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 「んーだよ……っ!!」
 必死でポーカーフェイスを保ちながら歩き慣れた大学の広大な敷地を通って正門を抜け、目の前の道路を横切る。
 ガツガツと靴の踵が一気にすり減りそうな大股で乱暴に歩きながら信号のすぐ前にある大学芋屋の甘い匂いを嗅いで出来うる限り気分を落ち着かせつつ、隣りの古本屋の前を通り越し、隣りにある雑貨屋の店前のカラフルなバスマットやらスリッパなんかが山盛りに積まれたワゴンを避ける。
 ピタリと足を止めて小さな店の前に体を向ける。
 正門から徒歩一分未満圏内にある店『Ho fame』。読み方はオ・ファーメ。イタリア語で『お腹がすいた』って意味。俺が言うのも何だけど良い名前じゃねーかなって結構気に入っていたりする。
 マリンブルーとホワイトのツートンカラーのオーニングと特注で作ってもらった洋菓子兼サンドイッチ用の横幅が2400ミリあるセミハイショーケースが目印のサンドイッチ屋
…つまり、俺の店だ。
 店のデカさの都合上随分と細めに作らざるを得なかったドアの鍵を開けて、するりと店内に滑り込む。
 「〜〜〜〜っ!!」
 肩を怒らせながらドカドカ奥の方へと歩いて行き、これは普通サイズで取り付けられた厨房へと続くドアを開いて中へと入る。
 『パタン…』
 静かに扉を閉めて、肺一杯に空気を吸い込み、
 「んーだよっ!!」
 思いっきり顔を顰めて毒づいた。

 (あんの野郎〜っ!)
 今先刻初めて会ったクソ無表情な男の顔を思いだす。
 「……クッソー…ッッ!!」
 ものすごく八つ当たりとかしたい気分だっ。
 腹いせになるようなモンを探して厨房の中を物色する。
 見付からなくて「…んーっっ!!」仕方が無しに銀色の業務用の冷蔵庫の中から卵と牛乳を取り出す。強力粉と砂糖とハチミツも調理台の上にドカドカと並べた。
 「うおおおおっっっ!!!!」
 ボールの中に一気に八個の卵を割り入れて、砂糖をボサッッ!!っと放り込み、敢えてハンドミキサーは使わずに、力一杯泡立て始めた。
 「クッソォォォッッッッ!!!」
 怒りを鎮める『ストレス発散レシピ』に手を出すなんざ、料理人として二三日立ち直れないくらい自己嫌悪に陥る負の所行なんだが、流石に今日は我慢ならねーっ!
 暫くの間、一先ずは色んなモン全部棚に上げて、力一杯ボウルに泡立て器を叩き付け続けていた。
 「…ロロノア〜っっ!!」
 重たい生地に歯を食いしばりながら、鬼の形相でムカつく男の名前を吐いた。

 出来上がったカステラ生地がオーブンで焼けるまでの六十分。 
 店頭のショーケースの側で不貞腐れながら今日初めて会ったムカつく学者のことを思いだしていた。
 多分ほとんど俺と同い年なんじゃねーのかなって思うけど、アノ研究所で研究室が与えられてるんだから、世界でも指折りの頭脳の持ち主だって言うのは間違いない。
 研究で結果を出した日には、ニュースで騒がれるようなコトとかやってるはずだ。
 俺みたいなフツーの成績で、テストの度に(うおおおーーーっっ…こんなことならもっと普段から真面目に勉強しときゃ良かったぜ)なんて、テストが終了した瞬間に忘れ果ててしまうような後悔に悶えながら一夜漬けしてみたり、ドラえもんの暗記パンとか本気で欲しがってみたりしてるようなヤツにはとうてい理解出来ないレベルで勉強好きのヤツなんだろう。ヒマさえあれば難しいことばっか考えて実験したり論文書いたりしているような学者なんてレディ以外、全員話が合うとは絶対に思えない。
 「…そりゃ…店にとっちゃ大事なお客様だけどよ…」
 なんか…なんだか……いっつもどっかバカにされてるような気がしてならない。
 別にあからさまに…って訳じゃない。
 注文されたサンドイッチを配達すると大抵の学者は自分の仕事の手を止めて、あいさつしたり、たまには作ってるサンドイッチの感想を言ってくれたりすることもある。
 でも、ほんのたまに。
 料理人のくせに…みたいな顔をするヤツがいる。
 料理人扱いしてくれるんならまだましで。
 あんな小さな店で満足している奴なんかって顔するヤツもいる。
 どうせ言っても分んねーだろうって話をそらすヤツがいる。
 下手すると、邪魔扱いするヤツまでいるくらいだ。
 別に、いいんだけどさ。
 何を思われたって。
 俺の店で注文してくれればそれだけ売り上げになるから助かるし。作ったサンドイッチが売れるのは純粋に嬉しいし、儲かるんだから文句とか言ってる筋合いはない。
 でもさ。
 なんつーの?
 不思議なモンでさ。頭悪くてもやっぱバカにされてると微妙に傷つく。
 一つ一つはすごく些細で、気にもとめるようなこともないんだけど、それでも段々と積み重なって何気に学者って職業をひけらかしてるようなヤツは苦手になってくる。
 勿論注文を受けたらしっかり受けるし、ムカつくからってサンドイッチの具を少なくしたりはしないけど、やっぱ嫌だな…とかイヤでも思う自分がいる。
 食いたいヤツには食わせてやるのがモットーだから、絶対に嫌だとは言わねーけどさ。
 …実は食わせるのも嫌なヤツとか研究所には何人かいたりすんだよね。
 もう、完全に劣等感から来る苦手意識だから大人げなくて落ち込むんだけどさ。

 俺さ、注文のファックス見て…ちょっと良いヤツなのかな?とか思ったんだよな…。

 別に根拠はないんだけどさ…。

 

 あ…もしかして……話とか合ったりすんのかな
 ………って。

 感じたんだ。
 ……何となく。

 でも、全っ然、違かった。
 鮫みたいな目してて、すげぇ無表情で俺のことを見詰めてた。
 きっと馬鹿な奴だなとか考えてたに違いない。
 そりゃ、何気に鮫にしか見えなくなってパニクったりとかしたけどさ。
 パニクって突然鼻とか撫でたりとかアホなことしたけどさ。
 あんなにあからさまにぶっきらぼうな対応されたのは初めてだった。
 俺と話すんのもイヤだって言う感じがガッツリと伝わってきた。
 全然違うんだけど、ケンカでも売られてるような気がした。
 「…俺が何したって言うんだよ」
 感情の見えない視線が気味悪かった。
 気味が悪くて。馬鹿にされたのが恥ずかしくて。悔しくて。
 

 ムカついた。

 学者ロロノア・ゾロ。
 あいつの第一印象は最悪だった。
 

 続く

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