【青い制服緑の髪】

2

 「遅せーよ。ランチタイムは二時で終わるって何度言わせりゃ分かんだよ」
 小さな洋食屋の扉を開くと、客席の一つに坐ってゆっくりとタバコを吹かしていたコックが眉間に皺を寄せながらゆっくりとした口調で俺に声を掛けて来た。
 

 「…じゃ、昼に入ります」
 殺人的な人数の客を何とか捌き切って、ようやく昼飯の交代が出来た。休憩室のロッカーの中から財布を取り出し、俺は局舎の外に出た。
 これから行きつけの店で昼飯だ。
 後……ちょっとしたストレス発散とな。

 

 ウチの局の直ぐ側には、小さな洋食屋がある。
 局の向い雑居ビルの一階で、名前は『バラティエ』って言う。
 中に入ると、カウンターを含めても十人程度しか入らねェような小さな店だ。
 なんでも船上レストラン『パラティエ』の副料理長の為にオーナー自らプロデュースした店だって話だ。
 世界で一番うまい料理を出す店『バラティエ』の副料理長…ソイツは今年二十二才。俺と同い年の男だ。

 「遅せーよ。ランチタイムは二時で終わるって何度言わせりゃ分かんだよ」
 小さな洋食屋の扉を開くと、客席の一つに坐ってゆっくりとタバコを吹かしていたコックが眉間に皺を寄せながらゆっくりとした口調で俺に声を掛けて来た。
 「悪りィ」
 「ホントだよ。こっちはテメェのせいでゆっくり休んでもいられねぇ…ほら、座んな」
 「おう」
 店の一番奥のテーブルに向かい、椅子を引いて腰を下ろす。最近はいつでもここだ。
 コックはスマートな動きで俺の前に水滴で曇ったコップをコトリと置いた。
 大量に水を飲む俺のために、普段は置かない水差しも一緒に置く。
 「いつもので良いか?」
 「ああ」
 「ん。じゃ待ってな」
 コックは銜えタバコのまま厨房に入って行く。
 シャツを捲り上げ水道で丁寧に手を洗うと、
 『…ボッ!!』
 コンロに火を入れ、冷蔵庫から幾つかのバットを取り出すと、手際良く料理を作り始めた。
 野菜を炒める音がリズム良く聞こえ出し、店中に良い匂いが立ち上る。
 この洋食屋は小さな店だが味が良くて値段が安いって言うんで評判らしい。
 『ほら見ろよ、雑誌にも紹介されてんだぜ』
 って、この店のアホコックがぬかしているが、俺がメシを食いに来る頃はいつでも店内はガラガラだ。
 『あたりまえだろっ。ウチはランチタイムが終わったら、六時まで店閉めてんだよっ。テメーが毎日時間ムシして入って来てんだよっっ』
 文句は言うが、ランチはきっちり食わせて貰える。
 多分言いたいだけなんだろう。
 俺もあんまり気にしていない。
 『俺は食いたいヤツには食わせる主義なんでね』
 ヤツのモットーには、ほとんど毎日助けられている。

 俺と同い年だっつーバラティエの名物コックは、俺がメシ食ってる間は俺の顔が眺められる場所に陣取って、穏やかな顔して俺のことを眺めている。
 自分の料理を食ってるヤツの顔を見るのが好きなんだそうだ。
 最初は落ち着かなくて困ったが、最近は見られてねェと何となく落ち着かない気分になっている。慣れって言うのは恐ろしいモンだ。
 『お前、ホントに旨そうに食うな』
 ただ普通に食ってるだけなのに、心底感心したような口調で声を掛けられる。
 『お前のメシが旨いからじゃねーのか?』
 いつも言おうと思ってるんだが、コックの名前同様、まだ一度も言ったことが無い。
 女好きでナンパ好きで料理好きで、タバコ好き。
 細身で小柄。俺と一センチしか違わねーって話だが、もっと身長差があるように見えんのは、多分体積の違いなんだろう。
 細身の黒いスーツが、一層華奢に見せてはいるが、脱げは意外に筋肉質の身体をしていて驚かされる。
 整った、気の強さがはっきりと表れている美人ヅラは、一度見たら忘れられないような感じで、気の毒なまゆげがトレードマークだ。
 女には優しく男には厳しい。
 表情がコロコロと良く変わるヤツで、感情には素直な男だ。
 薄い唇は、触ると思った以上に柔らかい。

 名前はサンジ。
 『お前…俺の名前ちゃんと知ってるか?』
 アイツはカウンターに寄り掛かって、俺がメシ食ってるところを眺めながらたまに聞いてくることがある。
 『なぁ、知ってんのか?』
 (ああ。知ってる)
 だが、まだ一度も名前を呼んだことは無い。
 理由?
 特に無い。

 「ほれ」
 コックがランチを出して来た。
 今日のランチは肉と野菜炒めとメシが山盛りに盛り付けられたセットだった。
 旨そうな匂いを嗅いだら、腹がグーグーなった。
 付け合わせのスープとサラダをテーブルの上に並べながら、
 「良く噛んで食えよ」
 と、お袋からも言われたことが無いような言葉をかけて来た。
 「いただきます」
 「おう」
 コックは俺の挨拶に嬉しそうに笑って答える。
 フォークを掴んで、メシと肉を軽くかき混ぜ、肉のタレが混ざって茶色くなった部分のメシと大きく切ってある肉を一切れ掬って口に頬張った。口一杯に肉の味が広がる。腹の底から力の出るような味だ。
 ゴキュっと飲み込むと、メシと肉が食堂を通って胃に溜まるのが分かって面白かった。
 立て続けにメシと肉を口に運ぶ。肉は柔らかくて前歯でも簡単に噛み切れる。噛み切ると、肉汁が溢れて口から零れそうになった。手の甲で唇をグイッと拭って、また一口メシを頬張る。
 コップの水を一気飲みすると、腹が水で冷たくなって気持ちが良かった。
 「うめぇか?」
 カウンターに寄り掛かって一服しながらコックが俺に声を掛けた。
 「ああ」
 俺は返事をしながらテーブルの上に置いてある水滴のびっしりと付いた水差しからコップにたっぷりと水を注ぎ入れ、また一気に飲み干した。
 「ぷは…っ」
 疲れが一気に消えて行くような味がした。
 俺はあんまり味にうるさい方じゃない。だが、コイツの料理は旨いと思う。吉野屋とか松屋のメシも十分旨いが、コイツのメシは特別旨いような気がする。
 細かいことは全然分からないが、毎日食っても良いって思える料理の中では一番好きな味だ。
 料理らしい料理を作ったって言ったら小学生の調理実習の時まで遡らなきゃならねー俺にとっては、これだけ色んなモンを作れて、しかもどれも旨いって言うのは、信じられねェ能力だ。
 女だったら速攻結婚したかもしれない。
 
 いつも通りに一気にメシを平らげた。
 食後のコーヒーも速攻で飲み干す。
 昼休みは残り三十分。
 十分な時間だ。

 「ごっそうさん」
 いつものように両手をパンッ!と鳴らしながら合わせて頭を下げる。
 「ん」
 コックが米一粒も残っていない空のプレートを満足そうに眺めながら、下げようと伸ばして来た手を右手で掴んだ。
 「ん?」
 俺の欲しいものが何か直ぐに分かったコックは、一瞬ビックリしたように身体に力を入れたものの、直ぐに力を抜いて俺の顔を覗き込んで来た。
 「…なんだ。まだ食い足りねぇのか?」
 「ああ」
 「…しょうがねーなぁ…」
 呟くように言うコックの頬が僅かに赤くなる。
 俺は至近距離のコックの顔に自分の顔を近付け唇を重ねた。
 薄くて俺より冷たい舌が、俺の舌の動きにゆっくりと合わせてくる。
 短いキスの後に目を開いたら、間近にみえるコックの頬は、先刻よりも赤くなっていた。
 黙って上着を脱いでネクタイを緩める。
 コックもネクタイを緩め、シャツのボタンを外し、細い首と、薄いがそれなりにしっかりとした筋肉を付けた胸を露にさせた。
 ベルトを外してズボンを下着ごと脱ぎ去る。
 コックが受け取り、隣の椅子の背もたれに皺にならないように掛けた後、自分のズボンと下着も脱ぎ去った。
 お互い手慣れたもので、裸になるのに時間はかけない。
 躊躇うことも自分のチンコに手を伸ばし、刺激しながら勃起させた。
 不思議なモンで、普段は完勃するのに時間の掛かる俺のチンコは、昼メシ後のコックとのセックスの時だけ即勃する。
 「若けぇなぁ」
 言いながら、俺のチンコに釘付けになっているコック自身も触れてもないのに勃起しようと頭をもたげる。
 コックのチンコはおれよりは随分小振りだが、それでも形がとにかく良い。傘の張り具合や角度なんかは隠しておくのが勿体ないと思うぐらいだ。
 「いつものでいいか?」
 俺が聞くと、
 「ああ…」
 素直に頷く。
 テーブルの上の調味料。
 上質のバージンオイル。
 俺は無言で自分の掌にたっぷりと垂らし、コックを引き寄せるとケツの穴に塗り込んでやる。
 「ん…」
 「冷てぇか?」
 「…少し…でも大丈夫…」
 オイルはコックのケツと俺の手の温度で、直ぐに暖かくなって行った。
 中指の根本まで使って丁寧に穴の奥までオイルを塗り付ける。
 「随分柔らかいじゃねーか」
 「んん…んっ…ウルセェ……っ…」
 グプッ…と飲み込むような感触が指に気持ちが良い。
 指を動かす度にコックの肛門が俺の中指を締め付けるのが気分良かった。
 「…慣らしておいたのか?」
 「…ふっ…ああ…っ……ああ…もうそろそろ…んっ…手ェ出されんじゃねーかと……んっ…思ってさ……」
 「バイブでか?」
 「ばっ……ああっ……」
 文句を言われそうになったんで、指を二本に増やしてやった。
 「…早く…しねー…と……時間………っ……」
 三十分のセックスは楽しむ時間はほとんど無い。
 「ああ」
 どうせヤるならきっちりイキてぇしな。
 「じゃ…良いか?」
 返事の代わりに俺のチンコに手を伸ばし、自分の方に引き寄せて来た。
 たまらず乱暴に抱き寄せ、床に押し倒す。
 一瞬痛そうな顔をされたが、直ぐに力を抜いて足を広げて来た。
 「いくぞ…」
 「ああ……」
 チンコの先をケツにあてがい、ゆっくりと…だが容赦なく腰を進める。
 「う…あっ…!!」
 「くっ…」
 チンコのデカさにコックは身体を強張らせ、ケツの締まりの強さに俺は息を飲む。
 それでもお互いがお互いと繋がる為に腰を進める。
 コックも息を深く吐き出し、口を開いて身体を緩め、俺を全部飲み込もうと身体を開く。
 「うっ…く…っ……ああ…あ…っ」
 苦しい息の合間にも、コックが時折快感の反応を覗かせるのに興奮が高まる。
 容赦なく、だが、絶対に傷付けないように。
 慎重に、だが性急に。
 「あっ…あうっ……う…んっ!!」
 快感を貪り合う。
 「あっ…!……イイッ…ゾロ…もっ…と…っ…っ!!」

 ……いつからこんな仲になったのか……

 

 『なぁ…仕事辛いんじゃねーの?』

 

 ……きっかけなんて…たくさんありすぎて…もう思い出せない。

 恋人じゃねぇのだけは確かだ。

 洋食屋のコックとその客。
 郵便局員と利用客。
 
 ただそれだけの関係だ。
 アフターで会うことも無い。
 休みに会うことも無い。
 好きだと言ったことも無い。
 好きだと思ったことも無い。
 三十分以上のセックスをしたことも無い。
 名前を呼んだことも無い。
 ただ、それだけの関係。

 ただ、それだけの。

 

 それ以上になりたいのか。
 なりたくないのか…。

 

 「ああっっ!!イ…ク…っっ!!!」

 

 

 ……どうすれば…分かるのか……解らない……

 

 

 「…ほら、ズボン」
 「ああ…悪ィ」

 手を拭く為の蒸しタオルを使って手早く後始末をしてもらう。
 汗を拭き取り、ワイシャツに手を通す。
 コックは自分の身支度もしないまま、裸のままで俺の着替えを手伝う。
 けだるげな指先が艶かしくて目のやり場に困り、ずっとコックの形の良いチンコを眺め続けていた。

 どうしてこんな仲になったのか……

 ぼんやりと、金色の髪に視線を移しながら考える。
 分からなくて、無意識にコックの髪をさらりと撫でた。
 「……っ…」
 コックが下から俺を見上げる。
 「…どうした?珍しいな」
 「…いや、別に」
 キス…してぇ…とか思った。
 いつもしてるが、今してェ…と思った。
 「………」
 だが、いつもの感じとは何かが違うような気がして、結局何も出来ずに、黙って着替えを手伝ってもらうだけだった。
 「ほら」
 「ん…」
 手渡された青いジャケットに腕を通す。
 「…青い制服…緑の髪…か…」
 「んん?」
 見上げたコックと視線を合わせる。
 コックは少し疲れたように笑うと、首を横に振り「いいや」とだけ言った。

 下着とズボンを履き、シャツの二つだけボタンを閉めた格好のコックにランチの代金を渡して店を後にした。
 時間外に食いに来てるから、本当は釣り銭とか要らなかったんだが、多く渡したら、まるで食事代との差額がセックスの代金みたいな気がして、きっちり計算してもらった。
 細かいヤツとか思われるのも嫌だと思ったが、セックスをサービスとか思われるのはもっと嫌だった。
 コイツには誤解とかされんのは絶対に嫌だった。
 …恋人同士でもねーのに。

 「まいど」
 コックが笑う。
 いつも通りの表情にホッとした。
 「んじゃ、またな」
 洋食屋バラティエを後にして向かいの局舎に向かう。
 ジャスト一時間。
 郵便局は相変わらず客でごった返していた。

 

 

 

 青い制服、緑の髪…。

 仕事が終わって家に帰り、シャワーを浴びて冷蔵庫の中のビールを飲む。
 ぼんやりとテレビのサッカーの試合を眺めながら、コックの言葉を思い出した。
 「青い制服、緑の髪…」
 まぁ…それって俺のことだよな。
 郵便局の青い制服。
 生まれつきの俺の髪の色。
 「………だから何なんだよな……」
 しばらく考えいたら眠くなってきた。
 ビールを飲み干し、サッカーの試合を眺めて、コックの言葉を考える。
 答えが出ないまま、意識が途切れた。

 

 

 なんの仕事に就いたって、やっている仕事が一番不満に感じるんだろう。
 隣の芝生は青く見える。
 折角慣れた仕事だからと、不満があっても辞めはしない。
 まるで人間だとも思われずに、歯車の一つとして摩耗するまでこき使われる。
 まぁ人間何て言うのは、所詮消耗品だ。
 働き始めて知った事実だ。

 今日が終わればそれで良い。
 変わらなければ、こんなに楽なことは無い。

 いつまで自分の精神が持つか。
 見物だな。

 「いらっしゃいませ、こんにちは」
 カウンターで頭を下げる。
 出した皿に放り込まれた用紙と金を手元に寄せる。
 「では、一期分のお払込で宜しいですね。少々お待ち下さいませ」
 端末処理をしながらセオリー通りの言葉を口にする。
 「固定資産税のお支払いは、口座引き落としにされたらいかがでしょうか?」
 電卓で釣り銭を叩き出し、金庫から金を取り出し、受領書と釣り銭を丁寧に渡す。
 「お確かめ下さいませ」
 「ありがとうございました」
 「またお越し下さいませ」
 言えば言う程薄っぺらくなって行く。
 感情が伴わないからだ。
 分かっているが、心の底から言うことは出来ない。

 金を預かり、金を払う仕事。
 
 金は世界で一番汚いモンだ。

 誰かの言葉を思い出した。
 どんな汚れていてもその金を欲しがるヤツはたくさんいる。
 どんな犯罪が行われた金でも、
 便所の便器に落ちた金でも、
 欲しいヤツは手を伸ばして掴もうとする。
 汚いから手にしない…そんなヤツはきっとそんなにいないだろう。
 俺だって目の前にしたらきっと手を伸ばすに違いない。

 汚いものを扱う仕事。
 そう思うと、一層気分が重くなった。

 

 金を数える自分の右手が、コックのケツの穴を弄ったんだと考えるだけで、罪悪感が襲って来た。


 続く

 top 3