【窓越しの掃除屋】

19

  掃除屋は俺の顔を見た瞬間、凍りついたみてェに全身を表情ごと固まらせた。

 「…………」

 誰かと俺を勘違いしたらしい、穏やかな表情のままで、俺に向けた顔は完全に全ての動きを止めている。
 開いた目までそのままだった。
 瞬きすらしない。

 「………」

 俺も黙って掃除屋を見詰める。
 本当は、何か声を掛けたかった。
 だが出来なかった。
  
 何も考えずにここに来た。
 顔でも見れば、かける言葉も浮かぶだろう…そんな程度しか考えなかった。
 実際は、何も浮かばなかった。
 頭の中はグチャグチャで、どうすりゃ良いのか見当もつかなかった。
 意味もなく口を真一文字にぐっと結ぶ。
 瞬きすらしない掃除屋の顔を見ながら、目だけは逸らしちゃいけねぇと、ひたすら黙って。頭の中だけ、何か言わなきゃならねェと妙にアワを喰いながら。何にも出来ずに黙って動かず突っ立ってた。

 「……………」
 「……………」

 俺達は随分長いこと黙って見詰めあっていた。
 息苦しいぐらいの沈黙だった。
 掃除屋は目の前に立っているのが俺だって言うのが理解出来ないのか、理解したくないのか、本当に何の反応もなかった。
 ドアノブに手を掛けたまま、玄関の扉を全開に開いたままの姿勢で、気持ち見上げるような姿勢で俺の顔を見詰めて動かない。
 俺は直ぐ目の前で、気持ち見下ろすような姿勢で掃除屋の顔を覗き込んでいる。

 アノ日から一週間。
 掃除屋はやつれ果てていた。
 掃除屋は元々、もうこれ以上痩せるところなんかねェっつーぐらい細いのに、更に肉を落とした感じだった。
 顔色なんかは最低で、白通り越して青くなってる。
 目の下にはくっきりと隈が出来てるし、顎から首のラインは、気持ち悪いぐらい骨と筋が浮き上がって見える。
 いつもは男の俺が見ても綺麗だと思うような金色の髪の毛も、今日はつやが無くなってぼさぼさしていた。
 まるで病人だ。
 欲目か色目か、色気だけが増してるように見えた。
 

 「……………大丈夫か?……」

 

 長い時間二人で突っ立って顔見合わせた後、俺の口から出た言葉は、どうしようもねェぐらいぶっきらぼうなモンだった。

 「…………」

 掃除屋は何の反応も見せない。
 
 「……この前………悪かったな……」

 何の反応も見せない掃除屋に、ぼそりと呟く。

 「……悪かったな…」

 掃除屋が一度だけゆっくりと目を閉じで、それから開いた。

 「悪かった」

 俺を見詰めたまま、俺が見えていない掃除屋の色素の薄い目を覗き込むようにしながら、今度ははっきりと強く…聞こえるように唇を動かして声を聞かせた。

 「………………」

 掃除屋の目がもう一度閉じて開く。

 「………」

 もう一度。

 「………」

 もう一度。

 「……っ…」

 ようやくはっきりと瞬きをした。
 黙って見詰めていると、少し乾いた唇が、何かを喋ろうとするみたいに僅かに動いた。
 「この前は悪かったな…大丈夫か?」
 「…………っ……」
 突然掃除屋の表所に変化が生じた。
 うつろだった目が、ギュゥッッ!!と、一気に焦点を俺に合わせてきた。
 凍り固まっていた表情が、中から突き上げてくる何かに押し上げられるように一瞬で氷解した。
 目玉の色まで色濃く変わったように見える。
 青白くて血の気の無かった頬に、うっすらと赤みがさした。
 息遣いまで、感情が入り込んで来たみたいに激しくなっていった。

 掃除屋が目の前の俺に気付いた。

 怯えと怒りと……後は…何か良く解らないが…酷くその場にそぐわないような何か別の感情が……ぐちゃぐちゃに混ざったような…『生きた』顔を俺に向けた。
 不謹慎だが、興奮した。
 人形が人間になる瞬間って言うのがあるんだったら、きっとこんな感じなんだろうな…と、場違いなことをふっと思った。
 思ったら、なんでこいつがこんな顔しなきゃならねぇんだって気が付いた。
 俺が傷付けたからだと直ぐに分かった。
 罪悪感に、抉られるように胸が痛んだ。

 「…っっ!!」

 正気に戻った掃除屋が、小動物みてェな動きで俺の前から逃げようとした。先刻まで片手で掴んでいたドアノブを両手で掴み、全身の力でドアを閉めようとする。
 「待てっ!」
 ガッ!!
 咄嗟に右足を隙間に突っ込み、閉じようとするドアを止めた。
 掃除屋は力任せにグイグイとドアを引っ張る。
 「待てよっ」
 ドアに手を掛けて力任せに自分の方に広げる。
 やつれ果ててる掃除屋と俺との力の差は歴然で、ドアはあっけないぐらいに大きく開いた。
 勢いで体勢を崩した掃除屋が、泣きそうになる。
 顔をクシャっと歪めて涙を堪えた。
 直後。

 「…ぅぁぁっっ!!!」

 掃除屋が突然声になり損ねたような声を上げて、俺に殴り掛かってきた。
 本能的に避けようとするのを我慢して、俺は掃除屋が殴り易いように顔を掃除屋の拳に合わせた。
 怒るのも怯えるのも無理はねェ。
 どれもこれも原因は俺にある。
 俺は殴られて当然のことをした。
 だったら気の済むまで殴られてやる。
 喧嘩の時にはケリ専門の掃除屋が、自分の右手を使って殴ろうとしてるんだ。余程逆上してるに違いない。
 「っっ!!」
 殴るのに慣れていない掃除屋のパンチは、一度で自分の肩までイッちまいそうなぐらい自分の身体に負担の大きそうなヤツだった。重さはそれ程感じないにしても、それなりに痛い。
 そのうち口を切ったのか、血の味が広がってきた。
 「ぅぁっ!!ぁぁっっ!!ぁぁぁっっっ!!!」
 掃除屋は、まるで堰が切れたみたいに渾身の力で何度も何度も殴ってくる。
 歯だけは折らさせないようにと。しっかりと食いしばりながら俺は全てを受け止めた。
 どれぐらい経ったか。
 突然掃除屋は自分が大事な手をとんでもないことに使ってたのに気が付いた。
 掃除屋はハッとしたように攻撃を足に切り替える。
 身体をふらつかせながらも胸辺りまで右足を引き上げ、全体重を掛けて鳩尾辺りを目掛けて横蹴りを喰らわせてきた。
 腹に踵が付いた瞬間、曲げていた膝を一気に伸ばして爆発的な力を一点に乗せてくる。
 「グッッ!!!」
 痛ぅ……っ……
 流石にケリは半端じゃない。
 普段の五割の力ぐらいしかないんだろうが、掃除屋の蹴りには本気の殺意が籠ってやがる。
 半端な痛みじゃなかった。
 思わず腹を抱えて身体を二つに折り曲げると、今度は延髄に容赦ない踵落しが落ちてきた。
 「かは…っっ!!」
 衝撃に上手く呼吸が出来なくなる。
 間髪入れずに、柔らかく地面を蹴った右足が、俺の顎を下からもの凄い勢いで蹴り上げる。
 「ぐあっっ!!!」
 勢いで首がねじ切られそうなぐらいに振り上がり、間接がバギバギバギッッ!!!と厭な音を立てた。
 「クッ……!!テメェっっ!!」
 大人しくしてりゃあ…良い気になりやがって…っっ…!
 どこまでヤリゃあ気が済むんだよっっ!!!
 本気で殺す気なんじゃねェか?ってぐらいのケリに終いにはキレた。
 掃除屋の振り落とされる足を掴んで思い切りぶん投げてやった。
 「…いい加減にしろっっ!!」

 ドカァッッッ!!!

 振り飛ばされた掃除屋が避けきれずにモロに自分家の玄関の扉に背中からぶつかると、
 「うあっ!!!」
 痛みにようやく声らしい声を出し、
 「……クソ…テメェ…ッッ!!どのツラ下げて来やがったっっ!!」
 と、いつもの現場で見せる威勢の良い声を張り上げた。
 「俺の勝手だろーがっっ」
 「ふざけんなっっ!!!」
 よろめく身体で深く構え。掃除屋が左足を軸足に、俺のこめかみを狙って回し蹴りを仕掛けて来た。
 振りの早い蹴りをギリギリのところでかわし、俺は裏拳で掃除屋の顔を殴りに掛かる。掃除屋は器用に足で俺の拳を蹴り上げ軌道を変えた。
 「誰がここまで来いっつったよ!!!」
 「言われなきゃ来れねー場所かよっっ!!」
 「テメーみたいなヤツに来られんのが一番ムカつくんだよっっ!!」
 「そこまで言われる筋合いはねぇっっ!!」
 「ざけんなっっ!!」
 「ぐっっ!!」
 「最悪なんだよっ!!!テメーはっっ!!!」
 「なんでだよっっ!!」
 「…言わせんなぁぁっっっ!!!」
 信じられないような振りの早さで俺の顎を蹴り付けると、そのまま足を下ろさずに深く胸元に足を引き付けて俺の腹に渾身のケリを入れてきやがった。
 「…痛…っ…てぇんだよっっこの野郎っっ!!」
 俺も肩から体重を乗せるように軌道を長くしながら綺麗なツラ目掛けて思いっ切りブン殴ってやった。
 「ぐぁっっっ!!……何しやがんだテメェっっ!!!」
 「グッ!!テメェこそふざけんなぁっっ!!!」
 「クソぶっ殺してやらぁっっ!!!」
 「上等だぁぁぁっっ!!!」

 狭いアパートの通路で俺達は暴れまくる。
 ふらつきながらも限界まで逆上している掃除屋は俺が今まで相手してきたどんなヤツ等よりも手がつけられないくらい凶暴だった。
 俺も手加減無しに暴れまくる。
 完全に頭に血が上って、気分が高揚していくのが気持ち良かった。

 

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