++ 高野電気工事 4 ++

アノ一件。
 岡野さんがまだいない頃の話だ。
 現場もまだ低階層の建て込みの最中で、当時の絡みと言えば主に型枠大工と鉄筋屋だった。
 どちらもアウトドア派の職人で、いわゆる典型的な『ガテン系』野郎の集団である。誰も彼もが、現場の苦しさを知り尽くした屈強揃いだ。
 季節は初夏。つっても気温はいきなりの三十度を超える真夏日の連続。作業ズボンにタンクトップ。ヘルメット焼けと軍手焼け。建築行程の中で一番体力を使う勝負の時。
 ゴツイし気も荒い奴等ばかりだが、豪快な性格がコウイチと合ったのか、珍しく意気投合して仕事をしていた。
 勿論喧嘩は耐えなかったが、お互い後腐れすることない。
 着実にフロアーを仕上げる毎日だった。
 外見からは想像も付かないようなコウイチの気性もいつの間にかヤツ等に認められ、お互いを仲間として認めあった。
 衝突を繰り返して生まれた信頼関係は、傍目から見ても羨ましかった。
 心を許すと、コウイチは内面の子供らしさが表に出てくる。
 休み時間に他の職人とじゃれあって笑っているコウイチは、ある意味アイドル的存在で同い年の職人にまで可愛がられていた。
 職人達に変な下心が無かった分、コウイチの笑顔は無邪気でいられた。
 三時休みに親方さん達が奢ってくれたアイスをギャーギャー言いながら取り合う。
 ニコニコと一列に並んで、組み上げられた鉄骨に座り込んで食っている姿なんかは、全員がもうまるっきりの小学生。正直笑いを堪えるのに必死だった。
 コウイチは現場の行程の中で、滅多にない他職人同士との楽しい時間を過ごしていた。
 そんな時、新規入場で現場入りしたのが今の左官屋達だった。
 
 現場には幾つかの意味不明の通説が根強く残っている。
 例えば職人の地位。
 昔は大工と左官屋っていうのは、何はなくても現場でトップクラスの立場にいたって話だ。現場の花形職人で、資材置き場の場所指定から作業の優先順位にまで決定権があるとさえ言われている。
 …ちなみに、コウイチを見ていると信じられないのだが、電気屋は下から数えた方が早い。
 他の職種もそうだが、大工や左官屋は、特に手に職をつけるまでに物凄い時間を必要とする。仕上げが建築に直接大きな影響を及ぼす点でも他の業者とは異なる。
 奴等は大袈裟に言ってみれば建築の基礎を担当しているようなもんで、結果待遇が多少良かったらしい。
 それが、昔の職人の格付けに大きく影響したって話だ。
 …まあ、俺も詳しい話は知らないんだが。
 だから、大工屋と左官屋は、態度も横柄で自分が常にトップでなくては気に入らねぇってアホなことで騒ぎ立てる奴が他の職種と比べて多いのだ。
 手に職をつけるには時間のかかる職種のために、世代交代が難しく、今一番の高齢化に悩む職種。
 職歴が長い職人達はすっかり丸くなって気の良い爺さんって感じだし、ほとんどが気の良いヤツ等達なんだが、現場をこなして行くうちに、嫌でも出会う勘違いした若手連中。
 厄介なのはこいつ等だ。
 今更どうよ、って感じの通説をバカみたいに信じ込んで、自分が大工だからとか、左官屋だからってだけの理由で威張り散らすアホがいる。テメェ等の親方さん達にとって、頭痛の種だっていうのにも気付かずに、本人達は好き放題だ。

 その時も、鉄筋が束ねられている場所に砂を盛りたいから退かせと、とんでもないことを言い出したのだ。
「退かせねぇな。他にしてくれ」
 鉄筋屋の何気ない言葉に茶髪が逆ギレた。
「あアッ?てめぇ誰に口きいてるか分かってンのかァ?」
「……んだとォ?コラァ」
 アノ、コウイチと互角に渡り合った鉄筋屋が売られた喧嘩を買わない訳がない。
 至近距離の睨み合いから、左官屋の頭付きを合図に取っ組み合いの喧嘩が始まった。
 翌日のコンクリに合わせて折角組んだ結束鉄線(組んだ鉄筋を結ぶ鉄の紐。写真で記録まで残されてしまう、安全点検項目の重要項目の一つ)はブッ千切れるわ、型枠(後にコンクリートを流し込んで、壁や天井を作るための型のこと。垂直に建物を立ち上げていくために最も大切な行程の一つ。検査の時は測量士まで立ち会いに来る)は斜に傾くわで、最終的には組まで介入する事件に発展してしまった。
 修復作業に突貫で丸二日掛かり、作業行程で大幅な遅れを出してしまった、この現場最大の喧嘩だ。
 結局左官屋は、仲裁に入った大森組に提供された資材置き場に砂を盛ったのだが、その後もやれセメント捏ねるから水を引けだの、作業すんのに狭いから隣の設備屋の場所もよこせだのと、訳の分からない駄々を散々捏ねて、周りに煙たがられている。
 
 コウイチは喧嘩に参加しなかった。
 しなくても鉄筋屋の方が強いのは明らかで加担する気配も見せなかった。
 第一、コウイチは他人の喧嘩には首を突っ込むのはフェアじゃないことを良く知っている。
 鉄筋屋に大敗した左官屋はアノ一件以来、表立って暴れることはなくなった。
 組と約束を交わされたって言うのが表向きの理由だが、本当のところは大物とぶつかるのを怖がって、避け回っていただけだった。
 左官屋にはもう、後がなかったのだ。
 いくら左官屋とは言っても、現場で二度の大敗は地位転落の決定打になる。
 奴もそこら辺は良く分かっているようで、ジッと息を潜めていた。
 腹いせに裏で泣かされた弱小職人は、未知数。
 奴の器はどこまでも小さい。
 左官屋の上手い逃げ回りの結果、接点のないまま先日鉄筋屋と型枠大工達は自分達の施工を終えて、現場を引き上げていった。
 笑ってしまうことに、茶髪は翌日からデカイ顔をして現場を荒らし始めたのだ。
 
『テメェ等っっ!!この俺に楯突くなんざ百年早ぇんだよっっ!!』
 
 ……どうしようもない小物だよなぁ。
 
 コウイチが、弱い者相手に暴れまくってる茶髪を見ながら溜め息混じりに言っていた。
 俺もそう思う。
 …ただ、一つだけ気にかかることがある。
 茶髪はアノ時確かに鉄筋屋に大敗したが、かなりの時間を一人で戦い抜いた。
 決して鉄筋屋が一発で倒した訳じゃない。
 茶髪自身、かなり喧嘩の腕は立つはずだ。
 しかも最悪なことに、奴は拳ではなく『武器』の使い手だ。
 パイプでも、角材でも何でも、相手めがけて振り回すのだ。いくらコウイチが強くてもいきなり間合いの外から角材で頭でも殴られれば、勝ち目は低い。
 責任取れねぇ男のクセに、殺意だけは一人前だ。
 茶髪はどこまでも卑怯な男なのだ。
 俺は内心ヤバいと感じ始めていた。
 電気屋は、現場の着工から完成まで総ての行程に携わる珍しい職種だ。だからその分、他の業者との絡みが桁違いに多い。
 アノ日…コウイチは傍観者ではあったものの、現場に居合わせた中の一人だった。
 今となっては数少ないアノ一件を知る当事者だ。
 茶髪はコウイチを鉄筋屋サイドの職人だと認識している。

 つまりは………自分の敵だと。

 

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次回いよいよ谷田君が・・・次回をお楽しみにvv