【青い制服緑の髪】

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 …正直自分でもこの職業を選んだ理由が解らねェ。

 

 「いらっしゃいませ」
 下げた頭を上げて客に目を合わせると、順番の回って来た女がデカいカバンの中からA5サイズの封筒を取り出して俺の前に差し出した。

 「あの、これお願いします」
 「はい。かしこまりました」
 返事をしながら封筒を持ち上げ、計りに乗せる。
 操作ボタンの『冊子小包』のキーを押して、画面に表示される金額を見る。
 「中に手紙は入ってますか?」
 「えっと…メモ程度のものが一枚だけ…」
 「じゃ、一部開いて中身が見えるようにして下さい」
 言いながら女にハサミを渡す。
 「このくらいで良いですか?」
 「ああ、いいですよ」

 冊子小包っつーのは、中身が本とかCDとかカレンダーなんかだけだって時に使う送達方法だ。封筒の一部を開封して中身が容易に見える状態にしてあれば、手紙扱いで送るよりもかなり安くなる。
 手紙を同封するのが禁止されてるが、内容物に関してのの説明だの、伝票なんかは同封しても構わない。
 いわゆる『メモ』程度の文書ってヤツだ。
 手紙かそうじゃねーかって言うのは、長さじゃなくて内容で判断する。どんなに長くても、商品の取扱説明書とかレシピなんつーのは手紙にはならない。そのかわり、どんなに短くても『最近どうだ?』とか『また宜しく』なんて書いてあるのは手紙になる。
 『ちょこっと書いた紙が…』とか『挨拶程度のモンしか書いてないです』なんつって、はっきりしたこと言わねぇようなヤツは、大抵手紙にあたる内容のモンを同封してるだろう。
 まぁ、手紙かそうじゃねーかって説明自体、俺達の方で大々的にはしてねーから、きっちり理解しているヤツなんてそんなにいるとも思えないけどな。
 何年もこの仕事をやってると、質問の答えと中を確認する覗き穴の切り口の大きさで、中に入ってる紙が、メモかそうじゃねーかっつーのは直ぐに分かる。
 分かった時点で確認するのは俺達の仕事でもある。
 本来、郵便物っテェのは細かく決めごとがあるから、俺達は引き受け時にきっちりチェックして『お預かり』しなきゃならねェことになっている。
 だが、生憎俺は細かいことは一々気にしねェ性分だ。
 「はい。じゃ二百四十円で」
 渡したハサミで、封筒の中を覗き込むのも容易じゃねェようなちんまりとした切り口を開けて、観念したように郵便物を渡した女に、中を確認もしないで冊子小包の値段を伝えてやる。
 「…え?…あ、はい」
 女がホッとしたような表情を浮かべて、財布の中から金を取り出す。
 「五百円お預かりします。お返しは二百六十円です。ではお預かり致します」
 「宜しくお願いします」
 「はい。かしこまりました」
 「ありがとうございます、またお越し下さいませ」
 女を見送り、俺的にはかなり気に入っている『日本刀シリーズ第五十弾』の八十円の記念切手三枚を切手箱から取り出し、郵便物に張り付け、ローラー式の回転日附印で消印をする。
 「あ、いけね。忘れる所だった」
 印箱の中から『冊子小包』のスタンブを取り出し郵便物に押す。
 軽く滑り込ませるような感じに一時保管の箱に郵便物を入れる。
 「…よし」
 一人で頷いていると、隣で山のような別納郵便に客と一緒になって必死にスタンブを押してるウソップが俺に声を掛けて来た。
 「サンキュー。助かったぜゾロ」
 「ああ」
 いつもだと顔を上げて人懐っこい顔を見せるウソップだが、今日は朝からエラい客に嵌まり、俺の顔を見る余裕すら無いようだ。
 「…間に合いそうか?」
 どう見ても間に合うとは思えないような状態だが取りあえず聞いてみた。
 朝一番、いきなり段ボール箱一杯の葉書を持って飛び込みの別納郵便が入ったのだ。しかも相手は『マル暴』だ。
 いかにもヤクザみてェな客に『朝一番の回収に間に合わなきゃ責任取って貰うからな』とかふざけたことを言われたウソップは、真っ青になりながらも『でも通数だけは数えさせて頂きます』と言い切り、怯えながらも四千通ぐらいの葉書を極道の目付きで睨み付けて来ていた客の前で数え上げた。(コイツは肝は小さいが実は根性が坐ってる)
 客もウソップの態度に何か感じたのか、今は二人で意気投合して「料金別納」っつースタンブを郵便物にもの凄い早さで押しまくっている。
 一号便の収集車が到着するまでに後半分。時間は三十分も無い。
 「無理すんな」
 「いや大丈夫だっ。間に合わせてみせる」
 言い切るウソップの目は、本気だった。
 「おう、頼もしいな」
 ウソップの五倍は作業の遅いヤクザな客は、頼るような目でウソップを見る。
 ウソップは、客に力強く頷いてみせた。
 「任せて下さいっ」
 「…頑張れよ」
 「おうっ」
 ここまで郵便局の仕事に根性見せられるウソップには、たまに感心させられる。
 つくづく郵便局に向いているんだと、正直羨ましくなった。

 …なんて一人で感心していたら、ナミの怒りを押し殺したような声に、一気に現実に引き戻された。
 「ちょっとゾロっ、終わったら早く戻ってよっ」
 「んん?」
 見れば貯金の方はいつの間にか七人待ちになっている。
 普段、誰よりも早く窓口を捌いているナミが何やら業務で嵌まったらしい。
 持ち場の席に戻ると、周りの客に見えないように、チラッと死体検案書を見せて言った。
 「これから保険の支払いと貯金の説明に入るから」
 それだけ言うとナミは分厚い戸籍謄本の束を並べ替える作業に戻る。チラッと見ただけでも厄介そうだ。
 (ああ…一時間は嵌まるな…)
 顔を上げれば、手に手に小さな番号札を握った客が、順番はまだかと俺の顔をじっと見ている。
 (…ったく…)
 そこのテレビでも見てろって。
 客の視線がテレビの方に釘付けになる、午後はなんとかおもいっきり……なんとかって番組までには後一時間もある。それまでは客の熱い視線を浴び放題だ。
 総務主任のルフィは小包の集荷。頼みの綱の局長ロビンは支社で会議の真っ最中だ。
 局内にいるのは郵便で嵌まってるウソップと、保険の相続で嵌まってるナミと、俺。
 …つまり。
 「一人でなんとかしろってことか…」
 「ゾロッ、何してんのよ。早く窓回してっ」
 ナミが象形文字みてぇな戸籍謄本を解読しながら、俺にしか聞こえないような声で文句を言って来た。
 「今動けんのアンタしかいないんだからっ」 
 「……分かったよ…」
 俺は、自分の席に座ってボタンを押した。
 『百八番のお客さま、二番の窓口へお越し下さい』
 スピーカーのアナウンスが言い終わるよりも先に、短い距離を小走りで客が一人やって来た。
 最初の客が出して来た振替用紙をGTに掛けながら、次の番号を呼び、やって来た客の通常貯金の払い戻しを端末に打ち込み、通帳を挿入しながら次の客を呼ぶ。
 三番目の客に保険証書の住所変更を依頼されて、届け出の用紙を書かせながら、最初に呼んだ振替の客の釣り銭を用意して、
 「カク様お待たせしました。百七十一円のお返しです」
 つって、釣り銭を返す。
 「じゃ、頼むぞ」
 忙しくても客の言葉にも返事はちゃんと返さなきゃならない。
 「はい。ありがとうございました」
 言いながら、客が窓口から身体を出口に向けた瞬間に次の客を呼び、客が来るまでの間に端末処理の終わった通帳を掴んで、払戻金額を金庫から取り出しカルトンに通帳と一緒に放り込む。それと同時に窓口にやって来た次の客の為に新しいカルトンをカウンターの上にコトリと置く。
 「いらっしゃいませ」
 一人一人確実にゆっくり…なんて言ってられない。
 一人でも早く客を受け付ける為に、同時に三人四人受け付けんのは当たり前だ。
 のんびり一人ずつやってたら待合室から客が溢れ出ちまう。
 遅ぇのなんのって言われた日には、凹むどころかブチ切れそうで、精神的に無茶苦茶悪い。
 とにかく目の前に来る客の用件を受けて受けて受けまくる。
 それだけだ。
 忙しいぐらいでグダグタ言ってんのは修行が足りねぇ証拠だ。
 この駅前の局で仕事をやっていくんなら、もっともっと知識的にも精神的にも強くならなきゃならねぇ。
 客の波ぐらい乗りこなせないようじゃ、この世界では食って行けない。

 ……だが。
 今日の客の波は最悪だった。

 秒殺の勢いで窓を捌いているってぇのに、やってもやっても敵……いや…客は減らない。
 受けた数以上の客が局の中に入ってきやがる。
 (なんだよ?今日は公金日か?)
 見れば企業の税金の支払いがやけに多い。
 日附印を見てみたら十日。しかも月曜。
 (………公金日だよ……)
 どおりで朝から混むはずだ……。
 「…おいナミ…っ…」
 たまらずナミに小声で声を掛ける。
 「なによっ」
 「まだか?」
 「まだよっ」
 「早くしろよっ」
 ナミの眉間の縦ジワが一層深くなって、語尾がやたらと凶暴になる。
 「…だったら変わる?」
 …冗談じゃねぇ。
 俺は聞こえなかった振りをして番号札を押した。
 『おまたせしました。百二十五番のお客さま、二番の窓口まで起こしください』
 気が付くと、一気に客が増えている。
 「…ホントかよ…」
 先を争うように番号札を引かれると、待ち人数はあっという間に十五人を超えた。
 「……チッ……」
 恐るべし昼間の客。
 俺は作業の手を早めるしかなかった。

 仕事はバカかってぐらい膨大な種類に富んでいる。
 そりゃそうだ。小包だけで専門の商売が存在してんのにも関わらず、郵便局の小包業務っつったら郵便事業のたった一つにしか過ぎない。郵便一つ取っても扱う種類は数えきれねーのに、貯金・保険まで取り扱う。しかもこの人数でだ。人員は減らされて、仕事は増える。悪循環も極みだろう。基本的にはありえねェ。
 毎日毎日殺人的に忙しい。
 郵便局は大盛況だ。
 にも関わらず、この地味さだ。
 なんつーのか……華が無ぇ。
 何でこの仕事を選んだのか、未だに分からねぇ。
 俺に向いてるとは絶対に思えない。
 むしろ、現場で働いてた方がしっくり来るんじゃねーかと思う。
 本当に。
 魔が差したとしか思えねェ……。

 『おまたせしました。百三十五番のお客さま、二番の窓口まで起こしください』
 『おまたせしました。百三十六番のお客さま……』
 『おまたせしました百三十七番の……』
 『おまたせしました……』

 

 「…………キリが無ぇ……っ……」

 

 本当に。
 なんで俺は郵便局員になろうと思ったんだろう…。

 一体…俺は…どこで間違えたんだ……?

 

 

 
 

 正直何でも良かった。
 だから進路希望の紙は白紙で出した。
 そしたら担任に必要以上に心配された。
 何度も職員室に呼び出されて、社会と不景気の厳しさを延々と語られた。
 いい加減面倒くさくなって、公務員試験の願書に名前を書いた。
 どうせなら自衛隊か警察官になろうと思ったが、最終的に受かったのは郵便局しかなかった。
 他に就職口を探すのも面倒臭くて、俺はそのまま採用された。
 固定の局に決まるまで巡回要員として幾つかの局をぐるぐる回されてるうちに、駅前の局長に気に入られて引き抜かれた。
 『あなた、体力だけはありそうね』
 多分力仕事に使いたかったに違いない。
 郵政公社に勤め始めて半年で、巡回で回っていたどの局よりも忙しい『ゴーイングメリービル内郵便局』に配属なった。
 毎日毎日津波のような客の波に揉まれること数年。
 そのままグダグダと今日に至っている。
 まさか自分が営業系の仕事をすることになるとは夢にも思わなかった。…まぁ、元々環境に適応すんのは早い方なんで、文句を言わせりゃキリがねぇ所だが、なんだかんだ言いながらも郵便局の体質に頭も身体も馴染んでしまった。
 本当は、違う道を進みたかったんじゃねェかと思う。
 だが、今となっては良く分からない。
 仕事に追われて一日があっという間に過ぎていく。
 一旦仕事が始まれば、客を捌くのに必死で、頭なんか使ってられない。
 仕事を覚えれば覚える程バカになって行く気がしてならない。
 もう『何か』をじっくりと考える余裕も無い。
 今の仕事が自分に合っているかどうかすら悩む時間も無い。
 この仕事を続けてこられた最大の原因だ。
 同じことの繰り返しだけが続く。
 疲れ切って家に帰って寝るだけの毎日。
 土日になったからってすることも特にない。
 せいぜい筋トレをして汗流して酒飲んで、寝るぐらいだ。
 ここ数年、経費削減だか何だか知らねぇが、大々的に人員が削減された。『減員』つー名前のリストラだ。
 人数が減っても仕事は減らない。むしろ逆で、通帳の新規一つとってもゴテゴテと手続きを増やされる一方だ。いい加減シャレにならない。職員一人頭の仕事は増えるばっかりだ。
 忙しくなって行くだけの毎日に、うんざりしながらも疑問に思うヒマもない。
 ギリギリまで時間と客に追い詰められながら仕事をする毎日がいつまでも続く。精神が弱いヤツには続けられない職種になりつつある。
 九時五時までしか仕事はしない…なんてイメージだけの話で、実際は十二時間以上働いてる時も少なくない。
 最悪土日も駆り出される。
 上層部からありえねぇ程ハードルの高い要求を突きつけられて、まるで消耗品みたいにこき使われる。
 もう何人も耐えきれずに逃げ出して行った。
 弱いからってだけで切り捨てる場所なんだと理解するのに時間が掛かった。
 冷静に考えれば考える程、気が滅入る職業だった。
 ただ、忙しいだけの毎日。それだけの毎日。
 何も背負わず、何も考えないで目の前の仕事だけをこなす毎日。
 最後には頭がマヒして、身体がマヒした。
 気付いたら、すっかり『郵便局員』になっていた。
 郵便局の青い制服が身体にしっくりと馴染んでくる。
 嫌でも新しい仕事を覚えて行く。
 仕事をしてんのが当たり前になってくる。
 不満もねェ。だが、満足も無い。
 ただ現状を維持するだけの毎日だ。
 痛くもねェ。気持ちよくもねェ。
 忙しい退屈な毎日の繰り返しだけだ。
 何かを犠牲にして仕事をしてるんだっていうのはまだ頭のどこかが分かってる。だが、一体何を犠牲にしたのか思い出せなくなってしまった。
 そんなことの繰り返しをいているうちに。
 なんでもどうでも良くなった。
 大人になるって言うのはこういうことなんだな…と、昔一度だけ感じた。
 感じたが…感じただけで終わってしまった。
 今はもう、本当に何にも感じなくなった。
 ずっと、何にも変わらない毎日が続く。
 昨日も。今日も。

 多分、明日も。

 


 続く

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