[儚さ]


 柄にもなく片思いをしている。
 キスどころか、セックスさえ出来ない。
 告白して、力尽くでホテルに連れ込んでコトに及ぼうと思えば…出来なくもないだろう。
 今までの俺だったら間違いなく手を出している。
 だが、それが出来ない。
 二度と会わずにいることが出来ないからだ。
 片思いの相手は、俺が勤めている雑居ビルの一階で紺色の制服を着て働いているからだ。
 『いらっしゃいませ』
 郵便局の窓口に座り、ふんわりとした笑顔で君は笑う。
 『こんにちは…じゃ、これお願いします』
 俺の勤めている会社から発送される大量の郵便物を君に渡す。
 『はい、かしこまりました。では、今重さを確認致します』
 形式的な固い接客用語すら、柔らかく優しいものにしてしまうのは君の性格。
 郵便物を渡す時……一瞬触れあうだけの君の指先。
 同じ雑居ビルの中で、民間の保険会社に勤めている俺。郵便局で勤めている君。
 ……余りにも距離が近すぎる相手を好きになってしまった。
 キスどころか、告白すら出来ない。
 徒に欲望ばっかり募らせて、気付けば一年過ぎてしまった。
 …ここまでくると……もう…自分でも正直どうすれば良いのか…分からない。



 男同士の恋愛って言うのは、はっきり言って奇跡に近い。だから俺は恋愛はしない。
 自分の素性がバレない場所で、適当に好みの男を引っ掛けて楽しむ。
 気が合えば、セックス専用の携帯電話の番号を教えて飽きるまで遊ぶ。
 相手選びも慎重に決めて、しつこくなりそうな相手ならよっぱど気に入らない限り、手は出さないし、出した所で一度きりで関係はおしまい。
 綺麗に上手く渡り歩くには、知恵も体力も機転も何もかもを総動員して立ち回らなくてはいけない遊び。結構大好き。
 別に女はダメってことはない。
 最終的には結婚して、子供作って、奥さんに頑張って産んで貰って、子供も奥さんも可愛がって、休みの日にはたくさん遊んでやって……なんて思ってる。
 勿論、結婚したら、この遊びもおしまい。
 恋愛する相手は絶対に悲しませたりしたくない。
 自分の性癖は、一生秘密にして一生封印する。
 そうしても良いと思える女性に巡り会ったら、俺はその人と結婚する。
 ある意味、コレは俺にとっての絶対的なルール。
 だから、たかだか遊びで身体を重ねることに特別な感情は感じたくない。
 変に感情を持つのは、泥沼にハマる一番の近道だし、そういうのは、もう生理的にも絶対に受け付けない。
 遊びで女の子と付合うのって言うのは難しいから、俺は男と遊んでるんだと思う。
 究極、生きたオナホールって感じで。

 ………なのに、俺は今……片思いをしている。
 相手は女じゃないって言うのに。
 何してんだよ。あいつは男なんだぜ?
 そりゃ確かに好みだけどさ。
 でもだからって、間違っても手は出せないんだぞ。
 相手は俺が働くフロアーの真直ぐ下で働いている。
 俺の素性を知っているし、

 『あ、栗原さん。いらっしゃいませ』
 『…ヒロキって名前…栗原さんに似合ってますね』

 俺の名前まで知られている。
 郵便局で自分の通帳でも作ったら、俺の住所までバレバレだ。
 ……っていうか、この前自転車で家まで送られたから、もうバレてるし。
 …とにかく手を出すのは不可能だ。
 多分、だから余計に欲しい。
 あの…ふんわりと笑う郵便局員がどうしても欲しい。
 思ったよりもしっかりとした筋肉を持っている、君の身体がどうしても見たい。
 セックスがしたい。
 ……キスも…したい。
 手に入らないからそう思うのか、手に入らないから気持ちがどんどんエスカレートしてしまうのか、俺にも何だか良く分からない。
 ただ確実に分かっているのは。

 和真が欲しい。

 かずま…と、口にも出来ない君の名前を頭の中で繰り返す。
 かずま…和真……君が欲しいよ……。

 まるで恋だと気が付いて、ひどく俺はうろたえている。



 午後四時が過ぎる頃、会社の郵便物を取り纏めて郵便局に差出しに行く。
 一日の中で一番楽しい仕事の時間だ。
 「いらっしゃいませー」
 「いらっしゃいませー」
 たくさんの郵便物を抱えて一階の郵便局の中に入ると、全員があちこちで声を掛けてくる。
 「あら栗原さん、スーツ新調したんですか?」
 「ええ、やっとですよ」
 「またまたぁ。結構たくさん持っていらっしゃるじゃないですか」
 「いやいやそんなことないですよ」
 「オシャレなんですね」
 「あはは」
 貯金の窓口に座っている女性職員は、いつもニコニコしながら声を掛けてくる。
 随分明るい感じの局内は、何でも『CSモデル局』っていうのに指定されたかららしい。局内の内装工事まで入って、全体的なイメージまですっかり変わってしまった。
 『私達もお客さまに心良く郵便局を御利用して頂けるように変わらなくっちゃいけないんですよ』
 前から明るくて元気なこの職員が、笑顔で俺に教えてくれた。
 俺も笑って『山崎さんは前から明るくてバッチリですよ』と返して軽く頭を下げる。
 「あら、ありがとうございますv」
 郵便の窓口に並ぶ列に並び、和真を見る。
 こっちを見ていた和真と目が会い、それだけで嬉しくなる。
 お互いに小さく頭を下げて挨拶を交わし、和真は目の前のお客の対応に戻る。
 和真の綺麗な指が、しなやかに郵便物の重さを量り、
 「では配達記録をお付けして300円になります」
 切手を貼る。
 大きな小包も、あの細い身体からは想像も出来ないくらい軽々と持ち上げて大きさを量る。
 「失礼ですが、中身は何が入っていらっしゃいますか?」
 「では、こわれもの扱いにいたしますね」
 「配達の指定時間はございますか?」
 丁寧に素早く郵便物を受け付けて行く。
 カウンターより背の低い小さな子供が、
 「あのっ、ハガキいちまい…くださいっ」
 と、背伸びをしながら声をかけると、
 「はい、ハガキいちまいですね。ごじゅうえんになります」
 子供の言葉に合わせて丁寧に受け答えをし、
 「はい、どうぞ。おとさないようにね」
 笑顔で身を乗り出し、腕を限界まで伸ばして子供に袋に入れたハガキを手渡す。
 子供は嬉しそうに大切そうにハガキを握りしめると、笑顔で郵便局を後にする。
 見ているだけで、君の優しさが手に取るように分かる。
 やがて俺の番が来る。
 「今日は。栗原さん、いらっしゃいませ」
 君は俺の名前を呼んで両手を差し出す。
 その瞬間、締め付けられるように胸が疼く。
 バカか…と思う。
 たったそれくらいのことで…子供じゃねーだろ…と、自分を突っ込む。
 それでも間違いなく意識的に遅くなる和真の手の動きや、俺を見る時の明らかに他の客とは違う表情に、気を抜けばおかしくなりそうになる。
 ポーカーフェイスを保ちながら、背中にびっしょりと汗を掻いている。
 バカかと思う。
 アホかと思う。
 それでも。
 それでも、俺は君が欲しい。
 俺は小さく息を吸い込み、精一杯の平静を装って声を掛ける。
 「小林君」
 「はい?」
 「食事、いつにする?」
 やっと約束まで漕ぎ着けた食事の予約。
 和真はそれでもすまなそうに遠慮がちに俺を見る。
 「本当に、良いんですよ?」
 「や、でも、ホント助かったし。それに…」
 口籠りそうになる自分を奮い立たせて続きの言葉を君に聞かせる。
 「俺、小林さんと一緒にメシ、食いたいし」
 震えなかった自分の声をこっそりと誉めながら、ね、と、首を傾げて笑ってみせる。
 その瞬間の君の笑顔に、一発でKOされそうになりながら。
 「月金意外だったら、いつでも大丈夫です」
 「じゃ、明日」
 驚いたように和真の目が丸くなる。
 「明日ですか?」
 「忙しい?」
 「…いえ」
 「じゃ、明日」
 全開の笑顔を隠せないまま、
 「仕事終わったらシュベールで待ってる」
 と、自分の用件だけを言い切った。
 「…は、はい。分かりました」
 はにかむように釣り銭を渡す君の右手の指先は、いつもよりほんの少しだけ暖かかった。
 
 最近は、絶対に計算を間違えなくなったと嬉しそうに話していた君の今日の釣り銭は、30円少なかった。

 なんだかおかしくて、嬉しい。



 同僚の狩野にまで『浮かれてるな』と言われた。
 その夜食った、松屋のカレーはいつもの倍以上旨かった。

 (明日……どこで食事しよう……)

 気合いを入れ過ぎてもいけない。センスが無いのはもっといけない。
 高すぎてもいけない。安すぎてもいけない。
 明日、なんのスーツを着て行こう。
 勝負スーツじゃ恥ずかしいし…。
 家で明日のことをあれこれ考えて、ふと我に帰ったらおかしくなって笑ってしまった。
 まるで初めてデートするガキみたいだ。
 そう思って…これが初めてのデートだと言うことに気が付いた。
 これが、初恋だって言うのに……気が付いた。
 「………ははっ……嘘だろ……」
 嘘じゃ……なかった。



 初恋が成就するのは奇跡に近い。
 男同士の恋愛だって奇跡に近い。


 分かっているさ。
 そんなこと。

 
 この想いは、きっと成就しない。




 それでも良い。



 俺は、和真が
 好きだから。


 おしまい


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『緑色の制服』のサイドストーリーでした。
果たして二人の間に進展はあるのか?
ううーん…儚さと言うよりは切なさ…?
いえっ儚い想いってことでぇぇぇぇ。
しかし、制服が緑色で無くなってしまったのはびっくりです(ToT)