[待ち合わせ]
約束の時間まで後三十分。 「……ふー…っ……」
意味も無く溜め息をついてみたりする。 腕時計を見るのは六回目。五分が嫌に長く感じる。 『…カラン……』 飲みかけのアイスコーヒーの中の氷が、小さな音を立てた。
生まれて初めてのデート。 待ち合わせの場所で俺は和真が来るのを…緊張でおかしくなりそうになりながら待ち続けている。
以前終バスに乗り遅れた俺を自転車の後ろに乗せて、家まで送ってもらったお礼。 俺が働いている会社が入っている雑居ビルの一階に入っている郵便局の職員。
公務員というよりも、幼稚園の先生と言った方がよっぽど説得力のある見た目と中身の男。 知れば知る程好みの男。 気が付けば、惚れてしまっていた男。
つい先日、やっと下の名前を聞けた相手。 昨日、俺の会社の郵便物を出す時に、カウンターで取り付けた食事の約束。 恐縮している男に負担をかけないように、それでも絶対に断れないように、我ながら絶妙のタイミングで取り付けた約束。
場所はこの近くの居酒屋。 コンビニの地下にある、隠れ家のような飲み屋で、静かに酒が飲めるのが気に入っている。料理も手抜きが無くて美味しい。
サワー一杯380円の店から比べれば高いが、緊張する程の場所でもなければ、男二人で入っても、別に気にも留められない絶好の場所。 これなら、気軽に食事も出来るし、センスを疑われることも無い。
何てこと無いただの食事。 ただ…… 俺にとっては……念願の……デート。 生まれて初めての。 …生まれて初めて…本気で好きになった相手との……。
俺だけが…そう思っているだけの…ただの食事。 いつもみたいに『その後』は絶対にあり得ない健全な夕飯。 家に帰ったら、絶対に今日の和真を思い出しながらオナニーしてしまうに違いないくらい邪な感情を腹に隠して、なんでもないような会話を楽しもう。
和真を笑わせて、楽しませて……良い夕飯にしよう。 これから気軽に何度でも夕飯の誘いに乗ってもらえるような、気軽で楽しい時間にしよう。 全力を尽くして、平静を装って。
良い男だと思われたい。 純粋に、そう思った。 『カラン…』 氷の溶ける音に我に帰る。 時計を見ると五分が過ぎていた。
(……後…二十五分…か…) 思ってから、苦笑い。 まるでガキだな。 (………ま……それでも良いか…) 和真とこれから特別な時間を過ごすだけで、こんなに嬉しい。
バカみたいにコレからのデートに浮かれている自分がおかしくて、嬉しかった。 待ち合わせなんて、何年振りだろう。 そんなことまで嬉しかった。
男に興味を持ったのは高校二年の夏だった。 男女の頭数揃えたいから、と、誘われたキャンプ。 目的はセックス。
その日、なんの予定も入れてなかった俺は断る理由も見付からなくて、『ああ、良いけど』と、返事をした。 向こうから言い寄ってきた女とは、昼間、皆が遊んでいた場所よりも少し上流にあった岩場の上でセックスした。コンドームを付けようとしたら、
『付けなくても良いよ』 と、荒い息の下から言われた。 それなりに開放的で、おんなの胸も大きくて、股も気持ち良いぐらい濡らしていたから楽しめた。
結局女の声がデカクて、皆にバレて皆に見られた。 女は恥ずかしかってはいたが、その気になった何組かが、隣で始めているのを見ているうちに、異常に興奮しだし、太腿まで濡らしてた。
……若かったよな……なんて、今思い返せば思ったりする。 ある意味、楽しい思い出だ。 『……なぁなぁ……栗原、知ってるか……男同士のセックスって言うのも良いモンらしいぜ……』
『なんかそうらしいよな……知ってるか?4組の森崎……アイツ、部活の部長と部室でヤッたらしいぜ……』 『………あいつが?』 『…ああ。…なんか…スゲー気持ちよかったって言ってたぜ…』
目を丸くして唾を飲み込み、それからスウッ…と、目を細めて、クラスメイトが俺の顔を覗き込む。 『………なぁ、栗原……どうやってヤッたか聞いたか?』
『…アホ…んなこと…聞けるかよ』 『……そっかー……なぁ……栗原……』 『……なんだよ……』 旅行とか、キャンプとか、夏とか。
好奇心とか。 『…なぁ……試さねぇ?』 『………はは…マジで……?』 『……嫌か?』 期待とか。 『……別に……』
結局は相互オナニーぐらいのモンで、セックスはしなかった。 どっちに入れるかでもめたしな。 だが、男同士でヤることは、気持ち良いことだけはその時分かった。
夏の記憶は、いつまでもいつまでも……ずっと残った。 セックス出来たのは、それから暫く後のことだった。 女とするぐらい気持ちよくて、驚いた。
後腐れが無くて、それから俺は男の方が良くなった。 女と出来ない訳じゃない。 だが、後が面倒くさいから。 理由をつけるんだったら、それぐらいかな。
男とするセックスは遊びだと割り切っている。 恋愛をするんだったら、俺は女でしようと思っていた。 なのに……俺は……。
喫茶店のドアが開いて細身の男が飛び込んで来た。 息を切らせて店内を見渡す。 入って来た瞬間に誰だか分かった俺は、心臓を鷲掴みにされたように締め付けられた。
「あっ…」 振り返った男が、俺を見付けて、ふわりと笑う。 (………っ…) 叫び出したくなるような衝動を必死で押さえて、まるで少しも待って無かったって表情でニコリと笑う。
足早に近付いてくる相手に心臓の鼓動がバレないかと内心ヒヤヒヤしながら、 「すみません…っ。遅くなりました」 済まなさそうに言う……和真の顔を見上げて、笑う。
「ん?、ああ、こっちも今来たところ」 「…すみません」 心の底から済まなさそうに眉を下げて、頭を下げる。 俺とは違って裏表の無い君は、最敬礼で遅刻を詫びる。
「そんな気にしなくて良いって。こっちこそ昨日の今日で無理言ったんだからさ」 意識的にゆっくりといつも通りに話しながら立ち上がる。 「んじゃ、行こうか」
座っていた俺を見下ろしていた和真の視線が、俺を追って見上げる形に変わる。 先に目を逸らせたのは、俺の方で、 「…『東』って知ってる?」
「ああ、はい。向かいのコンビニの地下にある店ですよね」 「そうそう。行ったことある?」 「あ、いいえ、まだ無いです」 「あ、ホント?じゃ、そこで」
先に歩き始めたのも、俺の方。 レジに向かって歩き出した俺に半歩遅れて付いてくる和真は、 「はい」 と、嬉しそうに返事をしてきた。
「僕、一度行ってみたかったんです。でも、何か入り辛くて。栗原さんと一緒だったら緊張しなくて済みそうです」 「そう?」 きっと下心なんて微塵も無い言葉にドギマギさせられながら、振り返ることすら出来なかった。
(これから,デートだ……) そう思うだけで、叫びながら全速力で走り出したいくらい気分が高揚していた。
季節の料理も、揃っていた酒も十分な味で、最初は緊張していた和真も酔いが回るに連れてリラックスして来た。 「へー……ゴーヤーって、豆腐と一緒に炒めるだけじゃないんですねぇ」
ぽへぇ…と、した笑いに、こっちもようやく緊張が解けた本当の笑顔を返せるようになって来た。 「だよな。俺もさ、この店来る度に感心させられるよ」
「…でも…本当に栗原さんって良い店知ってますねぇ」 今日何度目かの同じ台詞を若干呂律が回らなく何って来た口調で言われるのも気分が良かった。
「そんなことないよ。実はさ、俺今日この店決めるのにも、随分悩んで決めたりしたんだよね」 「え?そうなんですか?」 日本酒を一口含んで、ゆっくりと飲み込みながら真面目に頷く。
「センス良いって思われたくてさ、結構必死で悩んで決めたりしたんだよね」 「本当ですか?」 「ホントホント」 「…プッ…あははっ……」
真面目に言ってみせる俺の顔をたっぷり三秒見詰めて吹き出す。 「なんだよ、ひどいなー」 俺も笑って文句を返す。 笑いながらひどく幸せな気分に襲われている自分に気が付く。
真面目で優しい郵便局員。 俺が本気で惚れてしまった男。 その男が俺の隣で酔いに任せて笑っている。 「すいません、すいません…でも…栗原さんがそんなこと考えてるなんて……プッ……なんか……可愛くって……」
時折偶然に触れる君の手は、郵便局で触れ合う時よりも随分と暖かかった。 女も男も、扱いは慣れている方だとばかり思っていたが、今日、リードされていたのは…もしかしたら俺の方かもしれないと…途中……思った。
「……すみません……」 「いや、気にしないで」 結局和真は酔い潰れてしまった。 タクシーを捕まえ、和真と乗り込む。
「……北出張所のバス停まで」 いつもだったらこのままホテルに連れ込むんだが、ギリギリの所で踏み留まって、和真の家の近くのバス停の名前を告げる。
「大丈夫?ごめん、飲ませすぎたね」 「…すみません……」 小さな声が苦しそうだった。 「喋らなくて良いよ」 左にカーブした時に、くったりと身体を寄せた和真の身体を咄嗟に受け止めた。
「着いたら起こすから…眠ってて良いよ……」 頭の中で抱擁をキスをセックスを…思い浮かべながら……俺は静かに…くったりと寄り掛かって来た和真に声を掛けた。
欲望を限界のところで押さえ付けながら。
おしまい
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