【meraviglioso】
++奇跡++
4
奇跡とかって、存在しない。
あっても、そんな簡単に起きたりはしない。
ジジイに初めて出逢った嵐の夜に、生き延びることが出来たのは奇跡じゃなくて、ジジイがいたから。
バラティエで人質にされた時、殺されなかったのは奇跡じゃなくて、俺が犯人を殺したから。
俺が窓越しにゾロに逢ったのは…奇跡じゃなくて…奇跡じゃなくて……俺が掃除屋で、アイツが鳶だったから…。
奇跡じゃなくて。
運命………?
「……んな訳ねーし……」
んな訳ねーけど……出来ることならもう一度会いたい。
俺から逃げ出したんだけどさ。
会わせる顔なんて、今更無いんだけどさ。
でも、出来ればもう一度会いたい。
会ってどうなるって訳でもないけどさ。
もしかしたら、もうほかの誰かと付きあってるかもしれないし。
ああ…でもいっそその方が、すっぱり諦められるかもしんない。
好きなんて言われたから、こっちも変な期待してんのかも。
誰かのモンになってて、誰かと一緒に生きてんならそれで良いし、それが良い。
そしたら、もう俺も苦しまなくて済む。
何日も悩んだ後、俺は意を決してナミさんにメールを送った。
『ねぇナミさん、俺、聞きたいことあるんだけど』
『あ、サンジ君、元気?ちょっと前まで一杯メールくれてたのに、最近全然こないから心配してたんだよ。ん?聞きたいことってなぁに?』
『ルフィの今の現場って、どこ?』
今でもルフィとゾロが変わらず同じ仕事をしているなら。
ゾロは?なんてどうしても聞けなくて、ルフィのこと尋ねるフリをしてしまった。
『川口だよ』
『川口の何て言う所?』
『スカイタワー55って名前のマンションよ。駅前の再開発の事業だって話だけど』
『そっかー。ありがとね』
『なぁに?ルフィに用事?だったら、ウチに遊びに来れば?』
『あ、そうだね。うん。じゃ、そのうち行くね』
『ホント?じゃ、美味しいもの用意して待ってるよ』
『うん。ナミさんの手料理が食べられるなんて幸せだな〜vv』
震える指でメールを送る。
文章が不自然じゃないか、何度も何度もチェックして、送信ボタンを押した。
川口駅前再開発。
スカイタワー55。
ナミさんの返事のメールを何度も何度も口の中で呟いた。
携帯を握る指先が真っ白に成る程強く握っていたのに気が付いたのは、暫く経ってからのことだった。
じっとしていられなかった。
時計を見たら、夜の八時を回っていたけど、もうじっとなんてしてられなかった。
立ち上がり、クローゼットを開けて、ジャケットを引っ張り出す。
腕を通して、ベッドサイドに置いてある財布と鍵を掴む。
「んなー」
「俺、出掛けてくる。留守番頼むなっ」
「んにゃーっ」
小さな舌を出しながら俺を見上げて何やら遊べと訴えてるジージの頭をポンポンッと軽く叩いて玄関の方へダッシュした。
「んなーっっ」
「ごめんっ!明日、ニボシ買ってやるからっ」
にゃーっと文句の声を上げているジージに声を掛けて、俺は玄関から飛び出す。
二段抜かしで階段を駆け下り、ダッシュで公園を突っ切る。
バス停まで一気に走り抜け、タイミング良く走って来た空車のタクシーを捕まえた。
「すみません…っ…駅まで」
息を切らしながら運転手に言った。
「急いで…っ」
こっから川口駅までなんて、急いで行ったって一時間以上掛かる。
現場上がりは五時って言うのが基本だから、現場にいる可能性なんてホントゼロに等しい。
それでも、家でじっとしてられなかったんだ。
そんなに会いたいなら、ゾロのアパートに行けば良いんだ…なんて、気は全然回らなかった。
今直ぐ会いたい。
それ以外、何も考えられなかったんだ。
学園の駅に着いて、改札を走り抜け、階段を転げ落ちるぐらいの勢いで駆け下りる。
ジリジリしながら二分後に到着する電車を待って、心臓をジクジクさせながら池袋の駅に到着するのを待つ。
駅の構内をほぼ端から端まで駆け抜ける感じで、JRの改札口を通り抜ける。
埼京線で赤羽。
そしたらまたダッシュで、次は京浜東北線に乗り換える。
懐中時計を見ると、時間は容赦なく流れてて、もうじき九時になりそうだった。
電車の窓際にへばりつくようにして、進行方向をじっと眺める。
大きな橋を渡り、
『次は川口〜。川口です』
と、車内にアナウンスが入る。
(…あ、あれだ)
川口駅のホームの光の直ぐ脇に、見上げるような高さの工事現場の仮設の光が見えて来た。
途端に心臓が、ギューっと縮まるように痛んだ。
(…ゾロ…)
いないかもしれない。
こんな時間だ、いる訳が無い。
でも。
それでも。
お前とは現場で会いたいんだ。
電車がポームに滑り込み、ゆっくりと止まる。
ドアが開いた瞬間に、俺は飛び出すように走り出した。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…はぁ…っ…」
現場は九時を過ぎたって言うのにまだ現場の車が出入りしていた。
入り口のフェンスの直ぐ側に掲示してある工事日程のボードを覗き込む。
『五月一日、二十一階スラブ配管』
『五月七日、二十一階立て込み』
『五月十日、二十一階コンクリ打』
見上げてみると、最上階に向かうゴンドラがまだ稼働している。中に乗っているのは…あの腰道具だったら…電気屋と…設備屋と…鉄筋屋だ…。
この時間にまだ上に上がろうとしてんなら、今夜は突貫工事をする気だな。
今日は五月三日。
電気屋と設備屋が残ってるっていうんなら、今スラブの配管……っつーことは……
工期が遅れてる。
だったら…付き合わされて鳶も残らされてるはずだ…。
(ゾロ…ッ…どこだ?)
俺は、目を凝らして現場を見上げた。
「関係者の方ですか?」
後ろから突然声を掛けられてビックリして振り返ると、警備員が俺のことを見ていた。
「どこの業者?」
「…掃除屋です」
「ん?まだ掃除屋は入ってないよねぇ…」
胡散臭そうな顔で覗き込む警備員に、咄嗟に言葉を探す。
「ああ、うん。俺の業者はまだ二ヶ月後になんないと入んない。今日はたまたま近く通ったからよってみただけ。今度よろしくね。ね、監督さん、いる?」
こんなでかい現場の場合だと、新規入場なんてほぼ毎日引っ切りなしのはずだから、堂々としてれば怪しまれることも無い。
「ああ、まだいるよ。何?会うの?」
「うん。挨拶ぐらいしとこーかなって。良い?」
精一杯に愛想良く笑ってみせた。
「今の時間じゃ新規入場も出来ないよ?」
「良いんだ。挨拶だけだから。ね、良いでしょ?」
ニコニコ笑う。久し振りに笑ったから、筋肉の使い方が分かんなくって、すげー顔が引き攣った。
とにかく、精一杯笑う。
警備員は少し考えた後、人懐っこそうに笑ってゲートの奥を指差した。
「そう。じゃあ…良いよ。気をつけてね。あ、監督さん今補修チェックに入ってるから暫く下りてこないけど大丈夫?何だったら、そこを右に行った突き当たりの事務所に入って待ってれば良いよ。はい、じゃ、これヘルメットね」
「ありがと。じゃーね」
警備員に手を振って、現場のゲートを潜る。
途端、懐かしい現場の音と匂いに包まれた。
現場の空気が不思議と俺の気持ちを引き締めた。
ゾロには会えないもしれない。
こんな広い現場で会えるなんて…それこそ…奇跡だ。
奇跡なんて、俺はもうずっと前から信じていない。
奇跡なんて、そんな都合の良いことある訳ない。
でも。
今だけは。
(会いたい…っ…)
奇跡を信じて階段を駆け上がり始めた。
急な外階段を全速力で駆け上がる。
次第に職人達の掛け声と器具の音や、施工の音が聞こえて来た。
懐かしい。
身体のどこかが現場の感覚を覚えている。
コンクリのガラを避け、型枠固定の鎖を跨ぎ、資材を乗り越える。
「はぁはぁはぁはぁはぁ…」
息を切らして、最上階まで昇って行った。
「はあっはあっはあっ…っはぁ…」
一番近くの部屋に飛び込み、身体を折り曲げて、荒い息を整える。
「はぁ…っ…」
顔を上げると、窓枠になる予定の開口部分から、町の夜景が身渡せた。
「……はぁ…っ…」
真っ暗な空に、眼下に広がる電灯の海…。
(……綺麗だ…)
少しの間、自分が何しに来たのかも忘れ、窓の外の景色を眺めていた。
この、光の数だけ人が暮らして生きているんだなって思った。
純粋に綺麗だなって思った。
たった一つの町だけでも、海みたいに光が溢れてるんだ…すげぇな…って、思った。
こんな…こんな…たくさん人間が生きている所で…俺はあの日…ゾロに出逢えたんだな…って…思った。
現場なんて、いくらだってある。
それでも、『あの日』俺はゾロと出逢った。
鳶と掃除屋なんて、何の接点も無いような業者同士だったのに、ゾロは俺を窓越しに見付け、俺はゾロを窓越しに見付けた。
良かったのか、悪かったのか。
そんなのもう良く分からない。
でも、俺は、ゾロに出逢った。
出逢うって…それだけで……奇跡なのかな……
「……ロ…ッ…」
会いたかった。
会って、抱き締められたい。
会って…伝えたい。
現場で、初めて逢ったあの時みたいに。
まだこの現場は上へと伸びて行く途中で、俺が掃除を出来るどころか、部屋すら出来ていない空間があるだけだ。
空間を隔てる窓すらなく、ただ広く壁が切り取られているだけの空間。
やがて窓になる、あの開口の向こうに、
ゾロがいて欲しいって…心の底から…俺は願った。
「…………ゾロ…ッ…ゾロ…ォッ…」
目を固く閉じ、両手を強く握り締め、俺は、叫けぶ。
「ゾロォッッ!!!」
初めて愛しいと思った男の名前を。
やがて、『奇跡』は、俺の所に訪れた。
『その』瞬間、俺は全身に鳥肌が立った。
「……サンジ…」
大きく開いた開口の向こうに、信じられない…っていった表情で俺を見詰める……ゾロが、いた。
「…ゾロ…」
自分でもどうかって思うぐらい、震える声で名前を呼んだ。
「………ゾロ…」
直後、部屋の中に飛び込んで来たゾロに、攫われるようにきつく、きつく、抱き締められた。
骨をそのまま砕かれるんじゃないかってぐらい強く抱き締められながら、俺は、ゾロの匂いを嗅いだ。
「お前…どうして……」
俺の肩口に顔を埋めたまま、ゾロが耳元で呟いた。
信じられない、って感じに声が動揺していた。
久し振りに聞く、低く良く通るゾロの声に腰の周りをゾクゾクさせながら、俺は答えた。
「どうしても会いたいと思った。…思ったら止まらなくなった…ナミさんに仕事先聞いて…来た…」
ゾロの肩に押し付けていた顔を上げると、間近にゾロの顔がある。
顔を見た途端に、心臓がまたぎゅーっと締め付けられたような感じになって、それから急にドキドキ鳴り始めた。
顔が熱くなって行くのを感じながら、それでもゾロから目を離さずに言葉を続ける。
「…俺…どうしても…お前に会いたかったんだ…あんなことされて…逃げ出したけど…ずっと…お前が忘れられなかった…。自分でも何考えてんのか分かんなかった……でも、ようやく分かった……」
言葉が詰まって上手く言えない。
(好きなんだ…ゾロ…)
せめて、頭の中で、大声で叫ぶ。
そしたら今まで押さえていた気持ちが止まらなくなった。
「……ずっと……ずっと…ずっと…ずっと…お前が…っ…!!」
『好き』だって上手く言えない。
もどかしくて、俺はゾロに力一杯しがみつく。
ゾロが、答えるように俺を抱き込み、抱き締める。
「…俺…は…っ……」
「…もういい…分かったから……もういい…」
最後には、ゾロに言葉を遮られてしまった。
ゾロが無言で俺をきつく抱き締める。
暖かくて力強いゾロの体温が俺の身体に流れて来るのが分かった。
「…うっ…うう…っ」
もう…我慢出来なかった。
涙が溢れ無いように、目を固く閉じたけど、ボロボロと後から後から涙が溢れた。
我慢しようとすればする程、本泣きになってきて、最後はガキみたいに派手にしゃくり上げて泣き出してしまった。
「…泣くな…」
ぎこちなく俺の髪の毛を撫でながら、ゾロは困ったように呟いた。
「これ以上泣かれると…我慢出来なくなりそうだ」
「っく…うっく…うっく…何をっ…だよ…っ…」
「………」
突然ゾロが俺の顔を上げさせ、噛み付くようにキスして来た。
「…欲しくなる」
怖くて体が強張った。…でも、俺もゾロが欲しかった。
セックスの恐怖と期待にガタガタ全身を震わせたまま、俺はゾロにぶつかるように自分から唇を重ねた。
お互いがお互いを貪るような、凶暴なキスだった。
だけど今の俺達には丁度良い。
キスの合間にパニくってる俺は、みっともないくらいにわーわーと泣きながら、それでもバカみたいに何度もゾロにキスを強請った。
好きとか、怖いとか、寂しかったとか、嬉しいとか…そんな感情が全部混ざり合って、腹の中とか頭の中とかで爆発してるみたいで、自分じゃどうにもならない。
ただ、ガキみたいに泣きじゃくりながら、何度もゾロにキスを強請る。
「…っくっ…ひっく…ううっ…っ…ゾッ…ロッ…」
しゃくり上げながらゾロの名前を呼ぶ。
「んん?」
キスだけじゃ物足りないって感じに俺の身体を弄るゾロが、返事をする。
欲情したゾロの声は、一瞬で俺の理性も何もかも奪い去ってくれた。
「どうした?」
「俺、今直ぐ…っ…お前…がっ…欲しい…っ…!…」
甘えるように首に齧り付く。
ジージみたいに、全身でゾロに縋り付く。
「…俺もだ…」
ゾロが、俺を抱き締めたまま、俺のベルトに手を掛けた。
…それから後は、記憶がグチャグチャで……
すっげー泣いたと思う。
それから、すっげー甘えたと思う。
何度もゾロの名前を呼んだし、何度も名前を呼ばれた。
『掃除屋』って呼ばれるんじゃなくて、俺の名前で呼んでくれて、俺の名前知ってたんだって思ったら、また嬉しくて涙が出た。
最上階は突貫工事の真っ最中で、同じ階でうろうろしてた職人は何人もいたし、絶対その中の何人かには見られたと思うし、なんか言われたような気がするし、ルフィの声を聞いたような気がする。
『良かったな、お前達』
シシシッ…って笑う、アノ声を聞いたような気もする。
でも、どれも何だか良く分からなかった。
ゾロに抱かれるのが気持ちよくって、嬉しくって。
ゾロのチンコはやっぱりでかくって、痛くって、ケツの中が一杯一杯で、それでも最後は気持ち良くって、声枯れるまで喘ぎ続けた。
気が遠くなる程セックスを繰り返した後、ようやく俺は
旨く言えなかった言葉をゾロに伝えることが出来た。
『……クソ…ッ……大好きだ……』
ゾロは、あの殺風景な四畳半一間のアパートを引き払って、俺の所にやって来た。
初めてゾロにジージを見せた。
見るからに物騒な男だから、ジージが慣れるのには時間が掛かるだろーなって頭を痛めてた。
ところが、信じられないことに、ジージは三十分もしないうちに、ゾロの膝の上でゴロゴロ喉を鳴らし始めた。
『コイツ、お前に似てるな』
ゾロが、壊れ物でも扱うみたいに慎重にジージの背中を撫でながら、少し笑って俺に言った。
もう、俺達は一人じゃない。
終
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