【窓越しの掃除屋】
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気が付けば終電も終わっていた。
仕方が無ぇから、駅前の居酒屋で五時まで過ごして、そのまま現場に直行した。 すげぇ眠い。 まだ開いていない現場のゲートを無理矢理こじ開けて、中に潜り込み、上層階まで階段をだらだら昇る。玄関のドアが取り付けられていない一室に潜り込むと、そのまま腰を下ろし腕組みをして頭を下げて目を閉じた。
眠りに落ちるのに大した時間は掛からなかった。 そのまま昼近くまで寝倒して、部屋内の配線機具の取り付けに回っていたエネルの高笑いに起こされた。
「…………………」 あちこちボリボリ掻きながら眠い頭を起こしに掛かる。 どうやらまた寝過ごしたらしく、現場は工事が始まって いた。あらゆる機械の音が響き、時折職人の怒声が聞こえる。朝方の静けさが嘘のようだ。
…………………。 しっかし、すげぇ音だな。 さては今日からコア屋が入ったな。 「……我ながら良く寝てられたモンだな」
工期終盤の現場の中は、半端な騒音じゃない。特に何度も図面が書き換えられたような現場はどっかに無理が生じるもんで、最悪打ち込んだコンクリートの壁やら梁やらを取り壊すことにもなる。
この現場も大きく二度、図面の書き直しが入っている。 そのせいで四タイプの部屋に不都合が生じて、コア屋が入ることになった。 このコア屋は、コンクリートに貫通穴を開けるのが商売で、持っている道具の『ダイヤモンドコア』って機械の名前がそのまま付けられている職人だ。
コレが曲者。 この業者の特徴は水と騒音。 大量の水を吹き付けながら貫通穴をガリガリと削って造り出しているもんだから、その音っつったら、もう殺人的に凄まじい。
もしもほとんど出来上がった現場からあり得ないくらいの音が連続して半日ぐらい聞こえ続けているとしたら、コア屋が入ったと思って間違い無い。 そこの現場は何らかの不都合が生じているはずだ。
コア屋が入るのが悪いってんじゃなくて、コア屋が入らなきゃならねぇよな状況作ってる現場の体制が悪い。 大抵そういう現場は、他にも叩けばいくらでもホコリが出るようなところだ。
あり得ねぇけど、もしも俺が物件を探しているって言ったら工期終盤の音も考慮に入れるだろうな。 ……なんて話がズレたな。 とにかく凄い音だ。
そっか、朝礼に出なかったから新規入場者が分らなかったんだな。 まぁ、目が覚めたから良いか。つうかコア屋の音でも目が醒めなかった俺を、たかが笑い声で目を醒まさせるってのもどうなんだ、エネル。
ホント、あいつは朝からテンション高すぎだ。 「…ふわあぁぁぁぁっっ……」 デカいあくびを一つ。 「さて…と」 首をゴキゴキ鳴らしながら立ち上がる。
孤独感は……んん…もう感じねェ。 「……ま、そういうことなんだよな」 現場で仕事だけやってんのが性に合ってるんだ。 色恋なんてぇのは面倒臭い。
多分、そんなモンなんだ。 「よし…っ」 一先ず飯でも食うか。 今ならナミにぼったくられても良いような気分だ。 歩き出すと自分の周りの空気にたしぎの匂いが混ざっていたが、そのまま無視して階段に向かった。
途中、携帯の留守電に親方の説教が入っていたが、ガーガー騒いでいたんで良く分からなかった。携帯の操作なんて端から覚える気もなかったんかで二回目の再生方法が分からねェし、どうせ朝来なかったんでそれで怒ってるんだろう。そのまま放っとけ。昼には会えるし、まぁいい。まずは飯だ。
昼食前のガラ空きの時間帯に、ナミが営業している飯場に行く。 「あら、珍しいじゃない」 白衣姿のナミが珍しそうに声を掛けてきた。
「今日は雨でも降るんじゃない?」 「降る訳ねェだろ。バカ」 「ちょっとっ、これから食べさせて貰うって人に対してその態度は何っ?」
「いいから何か食わせろよ」 ナミがブーっと頬を膨らませて水の入ったコップを ドガァッッ!! と、置いた。 特に気にもせず飲み干す。この女のヒステリーは日常茶飯事だ。
「んん」 コップの口をナミ側に傾けて催促する。 もーっ、とか言いながらもコップに水を並々注ぐ。 「まだ定食の魚が焼き上がっていないから。うどんかソバかカレーにしてくれる?」
「じゃあカレー」 「トッピングは?」 「…や、いらねぇ」 「じゃあ千二百円ね」 「何だよそれ。高っけぇなぁ」
「時間外料金よ」 「ったくよぉー……」 はい、と、出した手にくしゃくしゃの千円札を二枚乗せる。 「ほらよ」 「んじゃおつり。……八百円ね」
狭いながらも整然としている厨房をさらさらと動き回りながら皿を取り出し、飯を山盛りに盛る。飯場ならではのボリュームだ。そのまま寸胴の一つの蓋を開け、カレーのルーを上からたっぷり掛ける。ラッキョウと福神漬も山盛りにトッピング。
ナミにしちゃ破格のサービスだな。 「これはサービス」 冷蔵庫から取り出したゆで卵の殻を手際良く剥くと、ペティナイフでカレーの上に削るようにスライスしてトッピングしてくれた。
テキパキと給仕するナミをぼんやりと眺める。 暴利な商売しているものの味は確かだし、何より女だ。 見ているだけで目の保養になる。
「はいお待たせ」 ゴトリと置かれたカレーは、旨そうな匂いを辺りに広げる。ああ…丁度良いや。たしぎの匂いもこれで消えるだろう。 「いただきます」
「はい。どうぞ。……どう?」 「ん。旨ぇ」 それはどうも、と、笑顔見せる。 「ね、ゾロ」 「んん?」 「何かあったの?」
「…別に」 「そう?なら良いけど」 感の良いナミは、それ以上何も聞かない。 黙々と飯を食う。 ナミは黙って俺を眺めている。
何だろうな。凶暴で最悪の女だが、滅入った気分の時には思わず側に行きたくなる。 「ねぇ、見た?」 「何が?」 「今日入った掃除屋さん」
「いや、知らねェな。俺、朝礼出てねェし」 「何?遅刻?」 「いや」 「さぼり?」 「いや、寝過ごした」 「え?それって遅刻って言うんじゃないの?」
「ああ、俺六時には現場に入ってたし」 「え?」 「だから遅刻じゃねェ」 「…………あ、そ」 「で?掃除屋がどうしたんだよ」
「あ、そうそう。あのね、すっごい美人さんなのよ」 「へー。女か。珍しいな」 「んーん」 「え?んじゃ、おばさんか?」
「違う。って、いうか、失礼よ。それ」 「そっか?……女じゃなくておばさんじゃなくてっつったら……男かよ?」 「そう」 「なんだ男か」
飲み干したコップにナミが水を注ぐ。 「あ、悪ぃ。……んな、男が現場で美人でも何の得にもならねぇよ。からかわれるか、物好きに襲われるかのどっちかじゃねぇのか」
「と、思うでしょーっっ」 ナミがカウンターから身を乗り出して続ける。 「で、早速ちょっかい出した業者がいたのよ」 「…物好きだな」
何でも左官屋の一人が、自分の休憩所に連れ込もうとしたらしい。 「…でもね、その掃除屋さん、ケリ一発でノシちゃったらしいのよ。凄くない?」
左官屋なんて言ったら、現場の中でも常に一位二位を争う腕っぷしの強さを誇る職種の奴等だ。特にこの現場の左官屋は桁違いに強い。 「ああ…確かに」
「でもね、女の子にはとーっても優しいのよ」 誰かさんとは大違い、と、ついでに言われた。 「………悪かったな」 ぶっきらぼうな返事にナミが変な顔をする。
「…なに……ね、アンタおかしいよ…ホント大丈夫?」 「………ああ」 昔の…四年前の…俺の彼女だった時の顔をして、ナミは俺の頬をペチリと叩いた。
「ダメよ。ゾロ、あんた今泣きそうな顔してるわよ」 ……………………チッ……… 「してねぇよ」 だから頭の良い女って言うのは……
「ごっそうさん」 勢いだけで残りのカレーをかき込み、無理矢理水で流し込み、席を立つ。 「もう行くの?」 「ああ」 返事もそこそこに入り口のドアに手を掛ける。
「ねぇ」 ナミの心配そうな声が追い掛けてくる。 「彼女と何かあったの?」 ………。 「あいつとは昨夜別れた」
「えっ?!何で -------- 」 最後まで聞きたくなくて、そこから、逃げた。 親方に散々叱られた後、ルフィと合流。
昼休みの後、足場解体へ。 最上階から見る空も海も真っ青で、ふと、そこに行きてぇ…なんて思ってしまった。 『あたしね、大きくなったら自分の腕を確かめたい。だからいつか海の向こうに渡るんだ』
…お前が行きたくて行きたくて…でも行けなかった海の向こう。 なぁ…… 死ぬって言うのは、最悪だぞ。
俺は未だに身動きが取れない。 午後二時が過ぎる頃、決まって海からの風が吹き付けてくる。 湿った重く強い風は、デカい空気の塊になって叩き付けるようにビルにぶつかってくる。足場の上は、ちょっとした風も命取りになりかねない。
突然の突風に足を掬われれば、地上目掛けてまっ逆さまだ。いくら鳶でも楽勝で死ねる。 死ねる。 死ねる。
くいなの側に?
………………いや……もう………何をしても会えないような気がする…………。 世界が違うって言うのは多分そういうことなんだ。
「おーいっっゾローっっ!!」 「んあー!?」 「風が止むまで作業ストーップッッ!!」 「んじゃ、メシ食ってくるっっ!!」
ぼんやりと風を見送り作業を再開し、 そして俺は、窓越しに…金色の髪の掃除屋を見た。
掃除屋は数人の左官屋に押さえ付けられていた。 金色の髪を振り乱し、必死で抵抗しているが、あの細みの体じゃどうにもならない。
辺りに散らばっている掃除屋の道具のピックを必死で取ろうと腕を伸ばすが、寸でのところで遠くに投げ放られてしまった。 既に服と下着は全部剥ぎ取られて、一人素っ裸にされている。
羞恥か怒りか、顔を真っ赤にして掃除屋が暴れる。 両手両足に一人ずつ、ガタイのデカい男がのしかかるように動きを封じている。 掃除屋が何か叫ぼうと口を開けると、すかさず丸められた軍手を押し込まれてしまった。
リーダー格の一人がニヤニヤと笑いながらズボンの前を開き、自分のモノを引きずり出す。男相手に勃起している男のペニスは黒々としてそれなりのデカさと角度を持っている。掃除屋の目が見開かれた。
「……………」 左官屋は数回自分のブツを扱くと、足を押さえた男二人に指示を出し、足を折り曲げ、股を広げさせた。 あれだけ細みの体なのに、脚力は凄まじいものがあるらしく、一度右足を押さえていた男が振り解かれ、そのまま腹にケリを入れられた。数メートルも吹っ飛ばされた男は怒りも露に、数回顔を殴りつける。
どこかを切ったのか、血で顔を汚しながら、それでも掃除屋はギリッとした目で睨み付ける。 現場の男と比べなくても信じられないぐらいに白い肌。
暴れるごとに遅れて付いてくる細い金髪は、差し込む太陽の光が反射してキラキラと光っていた。 細い体だが、最低限の筋肉が体を覆い、貧弱には見えない。特に足は筋肉だけで出来ているかのように力強くてしなやかだ。
あれが、ナミの言っていた掃除屋か? 確かにあれじゃ狙われる。 現場の世界なんて言うのは、正に弱肉強食の世界だ。 弱い人間なんて言うのは、男であろうが女であろうが力でねじ伏せられる。
建築は弱い人間は携わることは出来ない。 なぜなら、自分を遥かに超える大きさと耐久性を必要とするからだ。能力も力も際限なく必要とし、自分の力は最大限に発揮出来なければ通用しない。
現場は生半可な気持ちじゃ続けてはいけない。 だから、弱い人間はふるいに掛けられ落とされていかなくてはならない。 それが、工期であっても、規則であっても、喧嘩であっても、レイプであっても。
俺だってそうやって今日までふるいに掛けられてきた。 力を持て余しているような人間の多い現場は、こうやって、レイプでさえも当たり前のように存在している。
耐えられるか、やり返すか、反撃するか。 それとも、現場を去るかだ。 力で刃向かえないのなら、頭を使う方法だって存在するのだ。
どんなことでも、長けた能力が必要なのだ。 見目の良い男なんて、現場では障害にしかならない。 からかわれるか、襲われるかの率をいたずらに高めるだけだから。
限に、掃除屋は陵辱されようとしている。 デカいペニスに右手を添えて、左官屋が腰を一気に押し付ける。 弾けるように掃除屋の体が男達の下で反り返る。
どれだけの苦痛を感じているかが一目で分かる反応だった。 男は掃除屋の小さなケツを乱暴に掴んで固定させると、サカったゴリラのように腰を使い始めた。
苦し気に白い体が何度も跳ねる。 意外なモノでも見たかのような表情で、押さえ付けている男達が、掃除屋の体をまさぐり、自分のズボンの前を広げる。
目が、離せなかった。 まるでAVでも見ているかのようだった。 最上階のリビングルームの巨大なガラス窓の向こうで、セックスシーンが繰り広げられている。その中に女は一人もいない。一人の男を陵辱するために、屈強な男が五人掛かりだ。
腰を振るのに夢中になりだしたリーダー格は、狂ったように快感を貪っている。 苦し気にのたうちまわる相手に対して、何の愛情も注いでいない。
セックスじゃなくて、まるで交尾だ。 乱暴に腰を叩き付けているだけだ。 掃除屋は揺さぶられるままに全身を波打たせている。 それでも次第に組み敷かれた男の体に変化が始まる。
身体の自由を拘束していた男達が興奮しだしてセンズリを始めても、逃げようとはしなくなる。 まるで何かに耐えているようだ。 気が付けば、掃除屋のペニスが徐々に頭をもたげようとしていた。
自分の反応に気付いた掃除屋が、うろたえたように暴れだした。だがそれも、突き上げられる動きの中の快感に捕まってしまうのか、ひどく弱々しい。 男の一人が口に突っ込んだ軍手を引きずり出す。
咄嗟に掃除屋は自分の口を両手で押さえた。 笑いながらその手を引き剥がす男達。 苦し気に、だがおそらく口から漏れるのは喘ぎの声だ。
その証拠に、周りの男達の表情が変わる。 堪らなくなったのか、男の一人が掃除屋の頭を掴み自分のペニスを口に突っ込み腰を動かし始めた。
一人が達し、また一人が達する。 覆いかぶさるように見えなくなっていく掃除屋の細い身体。持ち上げられた足が快感に痙攣するのだけが見えるばかりだ。
………現場の中では別に珍しいことじゃない。 かつては俺も、ルフィでさえも、同じ目に遭いかけ、そのうちの何度かは、最後までされた。
別に……珍しいことじゃない。 俺だって、自分の身体を持て余して、便所代わりに使ったことも幾らでもある。 陵辱される側が悪いんだ。
何も助けることはない。 助ける理由が見つからねェし………。 なのに……何でだ? ギリギリと身体のどこかが痛むのを感じた。
いつも感じる不快な孤独感とは全く異質の不快な何か。 『助ける』なんて、気の利いた考えなんて回らなかった。
ただ、もう見ていられなかった。 自分がどうにかなりそうで。 ………おい待てよ…。 ………頭、おかしいんじゃねぇのか?
俺は、昨日女と別れたばかりなんだぜ……。 しかも未だに未練があるって言うのによ…………。 それでももうどうしようもなかった。
腰道具からラジェットを取り出す。 ガチッ、と、鉄の柄を歯でしっかりと銜え、腰道具からスパナを取り出し両手に構えた。 窓越しの掃除屋は、されるがままに犯され続ける。
俺は、足場からダイニングルームへと繋がるベランダへと飛び下りた。 そのまま目の前に交差して構えた両手のスパナをガラス戸に向かって思い切り振り下ろした。
ガシャ -------------- ンッッッ!!!! 砕け散るガラス片と共に部屋内に飛び込む。 がっちりと口にラジェットを銜えているのに、不思議とデカい声が出た。
「よってたかってなにサカってんだよっ」 俺で良かったら相手してやるぜ?
もしも飯が終わったルフィが止めに入らなかったら、誰かどうにかなっていたかもしれない。 ぐったりとした掃除屋はそれでも随分気が強いのか、抱き起こされるのを本気で嫌がって、服もきっちり一人で着ていた。
「珍しいなゾロから喧嘩ふっかけるなんてさ」 「……ああ…まぁな」
現場監督から、叱られてんだか謝られてんだか良く分からない説教を散々食らった後、ようやく俺とルフィは解放された。 「悪かったな。とんだとばっちりも良いところだ」
「別に良いぞ。俺、お前が本気出してる顔初めて見れたしなっ」 シシシッっとルフィが嬉しそうに笑う。 「未来の海賊王の相棒になるんだから、それぐらい強くなってもらわねェと困る」
「………はは…っ……まぁな……」 最上階の足場の養生シートを外しながら二人で畳む。 Bタイプのリビングルームの巨大な嵌め込みガラスが粉々に砕けている意外は、至っていつも通りの現場の風景だ。
「ゾロ、ほら見ろよ」 指差した先には、金髪の掃除屋が部屋内で黙々と作業を続けていた。 時折痛そうに身体の動きを鈍らせながらも、ガラスを磨き、床を掃除し、サッシを磨く。
ふと顔を上げた時に目が合うと、掃除屋は困ったように視線を逃がして、作業に戻った。 「アイツ……強いな」 隣で嬉しそうにルフィが呟いた。
「……そうだな……」 それが、全ての始まりとなった。 数日後、ナミから掃除屋の名前を聞いた。
あれから窓越しに掃除屋を探す自分がいる。 続く。 top 3
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