの日、初めてしたキスは、キスなんて呼べるようなモンじゃなかったかもしれない。
それでも、あのキスが今でも俺の一番だ。 おかしい。 絶対におかしい。 第一、あいつは奥歯にものが挟まるような感じで喋る性格の持ち主じゃない。
コウイチは何かを隠している。 隠し事が苦手なくせに、絶対何か隠している。 問題はシャワー室で『何が』あったかだ。 下ネタ絡みなのは間違いないんだが。
まさか他の男と…と、咽まで出かかったがコウイチに限ってそれはあり得ないだろう。 電気工事は器用でも、二股三股なんて器用な恋愛は、あいつの性格じゃ不可能だ。
第一それで不機嫌になるのは逆ギレも良いところだろう。 確かにキレ易い男ではあるが、理不尽なキレ方をするヤツじゃない。 それになにより。
あいつは立ったままのセックスは嫌いなはずだ。 好き好んであんな場所でやる訳がない。 素っ裸見られた…ぐらい幾らでもあるし…セクハラ紛いの言葉を今時コウイチにかけるような…命知らずの男もいない。
コウイチに限って襲われたとは考えにくいし。 一体何だ………。 「……谷田君。………谷田君っ」 岡野さんの声に俺は思考から引きずり戻された。
「………何スか?」 「ラーメン、伸び切ってるよ」 「………あ……」 昼休み。電気屋休憩所。 コウイチはいない。親方さんは腕組みをしてそのまま寝ている。
俺はカップラーメンが出来上がる間のつもりで随分長いこと考えにふけっていた…らしい。 「ねぇ谷田君、コウイチさん機嫌直った?」 岡野さんが心配そうに聞いてきた。
「…うーん。駄目ッスねぇ」 「午前中、ずっと?」 「ええ」 「どうしたんだろうねぇ」 弁当の食い終わった岡野さんが、本気で心配そうに溜め息混じりの声で言った。
岡野さん。 彼はこの世界では珍しい『癒し系見習い』だ。 派遣会社から派遣されて来た時に、親方さんからスカウトされて今日に至る。前は製薬会社の営業部にいたって話だから、かなり意表をついた転職だ。
『まさか。営業は全くダメでしたよ。毎日怒られちゃって、結局最後は胃に穴が開きました。…で、リストラです。帰ってきたら知らない人が俺の椅子に座ってました。ビックリでした。あはは…』
笑いながら話してはくれたものの、多分傷付いてるんだろう。それきり前の会社の話はしない。 三十歳の貫禄…っていうか、人間出来た人で滅多に怒る姿を見たことがない。
仕事も熱心だし細かいところにまで気がまわる。 親方さんなんかすっかりお気に入りで、何かとテコ(注・助手のこと)に連れ歩いている。 頭の回転も悪くない。資材置き場ににひしめく膨大な種類と数の電材の在庫を唯一把握する男。
今、岡野さんに休まれたら、俺達はビスのありかも分からない。 『そんな、止めて下さいよ。ホント自分不器用ですから』 微妙なオヤジ臭さも味の一つだ。
その上、俺達よりも年上なのに、 『この世界では新米だからね』 と、礼儀正しい。 優しいお兄さん、って感じの、現場にはありえないキャラクター性が新鮮で良い。
ほやほやの、床屋にもうそろそろ行けよってぐらいに伸びたクセっ毛は、ヒヨコっぽくて周りの気分を和ませる。 初めて会った頃は、ヒョロ…としたモヤシ系だった体つきも、最近ようやく筋肉らしきものが付き始めた。
岡野さんは、笑顔の耐えない努力家だ。 リストラした会社の上司は絶対に目が節穴だ。この人はかなりデキる人間なのに。 敢えて欠点を上げるなら、何にでも謙虚すぎるところと、小心者ってところぐらいか。
そんな岡野さんも、いつもと違うコウイチの様子が気になって仕方がないらしい。 「ほら、コウイチさん、いつまでもずっと怒ってるって性格じゃないから。……変だよねぇ」
「……っスよねぇ」 「うーん。…昨日シャワー浴びに行く時はホント、ご機嫌そうだったんだよね。コウイチさんってほら、分かりやすいから」 確かに。
「もう、ニッコニッコしてたんだよ。ああコウイチさんよっぽど良いことあったんだなーなんて思いながら俺、先に帰ったんだけど。一体どうしたのかなぁ」 岡野さんは、心配そうに小さな溜め息をついた。
「岡野さん」 「はい?」 「コウイチがシャワー使ってた前に使ってた奴なんて見ましたか?」 「……うーん…………コウイチさんの前は誰も使ってなかったと思うんだけど……うん。誰も使っていなかったよ。俺、一足先に手を洗いに行った時、シャワーの音してなかったから」
眉間にシワを寄せながらしばらく考え、 「うん。そう。間違いないよ」 と、断言した。この人はとにかく記憶力の良い人だから、間違いないだろう。
だが、 「あ、ただ…」 岡野さんの記憶には続きがあった。 「その後、誰かが歩いていくのを見たかな……」 「誰っスか?」
「はい、えーと…ちょっと待っててね。今思い出すから…チラッとしか見なかったもんだから……えーと…暗かったからなぁ……うーん……」 「…あー、良いッスよ。分かんなかったら」
考えながら岡野さんが笑う。 「って、言われちゃうとさ、俺ダメなんだよねぇー。ムキになっちゃうタイプなんだよね……あ、ゴメンゴメン。谷田君はメシ、食べてて」
それからしばらく岡野さんは、眉間にシワ寄せっぱなしで唸り続けていた。 俺は、伸び切ってブチブチ切れるラーメンを食いながら、岡野さんが思い出すのを大人しく待つ。
岡野さんがこぶしでコンコンと額を叩く。親指で眉間のシワをグリグリ弄る。天井の照明を睨んでそれから目を閉じブツブツ喋る。 …何だか申し訳ない気分になった頃、突然ポンッッ!!と手を打ち、こっちを向いた。
「左官屋さんだっ」 パァァ…と、表情を輝かせて、岡野さんが人指し指を立てながら大きな声で言った。 マンガだったら、頭の上にデッカイ電球がピカーッッ!!と、光っているような、そんな顔で。
「ん…左官屋が…どうした?」 思わず親方さんが起きてしまうぐらいの大声。 「あっ、親方っ。すみませんっ。な、なんでもないですっ」
「…休み時間はしっかり休んどけ」 「はいっっすみませんっっ」 直ぐにまた眠ってしまった親方さんにペコペコ頭を下げた後、岡野さんは気遣いの小さな声で教えてくれた。
「左官屋さんです。あの、若手の」 「どっちッスか?」 左官屋の若手は二人。小柄なヤンキー系ともう一人はガタイの良い、左官屋の息子。
「茶髪(ちゃがみ)の方だったよ」 …息子の方か。 「でも、あいつシャワーなんて……いつも浴びてないッスよね?」 「うん。左官屋さん達、いつも全員ワゴンで来てるもんね。だから俺もこんな時間に一人でシャワー?って思ったんだよね。いやー、すっかり忘れてたよ。そうそう。間違いないよ。左官屋さんの息子の方。あの人いっつもニッカボッカのウエストの所にごついチェーン付けてるよね。それ、弄りながら歩いてたから間違いないよ」
ズルズルッと、記憶の糸が引きずり出されたみたいに岡野さんは一気に話し、 「ふはー、スッキリした。思い出せたよ。よかったー」 と、のほほんと笑った。
「……でも、それがコウイチさんの機嫌と何か関係あるの?」 「まだ分かんないッス。確かめてきます」 「そう?大丈夫?んじゃ、気を付け……」
言い掛けて、不自然に口籠ると、急に岡野さんの表情が曇り、のほほんとした笑いの消えた不安そうな顔を俺に向けた。 「……谷田君、気を付けた方が良いよ」
「何がッスか?」 岡野さんは、眠っている親方さんの方をチラッと見ると、更に声を潜めて言った。 「俺、今思い出したんだけどね……前に他の職人さん達が噂してるの聞いたことあるんだよね。『あの一件以来、左官屋の息子はコウイチさんを逆恨みしてる』って…」
…………。 背筋に冷たいものが流れるのを感じた。自分でも表情が固くなるのを感じた。 咄嗟にポーカーフェイスを装って、何でも無いような口調を絞り出す。
「……アイツ、敵多いッスからねぇー」 「ねぇ谷田君、あの一件って……何?」 「大したことないッス」 努めて何でもないように。
「岡野さん、ありがとうございました。どうぞゆっくり休んでて下さい。時間になったら持ち場に戻りますって親方さんに伝えといて下さい」 「良いけど…どこ行くの?」
「ヤボ用ッス」 ヤバい………。 イヤな予感に身体が震えた。 「谷田君」 立ち上がった俺を見上げながら、岡野さんが声を掛けてきた。
「はい?」 「…喧嘩は駄目だよ」 遠慮がちな、でも心底心配している声。 「はい」 俺は岡野さんに嘘をつく。 それから心の中で謝った。
すみません岡野さん。それは約束出来ないです。 …アノ一件が絡んでいるなら…尚更です。 休憩所を出るまでは意識してゆっくりと動き、扉を開けて外に出た瞬間、俺は左官屋の資材置き場に向かって全速力で走りだした。
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