【鎖を持つ家】

5


 「…………」
 汗だくで目が覚めた。
 目を開けても真っ暗で、最初びびって起き上がろうとしたら頭を天井に嫌って程強くぶつけた。
 「ってぇ〜」
 パニック起こしかけて暴れようとした直前。自分の居場所を思い出した。
 「……あ…そうだった…」
 擁護の車に忍び込んてたんだっけ。
 車は止まっている。
 信号か?と思って暫く様子を伺っていたが、一向に走り出す気配もない。…あ、エンジン切れてるわ。
 ゴソゴソと時計を取り出し、バックライトのボタンを押す。
 走り出してから既に五時間が経過していた。
 「うっそ!!やべぇっっ」
 慌ててワイヤーを掴んで引っ張った。
 ボフンッ。
 そーっと一センチぐらいの隙間を開けて、そこから外を覗く。誰かに見付かったら大変だからな。慎重に…慎重に……
 「……って…………おいっっ!!」
 俺は勢い良くトランクを開けて身体を起こした。
 周りを見渡し、思わず呆然とする。
 想像していたのはゾロの実家の駐車場。
 ところが。
 目の前の景色は見渡す限りの緑。緑。緑。
 細い、車一台通るのもどうよってぐらいの細い道が見える。車はほんの僅かに切り開かれた側道に寄せて止められていた。
 それ以外は鬱蒼と生い茂る木しか見えない。
 擁護ッ!!お前どこに行く気なんだよっ!!!ゾロのところじゃねぇのかよっ!!!
 何だよっ!!!この山奥っていうのはっ!!!!
 あいつの家は海から五分の物件だっつーのっ!!!!
 擁護テメェッッ!!思わぬところでいきなり意表ついてんじゃねぇよっ!!!!!
 同じ姿勢が続いてたんで、よろけてしまいながらもトランクから飛び下りた。
 見渡すも、覚えのない景色が広がっている。
 「……………」
 ……どうすりゃ良いんだよ……っ。
 この一本道を引き返せば戻れるかも知れない。でも、引き返すっていってもどっちか分からないし。先に進むにも、どっちが先か分からない。
 街灯はないし。夜になったら真っ暗だ。
 途方に暮れて擁護の車のトランクを見詰める。
 擁護の車で待ってた方が良いかも知れない。
 なんだかエラい山奥って感じだし。
 …つーか、怖ぇし。
 日が暮れたら……。
 …………。
 あーっっ!!なにびびってんだよっっ。
 何しに来たよっっ。
 気を取り直して辺りを注意深く見渡す。こんな場所で、擁護が車ン中からいないなら、この側のどっかに行ったはずだ。却って分かれ道もないんだから、迷うってこともない…筈だ。
 注意深く辺りを見回す。
 探せ探せ。
 何か手掛かりでも見付かるかもしんない。
 ビビる気持ちを抑えながらキョロキョロしていると、
 『……サンジ』
 突然名前を呼ばれた。
 「うわっっ!!」
 子供の声だ。
 見付かったかと思ってビックリしたものの、咄嗟に声のした方を向いた。
 木の間から、小さな子供が顔を出してこっちを見ている。
 袴が水色の巫女さんみたいな変な格好した女の子だ。
 ガリガリで目が物凄くデカい。長い髪の毛は、後ろで束ねられていた。妙な違和感のある子供だった。
 「君は?」
 尋ねると、女の子は返事の代わりに声を出して笑ってみせた。
 あっ……と、思った。
 耳障りなノイズの向こうの笑い声とリンクする。
 『サンジ』
 瞬きもしないで、こっちにも寄ってこないで、木の隙間からこっちを覗いて女の子が喋る。
 『早かったな』
 間違いない…。
 「…おまえ…電話の……」
 子供がニヤ…っと口だけ引き上げて笑った。
 『後はただ真直ぐだ。迷うこともないだろう』
 「………ゾロは?いるのか?」
 『……いなくてどうする?』
 また、神経に触るような笑い声。
 どうってことない筈なのに、こんな山の中、一人より、子供でも会えてマシだっていうのに。いや、むしろ子供がいるくらいの場所なんだって思えてホッと出来る筈なのに。
 なのに辺りの気温とは全く関係無しに、寒気を感じた。
 「…君は…誰?…ゾロとは一体ーーー」
 『お前には関係無い』
 遮るように言い切られた。 
 『どうした?来るのか?帰るのか?』
 ザザ…っと、女の子の後ろの森が音を立てる。
 本能的に危険だと思った。
 危険だ。何だか分からないけど、危険だ。
 危ないような気がする。
 もの凄くヤバい気がする。
 何より、むやみやたらと怖い。
 (…でも…)
 ゴクリと唾を飲み込んで、口を開いた。
 「…い、行く」
 得体が知れないにしろ何にしろ、あの先にゾロがいるなら。
 『…面白くなりそうだな…』
 「君が案内してくれるの?」
 子供は表情を変えずに言った。
 『甘えるな』
 子供がくるりと踵を返す。
 「あっ、ちょっ、待った!!」
 慌てて走り寄ると、目の前に一本のしめ縄が張られた細い道が現れた。
 ……何で今まで気が付かなかったのかは……出来ればあんまり考えたくない。
 しめ縄の奥には、まるでケモノ道みたいな細い道が真直ぐに続いていた。
 薄暗い真直ぐな道は、明らかに何度も踏み固められた痕があり、つい最近も使われているような感じの道だった。
 百メートルぐらいは見通せるくらいの直線の道で、その先は暗くて良く見えなかった。
 走り去る、子供の姿は、なかった。
 あの格好で、そんなに早く走れはしない。
 「…何なんだよ…おい……」
 鳥肌が立ちそうになって、考えるのをやめた。
 壊れた携帯電話に電話を掛けて来たぐらいだ。元よりまともなヤツとは思えねぇ。きっと姿だって消せるんだろうよっっ。
 人であろうが、なかろうが…っっ。
 あの子はきっとゾロの居場所を知ってる筈だ。
 だったら……っ。
 カバンを肩にかける。
 睨み付けるようにしめ縄の先に続く道を睨み付ける。
 息を整え、
 「………よしっ」
 俺はしめ縄を潜り、真っ直ぐな道を歩き始めた。

 

 

*****

 

 目の前に続く、枝道の無い真直ぐな細い道。
 午後五時十五分。
 今ならまだ二時間は明るいっつーのに、森の中は既に薄暗い。
 「……ったく…こんなところで日ィ暮れたらシャレになんねぇぞ……」
 心配事をわざと口に出してみたりする。
 あー………こんなことなら懐中電灯も買っときゃ良かった。
 っつても、後悔先に立たず、だ。
 「月明かり…は……期待出来ねぇよなぁ……」
 このままだとダラダラといつまでも弱音を吐きそうなんで、黙らせる為にタバコを銜える。
 「……フー……ッ……」
 紫煙を吐き出すついでにそのまま上を見上げてみる。
 見上げたところで、被い被さるような木々は鬱蒼としていて僅かな空も見えない。
 心なしか気温も低いような気がする。
 スパスパとタバコを噴かすペースを上げた。
 ギリッっと正面を睨み付ける。
 黙々と歩く。
 なるべく横を見ないで歩く。
 …自分の中で頭を擡げようとしている不安感とか恐怖心とか、とにかくマイナスの感情を無視して、無視した。
 (……一体どれくらい歩いただろう……)
 右も左もどこまでも森が続いている。
 多分古い森なんだと思う。
 無秩序的な木の生え方をしてるし、朽ちて倒れている木も相当太い。人間の手が入ったとは思えないような原始的な森だ。
 「…つーか…すげぇな……」
 世界遺産とかじゃなくてもこんな森も存在するんだ。
 変なところで妙に感心してしまった。
 でも、だからっつっても『良い森か?』つったら話は別だ。
 なんつーか…薄気味悪い。
 冗談抜きでなんかヤバいモンとかいそうな勢いだ。
 陰になってて暗い場所とか、見えない木々の裏側だとか。
 意味無く怖い。
 不気味で怖い。
 俺的には『悪い森』だ。
 太い木々の間に細い木がヒョロヒョロと隙間を埋めている。根元は熊笹が一面を被っていて、地面自体はほとんど見えない。物凄い湿気で、木の幹はどれを見てもびっしりと苔がついている。
 原生林ぽいところが何ともスゲー嫌な感じだ。
 こんな森、どっかで見たような気がすんだよなぁ…。
 歩きながら考える。
 早くどこかに辿り着いてしまいたいから、とにかく早足で歩き続けて考える。
 (……あ…)
 暫くして『富士の樹海』に似ているんだと気が付いた。
 「…気が付かなきゃ良かったぜ……」
 更に歩く速度を速めた。
 そう言えば、前にウソップから借りた本に『樹海のなんたら』なんつーとんでもない本があったっけ。
 自殺の名所で、何体も自殺死体とか見付けるような悪趣味なヤツだ。
 みんなしてギャーギャー言いながら巻末の袋綴じの死体写真を見たのを思い出す。
 「…チッ…」
 背筋が冗談抜きで寒くなる。
 今更ながら本を見たのを後悔してみる。
 「後悔…先に立たず…ってか?」
 あーもうダッシュで走り出したい気分だぜ。
 どこまでも暗い嫌な感じに森は左右に続いていた。

 

 先刻の女の子。

 気にしないようにしても、どうしても思い出してしまう。
 だから、せめて頭のなるべく隅の方で考えてみる。
 ガリガリに痩せてて、着ていた巫女みたいな格好の着物の袖からは枝みたいな腕が覗いていた。顔色は血の気らしいものなんて全くなくて、白を通り越して青白かった。不釣り合いなぐらいギョロギョロとデカい目。
 何であんなに痩せ細ってたのか…。着ていた着物は見たことも無いような淡い水色の着物で、一目見て年代物だって分かる位古いものだったけど、だからって言ってみすぼらしいモンでもない。どっちかって言ったら高価な感じだったし。あんな格好をさせてもらっているならそれなりの家の子供なんじゃないかと思う(なんであそこにいたかって言うのはこの際置いといて)
 もっとこう…ふっくらとしていたら可愛いのに。
 ギスギスと音がしそうな程痩せた身体は、可哀相を越えてもう、薄気味悪かった。
 顔もそうだ。子供の可愛らしさなんて何一つ無かった。 普通アレぐらい小さい子供だったら成熟していない分、単純な感情は表に出易いのに、あの子には感情らしいものまで何一つなかった。
 ニィ…と笑った口元も形だけ。

 不気味なガキ。
 そう。不気味なガキだった。
 

 歩調がどんどん早くなる。
 そもそも俺は超常現象だの心霊現象なんて言うのは信じてない。
 だってあんなのはどれもこれも科学的な根拠で説明がつくものだ。
 テレビとかでやってるのは、純粋にバラエティと思って見ている。
 でも。
 確かに俺の携帯電話は壊れていた。
 あの時、力任せに床に叩き付けた携帯は、折畳む部分が壊れてブラブラだったし、中の電線みたいなのが一本ブッ千切れていた。何より電池が吹っ飛んでたし…。
 にも拘らず。
 あの時、電話は繋がった。
 壊した後の携帯電話に、確かに電話は掛かって来た。
 凄いノイズの向こうで笑っていたガキの声。

 『ゾロ様…ここにいるよ……もう、会えないよ……』

 今でも耳にこびりついている。
 あのガキの声。
 今思い出しても身体が震える。

 先刻だってそうだ。
 神経に障る甲高い声。直接聞いた声なのに、違和感を感じてならない異質な声。
 瞬きしない目。
 子供とは思えないような口調。
 意味深な言葉。
 決定的なのは、目の前で姿を消したことだ。
 俺は直ぐに追い掛けたのに。
 それでも後ろ姿すら見ることが出来なかった。
 あの格好で、早く走れるはずが無いのに。 
 なのにあの子は俺の前から、姿を消した。
 「………っ」
 俺は、超常現象なんて信じちゃいない。
 全ては科学的に説明出来るものばっかりだ。
 今、この瞬間だって、オカルトなんか信じちゃいない。
 でも…っ。
 ……でも。

 走り出す寸前の歩調になっているのは自分でも分かっていた。
 日暮れまでに時間があまり無いことも、この道がどこまで続いているのか分からないのも、この道の先にゾロがいるのかどうかも本当は何の確証もないのも皆不安材料の一つで。
 だから些細なことがバカみたいに怖く感じてならない。
 不安と恐怖は混同し易いものだ…なんて教授の話が今更リアルに納得出来る。
 (……あのガキ…一体何ものなんだ……?)
 なるべく頭の隅に追いやって。考えずにいられないんだったら、怖いと思わずにいられないんだったら、せめて思考のメインに置かずに……なんて考えてる自体もうヤバい状態で。
 ビビリまくりながら細い一本道を歩く。歩く。
 どこまでも続く道は固く踏み固められている。
 少なくとも人の使われている気配があることだけが救いだ。今はもう、それに縋るしか出来ない。
 戻ったところで今以上に手掛かりがある訳でもないし、第一、擁護の車がまだ止まっているとは限らない。
 行くか。戻るか。
 二つに一つだ。
 だったら俺はこのまま進む。
 だって俺にはこれしか手掛かりが無いんだ。
 こんな…何の信憑性の欠片も無いような手掛かりだけど
…それでもこの僅かな手掛かりを失ってしまえば。またふりだしに戻らされる。
 俺はゾロに会うんだ…っ…。
 あいつに会いたいんなら、今は俺が行くしかきっと方法は無い。
 俺はゾロに会いたい。
 会いたいんなら…俺がすべきことは、何だ?

 「………っ…」

 ギュっと口を固く結んで、ただひたすらに目の前の道を睨み付けながら歩き続ける。
 前に進むしか今の俺には出来ないなら。
 この細い道と、あのガキの言葉を信じて進むしか無い。
 「……くっそーっ……ゾロの野郎、絶っ対殴り飛ばしてやるかんなっ」
 会いたかった。
 もう、どうしようもなく会いたかった。
 一人は嫌だった。
 俺は、ゾロに。
 会いたかった。

 忘れ果てていた心霊特集のテレビ番組の再現VTRなんて思い出したり、心霊写真を思い出したり。そうなってくると記憶から振払っても振払っても忘れられない。
 記憶に対する思考が始まる。思考は感情を沸き上がらせる。
 怖い。
 何だか分からないけど、もう怖い。
 恐怖は本能に近い感情だから。
 振り払うのは容易じゃない。
 漠然とした恐怖心が頭に居座る。やがて恐怖が膨らみ、感情が悲鳴を上げ始める。
 怖い怖い怖い怖い。
 増幅して行く恐怖心で薄暗く見えなくなっていく左右の森が絶対に見れなくなってくる。後ろも怖い。前も怖い。
 (…ダメだ…どうしよう……ヤベェ…こわい…っ…)
 何度も足が止まりそうになる。でも止まったら動けなくなるような気がして、必死で足を動かし続ける。湿気を含んだ森の空気はひんやりと冷たくて、背筋はすごく冷たくて、今が真夏だってことを忘れそうになる。
 怖いけど…ダメだ。
 怖いけど止まっちゃいけない。
 怖いけど行かなくちゃいけない。
 怖いけど、会いたいなら、怖がったりとかしてたらダメだ。
 進め。進め。ダメだ。歩け。
 「…進め…っ…歩け…っ…」
 呪文みたいに呟いて、それから口をぎゅっと噤む。
 この道の先に何があるかは分からないけど…ゾロに会える可能性だけはある。

 (………取り返しがつかなくなる前に)

 ふと、そんな言葉が頭を過る。咄嗟に唇を噛み締めた。
 会えなくなるなる。
 でも大丈夫。今ならまだ間に合う。
 壊れた携帯電話で話した言葉を思い出し、そういうことだから、と、頭で無理矢理考える。
 自分でも、無理があると思いながらも必死で無視して。
 疲れた身体を叱りつけながら歩く。歩く。
 会いたい。会いたい。会いたい。
 「……クソ…ッ…」
 ………会いたい。
 どうしてこんなところにいるのか分からないけど。いるなら俺は会いに行かなくちゃならない。だって、会いたいんなら俺が行動を起こさなくちゃならないんだ。
 ゾロは俺に会いに来てくれないから。
 捨てられたんだから当たり前って言ったら当たり前だけど。
 ……いや、違う。もしも捨てるんなら、あいつじゃなくて俺が捨てる。
 こんなの、絶対理不尽だ。
 この俺があのアイツに、捨てられるなんて絶対、あり得ないんだ。
 (行かなくちゃ……早く……あの……)
 湿った道をあり得ない速さで歩き続ける。息はとっくに上がっていて。考えまでが乱れに乱れる。
 (行かなくちゃ…行かなくちゃ……早く……あの…)

 

 

 

 

 ……………アノ………家ニ………。

 

 

 

 (……………?)
 ふと、俺の思考は止まった。

 (………………家………?)

 「………え…俺、今…何…で……」
 思わず足が止まってしまった。
 どうして今……俺………家って……思ったんだ………?
 『ギャアッギャアッッギャアッ』
 「うわあっ!!!」
 絶妙の(?)タイミングでカラスの鳴き声。
 思わず心臓が口から飛び出しそうになり、俺は咄嗟に走り出した。
 なぜか同時に聞こえた、ジャラ…という鎖の音を強引に無視して。

 

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