【青い制服緑の髪】
3
例えば罪悪感とか?
上着のポケットからタバコを取り出し火を点ける。
肺の奥まで煙が行き届くぐらい吸い込んで、天井を見上げる。
「…ふー…っ…」
そのまま煙を吹き出しながら溜め息なんて吐いてみる。
カウンターに凭れて、ぼんやりタバコを吹かす。
何にも考えないで、息するみたいにタバコを吸う。
『…なんだ。まだ食い足りねぇのか?』
『ああ』
『…しょうがねーなぁ…』
「…………」
溜め息みたいに吐き出した煙が何となく熱っぽい。
無意識に、ケツの穴が何度かヒクついた。
ヒクつく度に、穴の周りの残滓がグヂュグヂュ音を立ててるような…そんな気がした。
先刻まで、またセックスしてたんだよなぁ…なんて考える。身体がまだ熱い。ケツがあいつのチンコの形をまだはっきりと覚えてる。
「………」
ぼー……っと…あいつが座って食事をしていた席を眺める。
俺の作った飯を美味そうに食う姿を思い出しながら、身体は余韻にどっぷりと浸からせる。
「…………フー…ッ……」
深呼吸みたいにして肺の中の煙を吐き切ると妙に神経が静まって、不気味なぐらいに穏やかな気分になっていく。
何だろう…アイツとセックスした後いつも感じるこの感覚っつーのは…。
「………何だかな……」
……つーか俺…何してんだろーな……。
ロロノア・ゾロ。
物騒な顔した郵便局員。
俺の店から道路を挟んで斜め向かいに建っているビルの一階にある郵便局で働いている。
ウチの店の常連で、頼むメニューは大抵決まって『日替わりランチ』。
大きな口で豪快にメシを食うスタイルはいつ見ても気分が良い。
飯粒一つ残さず食うのも好きだ。
別に残しても良いのに、魚の骨まで食い切るところも今時珍しくて面白い。
『いだきます』『ごっそうさん』
挨拶が出来るところも気に入ってる。
ゾロも、俺のメシが気に入ってるのか、大抵毎日食いにくる。
ランチタイムは十一時から二時の間しかやってねぇって何度も言ってんのに、時間外でも食いに来るぐらいだ。
最初は表情乏しく食ってるように見えたから気に入らなかったけど、見慣れてくると僅かに顔がリラックスしてたり、気に入ったメニューは口に入れてからほんのちょっとだけ味わうようにじっとしてたりしてんのに気付いたり、苦手なものを食う時は、ほんの僅かに眉が下がったりと、結構表情豊かなことに気が付いた。
ゾロと同じ郵便局で働いてるルフィ(どうみてもゾロより年下なんだが、実はゾロの上司らしい。ありえねェ)みたいにデカすぎるリアクションも嫌いじゃないが、アノ、分かるか分からねぇかってギリギリのナノ・リアクション見付けんのも悪く無い。
ハンバーグが好きで、シチューが好きで、和風っぽい味付けはかなり好きで、目玉焼きは大好きで、ピーマンは苦手で、茄子は大嫌らしい。
傍目から見たら、顔色変えずに食ってるようにしか見えないけどな。
好きなメニューばかりが並んだランチを出すと、ぱぁっ…と、俺にしか分からない程度に表情をほころばせるのは気が付いてからかなり気に入ってる。
水色のシャツに黄色っぽい微妙なセンスのネクタイは、よーく見ると何やら模様がついている。
学生服の延長みたいな濃紺のズボンに、身体の線を隠すような当たり障りの無いデザインのジャケット。
制服だから当たり前なんだけど、良く大人しくこんなモン着れるよなぁ…って、最初は思った。
まぁ、今は随分見慣れたけどね。
ムカつくぐらいガッシリした身体。
絶対俺とそんなに身長変わらないハズなのに、妙にデッカク感じる。
デスクワークには必要ねーだろってぐらい鍛えた身体。
絶対アイツはマッチョマニアだ。絶対、絶対。ランチ無料券十一枚綴り券賭けても良い。
土日とか、ジムとか行って筋トレしてそーな感じだし。
無意味に重いウエイトで、ベンチプレスとかやってそうだ。
デカイ手、デカイ足、デカイ態度。
本当なら結構厳しいこともはっきり言うんだろうなって感じの表情。
顔の造りは極めて良い…ってことはないけど、時折びっくりするほど男前に見える時は……まぁ…あるって言えば……ある。
左の耳の三つのピアスは、あいつの身体の一部みたいに馴染んで似合う。
緑色した短い髪の毛。
いつまでも耳に残るような低い声。
無骨そうな大きな手は、想像以上に器用に動く。
………………。
器用に、動く。
…器用に…器用に。
動く指先。
「………はは…っ…」
おいおい何考えてんだよ。
…俺、何だか最近変だ。
無理矢理笑って、短くなったタバコを灰皿に押し付け、両手で顔をバシバシ叩いて、
「…ふー…っ」
短く強く息を吐き出す。
遊び遊び。ストレス発散。誘ったらたまたまあいつが応じて来ただけ。
ほら、俺ってスゲー美味そうだしさ。
「…さぁて…準備すっかな」
わざと声に出して言ってみる。
今夜は二組も予約が入ってるんだ。もう準備しないとリクエストされてる鱸の香草焼きが間に合わねーし。
『なぁ…仕事辛いんじゃねーの?』
ふと、去年あいつに言った言葉を思い出した。
ウチにメシを食いに来るようになって一年過ぎた夏。
何となく俺はゾロに聞いていた。
『なぁ…仕事辛いんじゃねーの?』
それまで勢い良く動いてた手の動きがギクッって感じで止まった。
あんまり素直な反応なんで、逆にこっちが気まずくなった。
ゆっくりと、ゾロが俺に視線を合わせた。
『…そうなのか?』
ゾロは自分のことだっつーのに、確かめるように俺に聞いて来た。
『…ああ…そうなんじゃねーの?少なくとも俺にはそー見えるぜ』
『………そうか…』
傍目じゃただの無表情にしか見えなかったんだろうけど、そうか、と、呟いたゾロは、まるで迷子になったガキみたいな顔をしていた。
…何て顔するんだろうって思った。
何でコイツはこんなに表情が乏しいんだろうって思った。
何て顔させちまったんだろうって…思った。
メシ食いながらこんな…悲しい顔なんて絶対させちゃいけないのに…って…。
何か与えてやりたくて。
でも、何が欲しいのか分からなくて。
分からなくて…でも与えたくて。
何でそんなこと考えたのか自分でも全然分からなくて。
分からなくて。
分からなくて。
『…何て顔してんだよ…』
俺はゾロの髪に手を伸ばした。
緑色したゾロの髪は、意外なくらいに柔らかく、俺の右手の指の間をくすぐった。
何か…何であんなことになったのか…今でも理由は良く分からない。
ただ……すげー…キスはしてやりたかったんだ……。
キスしたら、ゾロは目を見開いてびっくりしてた。
『…な、なんだよ……』
でも、一番びっくりしていたのは俺だった。
もうこないだろうって落ち込んだ。
そりゃそうだ。普通いきなり男にキスされりゃあ、気持ち悪くて避けるだろうさ。
落ち込んでるのに気が付いて、更に落ち込んだ。
一体何に落ち込んでんだよって自分に自分で突っ込みを入れた。
もう、ウチでメシ食わねーのか…って思ったら、冗談抜きで悲しくなった。
ところが、ゾロは俺の予想を見事に外しくれた。
ゾロは、次の日もランチタイムをきっぱり無視して、自分の休み時間にいつもの通りメシを食いに来てくれた。
嬉しくて、すっげー嬉しくて、ゾロの好きなモンばっかりのランチプレートを作ってやった。
きっと一回目だから見逃してくれたんだ…って思った。
二度目は無ぇ…って警戒した。
ところが……。
『ごっそうさん』
『お…おう』
『昨日は何であんなことしたんだよ』みたいな文句言われたらどう返事すりゃあ良いんだよ…って悩みながら恐る恐る食器に手を伸ばすと、俺をじっと見ているゾロと目が合った。
『…な…なんだよ…』
緊張で声が裏返りそうになりながら聞くと、ゾロは俺の目を覗き込むようにして言った。
『今日はキスしてこねえのか?』
『なっ……悪かったよ』
『何で?』
『……何でって…いきなりあんなことしたから…』
ゾロは不思議そうに首を傾げてとんでもないことを俺に言った。
『なんだその先は無ぇのかよ』
『………え?』
ゾロの手が俺の腕をガツシリと掴んだ。
『っ…!』
身体を強張らせた俺を無造作に引き寄せ、あろうことか…ゾロは俺にキスをした。
『誘ったんじゃねぇのか?』
指で自分のネクタイを緩めるゾロの首元から目が離せなくなった……。
時間が足りなくて最初はペッティングまで。
翌日は手コキで出されて、その次の日には手コキで出してやった。
暫く置いて相互オナニー。
次の週には服を来たままフェラチオ。
しっくりしなくてその翌日に全裸でシックスナイン。
『俺はしっかりお前を食いてぇんだけど?』
脳天を割られたみたいな殺し文句。
それから三度目の正直で、ようやく俺はゾロのチンコをケツに全部入れられた。
イかせられるようになったのは暫く後。
ケツでイかされるようになったのはそれからもっと後のこと。
今ではお互いに慣れて来て、三十分で一通りセックス出来るようになった。
俺は自分が何考えてるのか解らなかった。
自分で自分が分からないんだ。ゾロのことはもっと何考えてんのか解らなかった。
甘い言葉なんて全然無い。
ただ、当たり前のように求められてセックスをする。
ゾロが少しだけ穏やかな表情を見せるようになった。
腹が満たされた肉食獣みたいな顔だった。
ああ…腹一杯食えたんだな…って、俺も不思議な満足感に襲われた。
恋人同士…って気はしない。
だって、俺そういう意味でゾロが好きな訳じゃない。
ゾロもきっとそうだろう。
どっちかって言うと、食材的に好かれてるって気がしてならない。
ハンバーグとか目玉焼きなんかの括りと一緒で俺を気に入っているような節がある。
ま、それはそれで嬉しい…と、思う。
思うけど…何か割り切れない。
腹一杯に食わせてやれる満足感…だけじゃない何かが俺の中に見え隠れしてる。
気が付いたらタバコがギリギリまで短くなっていた。
灰皿に押し付け、また新しいのを口に銜える。
何だか今日はやけに口寂しい。
きっと、ヘンなこと思い出してるからだろう。
「…………痛ぇ…」
胸の辺りがギュー…っと、痛む。
「……さ、準備準備」
胸の辺りのヘンな痛みを無視しながら、ギャルソンエプロンを掴んでキッチンの方に身体を向けた。
美味そうにメシを食うヤツに悪いヤツはいない。
食いたいヤツには食わせてやる。
ゾロがメシ食ってんのを見るのは好きだ。
……そう。美味そうに食ってんのを見るのが好きなだけだ。
食い終わって、満足そうな顔を見るのが好きなだけ。
そ。それだけ。
別にゾロのことをどうこう想っている訳じゃ、ない。
洋食屋『バラティエ』。
大泉学園駅の南口から徒歩五分の商店街の中にある。
パティ達は駅ビルの中にテナント出した方が良いって最後まで騒いでいたけど、ジジイも俺も少し離れたこの場所の方が気に入っていた。
細長くて小さな店はカウンター席を足しても十席しかない。
やたらと小さな店だから、気をつけて探さないと、冗談抜きで見落とせる。
商店街の入り口から四件目。
右隣は花屋で左隣は下駄屋。
向かいはケーキ屋。
斜め前には小さな雑居ビル。名前は『ゴーイングメリービル』。一階には郵便局が入っている。
みんなウチの常連客。
店の前にイーゼルとウッドカラーボートがあるからそれを目印にして来ると良いと思う。
店のシンボルマークのストライプの船は俺がジジイの元で働いてた時に乗ってた船をデザインしてみたヤツなんだ。
シンボルマークを印刷した包み紙に包んだ角砂糖は、お客さんのリクエストで最近レジのところで販売を始めてみた。結構好評で、そのうちナプキンとマグカップも置いてみようかと思ってるところ。ランチタイムのバイト二人が張り切ってるんで、好きにさせてみるつもりだ。
開店は十時三十分。ランチは十一時から二時まで。お勧めメニューは入り口のイーゼルに立ててあるウッドカラーボードに書いてあるからチェックしてね。
二時半から六時までは一旦準備中になって、夕方は六時から十一時まで営業している。ダイニングバーっぽい感じでやってるけど、予約してくれればコース料理も出している。
なるだけニーズには合わせるよ。
最近は雑誌の取材とかがポツポツ入るようになって、雑誌片手に来てくれるOLさん達も増えて来た。
席が足りなくなることもあって、残念そうに帰るお客さんも出てきて、ちょっと心苦しい時もある。
ランチボックスとか作ってテイクアウトとか出来るようになると良いんだろうけど、なかなかそこまで手が回らないのが現状だ。
昼間は俺とバイト二人で切り盛りしてて、夕方はバーテンダーのエースと二人だけ。この人数で十分サービス出来るのはせいぜい一度に十人が限界。もっと雇えば良いだろうけど、どうも人を使うのって得意じゃなくて、スタッフを増やすのは今はちょっと無理。
だから、十席。
狭い空間だけどそれなりにゆったり出来るレイアウトにはなっている。
店の規模をデカくすると、厨房にもスタッフいれなきゃならないし…そーなってくるとドンドン規模が大きくなって、店切り盛りするのが大変になって、こんな気ままに好きな料理を作ってもいられなくなりそーなんで…ま、多分このままずっとこの規模で続けていくんじゃないかな。
俺は今のままで十分満足してるし。
コレぐらいが丁度良い。
ようやく毎日が楽しくなって来たところだ。
俺は、小さい頃から料理人になりたかった。
自分が作った店でミシュランの三ツ星を貰うのが夢だ。
宝物は、オヤジから買って貰った牛刀だった。
ガキの頃から厨房に入ってて、料理を作り続けてた。
まだ、料理のことなんて何も分かってないガキで、レシピにばっかりこだわってて、食べる人のことなんて何にも考えてなんていなかった。
食い切れない程の料理で満足してもらうのが当たり前だと思ってた。
…色々あって…ホント色々あって、今日の俺がある。
思い出したくも無いようなこともたくさんあったけど、料理人になるって夢だけは諦めないで今日までこられた。
とんでもない目にあったこともあるけど、結果的には環境に恵まれてたのかもしれないな。
自分の夢がはっきりしてて良かった。
諦めないで良かった。
続けて来れて、本当に良かった。
洋食屋バラティエが夢の最終形じゃないんだろうけど、それでもなんかすげぇ嬉しい。
腹を減らしたヤツが満腹なっていくのを見るのが楽しい。
デザートを美味しく食べてるのを見るのが嬉しい。
残さず食べてくれた皿を洗うと疲れなんてどっかに吹っ飛んでいく。
新しいメニューを作り出すのが楽しくて仕方が無い。
空腹を満たしてあげることが出来る。
もう病的に嬉しくて仕方が無い。
ガキの頃の体験が、作用してんのかな…とは思ってるけど、そんなの今更自分じゃどうにもならない。
俺の店に来た人は、何が何でも絶対に空腹を満たされて帰って欲しい。
満腹になった顔を見せて欲しい。
俺の店に来て、
『食い足りない』
なんて…絶対に感じさせない。
必ず満たされた気分で送り出したいんだ。
どんな手を使っても。
ガキの頃、将来料理人になりたいって夢見てた。
…もしなれないんだとしたら…
アンパンマンになりたいって思ってた。
…ジジイは俺を心配している。
どうしてなのかは………良く分からない。
続く
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