「届く想い届かない想い」
中編
「あ、じゃあ先シャワーどうぞ。その間に俺、カレー作っときますから」
へーっ、なんだ綺麗にしてるじゃん、なんて言いながら物珍しそうに俺の部屋を眺めているコウイチさんに声を掛けた。
「あ、うん。じゃ、借りるねー」
くるっと振り向いてニコニコっと笑われてしまう。
ヒクッ…と、咽の奥が引き攣ったように痙攣してしまうのを咄嗟に買ってきたカレールーの箱で隠しながら、俺も必死で普通に笑ってみせる。
「あ、ここです。…凄く狭いんですけど大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫大丈夫」
「あるの何でも使って下さいね」
「はーい」
杉並で月4万5千円のアパートなんて言ったら、どれぐらいのボロさかは、黙ってても分かるとは思うんだけど、ホント物凄いボロボロのアパートの一室。
和室四帖半、細長い感じで台所が二帖。ビジネスホテルより狭いんじゃないかってぐらい狭いユニットバス。それでも東京23区内でこの値段だから良しとなるんだろうね(…でも、以前勤めていた会社の寮だと同じ規模で月4千円だったんだよね……)
今はもう前の会社の給料より手取りが多くなってるんだから、もうちょっと良いところでも全然大丈夫なんだけど、どうしても勿体無くって出来なかったりする。
目的があるわけでも無いんだけど、今のところは全部貯金。
やっぱり、前のリストラはかなりなショックだったんだろうなぁ。
何だか気分は働きアリだ。
………なんて、話がずれちゃったりしたけど…そう、俺の家って物凄く狭くてボロボロなんだよね。ユニットバスなんて、絶対後付けに違い無いって感じだしね。
台所のコンロ側の壁に安っぽいドアが取り付けてあって、その向こう側がお風呂とトイレ。勿論脱衣所なんて無い。
コウイチさんは、先刻ジーンズショップで買ってきた袋を足下に置いて、買い物袋から取り出した肉だの野菜だのを取り出してる俺の横で、おもむろに服を脱ぎ出した。
脱いでる間退きますよーって言おうと思って顔を上げたら、上半身裸のコウイチさんと目が合って、鼻血が出そうな程驚いてしまった。
「(うわぁぁぁぁっっ……!!)…あ……あ、じゃ俺向こう行ってますから、終わったら声掛けて下さいっ」
「へ?何で?」
慌てて立ち上がった俺を不思議そうに眺めながら、コウイチさんはズボンに手を掛け、普通に下ろす。
「何でってっ…恥ずかしいじゃないですかっ」
「岡野君が?」
「コーイチさんがですっ」
「え?別に?」
靴下を脱いでポーンとズボンの上に放る。トランクス一枚のコウイチさんは思ったよりもしっかりとした身体つきで。そうだよな…あんなに力持ちなんだもんな……って、そんな悠長なこと考えている余裕なんてなくってっ!!
うわ…でも、綺麗な身体だな……
……って、おいっっ!!
「いやっ!あのっ……!!」
真っ赤になってしどろもどろになりながら。
「……ぱ、ぱんつは、中でお願いしますっっ」
そう言うのが精一杯だった。
そんな俺をコウイチさんはクスクスと笑いながら眺めると、
「はーい」
と、楽しそうに返事をしながらドアを開けてユニットバスへと姿を消した。
「………はぁ……っ……」
…………コウイチさん心臓に悪いですよ。
好きな人の裸なんて見せられたら……。
冷蔵庫の前で固まっていると、暫くしてシャワーの音が聞こえ始めた。
(いかんいかんっ)
裸ぐらいなんだなんだっ。コウイチさんのセミヌードぐら……ぐらいっ、夏場に嫌って程見ただろーがっっ。
ブンブンと頭を振って邪念を追い払う。
折角遊びに来てくれているコウイチさんに失礼だよ。
必死の思いで気を取り直し、詰められる分だけ冷蔵庫に押し込み、残った分はシンク下に放り込んで、野菜と肉を掴んで流しの前に立つ。
「さ、カレー作ろーっと」
わざと声に出してみたり。
右側から聞こえてくるシャワーの音はなるべく無視しながら、俺は夕食の準備に取りかかった。
あんまり料理は好きな方じゃ無いけれど、好きな人に食べさせるって言うんだったら話は別。
危なっかしい手付きでジャガイモとニンジンの皮を剥く。
どちらかと言うと、捨てた皮の方が体積が多いような気がするが、そんなことは気にしない。
タマネギは、もうバカなんじゃないかってぐらいたくさん使う。
2人分なら10個ぐらい。ザクザクと大雑把に細かくして、鍋に放り込んで油と炒める。 これって、岡野家のカレーの作り方なんだよね。
鍋半分ぐらいまでくるぐらいタマネギを使って、ドロドロに形が無くなるまで煮溶かしてしまうんだ。
俺もそうなんたけど、タマネギ嫌いもこれだったら案外いける。
肉は豚バラ。ブロックで買って来て、好きな大きさにゴロゴロと切る。
これはフライパンで焦げ目が付くくらいまで一気に炒める。
肉汁ごと鍋に入れて、強火で煮込む。
沸騰したら吹きこぼれたんで、慌てて鍋の蓋を取り外し、おたまで灰汁を掬い取る。
野菜の煮込まれた良い匂いが辺りに広がる。
適当なところでカレールー投入。
俺は普段は辛口なんだけど、コウイチさんは中辛好みって話だったから、今日は中辛。 6皿分のルーを全部。
最後にインスタントコーヒーとチョコレートを2片。
「……よしっ」
後は、適当に煮込めばオッケー。
ここまできて、御飯を炊くのを忘れていたのに気が付いて、慌ててコメを研ぐ。
スイッチを入れてようやく一区切り。
付け合わせに、なんてコウイチさんが先刻スーパーで買っていた、福神漬とらっきょうと、なぜか野沢菜とタクアンを小皿に盛り合わせてシンク台の上にスタンバイ。
「……コウイチさーん、後1時くらいで出来上がりですよー」
「…はーい」
寝ぼけた声と、チャプン…って水の音がした。
「寝ちゃダメですよー」
通りで静かだと思ったら……。
湯舟でウトウトしているコウイチさんはあんまりにも容易に想像出来て。
頭の中のコウイチさんの可愛らしさに思わず顔が弛んでしまった。
「良いですよ…ゆっくりどうぞ。でも、危ないですから寝ないで下さいね…」
ドア越しに掛けた自分の声が、まるで恋人みたいだと一人で思って胸がドキドキしてしまった。
グツグツと良い匂いをただよわせている鍋の火を一番小さくして、俺は台所から部屋の方へと移動した。
サイコーッッ!!……なんて、腰にバスタオルを一枚巻いたままの格好で、缶ビールを一気飲みしているコウイチさんを真っ赤になりながら見て。
なかなか服を着たがらないコウイチさんにやっとの思いで服を着て貰って。
「車はどうするんですか?」
「あ、いけねっ……そっかー…じゃ、泊ってっても良い?」
なんていつも通りの口調で言われ、心臓が飛び出しそうな程ビックリしたりして。
言った後、固まっている俺見て、少し心配そうに、
「……ね…良い?」
頬を上気させて、下から覗き込んでくるコウイチさんの表情に、いつも以上に心臓をバクバクさせて。
でも、
「………い…………良いですよ……狭いですけど…」
なんて、返事してしまったりなんかして……。
ぱぁぁぁっっ……と、嬉しそうに笑うコウイチさんの笑顔に、とんでもない場所が
『ドクンッッ!!』
って、脈打ったり…して……。
仕事場のコウイチさんは、優しくて、でもとても頼りがいがあって。
年下なのに、全然年上みたいで。
作業中は厳しい職人の表情をしていて、強くて、逞しくて。
喧嘩の時には、恐ろしくて。
とても魅力的な人だ。
いつも現場でしか一緒にいなかったんだってことに、今更ながら気付く。
目の前のコウイチさんは、いつも現場で見ているコウイチさんとはどこか違う。
上手く説明は出来ないんだけど、全体的なイメージが違う。
ここ最近の元気のないコウイチさんっていうのを差し引いても、現場とのイメージとは重なってはこない。
……年相応……って言うのかな?とても、子供っぽい感じがする。
現場でも、良く子供っぽいなぁって思ったりすることはあるんだけれど、今目の前で普段着でくつろいでいるコウイチさんは、もう…本当に子供らしくて。
小さなちゃぶ台みたいなテーブルの上にカレーを運んでくるのをキラキラした表情で待っている姿なんか見せられちゃうと……ホント、ぎゅうっっっって抱き締めて、良い子良い子してあげたくなる気分にさせられちゃって……。
何だかすごい無防備で、見ているこっちが気をつけてあげなくちゃいけないような、そんな感じが凄くする。
そんな子供っぽさが『これでもかぁぁっっっ』ってぐらい全面に押し出されているのに、ふっ…と見上げる視線がとんでもなく色っぽかったりして……。
無邪気に笑っているコウイチさん相手に、おかしくなりかけている自分がどうしようもなく情けない。
「……さ、どうぞ」
「いただきまーすっっ!!…うーわっ……うっめーっっ!!」
凄く美味しそうにバクバク食べているコウイチさんの姿を見ながら、俺はと言えば…普通の顔をしているのが精一杯で……カレーの味も何も、正直全然感じなかった。
「すごいねーっっ、美味しいよっっ!!」
「ありがとうございます。たくさん作り過ぎちゃいましたから、一杯食べて下さいね」
「おうっっ」
その後も、50回ぐらい『美味しいねっ』って言われり、音楽の話や仕事の話をしているうちに、ようやく自分の部屋にコウイチさんが居るって現実に徐々に慣れ始めている自分を感じることが出来てきた。
そしたら自分に余裕が出てきて、やっぱりおかしいのはコウイチさんなんだって言うのに気が付いた。
だって、いつもよりずっとおしゃべりで良く笑っているのに、ちょっと突けば泣き出しそうだ。
まるで本当の子供みたいに。
食事が終わってお酒が入り始めた頃、…ああ…寂しいからか……と気が付いた。
そうだよね。
だってアメリカは遠いもんね。
どんなに強い人だって、不安になったりするもんだよね。
今側に恋人がいないんだもんね。
寂しいよね。
分かります。
とても。
チリ……と、胸が痛んだ。
急いで酒を一口呑み込んで、酔いに任せて笑顔を作る。
だって俺に出来ることって言ったら、それぐらいしか見つからない。
谷田君のように抱き締めてあげることは、恋人じゃない俺には許されないもんな。キスやその先だったら尚更。
俺は谷田君じゃない。
仕事でも足下に及ばないくらい頼り無い俺は良い梃子にもなれない。
恋人だったら……尚更だ。
笑って酒を飲んで話をしながら、俺はコウイチさんを遠くに感じた。
こんなに近くにいるのに、俺のモノじゃないんだなぁって思い知ってしまった。
でも、絶対に顔には出したくなかった。
想いが届かないなんて…当たり前なんだから。
チリリ…ッ…と、胸が痛む。
(あ………まただ……)
嫌だな。こんな時にこんな気分になるのは。全然意味は違うけど、谷田君だって大好きなのに。俺が勝手に片思いしているだけなのに。
だって、俺は恋人じゃない。かわりにもなれない。かわりになんてなりたくない。
でも……こんなにも。
…ねぇ、谷田君。コウイチさんは寂しがりなんだよ。知ってるだろう?それくらい。
(………ジリ…ッ…)
………なんで俺の好きな人は……俺のモノにはならないのかな………。
酒の入ったコップを握る手が、知らず知らずのうちに力が入ってしまっていた。血が流れずに真っ白くなった指先に気付いてコップを放す。
『ガシャーン!』
コップが倒れて中身が辺りを溢れて濡らす。
「わっ。大丈夫?」
酔いが回って呂律の怪しくなり始めたコウイチさんがびっくりしたように、袖で畳に溢れた酒を拭こうとする。
「あっ、そんなっダメですよッ。折角買ったばっかりなんですから」
咄嗟に腕を掴んで制止した。
右手一杯にコウイチさんの腕の筋肉の感触を感じる。
「…っっ………」
放さなきゃ。
そう思った。
思ったけど。
「………ねぇ…」
掴んだ右手を放せないように、コウイチさんの左手が俺の右手を強く掴んだ。
「…コ……コウイチさん……」
縋るように見つめる寂し気な瞳。
「…………岡野……君……」
続きを聞くのが、恐かった。
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