CRY FOR

 夢中で描いている最中は、僕は全く気が付かなかった。

 輪郭をなぞり、内面を浮かび上がらせ、意志を画面に浮き上がらせる。どんな素描でも作品だ。だからどんな時でも絶対に、意識は 描くことだけに集中させる。線の連続は徐々に勇喜(いさき)の姿を捕らえる。漁師としての意志の強さを如実に表すしっかりとした造 作の顔。日に焼けた浅黒い膚。黒々とした髪はきつい顔立ちを僅かに柔らかなものにさせる。太い首に繋がるがっしりとした肩。日月(かづき)と比べれば一回りも小柄だけれど、無駄のない均整の取れた…とても機能的な身体。無数に付いた傷跡は、漁で命と引き換えに付けられたものだと勇喜は言った。命と引き換え。どんなに恐ろしかったことだろう。でも、決して恐ろしかったその時の思いを語りはしない。それでも傷の深さで解る。生きているのが奇跡なのだと。

 潰された左目。額から顎にかけて大きく付けられた傷は、同時に勇喜の左目の光も奪った。最後まで自分一人で仕留めると制止の声を寄せ付けず巨大な魚に立ち向かい、銛でとどめをさしたと日月は僕に教えてくれた。僕の知らない勇喜の姿。

 「男の俺でも惚れ惚れしたよ」

 と、漁する姿を教えてくれた。

 傷付いた眼球は白く濁り、今はもう感情も意志も感じ取れない。生命力を感じさせない左目は、残された右目の鋭さと力強さを強調させる。

 ーーー望みの獲物をこの手で捕らえられるなら、刺し違えてもそれは本望ーーー

 漁師は海で死を側に捕らえる。

 真直ぐ見詰める勇喜の視線は、時折ひどく恐ろしく、時折とても優しくなる。

 白い左目も、黒い右目も、勇喜だからこそ価値を生み出す、漁師としての男の目。もし、勇喜を勇喜として描くなら、この目を正確に捕らえなければならない。今日まで命を取られることなく、生き続けてきた漁師の姿を捕らえたいなら。

 僕は行灯の明かりの下で夢中で勇喜の姿を描く。こんなに大人しく、描かれることなんて滅多にないから。何枚も描く。時間も忘れて。何枚も。何枚も。勇喜の姿を描きたくて。勇喜のこの目を捕らえたくて。真直ぐに見詰める視線を描きたくて。真直ぐ……

 「ーーーーーーーあ……」

 突然僕は絵の中の勇喜が真直ぐ僕を見詰めていることに気が付いた。夢中で筆を走らせていたから、何度も顔を上げ、勇喜の顔を見詰めていたのに気が付かなかった。勇喜は真直ぐ…僕を見ていた。僕が勇喜を食入るように見詰めていたのを。僕が一心不乱に描く姿を。長い時間、僕が見詰めていた時間より長く…勇喜はずっと僕を見詰めていた……。

 気が付いたら、もう顔を上げられなくなった。

 「……………………」

 きっと勇喜は今も僕を見詰めているに違いない。

 頬が熱い。耳まで熱い。

 意識し始めたら後はもう最悪で。こんな時には邪魔にしかならない勇喜の姿を思い出してしまう。組敷かれた時の上から見下ろす勇喜の目。近付いてくる顔。熱い唇。温かな膚。勇喜の匂い。追い詰められて切羽詰まって懇願すると、一瞬だけ見せるあの表情。

 「………っ」

 そうだ……。この漁で半月も勇喜は家を空けて…。その間、僕はずっと一人で………。

 「………っっ」

 慌てて意識を振払う。絵に集中しなくては勇喜に悪い。折角今夜はこうして僕に描かせてくれているのに。

 なのに……。

 慌て始めた僕を見て、面白そうに勇喜が笑う。でも、今の僕にはそれすら見れない。第一顔が上げられない。笑う勇喜は好きだけど、好きだからこそ今は見れない。一度意識をしてしまったら、その笑顔にきっと僕は欲情するから。必死で。必死で気持ちを押さえて鎮める。でもどうしても鎮まらない。どうしよう。なんだか鼓動が大きくなる。もしも聞こえてしまったら。どうしよう。勇喜の耳はとても良いから聞こえてしまっているかもしれない。どうしよう。いくら相手が勇喜だからって、描く相手に欲情してしまうなんて。

 僕は小筆を強く握った。

 「光斎」

 低く、柔らかな勇喜の声。正直僕は泣きそうだった。声だけで僕の身体は反応しようと僕の理性に激しく抗う。耳に染み込む勇喜の声が僕の身体の温度を上げる。身体は熱くなっていくのに、まるで全身は鳥肌が立っているみたいで。耐え切れなくて思わず両目をきつく瞑った。

 ミシッ…。

 畳が小さな音を立てた。思わず小さく声が漏れる。どうしよう。どうしようもなく、僕の身体は期待している。

 「どうした?」

 語尾を微かに笑わせながら。やっぱりおかしくなってしまった僕に気付いているんだ。

 小筆を置いて後ずさる。

 「何でも…ない」

 あっという間に捕まった。腕を取られて組み敷かれ、勇喜は上に覆い被さる。初めて組み敷かれた時のように、僕は勇喜の圧倒的な力強さに欲情した。勇喜のゴツゴツとした厚い皮の大きな手が、僕の腕を掴んで引き寄せる。僕は更に力を込めて固く目を瞑る。恥ずかしいから顔が見れない。感覚だけで探して感じる。二の腕に食い込む程の握力と、真直ぐ見詰める勇喜の視線。

 「…綺麗だな」

 恥ずかしくて頭を振った。どうしたら良いか解らない。顔を胸に押し付け隠れてしまいたかった。それなのに、勇喜は片手だけで僕を抱き込み、片手で僕の顎を掴んで上を向かせた。仰け返らされた勢いで、思わず閉じた目が開く。間近に勇喜が僕を見詰めていた。ほんの一瞬目が合った。鋭い右目が僅かに和らぐ。突然僕は限界に達した。勇喜が、欲しい。

 …口付けされてなかったら、一体何を言ってしまっていただろう。きっと、自分でも信じられないようなことを言ってしまっていただろう。

 激しい口付けを受けながら、僕は勇喜の身体に縋り付いた。

 今から勇喜に抱かれるんだと思っただけで、気が遠くなるような幸福感が僕を襲った。

 

 

 絡まる舌が厚くて熱い。

 歯をまさぐり歯茎をなぞり、上の歯の裏側をくすぐる。息が乱れて舌を押し返せば、今度は勇喜の口の中に舌が吸い込まれた。吸い上げられたまま軽く噛まれて電流が流れる。舌の先を巧みに絡め取られ喘ぎのような吐息が漏れる。頭が後ろに大きく反り返る。そこを勇喜に追い掛けられる。深く繋がり、一層深く貪り取られる。

 「……んっ…んんっ…」

 頭の奥が痺れ始めて身体の力が抜け落ちる。勇喜の胸に身体を合わせる。

 「……………」

 いつの間に僕は裸にされたんだろう……

 勇喜の着物を直に感じた。

 早く直に膚を密着させたくなってしまった。勇喜の胸に手を差し入れる。掌の固い筋肉の手触りに、残った理性もどこかに消えた。肩を抜かせて着物をはだける。帯を解いて、晒しを解く。胸を合わせて密着させた。体温が直に伝わり、とても感じた。それから僕らはもう一度深く唇を合わせた。僕が離れそうになると追われて、勇喜が離れそうになると思わず追い縋った。無意識に舌を使えるようになっても暫く、僕らは時間をかけて貪りあった。自分の身体を支えられなくなった後、ようやく僕らは唇を放した。たったそれだけの行為が、僕の身体を熱くして、僕の呼吸を乱れさせた。

 逞しい勇喜の身体にすっかり寄り掛かり上を見上げると、僕の唾液に濡れた勇喜の唇があった。僕以外誰も知らない勇喜の濡れた唇。官能的な勇喜の唇。視線をずらして形よい鼻筋を辿る。そのまま白い左目を見詰める。傷を目で辿る。それからゆっくり右目を見た。真直ぐに見詰め返している柔らかな視線に出会った。嬉しくて、口元が弛んだ。

 優しげだった勇喜の視線が少し揺らいだ。右目が少し見開かれた。直後、強く強く抱き寄せられた。

 「………勇喜…」

 きつくきつく抱き締められた。

 

 

 愛撫される余裕なんて本当は全然なかった。

 一番先に欲しかったのは勇喜自身。それでも僕自体が受け入れられる準備が出来ていなかった。でも、欲しかった。目に入ったのは顔料を溶く油。手に塗り付けて塗り込もうとしたところを手首を捕まれ止められた。それでも欲しがり抗うと、畳の上に押し倒された。

 「んあああっ」

 あやすように僕を掴んで扱く。自分の手とは大きさも固さも強さも熱さも皆違う。次の動きが予想出来ない。

 「はあっ…あっっ……う…ん……」

 快感が僕に襲い掛かる。

 「…………何度した?」

 「……………は…あっっ」

 ……一人でなら、何度もした。五日目の夜から。思い出す度に。朝方も。昼間でも。夜なら尚更。寂しいと思ったら我慢出来なかった。始めは絵筆を握っていれば少しは気も紛れていたけど、そのうち段々耐えられなくなっていった。最後の数日間は、一日に何度手を伸ばしたかも解らない。組敷かれた時の上から見下ろす勇喜の目。近付いてくる顔。熱い唇。温かな膚。勇喜の匂い。追い詰められて切羽詰まって懇願すると、一瞬だけ見せるあの表情を思い出しながら。何度も何度も僕は一人で。

 「光斎…俺がいない間……何度した…」

 「………してな…っ……ああっ…んっ……」

 何度も、していた。

 本当は分かっているんだ。

 「どうやってやった…やってみせろ」

 強引に自分自身を握らされた。刺激が止まり、身体が疼いた。

 「いやだ……出来ない…」

 恥ずかしい。でも刺激が欲しい。続けて欲しい。

 「出来ない…勇喜…」

 駄々を捏ねようと頭を振ろうとしたら耳元で低く囁かれた。

 「…どんな顔で達くんだ?……見せてみろ」

 そのままゆっくりと熱い舌を耳に差し入れられた。

 「あっ!!……ふ……」

 舌の愛撫。耳から首筋にかけて開発された性感帯を嬲られる。中心の疼きが一気に強まる。

 「……やってみせろ」

 「………や…だ…ああっ…あっ…あ……」

 空いている手が同時に僕の乳首を擦り上げる。

 「はうっ……んっ」

 「光斎……」

 掠れた声が耳元で囁く。思わず握りしめる手が自分を刺激しようとする。

 「…………しろ…」

 結局僕は勇喜の言いなりになるしかなかった。

 恥ずかしさに固く目を瞑り、それでも自分を扱き始める。息が乱れ始めると、不思議と羞恥心は消えてしまった。自ら足を大きく広げる。身体を強ばらせ、自分で自分を追い詰める。勇喜は舌と手で僕の身体を弄る。吸い付く。後ろに勇喜の逞しい一物が触れてくる。思考が奪い去られてしまう。

 「いさ…き……ああっ…い…い」

 「…何度した?」

 「あ…あっ…何…度も……っ」

 「寂しかったか?」

 「寂し…かっ…ったっ……だから…」

 「感じるか?」

 頷いてから首を横に振る。

 「でも……勇喜…に…っはあっ……そこ…っっ………される…ほ…が……あ…」

 「良いか?」

 頷くと今度はなぜだと聞かれてしまった。荒い息の中夢見心地に僕は答える。

 「自分……する…の…は……っ……深くまで…うっ……いけな…っ」

 耳の付け根を深く吸い上げられる。自分の手の動きが早まっていく。上り詰めていく自分を感じる。ひどく興奮していた。でも、僕は勇喜にされたい。もっと深くまで追い詰められて達っしたい。こんなに浅い絶頂なのに、我慢出来ないくらい僕は欲情している。勇喜が欲しい。おかしくなってしまいたい……!!

 「光斎…目を開けろ。達く表情を俺に見せろ」

 もう、何も考えられない。言われた通りに目を開ける。溢れ始めた先走りの体液で滑る自分を握り扱いて。良く見えるように足を限界までに開いて。

 「……い…さきっ…はっ……いさき…も……船で…っ……一人で…?……っ」

 内股を撫で上げられながら耳元で返事を囁かれた。

 「………ああ。お前を思い出しながら何度も、した。……ずっと、お前が欲しかった」

 その声に。その言葉に。

 「ーーーーあああっっ!!!!」

 僕は達かされた。

 

 

 「………来い」

 誘われるままに勇喜の上に跨がった。張り詰めた勇喜のものは全部埋めるにはかなりきつくてとても感じた。先に一回達して後ろまで濡れていたから、なんとか入った。いつもより大きな勇喜にどうしようもなく感じてしまった。息を吐いて力を抜く。ようやく深く繋がった時、久し振りの感触が嬉しくて、思わず喘いで抱き着いた。

 「大丈夫…か」

 頷いた途端、大きく勇喜が突き上げる。

 「ああっ!!…あっ…あっ…あっ!…ああっ!!」

 それは初めての体位で。衝撃そのものが全て僕に掛かった。物凄い快感だった。勇喜自身も感じていた。僕と同じように欲していたんだと抱かれながら気が付いた。荒い呼吸の中で何度も僕の名前が呼ばれる。呼ばれる度に動きは一層激しくなり、僕は感度が増していくのを感じていた。

 「いさ…きっ!あっ!ああっっ!!そこっ!あ…」

 涙が溢れる。僕は自分でもおかしなくらいにひどく乱れてしまっていた。でも、もうどうにもならない。勇喜の首に縋り付き狂ったように腰を振り続ける。相手が勇喜だから僕はこんなにおかしくなれる。気が狂いそうに幸せだった。気持ち良かった。骨がくだけそうな程強く抱き締められた。愛されているのを直に感じた。気が狂いそうな程、好きだと思った。

 「…光…斎……うっ…!!」

 「いさ…き。ーーーーーーーっっ!!!」

 僕らは深い極みで、深く深く。同時に絶頂を迎えた。

 

 

 それから数日間、実は僕は一歩も歩くことが出来なかった。腰が抜けたみたいになって、自分の身体も支えられなくなっていた。勇喜も疲れたようだったけれど、流石に次の日の昼には銛の手入れをしていた。ぐったりしている僕を見て、すまなさそうに

 「…久し振りで、我慢がきかなかった」

 と、ぼそりと言った。

 反省したのかその日の夜には鰻を買ってきてくれた。僕だって、我慢できなかったのに。

 

 

 絵師と漁師の世界は全く別のところにあって、とても遠いかもしれない。

 でも、僕らの心はきっととても近くにある。

 

                                                 終。topへ。