【青い制服緑の髪】

18

 

 「…なぁなぁサンちゃん」
 「ん?」
 「何かいい感じだねー」
 「…うん。確かに」
 一段落してカウンターに戻り、一巡目のグラスを洗いながらエースに返事をした。
 「あの二人、今日が結婚記念日何だってさ。で、結婚した年にイタリアで買い付けて来たワイン今日初めて開けるんだってさ。ウチの店の料理が美味いから、ここで開けたいって、予約してくれたんだよねー」
 嬉しくない?と、エースを見たら、
 『ぶっ』
 っと、吹き出された。
 「何だよ?」
 くくくっ……っと、声を押し殺して大ウケけしているエースに声を掛けると、
 「違う違う」
 と、返された。
 「んな『いい感じだねー』って……」
 「だから違うって」
 エースはソバカスだらけの顔をニニッ!っと全開の笑顔にさせて俺を見る。
 「俺が言ったのはあの二人じゃなくて、サンちゃん達のことだって」
 「……へ?」
 意味分かんなくて眉をしかめたら、エースは注文されたカクテルの仕上げに、アロマチックビターズをドロップしながら小声で言った。
 「サンちゃん、いい感じだなー…。うーん…あの郵便局員と、ぶっちゃけどこまで行ってるのかなぁ…ってね」
 「ぐっ…!!」
 あははっ…と、楽しそうにエースが笑った。「あれ?どうしたんですか?店長、何だか随分可愛いですよ」からかうように言って、また吹き出す。
 「エース…ッッ…!!」
 器用そうな長い指でグラスを摘んで「ほい」と、俺とは反対側のカウンターに座った女の子達に差し出して、そのまま人差し指で「シーッ……」と、ふざけたように黙らせる。
 「大きい声出すと、皆に聞かれちゃうかもよ」
 「〜〜〜〜〜っっ……」
 エースはいつにも増してご機嫌そうに仕事をしていた。
 クソーッッ……。

 

 いつも通りに店を切り上げ、まだからかい足りなさそうなエースを振り切りいつもとは違うバスに飛び乗る。
 終点まで乗った所で携帯でゾロに電話をする。
 『遅くなって悪い…今、成増の駅に着いた』
 『…おう…じゃ…迎えに行こうか?』
 『…やっ…大丈夫』
 『道、分かるのか?』
 『多分』
 一回で分かるのか?凄いな、と、感心したように言った後、少し沈黙があって、
 『じゃ、待ってる』
 染込むような口調が携帯を通して耳に届いた。
 『ん…』
 電話が切れても何となく直ぐに動きたくないような気分で、じっと立っていたら、急に心臓がドキドキ言い出した。
 もう嫌って程知ってるけれど、やっぱり俺はゾロが好きだ。
 好きで。好きで。
 好きで…好きだ。
 でも、ダメだ。この気持ちは伝えちゃいけない。
 分かってるだろ?この…俺の中にあるこの感情は、普通じゃない。
 男が男に好きだなんて…言われた方はたまったもんじゃないだろう。
 結局俺は自分の気持ちも言わなかったし、ゾロの気持ちも聞けてない。
 何とか秘密は守られた。
 だけど…。
 これからゾロの部屋に行ってまた同じことを聞かれたらどうしよう…。
 「……まずいな…」
 勢い余って、言いそうだ。
 マズいよ。きっと。
 「…マズいよな…」
 甘い言葉とか掛けられちゃったら、まんまと口を滑らせそうだ。
 どうしよう…。
 気持ち悪がられて、セックス出来なくなったら最悪だ。
 「……それだけって訳じゃないけどさ…」
 セックスが目的なんじゃねーもん。
 スゲー…気持ち良いけどさ。
 ……良いんだけどさ……
 ゾロとのセックス…
 良いんだよな………。
 「…や…っ」
 ブルブルと頭を横に振る。
 一先ずセックスは別の場所に置いといて…。
 俺はゾロが好きだ。
 セックス…も…凄くしたいけど……それだけじゃない。
 店に来てランチも食って欲しいし、俺がゾロの働いている郵便局に行ってゾロに用件を受けて貰いたい。
 顔が見たいし、話もしたい。
 今まで通りこれからも…ずっと…側にいたいし、いて欲しい。

 うわ……何か、ホント……ドキドキするよ……

 誰か一人をこんなに想ったのって…きっと初めてだ。
 好きだ。
 好きだ…。
 ああ…もう…両想いじゃなくても構わない。
 このまま先もずっと一緒にいられればそれで十分だ。
 飽きられるまではセックスもして欲しい。
 たまにはまた築地の買い出しにも付き合って欲しい。
 笑って欲しい。
 俺の部屋にも来て欲しい。
 触って欲しい。
 同じ時間を過ごして欲しい。
 ずっと話に付き合って欲しい。
 キスもして欲しい。
 気の済むまで抱き締めて欲しい
 欲を言ったらキリがない。
 だから。

 せめて、側に居て欲しい。
 もしくは側にいさせて欲しい。
 

 

 俺自身、自分の気持ちに気付いてしまった。
 きっと、ゾロに会う度にあいつが好きだと思い知らされるんだ。
 いつか我慢が出来なくなって、『好きなんだ』って、 言いそうになるかもしれない。
 もしかしたら、言ってしまうかもしれない。
 たとえ黙っていられたとしても。
 黙っているのは本当に苦しいかもしれない。
 「…でも」
 それで良いんだ。
 多くのことは望んじゃダメだ。
 俺が好きなら、それで良い。
 想ってもらえなければ、自分がもっと相手を想えば良いのかも。
 「ん……そうだよな…」
 小さく口に出してみた。
 「……っ…」
 言ったらなぜか鼻の奥が痛くなった。
 その後、鼻水が出そうになったから鼻を啜った。
 何だよ。まるで泣いてるみてーじゃん…と、思って、目を擦ったら、指の先が少し、濡れた。

 

 (…今日は……セックス出来たら良いな……)

 思ったら、また、涙が、出た。
 慌ててウソの欠伸をして目を擦る。
 「ヤベーっ…急がなきゃ」
 言い訳みたいに言いながら、俺はゾロの部屋のあるアパートに向かって走り出した。

 

 ゾロは玄関先で待っていた。
 お互い何も言わなかった。
 引きずり込まれるように部屋の中に連れ込まれ、壊れるぐらい抱き締められた。
 もうそれだけで『好きだ』と言いそうになってしまった。
 怖くて何も言えなくなった。
 黙ってキスをして、抱き合って、セックスをした。
 ずっと掛ける言葉を探したけれど、何にも…本当に何にも見付けられなかった。
 困り果てて、俺はゾロのチンコを舐めた。
 ゾロのチンコを銜えたら喋る必要も無くなった。
 何かホッとしてまた泣き出しそうになった。
 だけど理由を聞かれたらまた困るから、必死で我慢して舌を使った。
 ゾロは優しかった。
 セックスは激しかった。
 ゾロも何か言いたげで、ずっと言葉を探しているように見えた。
 自分も同じだったから、掛ける言葉を見付けられなくて困っているのに気付かないフリをした。
 お互いがお互いの気配を探るようなセックスだった。
 「…う…ぁ……」
 いつも通りに激しくて、いつも通りに気持ち良かった。
 奉仕すると優しく頭を撫でられた。
 目が合うと、お互いに逃げるように目を閉じてキスを繰り返した。
  

 好きで好きで。
 好きで好きで。

 何度も言いそうになりかけて、両手で力一杯自分の口を塞いでいた。
 「…どうした?」
 セックスの終りの方でゾロに聞かれた。
 今夜、ゾロの部屋で聞いた最初の言葉だった。
 俺はただ…ただ…首を横に振って、腰を振り続けた。

 

 

 

 

 

 「…悪かったな……」
 セックスが終り、とろとろと意識が眠り始めた頃、隣りで横になっていたゾロが呟いた。
 「…ん…?」
 「……悪かった」
 「……何が?」
 暗闇の中、ゾロはじっと気配を殺しているみたいにじっとしている。
 暫く待ってたけど、何も喋らないからそのまま眠りについた。

 『…………』

 あんまり小さな呟きだったから、俺の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 朝。
 ゾロより早く起き出してコンビニに買い出しに出で、ありあわせの朝食を作って食べさせた。
 起き出してきたゾロは妙に神妙な顔をしたまま、出された朝食を大人しく食べていた。
 「………」
 「………」
 お互い会話が見付からない。
 どうもゾロは昨日店に押し掛けて来たことを気にしているらしい。
 食事の最中に何度も何ともこっちの顔色を伺うような目線を投げかけて来た。
 最初は無視していたものの、流石にしつこくて最後はキレた。
 「ゾロ」
 「……」
 「…お前なぁ……いい加減にしろよ」
 「……何をだよ…」
 「気にしてんだろ?昨日のこと」
 器用にもグッとみそ汁の具を喉に詰まらせている。
 「…べ……別に」
 図星だな。「ゾロ」俺は言葉を続けた。
 「誰だっていきなりあんなこと聞かれたら焦るだろ?」
 「………」
 「まぁ、反省してるみたいだから良いけどよ…朝からそんな卑屈な顔されても気まずいだだろ?」
 「………」
 「ったく…子供か」
 「何でだよ」
 「都合が悪くなると直ぐ黙り込むところがだよ」
 「悪くねーよ」
 「だったら」
 ビシッっとゾロの鼻の頭を指差して、
 「笑えっ」
 ゾロの目がキョトンと丸くなり、それからそのままの表情で暫く考え込み、憮然とした表情で返してきやがった。
 「無理だっ」
 「何でだよっ」
 「そんなに俺は器用じゃねェッ」
 「…ぶっ……あははは……っ……」
 「わっ笑うなっ」
 無視して暫く笑ってやってから、俺は言った。

  
 『お前は俺をどう思っているんだ?』

 「え…?」
 「昨日の言葉、そのままそっくり返してやる。なぁ、ゾロは俺のこと、どう思ってんだよ?」
 「…………俺は…」
 黙り込んだゾロの頭をペチリと叩く。
 「…な?突然聞かれたって返事のしようがないだろう?」

 両想いじゃなくても良い。
 俺が好きで居ればそれで良い。
 呪文のように頭の中で繰り返す。
 両想いじゃなくても良い。
 俺が好きで居ればそれで良い。

 覚悟?
 まさか。
 出来る訳ない。
 でも、多分いつかはっきりさせなきゃならない時が来る。
 事実は、多分早く知った方が良い。

 

 『俺のことをどう思っている?』

 なぁ……ゾロ……
 知りたいと思っているのはお前だけじゃないんだぜ?

 ゾロの視線がぐらりと揺らいだ。
 「………俺は…」
 辛そうな声に我慢が出来なくなったのは俺の方で。
 「良いよ良いよ。直ぐに返事くれなくたって。俺だって、心の準備がいるんだぜ?」
 軽い口調で逃れてしまった。
 「ま…それでもいつかは確認した方が良いのかもな?」
  長い間が経った後。
 ゾロが重い口を開いて言った。
 「…そうだな……」
 「いつでも良いよ。どこでも良い。いつかお前の気持ちを教えてくれよ。待ってるからさ」

 「……約束する」
 ゾロの声は神妙だった。

 

 

 

 

 約束から一ト月。

 今だお互いがお互いの気持ちを伝えられずにいる。
 相変わらずの毎日が続く。
 『カランコロン…』
 ランチタイムが終った後に、店は開いていないって言うのにも関わらずドアベルの音が鳴って扉が開く。
 顔を上げれば青い制服。更に視線を上げると見えるのは緑の髪。
 「…まいど」
 カウンターで一服しながら、毎日愛しい男の登場を待っている。
 「いつもので良いか?」
 「ああ。頼む」
 一番の奥のテーブル。カウンターとは向かいの席。
 コトリと置いたコップの水をまずは一気に飲み干してしまう。
 山盛りのランチプレートを最後まで旨そうに食べた後、
『ごっそうさん』と、丁寧に頭を下げる。
 食事をしている間はずっと、俺はゾロから目を離さない。
 時折ゾロは何か言葉を探している。
 俺に言おうとして、それから止めて、また言葉を探している。 
 頭の中で繰り返しては、気に入らないのか口にはしない。
 おそらく『約束』を果たすために。
 俺に伝える言葉を今日も探しているに違いない。

 分かってる。
 俺の気持ちが伝わるなんて、初めから期待なんてしていない。
 俺は男だし、お前も男だ。
 この恋愛が成立するなんて、都合の良いことは考えちゃいないから安心してくれ。
 俺が全然関係無い話をし始めると、ホッとした顔でお前は話に乗ってくるよな。
 楽しそうに笑うし、時には随分たくさん話す。
 なのに、ゾロ。
 お前は今日も言えないんだな。
 とっくに答えは出でいるんだろう?
 良いんだぜ?流石に俺も覚悟したよ。
 もうそろそろ楽にさせてくれよ。
 セックスする度期待しそうになるんだよ。
 …もしかして、お前は俺が好きなのか?…って。
 頼むよ。もうそろそろ限界なんだ。
 大丈夫。もう、覚悟は出来ているから。
 両想いじゃなくても、構わない。
 俺は、片思いでも満足出来ると思うから。

 じっと、ゾロが俺を見ていた。
 「……何だよ」
 「………」
 苦しそうなゾロの表情。
 「……いや…何でもない……」

 

 

 好きって感情って…難しいな。
 色んな感情がとにかくたくさん入っている。
 小さい頃の好きとか嫌いって、あんなに簡単に出来てたのにな。
 もう…ホント……自分じゃどうにも出来ない…。
 ゾロの気持ち?聞きたいよ。でも、聞きたくないよ。
 同じ場所を堂々巡りし続けているみたいだ。
 や、つか、堂々巡り、してるよね?

 お互いの気持ちは今日もまだ伝えられない。
 

 そして。
 平成十九年十月一日。
 日本郵政公社が民営化した。

 その前の日の夜。
 俺はゾロから一通のメールを貰った。

 『待たせるかもしれないが、明日郵便局で
          渡したいものがある。 ゾロ』

 続く

 top 19