【青い制服緑の髪】

10


 
 「…すげぇな…」
 「ん?面白いだろ?」
 「ああ」
  ピークの時間には随分早い午前六時。
 競り落とされたマグロがターレに乗せられて場内をもの凄い勢いで走り抜けて行く。
 「アレ、何だ?」
 目にするものが何でも目新しいらしい。
 「ん?ターレのことか?」
 「たーれ?」
 「荷物の運搬機」
 一人乗り用のおもちゃみたいな車だが、馬力は凄い。
 「早ぇなぁ…」
 狭い通路を爆走していくターレを珍しそうに眺めている。
 「事故らねぇのか?」
 「基本的にはな」
 「でもよ…アレ、跳ね飛ばす勢いだぜ」
 「飛ばすのが『粋』なんだってさ」
 「へー…」
 広い場内にところ狭しと仲卸業者のマグロの店が並んでいる一角に辿り着く。
 200ワットの裸電球が眩しく光る電灯の下でがっしりとした男達が競り落としたばかりのマグロを解体している。
 「…すげぇな……」
 ゾロが感心して眺めていたのが奥の方に店を構えた二人の男がマグロを五枚にオロしてるところ。
 刃渡りが一メートル以上もあるおろし包丁で器用に頭を切り落とし、筋肉の裂け目を切開きながらオロして行く。
 「刀みてェだな」
 子供みたいに目をキラキラさせながら、じーっと捌く包丁捌きを眺めている。
 「マグロって言うのは三枚にオロさねぇんだ?」
 「デカイからな」
 「ああ…確かに牛みてぇだな」
 「牛?」
 「っぽくねェか?」
 「…ああ言われてみればそうかもな」
 ゾロは捌かれるマグロより、包丁の方が気になるようで
 「うわっ…あんなに歯ァ立てて、零れないのか?」
 とか、
 「しっかし切れ味良いなぁ…」
 とか、仲卸業者の一挙一動に釘付けになっている。
 結局一本完全に捌ききれるまでゾロはその場から一歩も動かなかった。
 「うわっ…何だ?これ?」
 「マグロの脳味噌」
 「これは?」
 「尾の身。マグロのシッポ」
 「シッポ?そんなモンまで売ってんのか?」
 「ああ」
 「見たことねェぞ」
 「まぁ、スーパーには出してなさそうだもんな」
 「食えんのか?」
 「ああ」
 「旨いのか?」
 「ああ。旨いぜ」
 「どうやって食うんだ?」
 「何でも。煮ても旨いし、ホイル焼きにしても結構イケるぜ。何なら今日酒のつまみで作ってやろうか?」
 「え?」
 キラッ!っと目を輝かせて俺を見る。
 普段こいつの仕事場じゃ絶対見られないくらい嬉しそうな表情だ。
 「んじゃ買ってやるから。しっかり荷物持ちしろよ」
 「おうっ」
 「お、サンジ今日は遅かったなぁ」
 知り合いの仲卸業者の一人が声を掛けてくる。
 「よぉ、おはよう」
 「なんだ今日一人じゃないのか?」
 「ああ」
 ゾロを紹介する。
 「へーっよろしくっ」
 「…よろしく」
 威勢の良い業者に戸惑いながらも、きちんと頭を下げて挨拶する。
 「なぁなぁフランキー、今日は何か良いの入ってないの?」
 「おうおうっあるぜ〜。ほら見ろよ。とっておきのが入ったんだよなぁっ。特別に安く分けてやるぜ〜」
 「ホント?助かるよ。あ、ホント良いね」
 「あったりまえよぉ」
 談笑しながら赤身の大きなブロックを買う。
 そのままカルパッチョみたいにしても、タルタルステーキ風にしても旨そうだけど、これは唐揚げにでもしてみようかな。
 「…知り合いなのか?」
 隣で荷物を持ったゾロが聞いてきた。
 「まぁな。しょっちゅう通ってたら知り合いになったんだ」
 「友達作るの上手いな」
 ヘンなところで感心された。
 ゾロは楽しそうに買い物に付き合ってくれている。
 心の中でホッとした。
 楽しんでくれるのが凄く嬉しかった。
 何に興味を持っているのか気になった。
 色んなことを聞いてきてくれて、嬉しかった。
 説明出来るのが嬉しかった。
 「…面白いか?」
 「ああ。面白い」
 いつもは表情なんかほとんどないようなヤツなのに。
 隣で表情を輝かせながら見るもの全てに興味を持ってくれるのが、何よりも、嬉しかった。

 途中、ゾロは二回迷子になった。
 びっくりするぐらい方向音痴なヤツだってことを知った。
 「子供かよ」
 「うるせぇ」
 見つけ出して声を掛けると、ホッとしたような顔をして、小走りに近寄ってきた。
 可愛い一面もあるんだなって思った。
 だけど、迷子三回目の時には流石に怒った。
 「俺から離れんなっっ」
 怒りながら携帯電話の番号を交換した。
 「迷ったら電話しろっ」
 思いかけずにゾロの電話番号が分かった。
 ラッキーだった。
 
 買い出しはいつも楽しいから大好きだけど、今日はその五倍は楽しかったような気がする。
 「楽しいか?」
 「ああ」
 楽しそうな顔をしながら返事をされて、嬉しかった。
 俺はとても、楽しかった。

 

 

 

 

 クーラーボックスに満載した食材は、仕事場の冷蔵庫に丁寧に並べて仕舞った。
 「こっちのは良いのか?」
 ボックスの底に残った食材を指差しながらゾロが俺に声を掛けてきた。
 「もう入らねえのか?」
 「や、これは俺とゾロの分」
 パタンと扉を閉めて俺はゾロの方に身体を向けた。
 「んじゃ、行く?」
 「どこに?」
 案の定『何で?』って不思議な顔をしているゾロに笑って見せた。
 「上手い酒飲ませる場所」
 「だってお前店は?」
 身体が期待にフルッ…っと震える。
 「ん?今日は特別に休み」
 「……そうか」
 近いのか?って聞かれる。
 「車で十五分ぐらいかな」
 「こんな時間からもう酒か?」
 「嫌か?」
 ゾロは俺を見ながら表情を和らげた。
 「…いや、嫌じゃない」
 今直ぐ、セックスしてェ……とか、思った。
 

 …あれ……?
 って、思った。
 なんかさ…俺、おかしくない?
 ゾロを見る。
 ゾロがこっちを見ている。視線がぶつかって少しだけ絡み合う。
 「………」
 心臓がドキンって言った。
 え?……あれ?…なんで?
 ゾロを見た。
 んん?って顔をされる。
 「……っ」
 身体が熱くなって、心臓がもっとドキドキ言い始めた。
 「………っ」
 何だ何だ?
 「………」
 うわぁ…っ…なんか…すごい……心臓バクバクしてる。
 セックスしてぇ。や、それはもういつもだけど…いつもみたいなガツガツしたセックスじゃなくて、なんか…もっと…こう……なんつーの?…確かめ合うようなセックスってやつ?
 え?何確かめ合えば良いんだ?
 「おい…」
 ゾロが声を掛けてきた。
 「どうした?顔赤いぞ」
 言われたら、一気に頬が赤くなった。
 「…何もっと赤くしてんだよ?」
 不思議そうな声を出しながらゾロが近付いてくる。
 「ヘンなヤツだな」
 「まっ、待ったっっ!」
 慌てて片手で頬を隠し、片手で近付いてくるゾロを止める。
 「どうした?」
 「な、何でもねェ…っ…」
 ゾロが近付いて来るだけで、もう破裂しそうなくらい心臓がバクバク言った。
 顔が熱い。
 身体も熱い。
 セックスしたい。
 それよりも………
 「……っ」
 キスしたい。
 「…ゾ…ゾロ……」
 「なんだ?」
 「お……俺……」
 「どうしたよ?」
 「なんか……おかしいんだ……」
 「何が?」
 突然だった。
 本当に、自分でもどうしてなのか分からないくらい突然気が付いた。
 目の前のゾロを見る。
 明らかにおかしくなってる俺を見て、ゾロの表情が変わる。
 「サンジ」
 「…っ…」
 名前を呼ばれて腰が抜けそうになる。
 「…どうした?」
 ゾロの声も心無しか緊張しているように聞こえる。
 腹の底がザワッ…っと言った。
 体中の力が抜けたような感じになる。
 辛うじてギリギリ自力で立ってるような感じ。
 ドキドキする。凄いドキドキする。
 ヤベぇ…俺…ゾロが………
 「おい、大丈夫か?」
 クラ…ッ…っときた身体をゾロに支えられて……完全に身体の力が抜けた。
 ザワザワしてバクバクして、ドギドキする身体が辛くて、辛くて。目を閉じた。
 (キスして欲しい…)
 まるで女の子みたいな気分になった。
 「…サンジ…」
 ゾロが俺の名前を呼ぶ。
 (ああ……もう…ダメだ……)
 俺は、クワッ!!っと目を見開いた。
 至近距離のゾロを力一杯睨み付けた。
 途端にガーッ!!っと感情が揺さぶられる。
 (…やっぱりそうだ)
 「大丈夫ーー」
 言いかけたゾロの両頬を両手でがっしり掴み
 「なっ…」
 驚いて目を見開いたゾロに、俺は力一杯口付けた。
 セックスするようになってから、俺達はもう何回もキスしたけれど、今日のキスは今までとは全然違うキスだった。
 だってさ……俺……気付いたんだ……

 

 俺……こいつのこと、好きなんだ。
 絶対。

 

 へたくそなキスになってしまった。
 前に付き合ってた女の子にしたキスみたいに上手になんて全然出来なかった。
 頭ン中が真っ白になって、キスの仕方を完璧に忘れた。
 恥ずかしくなるぐらい必死のキスになっちまった。
 顔ごとぶつかるようなキスで、実際額が強烈にぶつかって、火花が出そうなくらい痛かった。
 舌も動かせなかったし、唇を重ねたものの、その後どうしたら良いのかも分からなくなった。
 狼狽えようにもこっちはパニック寸前で、感情付きでキスしてるんだって感じるだけで泣きそうなくらい興奮してしまった。
 どうにもならなくて、どうしたら良いのか分からなくて。
 ただ、好きって気持ちだけが暴走して。
 自分でも訳解んなかった。
 ぎゃぁぁぁっっっっって気分でキスしていたら、そのうち背中が暖かくなった。
 ゾロが俺を抱き締めてくれてたらしい。
 (どうしよう…っ…どうしよう……っっ……)
 好きで好きでどうしようもなくて。
 最後には泣きそうになった。
 ゾロは黙って静かに俺を抱き締めた格好のまま、俺が気の済むまで好きにさせてくれた。
 何か…キスって……こんなにドキドキするもんなんだって、生まれて初めて気が付いた。

 『あれー?今日お休みだってー』
 『えーっ、あ、ホントだー』
 『やーん残念っ。今日オムライス食べたかったのにー』
 『ねーっ』
 店の外の女の子達の声にびっくりして思わずゾロから身体を離した。
 『臨時休業なんて初めてだねー』
 『あ、そうかもね』
 あの声は…不動産屋さんの従業員のコニスちゃんとラキちゃんだな。
 「おい、良いのか?」
 間近でゾロが声を掛けてきた。
 「何が?」
 「店休みにしない方が良いんじゃねェか?」
 チラッと入り口を目で指し、また視線を俺に戻す。
 ゾロが、今の俺にはありえないくらいエロい表情で笑った。
 「それとも今日は俺と一緒でいた方が良いか?」
 はっきりと勃起していく身体の中心の熱さに身体を震わせながら俺は小さく笑って返した。
 「…今日は特別だしな…」
 先刻より少しだけ落ち着いて俺はゾロに口付けた。

 

 

 

 

 本当は直ぐにでもセックスを始めたかったけど、ギリギリのところで堪えて俺のマンションに移動した。
 ハンドルを握っている間中、勃起したチンコがズボンのチャックに擦れて痛くて困った。
 振動も快感に直結しそうでヤバかった。
 ゾロは大人しく助手席に座って進行方向を眺めていた。
 本当は料理と酒がメインだったのに、すっかり気分は俺がメインの食材で。
 「腹、減ってねーか?」
 「ん…まぁ、空いてるな」
 「…先にメシにするか?」
 「お前は?」
 「……え…」
 信号が赤になって車を止めると、真っ直ぐ前を眺めていたゾロが俺の方に顔を向けた。
 「お前はそれで良いのか?」
 「………」
 直ぐに返事を返せずにいると、ゾロがとんでもないことをさらりと言った。
 「俺は、とにかくお前を喰いてぇんだけど?」
 「……ぐっ…」
 思わず喉の奥で変な音がした。
 「サンジ、お前は?」
 信号が変わって車を発車させる。
 次の信号を右。それから交番のところの細い路地を左。
 あと少しで俺の家に着く。
 とにかく部屋に辿り着くまでは…って保とうとしている理性がじりじりしている。
 も…ホント…切れそうだ。
 「なぁ、どうなんだよ」
 隣に座っている郵便局員は、ドスの聞いたエロい声で俺に返事をさせようと脅す。
 「なぁ」
 「……してぇよ…」
 たまらなくなって返事を返す。
 「ん?聞こえねェな」
 「…っ…」
 「聞こえるように言ってみな」
 有無を言わさないような口調で。
 「…してぇよ」
 少しだけ声を大きくした。
 「何がしてェんだよ?」
 「………」
 俺は大きく息を吸った。
 「…俺は」
 「お前は?」
 トロン…と、チンコが蕩ける感覚に逃げ込みながら、俺ははっきりと言った。
 「お前とセックスしたい」
 「…おれもお前とセックスしてェ」
 「……ああ…っ…」
 どうしよう…まだ何もされてないのにイキそうだ。

 一番最初に案内したのは俺の寝室になった。
 どっちにも余裕が無くて。俺はゾロの為に買ってきたマグロを冷蔵庫に入れるのが精一杯で。
 俺のベッドで、俺達はいつもと全然違うセックスをした。
 服を脱がされるだけで感じて、背中を舐められただけでイッてしまった。
 恥ずかしくてダダを捏ねたら、大きく股を開かされ、時間を掛けてフェラチオされた。
 チロチロとゾロの舌が責め上げてきては絶妙のタイミングで制御されて、長い時間ゾロの下でのたうち回った。
 我慢していた声も気が付いたら途切れなく漏れてた。
 ケツの穴まで濡れるぐらい自分の精液を垂れ流し、ゾロの我慢汁を擦り付けられた。セックスする前から精液どうしが混ざり合ってんだ…って思ったら、泣きそうなくらい興奮した。
 いつもは三十分で済ませるセックスだから、時間を掛けた愛撫は気が狂いそうなくらい気持ち良くさせられた。
 「…ぞ…ろぉ……っ…」
 どうしたら良いか分からないくらい気持ちが良くて、感情のままにゾロの名前を呼んだら『…うっ…』ゾロも堪えていたのに気が付かされた。
 「…もう……欲し…っ……」
 懇願しながらゾロのチンコを握って俺のケツの方へとゆるゆる引っ張った。いつもよりデカくて固くて熱いのが嬉しくてケツの穴が溶けそうだ。
 時間を掛けてセックスするのは、ホント…もう…最高。

 

 

 

 「いらっしゃいませ」
 ゴーイングメリービル内郵便局は、自動ドアが開いた瞬間、全員のやまびこみたいな挨拶が聞こえてくる。
 女性は華やかで、男は機敏だ。
 最近、俺は時間に少しだけ余裕もって郵便局に行くことにしている。
 俺が忙しいのを良く知っている局の皆は、俺の『いつもの用件』だったら、通帳と現金を預かって俺のことを帰してくれる。
 でも、最近は直ぐに帰るんじゃなくて、三回に一回ぐらいは五分ぐらい待つようになって、そのうち三回に一回は順番が呼ばれるまで待つようになった。
 番号札を引いて、カウンター向かいの長椅子に腰をかける。
 チラリと俺を見るのはゾロの癖。
 何事も無かったように視線を外し、客を捌く。
 機械的な仕事の仕方。事務的な会話。表情の無い表情。
 でも。あの日のセックス以来。
 少しだけ変わったような気がする。
 「ご入金ですか?」
 「はいおねがいします」
 「ではこちらの用紙にお名前と金額をご記入下さい」
 「あたしは目が遠くてねェ……」
 「では、ご一緒に書きましょう。こちらにお名前を…」
 高齢の女性が小さな背中を丸めながら、ゾロと額をくっつけ合うようにしながらカウンターで入金票を書いている。
 ゆっくりとしか書けないけれど、ゾロはせかさずじっと待っている。
 「はい。それではあとこちらに金額を…」
 掛ける口調も心無しか優しくなった気がしてならない。
 「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
 挨拶が少しだけ感情がこもっているような気がする。
 全部、全部、俺の欲目なのかもしれないんだけどね。
 客と客の合間にできる僅かな時間にゾロはチラリと俺に視線を合わせてくる。
 本当に僅かな時間。
 俺は、その僅かな時間を逃したく無くて、ずっとゾロを見詰めている。
 俺のせいでゾロが変わるなんて多分無い。
 でも、勝手に思うぐらいは良いよな…。
 最近、ゾロの表情が増えた気がするんだ。
 気だけ、かもしれないけどね。
 なんでゾロに惚れたんだろう……。
 答えは分からないけど、今は、それでも良いんじゃないかな。

 続く

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