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6

 

 「……ふぅ…っ…」
 壁に掛けられた十二分計が丁度三周回った所で大きく息を吐いた。
 「…ん……」
 拳を握った両手を天井に思い切り突き上げながら背筋を伸ばすと、幾筋も汗が伝い流れた。ふと隣りに座っていた男の顔を見ると、何だか慌てたような素振りで視線を逸らされた。
 「……」
 ゆっくりと全身を眺めれば、中肉中背。特別に鍛えている訳ではなさそうだがそれなりにしっかりとした筋肉の付いた身体や、はっきりとした顔の造作なんかが案外好みだったんで声を掛けようかとも思ったんだが、
 「……っ」
 まじまじと見れば見る程身体を縮こまらせて俺から顔まで逸らせてしまう隣りの男の様子は、そう言えば講義の最中に問題に答えさせようと講堂の生徒達の中で答えられそうなヤツを探している時に良く見る『名指しされたくない生徒』に良く似ている。
 この仕草は良く知ってるぞ。
 声を掛けられてもどう答えたら良いのか分からないヤツがする仕草だ。
 「………」
 「………っ」
 チラリと俺を見上げた男が、まだ俺が凝視しているのに気付いてヒクッ…っと身体を強張らせて先刻よりも顔を逸らせてそわそわと身体を揺らす。
 きっちりと腰に巻付けたタオルの下で、多分…これは半勃ちしてんじゃねェかと思うが……俺の視線に気が付いて慌てて両手で股間を隠しているのもまぁ怪しげなんだが……まぁしかしこれは確認してないからはっきりしたことは言えない。
 欲情してるが俺には声を掛けられたくはねェ…ってことか…。ま、こいつにとって俺は好みじゃ無いってことだろう。
 ってもな……。
 このままサウナだけで満足するつもりは無い。
 もうそろそろ相手を決めるか。
 つか、もう面倒臭いから隣りの男でも良いか。
 俺に指名されるのは、俺の隣りに座ってしまった不運と思って諦めてもらおうか。
 よし。
 決まれば後の講堂は早ければ早い方が良い。
 「おい」
 声を掛けるよりも若干早いタイミングで徐に隣りの男の二の腕を掴む。
 「っっっ!!!」
 案の定、全く答えが浮かんでいない故に絶対に俺からの指名は避けたいと思っている学生達同様、座っている席から約二十三センチは飛び上がっただろう勢いで腰を浮かせ、表情共々全身を強張らせた。
 「お前、俺が相手でも大丈夫か?」
 一応質問はしておくが、別に返事を聞くつもりは無い。
 「…い…今…何て…?」
 なんだ聞こえてなかったのか。
 聞こえなかったんだったら『もう一度言って下さい』だろうと思いながらも口にはしない。別にここは講堂では無いし。今は講義中でも無いからな。
 何度も言わせるな、と、思考の中だけで文句を言った後、今度はきっちりと聞こえるような大きな声で先刻と同じ言葉を口にした。
 「お前、俺が相手でも大丈夫か?」
 明日の俺の講義枠は一限だ。一番近くのホテルに行ってシャワーを後回しにして始めても、充分な睡眠時間となる6時間を自宅のベッドで確保するためにはもうそろそろ相手を決めてこの部屋から出なければならない。自宅のベッドは諦めて、研究室のソファーで寝るにしても十五分以内には決める必要が有る。
 そんなつもりも無かったが、焦った気持ちが声を随分大きくしてしまった。
 おそらくこの部屋の全員の耳におれの声が聞こえたんだろう。全員が一斉に俺の方に顔を向けた。
 隣りの男がゴクリと唾を飲み込み、俺を見上げる。
 「…あっ……お……っ…俺で良かったら…っ!!」
 ようやく隣りの男が口を開き、大きく頷いた瞬間、突然その隣りの男の更に隣りの男が頷いて頭を下げた隣りの男の頭を大きな片手でグイッ!!っと押さえ付けた。「なっ!!なっ!!」驚いて声も出せなくなっている隣りの男の下げた頭越しに、人懐っこそうな満面の笑みでこっちを見ているソバカス顔の男と目が合った。
 「大丈夫大丈夫っ♪俺何プレイでもオッケーだからっ」
 「ええっ!?」
 隣りの男が焦ったように声を上げた。「俺がっ!!先っ!!こっ、声っっ!!」
 「まーまー」
 薄めながらもしっかりとした肉付きの男の顔には覚えがあった。
 「…こんな所にいて良いのか?マルコに怒られるぞ」
 「ヘーキヘーキ。あいつ大人だから」
 それに…と、エースがウインクをしてみせる。
 「あいつ、今学会にでアメリカに行っちゃってるから今週一杯は俺、一人モンなの」
 ほら、俺ってバリバリの寂しがりやさんだろ?と、首を傾げて薄く唇を開いてチロリと赤い舌を見せた。
 「…俺、上手いよ…色々とね。……なぁ、先刻さ…『俺』に声掛けてくれたんだろ…?」
 「違…っ!俺にっ」
 ようやくエースの左手を振り払い、顔を上げた隣りの男が俺を見上げて先刻よりも大きな声で早口に抗議の声をあげる。 
 「おっ俺っ、も…ずっと前からあなたに誘われるの待ってて…っ。も、ずっと、ずっと…あなたがこの店に来るようになってからずっと…。だから…」
 「でも、絶対俺の方が上手いと思うけど?」
 「俺だって…」
 「え?例えば?」
 「…っ」
 「なんだなんだ恥ずかしがり屋さんだねー」
 「っ!」
 「んな恐い顔すんなって。こういう時はね、言い返せる台詞ぐらいきっちり用意してないと欲しい男も直ぐ横取りされちゃうんだって。なぁ?」
 言葉の最後は俺に同意を求められたんで、少し考えて『ああ』と、頷いた。
 「…そんな…」
 「んな、ガッカリすんなって。ドンマイドンマイっ。他にも良い男一杯いるから。アンタ、結構人気有りそうだぜ?なぁ?」
 今度は直ぐ側の筋肉の上に軽く脂肪がまとわりついた触り心地の良さそうな男に意見を求めた。コクコクと頷く男を眺めてから最後に『な?』と、隣りの男に同意を求めた。
 「コイツも上手かったよ」
 隣りの男を眺めてエースが白い歯を見せ笑った。
 「悪いけど、こっちの男は俺が貰うよ」
 「………」
 「あんたは?」
 エースが真っ直ぐに俺を見る。「どうせ明日のスケジュール的なことを考えて、もう相手決めなきゃなとか考えてんだろ?」
 「……ああ」
 「早く決めちゃおうぜ。どっちが良い?最後はあんたが決めるべきだ」
 「そうなのか?」
 「ああ」
 何を考えているのかは聞いてないから分からないが、エースの笑顔はこの短い時間の間に何度も何種類にも変化した。どれも不快に感じるものは無く、寧ろ…もっと見たいような気分になった。
 「さ?どっちとヤる?」
 俺は直ぐに選択をした。
 隣りの男にしっかりと視線を合わせ…確かに男好きする身体と顔をしているなと思いながら…頭を下げた。
 「最初はお前に決めてたが、気が変わった。申し訳ない」
 「………」
 項垂れてしまった男の耳にエースが何やら囁いて肩を叩きながら立ち上がった。
 「さ、急ぐんだろ?ただ、充分楽しみたいな今日は自宅に帰んのは諦めた方が良いかもな」
 「そうだな」
 促されて立ち上がり、サウナを後にする時にもう一度俺は隣りの男に頭を下げた。
 「…次は俺から声掛けます」
 頭を上げると隣りの男にそう声を掛けられた。
 「ああ」
 「その時は絶対に俺選んで下さいね」
 「分かった約束する」
 エースと一緒に出口に向い、扉の側のシャワーで汗だけ流そうとシャワーのコックを捻ると、遅れて抱き心地の良さそうだと思った男に伴われながら先刻の隣りの男が現れた。
 軽く会釈をされたんでこっちも軽く会釈で返すと、ようやく隣りの男は笑顔を見せた。

 続く

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