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 理数系?って聞いたらきっぱり違うと否定された。
 んじゃ何の研究してんの?って聞いたら、暫く黙り込んだ後に
 『定理』。
 今までの人生の中で一番じゃねーか…?…級の途轍もねーような、ぶっきらぼうな口調で返された。
 そいつが数学者だって知ったのは暫く後。研究所でやっぱり数学の研究をしている学者のロビンちゃんにケータリングのサンドイッチとコーヒーを持って行った時。
 『…あら、あなた、凄いわね』
 彼が初対面の人と話をする確率は、あなたが初対面の女性にいきなり殴り掛かる確率よりも低いのよ…ってクスクス微笑われた。
 「そんなっ、俺、絶っっっっ対にレデイになんて手、上げないよっ」
 「だから。凄いのよ」
 それ以上は微笑って教えてもらえなかった。

 

 

 グランドライン研究所。
 グランドライン大学の広大な敷地の中で一番見付け難くて一番行き難い場所に、まるで秘密基地みたいにして建てられた施設だ。
 詳しいことは良く分かんないけど、何でも世界中から選りすぐりの学者だけが研究室を与えられるって話で、研究者なら誰もが憧れる『夢のような研究所』らしい。
 化学・数学・物理学に生物学。工学・文学・歴史学に医学…etc、etc……。
 およそあらゆる学問の分野でそれぞれのトップレベルの学者が日夜研究を続けている…って言うような、ヤバいくらいに勉強好きの猛者ばかりが集まった場所。
 ゴールド・ロジャー、シルバーズ・レイリー、ドラゴン、ベガパンク、コウシロウ、くれは、ニコ・オルビア…。まぁ、歴代の研究者の名前を聞いただけでも俺だって知らないヤツはいないって勢いだし、今研究所で注目を浴びているカヤちゃんとかローなんかは、学会でものすごく斬新な切り口で新しい治療法を次々発表してるとかって話だ。
 …ま、俺には全く次元の違う世界の人間だよね。
 俺が経営してる小さなサンドイッチ屋の『大得意さま』っていう方がよっぽど重要。
 朝十時までに各研究室単位で注文のファックスが届くから、フル回転で作り上げて十一時五十五分までに時間厳守で『ご注文の品物』をお持ちする毎日。
 たまに研究所で出会う数学者のロビンちゃんとか、気象学者のナミさんななんかとお喋りして楽しい時間を過ごす以外は特に大きな接点もなく、収入以外は特に大きな思い入れも無い場所。

 …だった所。

 

 あいつは。
 中心の研究者の平均年齢がダントツに若い数学者の中でも若い男。
 学者の中では珍しい、横の繋がりが強い数学者の中で唯一、人から避けるようにしいる一匹狼気取りの男。
 間違いなくインドア派の仕事をしているクセに無駄に鍛えた身体をしている男。
 胸板とか…認めたくねーけど…俺より随分と分厚いのは確かだ。脱ぐとかなり凄そうだが、ロビンちゃん曰く、無類の人間嫌いって話だから筋肉の持ち腐れって所だろう。
 ムキムキマッチョ(…と思われる)無用の筋肉で覆われている(…に違いない)ヤツの身体が見れるのは、多分風呂と着替えの時ぐらいだろう。せいぜい鏡に映して数学者らしく質量計算で筋肉の量を自己チェックするのが精一杯なんじゃねーか?
 全く無駄にいい体をしてるから筋肉が気の毒でならねーぜ。
 マリモみたいなここら辺じゃ先ず見ないような色の髪。
 何だろう……ここまで似合わないのも珍しいんじゃないか?ってぐらい似合っていない白衣。その下はいっつもヨレヨレのシャツと残骸チックなネクタイ。まさかと思うがズボン…本当は要クリーニングのスーツとかてぇのを完全無視して、洗濯機の洗いざらしをざっくり履いてねーか…?
 とにかく身だしなみは寧ろマイナスポイントの男。
 ムスッとした表情。
 やけに物騒な目付き。
 怪我をしたのか、碧眼の男。
 デカイ手。
 太い首。

 『…チャリ…』

 三つのピアス。

 寡黙なその数学者。
 名前はロロノア・ゾロって言うそうだ。

 

 

 注文が入ったのは突然だった。
 俺の店って小さいし店員なんて俺一人だから、ケータリングするのは毎日大口注文してくれるグランドライン研究所だけ。作る時間も考えて、注文の締め切りは午前十時。学者って言っても研究している分野もホント色々なんで、学科によって個性も色々。
 読ませる気がないんじゃないかって心配になるような斬新な字体と、どこの国の言葉だよっ!!って突っ込みを入れたくなるようなスペルを自由にちりばめてくる医学者。
 なにやらやたらと精密なサンドイッチの挿絵を入れて『マスタード多め』とか『ハム抜き』なんてカスタムや『右図の食材が挟まれた物(九月三日からの新メニューか?)』って感じに名前じゃなくてあくまでも絵で要求してくる生物学者。
 美味しかったよ。とか、イタリアの風を感じたよ。なんて感想を一言付け加えてくれる文学者とか歴史学者。
 ものすごく几帳面な注文表を独自に作成し、小計と合計まで出してくれる数学者。
 (…なぜかどこの研究室も最初に俺が渡した注文票を使わない)
  ま、研究室のカラーがガッツリ出まくってる注文書が届く訳なんだけど、ある日、注文書を解読(?)している最中に一人分の注文だけが書き込まれた紙が一枚紛れ込んでいた。
 なんだかさっぱり理解出来ない数式と三角形が幾つも書き込まれた紙の余白に書かれた個性的な文字。

 

 『タマゴサンド 1・ツナサンド 1・コーヒーはポットに五杯分 11研究室』

 

 妙にシンプルな注文だったのが印象的だった。

 

 

 

 グランドライン研究所 11研究室。
 コンコン。
 指先だけの軽いノックの後、ドアから一歩下がって待つ。
 暫くすると
 ガチャ…
 どっしりとした造りのドアが内側に開き、隙間から見知らぬ男の顔が覗いて見えた。
 「ロロノアさん?」
 無言で頷いた相手に右手に持ったサンドイッチのボックスを見せる。
 「Ho fame(オ・ファーメ)です。ご注文ありがとうございます」
 条件反射の営業スマイル。
 「………」
 機嫌が悪いのか眠いのか今ひとつ分からないような表情の男は俺とサンドイッチのボックスを一回ずつゆっくりと見詰めた後、少しだけ大きくドアを開いた。
 クイッ。
 「チャリ…」
 早く入れ、って感じに太い首を傾けられた時、耳についてたピアスに初めて気が付いた。
 


 続く

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