.『パーフェクト』

 「パーフェクト?」
 西新宿の工事現場。14階建て191世帯のワンルームマンション。3時休み。真冬。
 喫茶コウイチだよーなんて言いながら、家から持ってきた直火用のエスプレッソマシーンでコーヒーを煎れてくれていたコウイチさんが不思議そうに俺の質問を繰り返してきた。
 「はい。パーフェクトです」
 「うーん………パーフェクトねぇ……」
 ごそごそとおやつ箱の中から取り出してきた、アーモンド入のチョコを一つ口に放り込んで、コウイチさんは本格的に悩み始めた。
 コウイチさん。
 高野恒一。高野電気工事で働くニ代目。
 親父さんでもある親方さんは前の現場で現役を引退して、今は名実共にコウイチさんが親方になった。
 製薬会社をリストラされて路頭に迷いかけていた派遣の俺を拾ってくれた、ある意味命の恩人。
 血の気が多くて、ケンカっ早くて、いざケンカが始まると、とてもじゃないけど近寄れないような人だけど、普段は温厚で(?)優しくて、ものすごく可愛い人。
 俺の方が年上なんだけど、人生経験は俺なんかより遥かに豊かな人。
 一見華奢なのに、一束20キロもある電線を一度に4ツも持って8階ぐらいまでなら楽勝に駆け上がってしまう人。
 寂しいなんて、絶対に口にはしないけど、来月アメリカから帰ってくる恋人を実は心待ちにしている人。
 一途で真直ぐな人。
 で、もって………
 俺が、好きな人。


 「パーフェクトねぇ………」
 マグカップになみなみと注いだコーヒーを啜りながらコウイチさんが考える。
 俺は2人きりの電気屋の休憩室で、コウイチさんの顎のラインをどぎまぎしながら眺めて返事を待っている。
 前の現場では、親方さんと谷田君っていうコウイチさんと同い年の自称見習い(だって、谷田君は見習いなんて言うのが失礼なぐらい電気屋の仕事に精通しているんだ)の四人で仕事をしていた。現場が終わりに差し掛かる頃は、毎週土曜日には強力な助っ人のコウイチさんのお姉さんまで来てくれていた。いつも電気屋の休憩所はぎゅうぎゅうの鮨詰め状態で、それが当たり前だって思っていた分、今の現場の二人っきりって言うのは寂しく感じてならない。
 バケツ代わりに使っているガソリンスタンドから貰ったオイルの容器をひっくり返してコウイチさんと向かい合って俺が座る。
 ライバルがいないんだから本当はチャンスなんだけど……。
 コウイチさんが時折俺を
 『なぁ、ユウ』
 なんて、全然似てないのに谷田君と間違えしまうから。
 『コウイチさん、聞いても良いですか?』
 なんて、本当はどうでも良いようなことを聞いて気まずい時間を埋めようしとてしまう。
 今日も、共用廊下の防滴コンセントの入配線をしている最中に久し振りに谷田君に間違えられてしまい、コウイチさんが何となく寂しそうにしていたから、思わず休憩時間に話題を振ってしまった。
 『コウイチさんって、いつからパーフェクトに仕事こなせるようになったんですか?』
 二十五ぐらいかな?いや、二十三かな?いやいや、コウイチさんのことだから、二十歳頃かも知れないななんて思いながら。
 いっつも自分に自身を持っている人だから、結構スパーンッと答えを言ってくれるかと思っていたのに意外にも悩み込んでしまっている。
 「ねぇ、岡野君、どれぐらいでパーフェクト?」
 逆に質問されてしまった。
 「そうですねぇ……」
 煎れてもらったコーヒーを一口啜って答えを探した。
 
 パーフェクト。
 完璧。
 
 欠点とか足りないものがなくってすごく立派なこと。

 そー言えば、前に務めていた会社の営業部って、常にパーフェクトを目指せなくっちゃ意味がないなんてやってたっけなぁ。……何か、随分昔のような気がする。
 与えられせた目標を達成するのが義務。
 達成、イコール、パーフェクト。
 今考えると随分無茶なこと言ってるよな。
 やり方なんてどうだって良い。大切なのは目標を達成させること。
 それでこそ、完璧。
 つまりは達成出来れば悪でも善になるって訳で。
 それでも、皆がそう思ってやっているから、自分もついていかなきゃならないって気分になってしまってドツボにはまる。
 競争社会は厳しくて、出来ない社員は必要無くて。
 ……ま、俺がリストラされたのは、それが理由じゃないけどさ……。
 
 そんなことを考えいたら、パーフェクトって何か、ちょっと分からなくなってしまった。
 「ね、どれぐらい?」
 自分の考えにはまっていたら、コウイチさんがまた訊ねてきた。
 「……うーん……そう言われてみると難しいですねぇ」
 「なんだよ、聞いたのは岡野君だろー」
 笑いながら文句を言われてしまった。
 その顔を見て、谷田君に見せる笑顔とは違うんだなぁ…なんて思ってしまった。
 「あはは…そうでしたよね。すみません」
 俺はもやもやとした寂しい気分の中で答えを探す。
 「そうですねぇ……誰から見てもオッケーな状態の仕事をこなせてパーフェクトって言うのはどうですか?」
 「あ、そんなら、この仕事初めて結構直ぐかもしんない」
 「え?そうなんですか?」
 「うん。三年も掛かんなかったんじゃないかな?ね、岡野君さ、消防検査って知ってるよね?」
 「あ、はい。あの、引き渡し前の最後の検査ですよね?」
 「そ。もうダメ出しがあっちゃマズい段階の検査」
 「はい」
 「俺、二十二の頃にはもうダメ出し出なくなった」
 「へぇ……」
 「あ、ピンと来てないな」
 「すみません」
 「この世界で二十年やっても消防検査は十や二十はダメ出しが出るんだよ」
 「へぇ…っっ!!」
 ……凄い。それは凄い。
 感心してる俺をちょっと嬉しそうに眺めながら、コウイチさんはもう一粒チョコレートを放り込んで、言葉を続けた。
 「でも、さ、自分でこれは完璧だって思ったことは…まだないかな…」
 それは何だか意外な言葉。
 「…他人の評価なんて信用しているヤツでもあんまり信用出来ない。だってさ、それって俺のどこまでちゃんと理解して言ってくれてるのか分かんないじゃん?俺のやりたいことってここまでじゃないのに、凄いねぇ完璧だよって言われたら、何だかそれで終わりなような気がしてさ。……俺さ、電気工事って…もっと違うと思うんだよね……」
 両手でしっかりとマグカップを握り締めて、真直ぐ…でも、見ているのは休憩所のどこでもなくて…でも、何かをしっかりと見据えた目でコウイチさんは喋り続ける。
 「電気ってさ…何か……やればやる程……生きてるような気がしてさ……。上手く言葉に出来ないんだけど………電気って形のないもんだから……でも、電気屋ってそれを形にしてく仕事なんじゃないかって思ってさ………頑張ってるんだけど…まだ、見えなくってさ……ああ、まだまだなぁ……って思う……」
 俺に言うってよりも、まるで自分に言い聞かせているような口調。
 いつもは可愛い顔が、とても厳しい職人の顔に、見えた。
 「………コウイチさんならいつか達成出来ますよ」
 思わず自然に声が出てしまった。
 コウイチさんの遠い視線が俺に向けられる。不思議といつもみたいにドキドキしない。
 「コウイチさんは、自分に厳しい人です。だから、いつか自分にとって納得出来るような仕事が出来る人になれます。…いつか…は…分かりませんが、大丈夫です。きっとなれます。……俺、パーフェクトな仕事をしてるコウイチさんを見届けますから」
 まるで大切にしてたけど、今まで忘れてしまっていた言葉を思い出したかのような、そんな表情で。
 「岡野君って、アイツと同じこと、言うんだね」
 柔らかく、嬉しそうに……幸せそうに、笑ってくれた。

 じゃあさ、岡野君は?…なんて、逆に質問されてしまった。
 俺は全然ダメですなんて言うのも失礼な気がして、前の仕事場でのパーフェクトについて話をした。
 意味を履き違えてるよね、なんて言われると思っていたから、俺もそーですよねぇ、って言う準備をして待っていたのに、意外にも、真面目に頷きながら返事をされた。
 「あー、それも確かに一利だよねぇ。明確な答えって、ある意味アリだよね」
 「でも、目標達成のためには手段なんて関係ないって……」
 「や、そう言うモンでしょ」
 コウイチさんはニヤッと笑った。
 「ほら、先週。外壁引き出しの線が壁の中に埋められちゃった時……」
 あっ…。
 先週、仕上がり壁を二人でこっそり壊した。
 作り直しのドサクサに紛れて電線を通してしまうためだった。
 コウイチさんは電気屋が通常使わないハンマーを使うと言う周到振りで、結局電気屋の仕業だとは誰にも気付かれなかったのだ。
 ………丁度隣の壁も補修が入ってて、手間的にはそんなに迷惑も掛けなかったから、罪の意識もなかったけれど………
 「そー言えば………」
 「ね。方法はどうであれ、俺達は完璧に仕事をこなせたってワケ」
 「………あはは……確かに」
 「犯罪はダメだけど、それでも犯罪を冒してでも目標を達成したいって思うくらいの気持ちが大切だって言いたかったんじゃないのかな?」
 ………確かに。あの人だったらそう考えてもおかしくないな。
 「そうかも、しれませんね」
 「良い、上司じゃん。その人」
 「そうでもないですよ」
 おや?って、顔をしたコウイチさんに、俺は切り上げるように立ち上がり、
 「さ、時間ですよ。残り、頑張っちゃいましょう」
 と、言った。
 「何だか、最近一人前っぽくなってきたよなぁ……ま、じゃ、いきますか」
 「はいっ」
 俺は元気に返事を返した。


 パーフェクト。
 言うだけだったらとても簡単な言葉だけど、実際その通りになるのってとんでもなく大変なことだ。
 でも、きっと、人間だから。目指したいんだろうな。
 俺よりもずっとずっと完璧に近い人だけど。
 それでも完璧を目指しているのなら。
 俺も、もっと頑張りたいな。
 何に?
 …ま、色々と。

 
 「…でも、谷田君の言葉だけは信じてますよね?」
 仕事の最中コウイチさんの背中にこそっと言ったら、途端に耳まで真っ赤になった。
 「来月、楽しみですね」
 そ。恋愛だって、パーフェクトな環境で。
 ライバルのいない時に口説いたって、フェア−じゃないからね。
 

 おわり  


 
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『見聞録』からコウイチくんと岡野君でしたっっ。