【窓越しの掃除屋】

3

 


 ……あれから……
 窓越しに掃除屋を探す自分がいる。



 仕事帰りに新宿まで足を伸ばした。
 居酒屋で適当に引っ掛けた後、いつものように歌舞伎町へと歩き踏み入れる。
 薬局を通り過ぎ、カラオケ屋を通り過ぎ、悪趣味なネオンの店を通り越す。
 飲み屋。
 劇場。
 キャバクラ。
 テレホンクラブ。
 闇金融。
 ヘルス。
 コンビニ。
 ラブホテル。

 道端で普通に見えても堅気じゃないようなヤツ等が、獲物を探す目付きで人を眺める。
 『エス、あるよ?』
 いいかげんな格好をした男が、何だか暗号みてェなことを言いながら近付いてくる。
 無視して通り過ぎると、ぴったりと背後に並んでついて来た。
 『何、あんたシモネタの方?』
 知らねェよ。
 目も合わせずにそのまま歩く。
 そのうち男は軽く舌打ちすると歩みを緩め、町の雑踏に
消えていった。
 『ねーねー、今日ヒマー?』
 どう見ても中学生のガキ。
 別にコイツ等でも全然構わねェんだが、始まるまでにメシだカラオケだって連れ回される上に、いざコトが始まると尺八一つ出来やしない。
 下手だけならまだ我慢もするが中には見せた途端に『デカい恐い嫌だ』と逃げるヤツまでいるから最悪だ。
 覚悟ねェなら声掛けるな。
 『あ、時間ある?』
 訳の分からねェ、スカウト。
 『今なら空いてるよ。サービスするからっ』
 イメクラの呼び込み。
 ……アレだけは何が楽しいのか良く分からなかった…。
 サービスされても逆に困る。
 たった百メートルかそこらの距離を移動するのも、慣れて無いヤツは苦労する。
 明確な目的が無いヤツは真直ぐ目的地へと向かうことは出来ない。
 気を抜けば金も仕事も、下手したら自由まで奪われそうな勢いだ。 
 それでも活気と殺気に溢れたこの道は、時折妙に恋しくなる。

 「あ、いらしゃいませ」
 ようやく行きつけの店に辿り着く。
 外からだと会員制のクラブみたいな感じになっていて、やたらと敷き居が高く見える。この通りにはありがちな派手な呼び込みもその店には無い。警戒心を煽らせるような雰囲気をさり気なく造り出しているせいか、大抵の人間は立ち止まることも無く素通りしていく。
 半地下の店内もパッと見た目には高級クラブの内装だ。
 何も知らねェ客が来れば、きっちり高い入会金を払わせてそれなりの酒と料理をきっちり服を着込んだ女達と楽しめるようにはなっている。
 だがそれはあくまでも表向き。
 渡されるメニューを全く見ずに
 「魔王」
 と、言って、メニューについているリボンの結び目を解いて返すと、本当の用事でこの店に来た客だという証。
 店員の口調がほんの僅かに変化する。
 「あいにく本日は終了致しました」
 申し訳ございませんと頭を下げながら、店員が小さなカードを音も立てずに机の上に置いた。
 俺はそのカードを受け取ると、
 「なら今日は良い」
 と、立ち上がり、そのまま入り口へと向かった。
 入り口のドアを開け…上には上がらずに向いの扉のカードリーダーに先刻のカードを読み取らせる。
 『カチ』
 ロックが解除され、
 『ガチャ…』
 っと、金属音を立てて、普段は堅く閉ざされている扉が手応えと共に開いた。
 中には、小さなカウンター。
 二歩でカウンターに辿り着き、カードキーを置いてある皿に置くと、中から店員が現れた。
 「あ、こんばんは」
 人懐っこそうに店員が笑う。
 「今日は早いね」
 「風が強かったからな」
 「へー…やっぱり鳶の仕事って、風があると危ない?」
 「ああ」
 「大変だよね。んで?今日はどうする?」
 「この前と同じので」
 言われる前にカウンターの上に三万を置く。
 「はい、確かに。じゃ、そこの部屋で待ってて」
 店員が指で軽く目の前の扉を指差す。
 俺は頷き、踵を返して部屋に入った。
 ビジネスホテルのシングル程度の大きさの部屋に、ベットが一つ。扉の直ぐ側にユニットバス。
 目的が一つしか無いような部屋のベッドに腰掛けていると、直ぐに女がやってきた。
 「こんばんは」
 バスローブ姿の女が、満面の笑顔で笑う。

 この、入るまでにやたらとややこしい手続きがある店は非合法の風俗店だ。
 他のヘルスなんかと違って、隠れるように店を構えているのは警察に摘発されるのを逃れるために他ならない。
 この店のウリは、ズバリ『本番』。
 コンドームさえ着ければ、時間内は気の済むまで好きにやらせてくれる。
 店の女も良い具合に淫乱で、多少乱暴に扱っても激しく腰を揺らせて歓ぶ。思う存分発散出来て、イライラしている時には丁度良い。
 下らない感情も何もなしなら、優しい言葉の一つも掛けられる。
 女は嬉しそうに俺を客として扱う。
 おかげで、忘れていられる時間が出来る。
 「ね、直ぐに始める?」
 「…ああ」

 ルフィもたまには使える店を知ってるもんだな…。

 「なぁ…」
 「……ん…?なに?」
 バスローブをはだけると、下は下着しか着けていない。
 背中に手を回しホックを外すとはみ出す勢いだった乳房が弾むようにブルンッ!と、剥き出しになった。
 「エスとかシモネタっつーのは何だ?」
 「あら?お客さん、知らないの?」
 シャツを脱いでそこら辺に放り投げた俺ににじり寄りながら、ズボンのベルトに手を掛け、女が意外そうな顔をした後、笑った。
 「…ゾロで良い」
 「ゾロ?良い名前ね。あのねゾロ、エスとかシモネタって薬のことよ。エスはスピードでシモネタはセックス専用の覚醒剤」
 「覚醒剤に専用も何もあンのか?」
 チャックに顔を近付けて、殊更ゆっくり丁寧にジッパーを下ろす。
 「うふふ…良い匂い……。あるわよ。えーっとねぇ…何とかナトリウムって言うのを混ぜたヤツなんだって。内股とかに注射するんだけど、もう触られただけでイッちゃうぐらい感じちゃうみたいよ」
 「詳しいな」
 「やってるコもいるからね。あ、でも内緒にしててよ。おまわりさんに見つかったらタイホされちゃうから」
 ズボンをずり下ろし、下着の上から楽しそうに俺のペニスに掌を当てる。じんわりと温かくなるのが気持ちよかった。
 「…水で溶いて…ココに塗ったり、女の子だったらオマンコに塗ったりしても良いんだって。シモネタが効いてくるとね、挿れられると死ぬ程気持ち良くなるみたいよ。火花が散るみたいな感じだって言っていたよ。でね、オチンポもね、ずーっとずーっと、カチカチのままになるんだってっ」
 女はトンビ座りの格好で股の所に枕を挟み、腰を揺らして自分のクリトリスを刺激しながら、俺のモノに下着の上から頬擦りを始める。
 「んっ……ね…ゾロ……舐めても良い……?」
 返事を聞く前から細い指が下着を引き摺り下ろし、欲情し始めたような目付きでカリ首の辺りを凝視しながら舌舐めずりをする。
 「…ん…っ…」
 「あん…っ…やっ……まだ声出さないで…っ…そんな声聞かされたら…我慢出来なくなちゃうじゃない……」
 女の左手が自分の股の間に伸び、右手は俺のペニスを握る。
 「ゾロのオチンポって…大きくて大好き…」
 甘噛みするように柔らかく齧りついてきた。

 十分にしゃぶらせた後、まだ舐めたがる女を引き離し、ベットに横たわらせた。
 「薬…欲しいか?」
 女は笑って残った薄い下着を脱ぎ去る。
 白く、ナミよりも二廻りぐらい肉付きの良い身体の中心には少し量の多い黒い茂み。
 「そんなのいらない。それより一回イカせて欲しいわ」
 ゾロの身体見るだけで興奮しちゃって大変なのよ…と、女は股を大きく広げて割れ目を見せた。
 すっかり濡れそぼった股の割れ目から溢れた愛液は、ケツの穴まで、濡らしていた。
 ケツの穴……。
 一瞬身体の動きが止まる。

 暴れる細い裸体。
 力強い、しなやかな足。
 屈強な左官屋達に組み敷かれ、高く持ち上げられた…両足。
 その間に見隠れするペニス。

 「…ね…ゾロ…挿れて……」
 女の声で一気に勃起する。
 「…やん……凄い……ねぇ…後でいっぱい色んなことしてあげるから…ぁ……早く…ぅ……」
 「……っ」
 目の前に女が大股を広げて待っている。
 見えている。
 分かっている。
 だが、頭の中では別のことを考えている。

 男に犯され苦痛に歪んだ掃除屋の表情。
 やがて快感の波に飲み込まれた。
 姦される身体の変化。
 勃起した掃除屋のペニス。
 快感に仰け反る身体。
 乱暴に突き上げられる度に揺れる金色の細い髪。
 聞こえない叫び声。
 聞こえない…呻き声。

 「ね…挿れて……っ……あうっっ!!!」

 聞こえない……喘ぎ声………。
 工事現場の足場の向こう。
 足場の上で…建物の外から偶然見かけた室内の強姦。


 犯されていたのは……


 窓越しの…掃除屋……。


 「あうっ!!…ああっっ!!ゾッ!…ゾロッ!!!」
 いきなりのセックスで、最初からガツガツ女の身体を揺さぶり上げる。自分でもどうかと思うぐらい乱暴な腰の使い方だった。
 それでも女は歓喜の喘ぎを叫ぶ。
 「ああああっっ!!!凄…いぃぃっっっ!!!んっ!!んんっっ!!あっ………はぁっっ!!!」
 別の生き物みたいに揺れるデカい乳房を力任せに掴む。
 「あんっ!!」
 女を引き起こし、自分の抱き合う姿勢で跨がらせる。
 「ああああっっ!!!」
 髪を振り乱し、掻きむしり、俺の頭に縋りついてきた。
 顔にぶつかってきた乳首に、むしゃぶりつくように吸い付き、舌で転がす。
 強く吸い上げると乳首の芯が、乳房の奥から飛び出して来た。
 途端、まるで何かのスイッチが入ったように、女の身体が熱くなった。
 「あっ……あっ……はあっっ!……あっ……あた…し…ね…っ……ゾロ…と…っ…だったら……薬……っっ!!ああっ……はっ……そこ…っ……あっ……あっ…あっ……く…薬…は…いらない…っっ…のっ……んっ!!……だっ…だって……あああ……んっ……こんなに……感じちゃ………っ…うんっ……だ……もの……っっ……んっ…」
 喰い付いてくる下の口に埋められた、男を喜ばすためのパールのピアスが竿を刺激する。
 たしぎともナミとも形が違う、その膨らむ肉壁を抉りながら、俺は頭の中の妄想を必死で振払う。
 だが、それが出来ない。

 割り壊した窓ガラス。
 飛び込み助け出した掃除屋。
 殴られた痕。
 そして、
 血に濡れた肛門。
 肛門。
 掃除屋の犯された、肛門。

 「…ぞ……ぞろ……ぉ………」
 「………うっ……」
 女の声が、あの掃除屋の声かと、間違う。
 途端、急激に追い詰められる。
 どうかしている。
 相手は男だぞ?
 「もっと……もっと……もっ……ああ……っ……」
 「……うう……っ……はぁ……」
 「……やぁ…っ……ねぇ……っ…ゾロ……気持ち…良い……?……」
 「………………ああ……っ…」
 幸せそうな焦点の合わない表情で女が崩れ落ちるように笑う。
 「……あなた…と…だったら……くすりなん…て…っ…いらない……だって……ゾロは……覚醒……剤より…凄い……っ……んだ…もの……」
 段々、誰と…何とセックスしているのか分からなくなっていった。
 頭の中で、勝手に相手が変わっていった。
 (………冗談だろ……)
 本当にどうかしてるぜ……。
 思った途端に興奮するのかよ?
 「……ん……」
 「…ゾ…ロォ……」
 淫乱な店の女が…アイツと……思うなんて……な……
 「……ああ………」
 「やぁぁぁぁぁ………ん……ぞろ……あなたの声……聞いたら……」
 女の身体から一気に汗が吹き出す。
 膣の中全体から吹き出すように愛液が溢れ、結合部分の音が一層濡れて卑猥になる。
 「うっ…」
 「あぁっっ!!」
 イッちゃう!!と、狂ったようなエロい声を上げた。
 俺は…女を見据え、激しく腰を揺さぶりながら頭の中で掃除屋の身体を想像する。
 ……おかしいんじゃねェか?
 異常に興奮して来るのを自覚する。
 わざと女に喘ぎ声を聞かせてやる。
 女は身体を捩らせ俺の喘ぎに反応した。
 「いやっ……そんな厭らしい声……聞かせないで……っ……あんっ!!ああっ!!いっ……イッちゃう……!イッちゃうっっ!!イクーっっっ!!」
 「はぁ…はぁ…うっ…は…ぁ……良いぜ……イけよ…」
 ヒクッ…と女の身体が跳ねた。
 「……………あああああああああっっっっっっっ……」
 絶叫の中で、女が絶頂を迎える。
 仰け反らせた顎が少しだけ掃除屋に似ているのに気が付いた。
 「…っっ!!」
 その顎のラインを見ながら、俺は女の中に直接全部、打ち出した。
 吐き出した後……俺はセックスの最中に…最愛の女の…くいな…のことを…一度も思い出さなかったことに気が付いた。
 「…………大丈夫か……?」
 女は、あれだけ乱れた後だって言うのに、はにかんだ表情を浮かべ、直ぐにその表情を両手で隠した。
 「………うん……」
 そろそろ…と、俺を探す白く細い指に、窓越しの掃除屋の繊細な指を思い出し、息を詰めながら、その手に…触れた。
 
 本当に…どうかしている。

 せがまれるままにセックスを繰り返し、その後、思い出したようにセックス無しで抱き合った。
 女の身体はどこまでも柔らかくて、良い匂いがして、優しかった。

 『また来てね』
 『ああ』
 『約束よ』
 約束する…と、言えなかった理由が、分からなかった。
 俺はカウンターで追加料金を払い、新宿駅に向かった。

 『エスあるよ』
 先刻とは違う男が薬を売りに近寄ってきた。
 「………」
 「エクスタシーもシモネタもあるぜ」
 ぴったりと横に付けて歩く男に俺は言った。
 「その薬なら間に合ってる」
 そのまま足を速めて俺はその場を立ち去った。

 また終電に乗り遅れた。
 金が無いから歩いて帰ろうとデカい道を歩き始めた。
 俺の家の前もこんな道路が近くに通っているから、多分この道を歩いていけば、家の側までいけるだろう。
 ブラブラと歩道を歩き続けると、車のショールームの前に出た。
 電気の消えたガラス張りの室内は、非常灯に照らし出された車が整然と並べられていた。
 俺は車に興味は無い。
 それでも他に見るものも無くて、首を右に向けたままガラス越しの部屋内を眺めていた。
 車、机、子供の遊び場。
 自販機、車……サッシの溝…。
 床の汚れの側……
 窓ガラスの汚れの隣……
 部屋の隅の汚れの集まる掃除箇所……
 クセのない金髪……
 銜えタバコの……。

 「………バカか俺は……」

 ……重傷だ。
 力まかせに前を向く。
 耳のピアスが
 『チャラッ…』
 っと、小さな音を立てた。
 結局いつまで経っても家の側まで辿り着けなかった。
 いい加減眠くてどうしょうも無くなって、コンビニで店員に教えられながらATMで金を下ろしてタクシーに乗った。
 いつも新宿駅から夜中にタクシーを拾ッても、三千円あれば帰れるはずなんだが、今日に限って七千円もした。
 あいつは多分白タクだ。

 

 続く。

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