「届く想い届かない想い」
後編
……ぎゃ…逆の立場になることは何度もあった。
前の会社で課長とそういう関係になった後、セックスの間が開くと2人きりになれる状況を探してた。でも、いざ2人きりになってしまうと『して下さい』なんて頼むことも出来ずに苦しんだ。
どうにかして欲しくてたまらないのに一言が伝えられない。
襲って下さいお願いします、みたいな気分で、意識的に隙だらけになって側に近付く。
窓ガラスや鏡に映る自分の顔は…もうどうしようもないくらい飢えた表情で。
でも、課長は自分がその気になった時しか俺には触れてくれなかった。
いつでも自分が一番で、俺の気持ちなんて欠片も届きはしなかった。
トイレに逃げ込んで一人で処理する自分が情けなくて。情けなくて。
だから分かる。
……俺を見上げるコウイチさんの表情はあの時の俺と種類が一緒だ。
ただ一つ違うのは、コウイチさんの方が遥かに切羽詰まっているって言うこと。
だって、相手が俺なんだもん。
………この人は今、俺でも良いから抱かれたいんだ。
こんなになる程…寂しいんだ。
「……岡野君…」
……可哀想に。
コウイチさん……アメリカは、遠すぎますよね。
谷田君…………君が悪いんだよ。
ちゃんと側にいてあげないから。
俺だってこの人が好きなんだよ。
こんな顔されて、抱かない方がどうかしてるんだよ?
ね?良いの?……俺、貰っちゃうよ?
「……はい…」
覚悟を決めながら、間近で俺を見上げるコウイチさんになるだけ優しく返事をする。
俺の右手を掴んでいる手に力が入る。求められているのが分かる。もうそれだけで勃起しそうになってしまう。何だか俺も酔ってるんだと思う。今夜はコウイチさんのペースに乗せられて随分ピッチ早かったしな。
これって浮気だよなぁ……とか、いやいやっ、谷田君が側にいてあげないからいけないんだよっ、とか…いたら、こんなチャンスには巡り合わせなかったよな…とか……やっぱ……マズいかな……マズいよな……とか…………でも、したいな………なんて、物凄い回転で頭が回る。必死で平静を装って、年上ぶって見せて(っていうか、本当に年上なんだけど…)でも、物凄く葛藤しながらコウイチさんの言葉を待つ。
「……どうしたんですか……?」
多分俺……抱いちゃうんだろうな……なんて、罪悪感に潰されそうになりながら。
「…………俺……」
苦しそうにコウイチさんが次の言葉を言おうとしている。
「……はい」
俺は、谷田君のことを無理矢理頭の奥に追いやりながら、思い切ってコウイチさんの瞳を覗き込む。ハッとしたような顔を見せた後、視線を泳がすコウイチさんは、もう…どうしようもないくらい可愛くて……勃ってしまった。ゴクリ…と、唾を飲み込みながら、俺は次の言葉を促した。
「……言って下さい……どうしたんですか?」
「……俺……俺…………どうしよう……」
本当に困ったような声で言葉を探す。
「……俺で良かったら……どうぞ?」
あんまりにも愛おしくて、思わずそう言ってしまった。言ってから滅茶苦茶舞い上がって。でも、腹を決めて言った。
「コウイチさん……分かります……だから……俺……良いですよ……コウイチさんがそれで良いんなら……」
谷田君……ごめんね…。
心臓に突き刺さるような罪悪感の痛みに息が詰まりそうになる。でも、それ以上にコウイチさんが欲しかった。
後で殴られても…や…殺されても良い。
谷田君、僕はね、こんな形でも……コウイチさんが欲しいんだ。
あー…シーツ新しいのに変えておけば良かった、なんて…どうでも良いことが頭を過って、去っていった。
コウイチさんが、今にも崩れ落ちそうな表情で俺を見つめる。
苦しそうに欲情している。
コウイチさん、今のあなたは、いままで見てきたどんな男よりも、悩殺的な姿です。
お願いです。もう…『抱いて』って言って下さい。そうでないと俺、罪悪感に潰されそうです。
勢いのまま、抱かせて下さい。
何も考えさせないで下さい。
……谷田…君……っ…抱くよ……いいね……っ。
「……………………………ダメだぁ…………」
「……え?」
コウイチさんがグイッとちゃぶ台を遠くに押しやる。俺とコウイチさんとの間に障害物が何も無くなる。咄嗟に身構えキスしようとしたら、ガバアッっと抱き込まれた。
「え?…え?…ちょっ……」
「ごめんっ。黙ってっ!!」
「え?あっ、はいっ」
突然強い口調で言われてしまい、脊髄反射的に見習い口調で返事をしてしまった。
コウイチさんは、そんな俺をぎゅぅぅぅぅぅっっっっっっ!!!っと、絞め殺すような勢いで抱き締める。背中に腕を回してあげて、抱き締めかえしてあげるのが男ってもんなんだろうけれど、『気をつけ』の姿勢で抱き締められちゃっている状態なもんだから、それすら出来ない。
いたっ…痛いですって……コウイチさんッッ!!
甘い気持ちも罪悪感も、何もかも。すっ飛んでいくような勢いで、コウイチさんは俺を抱き締める。抱き締める。って……ぐ…っ…こ、殺される……っっ。
……たっぷり1分は、満身の力で抱き締められてしまっていたと思う。コウイチさんのバカ力はもう半端じゃないって言うのに、本当に力一杯。腕と背骨が折れるかって勢いで。
だ、抱くって言うか、抱かれるっていうか………コレ、意味が全然違うんですけど………いっ…!!…痛ででででっっっ!!!
反論しようにも、余りの強さにそれすら適わず。
後10秒この調子でやられていたら、絶対どっかの骨がイきそうってギリギリのところで、ようやくコウイチさんの力が弛んだ。
それでも、俺はコウイチさんの腕の中からは解放して貰えず。
「……コ……コウイチさん……」
死にそうな気分で声を掛ける。うわっ…情けない程声がヨレヨレだ。
「…………ごめん……もう少しこうさせてて……」
力とは裏腹な心細そうな声に、文句も言えず。
「………………気……気が済むまで……どうぞ……」
ぐったりと、全身の骨の軋みに耐えながら、俺はそういうのが精一杯だった。
「……ごめん。大丈夫?」
ひとしきり、抱き締められた後。
ミシミシ言ってる骨の痛みに苦しむ俺を心配そうに覗き込みながら、コウイチさんは心配そうに声を掛けてくる。
「…だ、大丈夫です…」
死にそうでしたとは、流石に言わないでおくとする。
あまりの衝撃に、あんなに興奮していた場所もすっかり大人しくなってしまった。
オロオロと動揺しながら側に座っているコウイチさんは、それはそれでとても可愛かった。
「……ごめん…俺……本当はこんなことするつもりじゃなかったんだけど……どうしても言えなくて……」
「……いえ…良いんです……気持ちは分かりますから……」
「気持ち?」
「寂しいんですよね?」
「……うん」
目を伏せて、コウイチさんは言った。
「……ユウは…カメラマンになるのが夢なんだ……」
「そうですね」
「アイツの写真はすごく好きだし、アイツの夢も絶対叶えて欲しいから…俺は…アイツの邪魔だけはしたくないんだ」
「…はい」
「……でも………やっぱ寂しい……」
「………分かります」
コウイチさんは、『寂しい』って口に出したら余計に寂しくなってしまったみたいで、しょぼん…って感じで肩を落として言葉を続ける。
「……アイツはさ…不器用だからさ…向かった方にしか気持ちが行かないんだよね。良い写真が取りたいのは分かるんだ。…分かるんだけどさ……。………分かるんだけどね………」
そして、その先が言えないでいる。
「……こんなに長い時間を離れて過ごすのは、寂しいんですよね」
「……………うん」
「でも、だからって、早く帰ってこいなんて、駄々を捏ねたくないんですよね」
「……………うん」
…ああ…なんてこの人は一途なんだろうな………。
こんなにも想ってて、こんなにも大切なんですね。
………俺には太刀打ち出来ません。
心の中でこっそりと諦めのため息をつく。不思議と先刻みたいな嫉妬心は現れなかった。なんだかね…ここまで違う誰かを想っているのを見せられちゃうと逆に諦めもつくってもんなのかな。
「……ったく、しょうがない人ですよね」
それでもやっぱり、俺はあなたが好きですけどね。
しょんぼりしているコウイチさんに、わざとむうっ、って顔をしかめて、
「決めましたっ。谷田君は、帰ってきたら暫く雑用オンリーです」
と、怒ったような口調で言ってみせた。
え?と、俺を見上げたコウイチさんに笑って続けてあげる。
「掃除とか、ゴミ捨てとか、電線運びとかばっかりやらせましょうね。あ、段ボール畳みも良いですねぇ。…で、文句言ったら俺がガツンと言ってやるんです」
「……何て?」
精一杯怒った顔をして、拳を握った両手を腰に当てる。それからもっと怒ったような口調で言ってみせる。
「この現場では俺が先輩なんだからねっっ!!」
「………ぷっ…あはは…」
思わず吹き出したコウイチさんの笑顔は、やっぱりとても寂しそうだったけど、それでもほんの少しだけ嬉しそうにしてくれたから、俺はとても嬉しくなった。
…………そうだよね。コレで良いんだよね。
特別に、酔い潰れるまで思う存分飲ませてあげた。
泥のように眠るコウイチさんに、キスしても良いかな…なんてちょっと思った。
でも、結局出来なかった。
本当に好きだから。
何も出来なくて。
「………おやすみなさい」
コウイチさんの耳もとで、目を覚まさないように小さな声で囁くように言うのが精一杯だった。
「んじゃ、行こうか」
「はいっ」
駐車場に停めてあったコウイチさんの車に乗り込む。
早朝の出勤。
コウイチさんは、昨日アレだけ飲んだって言うのに、
『やっぱり一日置いたカレーは美味しいねぇvv』
って、朝には重たすぎるんじゃないかって感じのカレーを2杯も食べて御機嫌だ。
何となく、気まずくなるんじゃないかなって、内心心配していたけれど、コウイチさんには無用の心配だった。
朝、起きて直ぐに謝られたのだ。
『ごめん』
『どうしたんですか?いきなり』
『昨日は甘えちゃった。ごめん』
すごく真面目な顔で頭を下げられて、逆にこっちが恐縮してしまった。
『そんな気にしないで下さいよ。俺は嬉しかったですよ』
『うん。だから、甘えちゃったんだ。ごめん。……俺、もう少しで浮気するところだった』
でも、出来なかったよ。って、真直ぐ見つめられながら言われた。
『ええ…コウイチさんは、浮気出来るような人じゃないですから』
『……うん。そうなんだよね』
困ったように、コウイチさんが笑う。
『岡野君なら、良いって思ったんだけどね』
まるで告白されてるみたいに心臓がドキドキした。
『…うわっ、それは残念です』
だから、自分に出来る限り冗談っぽく返した。
『………ごめん』
『そんな顔しないで下さい。何も無くてホッとしてるのは俺の方なんですから』
『………』
『俺がコウイチさんが好きだって言ったの、覚えてますよね?』
『……うん』
『だから、俺、フェアでいたいんです。……勿論…昨日は残念でしたけど…でも、谷田君が側にいない時にコウイチさんとどうにかなっちゃうのは、やっぱ嫌です』
目の前のコウイチさんは、静かに俺の言葉を聞いている。俺の一言一言を噛み締めるように聞いている。まるで子供みたいな素直な表情で、俺の言葉を聞いている。
やましい気持ちとか全然無しに、抱き締めてあげたくなった。
恋人としてじゃなくって、お父さんとかお母さんみたいな気持ちで、抱き締めてキスしてあげたいような、そんな気分。
『コウイチさんが、谷田君のことをどれだけ好きかが分かります。悔しいけど、今の俺にはどうすればコウイチさんが気持ちごとこっちを向いてくれるか分かりません。…身体も欲しいですけど、それより先に気持ちが欲しいんです。………だから、良いんです。…ほら、そんな顔しないで下さい。勝ち目が無いことなんて、初めから知ってるんですから』
『……岡野君…』
想いなんて、多分届かなくても良い。
『コウイチさん』
『…ん?』
『教えて下さい。誰が一番好きですか?』
『……ユウ』
……届かなくても良い。
『……大丈夫。ちゃんと分かってるじゃないですか』
届かなくても、想えるんだから。
『もう、待てますよね』
『……うん。……ありがとう…』
衝動的にコウイチさんの頭を胸に押し付けるように抱き締めた。
キュ…と。とても、優しい気持ちで。
気持ちのすごく深いところで嫉妬の痛みを感じたけれど、そのまま深くに沈んでいった。
『さ、朝メシ食べちゃいましょう!!カレーですけど食べられますか?』
『…うんっ。俺、カレー大好きだしっvv』
そう言って笑ったコウイチさんは、ようやく何かを乗り越えたような…穏やかな表情をしていた。
それから3日後、コウイチさんの家に1通の手紙が届いた。
「岡野君っ!!……来月、ユウ帰って来るって…!!!」
そう言いながら見せてくれた同封の写真。
夜明けの空の写真と、もう一枚は現地の人に撮って貰ったんであろう、谷田君が写っている写真。
風景写真と違って、谷田君を写した写真は技術も何もあったもんじゃ無くて、それこそピンボケの失敗写真なんだけど……俺は暫くその写真から目が離せなかった。
日に焼けてまた一段と逞しくなった谷田君は、一層厳しい顔立ちになっているっていうのに、ファインダーを真直ぐ見つめる谷田君の視線は、とても柔らかく暖かなものだった。僅かに弛んだ口元は、今にも何かを喋り出しそうだった。
誰を想っているのか、何を想っているのか、俺にでも直ぐに分かる1枚で。
コウイチさんが、いつまでも眺めてしまうような1枚で。
届く想いもあるんだな……。
悔しいような、寂しいような、嬉しい気持ちが俺を襲った。
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