++ 高野電気工事 6 ++

 ようやく喧嘩が治まって。
 組の事務所で、俺と親方さんと左官屋の親方の三人は、こってりと油を絞られた。
 「…本当に、いい加減にして下さいっ。来週にはモデルルームが解放になるんですから。…ふうっ…こんな時期になってまで現場の足を引っ張らないで下さいよっ」
 「……………」
 「…おう、雄太、謝っとけ」
 「……………すんませんでした」
 確かに自分でもとんでもないことをしたのは分かっていた。それでも、頭を下げなくてはならないのは辛かった。茶髪のせいで、コウイチは酷い目に遭ったんだ。
 机の下で堅く両手を握り締めて声を出す。頭を下げるのがこんなに辛いと思ったのは初めてだった。
 頭を下げる俺に、左官屋の親方の怒号が飛ぶ。
 「あ、謝って済むと、お、お思ってんのかっ。俺の息子は、鼻折っちまったんだぞっ。ま、前歯全部欠けちまったんだぞっ。こ、この落とし前はどうつけてくれるってんだっ」
 真っ赤な顔をして、口の端に唾を泡立たせながら物凄い形相で怒鳴り続ける左官屋は、滑稽なくらい哀れに見えた。
 不肖とは言え自分の可愛い息子が病院送りになったんだ。動転するのは無理もない。
 不本意とはいえ、こいつにも頭を下げなくちゃならない……そう思った時、突然親方さんが立ち上がり、左官屋の胸倉を掴んで持ち上げた。
 「………おう、オメェ、バカも休み休み言えよ。息子の喧嘩に親が首突っ込む気か?」
 「俺の息子は鼻をーーー」
 「それがどうしたってんだよ…怪我と弁当は自分持ちって言うだろうがよ。見習いの時に習ったろうが。忘れたか?」
 あくまでも静かな口調で、親方さんが言って聞かせるように言う。その穏やかな口調に、左官屋の親方が噛み付いた。
 「そんな昔のこと持ち出しやがって通用するとでもーーーー」
 「バカ言ってんじゃねぇよっっ」
 ドスの効いた腹の底に響くような親方さんの怒声。堅気とは思えないようなその迫力に、思わず左官屋は身を竦ませた。
 「ヒィッ………」
 「…そもそもバカな通説持ち出してんのはテメェんとこのバカ息子なんじゃねぇのか?……オメェだって知ってんだろう。たかだか左官屋だってぇぐれぇで威張り散らしてデカイ顔してのさばってんのをさ。この一週間のテメェの息子の態度は何だよ?みっともねぇと思わねぇか?ちまちま、ちまちまと…左官屋ともあろうもんが何恥曝してんだよ」
 「で、電気屋さん……?」
 ギリギリ温厚で通っていた親方さんの豹変振りに、現場監督が慌てて止めに入ろうとするが、親方さんの一睨みに凍り付く。
 「っっ………」
 物凄い迫力だ。
 親方さんはヤクザとでも張り合えそうな……つうかヤクザそのものの目付きで現場監督を黙らせ、迫力そのままで左官屋の親方へと視線を動かした。
 「ヒィ………」
 「おい…現場って言うのはよ……実力主義の世界だろうが。ん?違うか?」
 静かな口調が一層恐ぇ。
 「………っっ」
 言葉を失った左官屋に、親方はニヤッと笑って言葉を続けた。
 「まぁ、よ、拳の世界も実力だってぇのは間違いねぇな。ん?なんだったらいつでも相手するぜ?」
 更に高く引き上げる。ほとんど足は床に付いていない。片手で軽々と持ち上げたまま、親方さんは左官屋に止めを刺した。
 「……ただし、俺は容赦出来ねぇ性分だがな」
 ハッタリだとは到底思えないような親方さんの口調に、
 「お、お覚えてろよ」
 左官屋の親方は、震えた妙に甲高い声で、そう返すのが精一杯だった。
 「……おうよ」
 笑って、親方さんは手を離すと、そのまま事務所のドアに向かって歩き出した。
 「何やってんだ。行くぞ雄太」
 「……はいっ」
 ドアを閉める時に見えた、完全に迫力負けして呆然とパイプ椅子に座り込む左官屋の姿が、この現場で見た最後の姿になった。

 「……親方さん…スンマセンでしたっ」
 階段を降りながら俺は親方さんの背中に向かって頭を下げた。
 「なぁに。良いってことよ」
 振り返りもせずに親方さんは言った。
 「何があったか知らねぇが、単身で乗り込むコウイチがバカなのさ。済まねぇな。とんでもねぇとばっちりも良いところだ」
 「いえ、そんなことないッス」
 親方さんが、ズボンのポケットからヨレヨレになった煙草の箱を取り出し、中から煙草を取り出し火を灯ける。
 「しかし、雄太よ」
 「はいっ」
 フーッと煙りを空に吐き出し振り向いた。そのまま俺の方を振り向き、
 「やるじゃねぇか」
 と、ニヤっと笑った。
 「親方さーん。谷田さーん」
 向こうの方から岡野さんが走ってくる。
 「大丈夫ですかーっっ。監督さんに叱られませんでしたかーっ」
 手を振りながら走り寄ってくる。
 「おう、こってり絞られちまったよ」
 親方さんがふざけて言った言葉に、
 「お疲れ様ですっ」
 深々と岡野さんは頭を下げた。
 「あ、コウイチさん意識戻りましたよっ」
 「本当ッスか?」
 岡野さんは、はいっ、と、返事してから手短にコウイチの状態を説明し、
 「でも、多分今日はあんまり動かさない方が良いと思います。念のために病院にも行った方が良いと思いますよ。何せセメント袋で背中と後頭部を同時に殴られたんですから」
 と、心配そうに続けた。
 「まぁ、あの石頭のことだからタンコブぐらいでどうってことねぇだろうよ。…まぁいいか。おい雄太、お前ぇ動けるようになったらコウイチ病院に連れてってやれや。ついでによ、お前ぇもきちっと診て貰ってこい。……なんだなぁ、やっぱり先刻一緒に救急車に放り込んどきゃ良かったよなァ」
 …親方さんもほっとした顔が隠せない様子だった。
 それでも俺達の手前隠したかったのか、
 「さぁて、じゃあコウイチの野郎の代わりに職長会議にでも行ってやるとするか。…んじゃ、まぁそう言うことだから雄太、お前はコウイチ頼んだぞ」
 「はい」
 「それから…岡野」
 「はいっっ」
 「お前ぇは二ミリ三芯のF線六本上に上げとけや。俺も後から行く。ゆっくりで良いぞ」
 「分かりましたっっ」
 「…ったく面倒クセェなぁ……」
 ボリボリと頭を掻きながら打ち合わせ場所へと向かう親方さんの背中を見送りながら、俺は心の中で呟いた。
 親方さん、もう一時半ッス。職長会議終わってると思うッス……。
 親バカ……結構丸出しッス……。



 電気屋の休憩所に戻ると、コウイチが部屋の奥の自分の定位置に座っていた。
 まだ少しぼんやりしているようで、壁の一点から視線が動かない。顔から一切の表情のなくなった…まるで赤ん坊のような顔だった。
 俺がコウイチの側まで行っても、しばらくは気付くことも出来ず、壁に凭れて座ったままだった。
 「……コウイチ」
 そっと声を掛けると、ゆっくりとコウイチが視線を俺の方に向けた。
 まだ俺が誰だか良く分からないらしい。
 心配で、すまなくて。
 声を掛けた時と同じぐらいそっと静かに右手でコウイチの頬に触れた。
 「…コウイチ……大丈夫か?」
 コウイチが俺の声に反応して、二、三度瞬きを繰り返す。ぼんやりとした視線ではあったが、次第に俺を見ようとする目に変わっていく。焦点が合い始める。
 「………………ユウ…」
 小さな声で呟くと、痛かったのか、頭を押さえて顔をしかめた。
 「大丈夫か?」
 「………」
 意識がはっきりしてきたら、ついでに色々と思い出したのか、また、むうっ…と、不機嫌そうな顔に戻った。
 だが、返事ぐらいはしなけりゃマズイと思ったか、暫く経って、むうっとしたままコクリと頷いた。
 その姿は拗ねた子供と全く一緒で、思わず頭を撫でてやりたいような……そんな気分になってしまった。
 「親方さんが病院行って見て貰えってさ。…動けるか?」
 小さく首を横に振る。
 「……大したことない」
 「でも、頭だし」
 「……良い」
 「良くねぇよ。何かあったらどうすんだ」
 「…何にもねぇよ」
 「俺に心配かけさせる気か?」
 「…………」
 コウイチは返事に詰まって黙り込む。俺はコウイチのすぐ側まで近寄り、隣の俺の定位置に腰を降ろして返事を待った。
 長いこと二人で黙った後に、コウイチがぼそっと俺に声を掛けた。
 「………ユウ、お前…その怪我……」
 俺も先刻の喧嘩であちこちに傷だの痣だのと随分派手になってたし、服もホコリだらけの血塗れのゲロまみれで、かなり酷い姿になっていた。
 「ああ、これな。…ま、大したことねぇから」
 言いながら、汚れたトレーナーを脱いで丸めて、部屋の隅に放り投げた。
 それだけの動きでも全身に痛みが走り、顔をしかめてしまうと、コウイチがぼそっと、心配そうに口を開いた。
 「………お前こそ病院行けよ」
 「お前の方が重傷だろうが」
 「病院恐いんだろう」
 「まさか。怖がってンのはコウイチの方じゃねぇのか?」
 「…っ……恐く…ねぇもん」
 「じゃ、行けよ」
 「……ユウが…行くなら…付き合ってやってもいいぞ」
 二人しかいない休憩所の中で、電材に囲まれて俺達は誰にも聞かれることもないって言うのに、ぼそぼそと話す。
 お互いの顔を見ることなく。だが、お互いの気配を探りながら。お互いを気遣って。
 「分かった。じゃあ、俺も病院で見て貰う。だからコウイチ、お前も見て貰え。良いな」
 「………おう」
 小さな声で返事をした後、コウイチの右手がおずおずと俺に触れた。俺はその手をしっかり握ると、自分の口に引き寄せて、甲に素早くキスをした。
 「大丈夫か?」
 「………おう」
 コウイチが、俺の手を強く握り返してくる。
 しばらく強く握り合った後、俺からコウイチにキスをした。
 いつものセックス前のキスとは違う、そっと、触れるだけの、俺に出来る限りの優しいキスをした。コウイチは、頭がクラクラするのか、目を閉じてキスを受けながら、頭がいつもよりグラグラと揺れた。
 俺は負担が掛からないように、自分の胸の中に半ば抱き込むようにして、コウイチの身体を安定させた。 すると安心したのか、鼻から小さな溜め息を漏らすと、少しだけコウイチの唇の動きが大きくなった。
 コウイチの唇が柔らかく動いて、俺の唇を吸上げる。切れた唇の端が舌に絡み付かれて痛んだが、そんなこと気にしている場合じゃなかった。
 右手でコウイチの身体をしっかりと抱き締め、左手で、頭を撫でる。打たれただろう後頭部に触れないように、静かに静かに。何度も、撫でた。
 愛しくて、愛しくて、愛しくて…愛しかった。
 ありったけの気持ちを込めて、オレはコウイチにキスをした。
 長いキスが終わった時には、長かったコウイチの不機嫌状態もすっかり終結を迎えていた。
 「……へへっ…」
 コウイチは、照れくさそうに笑うと、子供が甘えるように、オレの胸に擦り寄ってきた。
 「………俺…ユウに謝んなきゃな。……あのさ…昨日、俺さ…」
 俺に凭れてたコウイチが、言いにくそうに口を開いた。咄嗟に心の中で身構える。
 たとえ最悪の結果を報告されても…俺は絶対…許してやろう。
 「……俺……仕事終った後、ライブ行くからって…シャワー浴びに行ったじゃん?」
 「ああ」
 「そん時に突然ドア開けられて……」
 「……うん」
 「……俺何にも着てなくてさ…ビックリして固まってたら、茶髪の野郎が立っててさ…」
 「………おう…」
 コウイチが言いにくそうに口を噤む。俺は必死で心を落ち着かせる。
 「……で…さ…茶髪がさ……」
 「………ん?」
 運が悪かったんだ。コウイチは運が悪かった。大した…ことだが、大したことじゃない。俺が許してやれば良い。
 落ち着け落ち着け。
 悪いのはあの茶髪だ。コウイチじゃない。
 随分長いこと黙り込んだ後、コウイチが重い口を開いた。
 小さな声で本当に俺に済まなそうに。
 「………いきなり…付き合ってくれ…って…」

 …………。
 
 「………へ?」
 自分でも間抜けな声が出た。
 付き合ってくれ…って、そりゃ、告白か?
 …力ずくでヤられたとか……凌辱とか……そんなんじゃないのか? 
 俺に凭れて座っているコウイチは、まさか俺が肩すかしを食らって、固まっているとは気付いていない。更に俺に身体を擦り寄せながら、言いにくそうに言葉を続ける。
 「普通、人がシャワー浴びてる時に告白するか?しねぇよなぁ?でも、されちまったんだよ。俺そン時頭真っ白でさ。返事も出来なくて。そしたら今直ぐじゃなくて良い。今夜一晩考えて、明日の昼に返事くれって」
 告白だよ、おい…。
 『凌辱』の二文字が、頭の中でガラガラと音を立てて崩れていく。
 いや、それはそれで嬉しいんだが……
 なおもコウイチは続ける。
 「……俺…俺さ、ユウがいんだから、直ぐに断らなきゃいけなかったのに……あんまり突然のことだったから…しかも茶髪に言われたもんだから……な、何でだよっ?…て…頭ン中真っ白で……」
 そりゃそうだろう。
 俺も真っ白だ。
 「…とにかく身体の泡落として速攻出て、服着て、断ろうと思って、あいつ探したらもういなくて。やべー、どうしようって思って…でも、悩んでても今日はもう仕方がねぇって思って…気ィ取り直そうとして。で、あ、ライブっ、てライブのこと思い出して。取りあえずライブ行行こうと思って……で、電車に乗って…。でも、ずーと、あの野郎のことで頭一杯で。断るにも明日まで返事出来ねぇじゃねぇかよって思って。…思ったら段々自分に腹が立ってきて…そしたらライブどころじゃなくて……」
 …いや、笑っちゃいけない。
 笑う場所じゃねぇ……。
 コウイチは今真面目に話している。
 で、でも……っ。
 必死で腹が震えるのを押さえる。
 一気に喋って疲れたのか、コウイチは溜め息をついて、少し大人しくしてから俺の方に顔を向けて、頭を下げた。
 「……ゴメン…」
 俺は思わずニヤける顔を見せたらマズイだろうと咄嗟にコウイチを抱き締め、胸に顔を押し付けさせた。絶対俺の顔を見られないようにしてこっそり笑う。天然のコウイチは、凄まじいほど可愛らしかった。
 声を出すのを我慢した分、腹が震えた。それをどう勘違いしたのかコウイチは、
 「ゴメン…ゴメンな…」
 と、必死で謝りながら両手を俺の背中に回した。
 笑いの波が治まっても抱き締め続けてたら、もうどうしようもないくらいコウイチが愛しくなった。
 告白されて、その場で返事が出来なかった自分に腹を立てていたなんて、ある意味コウイチらしかった。
 そりゃ、シャワー浴びてていきなりドア開けられた日には、誰だって頭の中は一瞬真っ白になるだろう。
 ましてコウイチはその上告白までされた。しかも相手はあの茶髪だ。
 声も出ない程ビックリしただろう。
 俺が同じ立場だったら絶対動くことすら出来ない。
 お前、責められるもんなんて何もないぞ。
 そうだよな。お前だったらたとえ後ろから羽交い締めされてブチ込まれそうになったとしても大暴れするよな。第一、万が一にでもそんな目に合えば、その場で奴は血祭りだ。
 突然の告白に狼狽えていたコウイチ。
 すごくらしい。らしくて、らしくて。
 大好きだ。
 「……ゴメンな…俺…」
 一生懸命に謝るコウイチに精一杯の注意を払いながら、俺は思い切り抱き締めた。
 「気にすんな。どいつに告白されたところでコウイチは俺が良いんだろう?」
 胸の中でコクンと頷く。
 「じゃあ、もう良い」
 そう言うと、コウイチは更にギュウッと、抱き着いてきた。
 「……コラ、あんまり引っ付いてるとヤバいから」
 「ヤバいって?」
 「そう言う気分になるだろうがよ」
 胸から顔を上げてコウイチが笑う。
 「良いんじゃねぇの?」
 「良くねぇって。とにかくまずは病院だ」
 「んーだよ……ムードねぇなぁ…」
 「後々っ。ほら、行くぞ」
 俺は、グラリとしかけた気持ちをきっぱり無視して立ち上がった。
 コウイチ、心配すんな。セックスだったら俺がいつでもしてやるからさ。
 コウイチも残念そうな顔を見せたものの、どうやら観念したようで渋々ながら立ち上がる。
 「タクシーで行くか?」
 「運転手が嫌がるんじゃん?」
 「気にすんな。そんな顔ちょっとでもしやがったら俺が一発殴ってやる」
 「何だよユウ、急に頼もしいじゃん」
 お互いある意味ヨレヨレだったが、気分は何だか最高だった。



 現場はいよいよラストスパートに向けて、最後の盛り上がりを見せようとしている。
 決められた完成の日まで後一ヶ月。残業も突貫工事も始まるだろう。
 今日はその前の最後の休日と思えば結構悪くないかもしれないな。
 天気も良いし。デート気分だ。
 ま、行ってくるのは病院だけどな。

 
 作業服に身を包みヘルメットが似合う電気屋二人、現場の騒音の中、巨大なゲートに向かってゆっくりと歩き始めた。



  
                   おしまい
 

 

topへ戻る 1  2 3 4 5

『見聞録』の再度ストーリーでしたっvvこの続きは、『追加報告』でっっvv