【窓越しの掃除屋】
15
目を開けて間近にゾロの寝顔を見た瞬間。
昨夜のこと、全部。
思い出した。
「……………っ………」
身体が緊張した途端、
身体中の痛みに気が付いた。
目を覚まされるのが何より怖くて、飛び起きたい気持ちを寸前で堪える。
音を立てないように、そー…っと身体を起こす。あんなことされてて当たり前なんだけど…自分が真っ裸なのに気付いて、ああ…やっぱ昨夜のことは現実だったんだって思い知らされ、打ちのめされる。
(うわっ……キスマークまで付けられてるしっ…)
俺さ、痣とか出来やすい体質なんだよな。
日に焼けないタイプだから、こーいうのってスゲー目立つし。
自分の身体を見下ろしながら、恐る恐る首元に手をやった。
(まさかココにも付けてんじゃねーだろうなぁ…)
想像するだけで気が滅入りそうだ。
指先で触ってみたけど、分かる訳ない。
「………はぁ……」
ダメ押しされてるみたいに朝勃ちしている自分のモンを見ながら、思わず溜め息が漏れた。
取りあえずここから逃げ出さなきゃヤバいと思って、服を探す。直ぐ側に、ぐしゃぐしゃになったズボンと、残骸チックなシャツを見付けた。
息を殺しながら、スゲー情けない気分でパンツとズボンに足を通してボロボロのシャツに苦労しながら腕を通す。
クッソーっっ何だよもーっっ……ボタンが部屋中に散らばってるしよー……。ったく……こっちにゃ一個もついてねーじゃねーか…っ…。
コイツのオヤジシャツ(洗濯してそーなヤツ)を着てやろうかと手を伸ばし掛けて、慌ててブンブンと頭を横に振る。いやいやいやっ。絶対着ねぇっ。
ジャケットでなんとか誤魔化せてると無理矢理納得させて立ち上がる。
「………ん……」
「!!!!!!」
ゾロの声にどうしようもないくらいビビってしまう。
ザワッ!!っと全身の毛穴をトリ肌立たせながらゾロの顔を睨み付けた。
……………。
蹴り付けてやりてェ……。
蹴り潰してやりてェ……ッ……。
ムカつくぐらい男らしい寝顔に、身体の深い部分が震えた。
初めて遇った時の顔を思い出した。
ナミさんと俺がヤられそうになった時、助けに飛び込んで来たコイツの顔を思い出した。
偶然、コンビニで出くわしたときの顔を思い出した。 ビックリした顔は、本当にコイツに似合わなかった。
昨日、帰り道…電車のガラスに映った顔を思い出した。
「……………」
スーパーで物珍しそうに品物を見ている顔。
あんな狭いスーパーの中で迷子になってたコイツを呼んだ時の俺を見付けてホッとしたような…まるっきりガキの表情。
俺の作った飯を一口食った時の顔。
初めは表情の無ェ奴だと思ってた。
だから、色んな表情見る度に、やたらと意識してしまう自分に戸惑わされた。
「………んん…」
「…っ………」
笑った顔とか。
真面目に仕事している横顔とか。
それから…それから。
仕事場で……窓越しに見る……コイツの横顔……。
ああ………なんか………
何だか………
すげー………裏切られた気分だぜ………。
お前はさ……違うって思ったのにな………。
ったく…結局身体目当てかよ。
「……………」
俺は女じゃねーっつーの。
顔とか腹とか、思い切り蹴り潰してやりたい衝動に襲われて無意識に右足を上げて。
「……ッ!」
ケツの痛みに動きが止まって我に帰って。
「……チッ………」
なんだか分からないけど、鼻の奥がツン…と、痛くなった。
床に散らばった皿に目をやる。メシ食ってそのまんまの皿は煮汁が乾いてカピカピになってた。
ああ…ごめんな。洗ってやれなくて。
どんなに美味いモンも、洗ってやらずに放っておくと、『汚れ』って言われちゃうんだよな。
…って、誰が言ってたんだっけ……?…
ああそうだ…ジジイが言ってたんだっけ。
皿、洗いてぇな。
洗剤たっぷり含ませて洗うの結構好きなんだよな。
でも…洗ってたら…コイツ目、覚ますかもしんない。
「……………」
ダメだ。そんなの冗談じゃない。
ごめん。ごめんな。
心の中で皿に頭を下げた。
持って帰りたいけど、そこまで行くのも、怖いんだ。
空耳に、皿の泣き声が聞こえてきた。
(ゴメン…ゴメンな。ホントにゴメン…)
未練がましく暫く眺める。
でもだからって、取りには行けない。
泣きたいような気持ちで、俺は皿から視線を逸らした。
昨日の内に纏めておいた大事な包丁だけは大事に抱え、足音を立てないように、コイツが目を醒さないように、静かに部屋を抜け出す。
「………クッ………」
指先に限界まで力を入れて、そっと引き戸を開き俺が通れる隙間を空ける。
「……ン…………ジ………」
「っっっ!!!」
小さな寝言に、ザワァァッッ!!!っと全身の毛が逆立つ。
…………え……?
逆立って、気が付いて、耳を疑う。
頭が何かを考える前に、直接心臓を握り潰されたみたいに、胸の辺りがギュゥッと痛む。
予想も出来ない自分の反応に焦る。
(……んな訳ねーだろ……)
咄嗟に否定してるのに、頭のどっかが勝手に思う。
今のって…まさか……まさかな……
………んな訳ねーって…っ……。
……でも…でもよ……
緊張に身体全部を強張らせ、冷たい汗を吹き出しながら気持ちのどっかで思ってしまう。
「………ジ……」
思って。
焦った。
とにかく逃げなきゃヤバいと思った。
寝言を呟くゾロの方には絶対振り向かないで、音も立てずに部屋から逃げる。
靴を履いて。
錆びかかったドアノブに手を掛けて。
まだ朝早い外に逃げ出す。
『カンカンカンカン…ッ……』
崩れ落ちそうな鉄製の階段を駆け下りながら。
あいつが追いかけて来るんじゃないかって、何度も何度も後ろを振り返りながら。
『……ン………ジ………』
あいつの寝言が寝顔ごと、頭の中でトグロを巻いた。
アスファルトに片足が付いた瞬間、全速力で走り出す。
「っ…はぁっ…はぁっ…はぁっ………」
体中が軋むように痛んだけれど、そんなこと言ってられない。何度も身体をよろめかせながら、それでも出来る限り早く走った。
何でそんなこと思ったのか。
どうしてそう聞こえたのか。
走りながら頭の中に浮かんだことをムキになって否定する。
バカじゃねぇの?
ホント、バカだよ。
何考えてんだよ。
んなこと、絶対ある訳ねーって。
第一、呼ばれたこともねーじゃねーか。
『………ジ……』
「……クソ……ッ……」
何でだよ……っ……
逃げ出す直前に聞こえたあいつの声が耳から離れねェ………。
それだけだったらまだしも。
なんでこんなに気持ちがざわざわしてんだよっっ。
何考えてんのか自分でも分かんねーよ……っ……。
「……ああっっもーっっ!!……」
……一体なんなんだよっ……
この訳の分かんねぇ感じはよぉ…っ……。
鞄の中で揺れるジジイの包丁を鞄ごと、脇でキツく脇腹に押さえ付け、息を乱して全速力で走り続けた。
どうしようもなく腹の底から沸き上がって来る感情をとにかく全部、否定しながら。
走って、走って、走って、走る。
何が何だか………もー…分かんねーよ……っ……
アノ瞬間。
『……ン…ジ…………』
俺は……一瞬……
……あいつに名前を呼ばれたのかって……
………思ったんだ………。
まだ朝早くて人気もまばらな板橋本町の駅の構内を足早に通り抜けて北口に出る。
レンタルビデオ屋の前を通り過ぎて、小さな洋食屋の前を通り越して、三つ先の信号を左に曲がったら俺の住んでるアパートがある。
ジジイから預かっている包丁の入った鞄を抱えて胸元を隠しながら急ぎ足で歩く。
少しでも早く帰ってシャワーとか浴びたい。
ケツの周りとか、すげー洗いたい。
着てる服とか、ソッコー捨てたい。
ジャケット、買ったばっかりだから勿体ないけど…そんなこと言ってられない。
昨日、バカみたいに浮かれた気分でこのジャケットに腕を通してたんだと思うと余計気持ちが悪い。
すげーヤだ。
すっげーヤだ。
ホント、厭だ。
自分のバカさ加減も、アイツの裏切りも。
…俺さぁ、旨いモン食わしてーって思ったの、久し振りだったんだぜ。
刺身とかつくって、ジジイの包丁の切れ味の良さを味あわせてーって思ったのも、すげー久し振りだったんだぜ。
なのに何なんだよ。
突然だぜ?突然。
人変わったみたいになりやがってよ。
俺が何したっつーんだよ。
クソっ……一体何考えてんのか全然分かんねぇよ。
白塗りのアパートの、見慣れた階段を疲れ切った気分で昇って、一番奥の表札も出していない自分の部屋の鍵を開けた。
細く空けた隙間に潜り込むように入り込んで、後ろ手でドアを閉めて鍵を掛ける。チェーンも掛けた。
靴を脱いで左手直ぐの洗面所に入って、服、全部脱いで浴室に飛び込む。
ザァァァァッッッッッ
シャワー出して、最初に出て来た冷水が首に掛かって、『ヒィッ…』って息が止まりかけて、慌てて元栓開いてガス付けて。
段々熱くなっていく湯に打たれて、ようやく俺はその場にへたり込めた。
熱いシャワーに打たれながら、膝を抱えて出来る限り小さくなって目を瞑る。
昨夜、突然押し倒されてからのことがドンッ!!と、記憶に蘇ってくる。
「…っ……」
身体を竦ませ記憶に耐える。
怖かった。
スゲェ怖かった。
俺の上に伸しかかって睨み付けてきたアイツの目は、少しも酔っても無かったし、笑ってもいなかった。
あんな顔されてレイプされたのは初めてだ。
普通レイプっーのはさ、よっぽどのことがなきゃ相手なんて何とも思っちゃいないモンだろ?
パンパンになった自分のチンコのことだけで精一杯で、目なんかギラギラさせてるもんだよな。
こっちの事情は関係無しに、ただヤリてーとか出してーとか…そんな程度の気軽なモンなんだろ?
なんであんな本気な顔で襲ってくんだよ。
妙に座った、覚悟したよーな目してさ。
何考えてんだか分かんないよーな、あんな目で睨み付けられたら、ヤられる方は怖ぇだけだよ。
…あんな風にされたのは初めてだ。
突然ちゃぶ台吹っ飛ばされて、あ、皿が…なんて思った隙に伸しかかられて……泡食ってる隙にキスされて……うわ…っ……俺キスされてたよ………。………おいマジかよ…レイプでキスしてくるヤツなんてフツーいねーだろ?
レイプでキスしてくる……ヤツなんて………
ザァァァァ…と降り注いでくるシャワーを後頭部と背中に感じながらぼんやりと頭は考え続ける。
レイプの記憶。セックスの記憶。
普段だったら絶対しないのに、頭が勝手に記憶を辿る。
辿っているのも気付かずに、俺は小さくなってシャワーに打たれる。
キスするなんて…キスするなんて。
レイプするのにキスするなんて……。
そんなヤツ………そんなヤツ……そんな……ヤツ……
「…………っ……」
…………あ………………っ…………
唐突に…記憶は『アノ日』に辿り着いた。
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