「お弁当」

 真夏の現場は、もーホントに……地獄。
 逃げ場が全く無いんだよね。部屋内の作業って言っても、クーラー無しのサウナ状態だし、屋上作業のスラブ配管なんて言ったら、ナチュラルに直射日光の餌食になれる。照り返しが物凄くって、気温が30度だったらコンクリートは60度って世界。鉄筋なんて、素手で触ると冗談抜きで火傷出来る。
 鉄筋屋さん達は強い日射しに慣れているから作業ズボンにノースリーブだ。ムキムキの筋肉丸出しで元気に歩き回っているけれど、それでも大事な場所を守るために軍手とヘルメットは絶対に外さない。
 電気工事士見習いの俺なんかは、いっくら暑くっても、強烈すぎる日光を避けるために半袖のシャツを着込まなきゃならないし(って言っても、本当は長袖着用が義務付けられているんだけどね。ま、そこは無視して)、ぼんやりした頭じゃ気を付けるのも簡単には出来ないから、安全ブーツをしっかりと履いてないと本当に危険。現場では半ズボンは厳禁だし。
 「………はぁ…」
 暑い…いや、熱い……。
 「岡野くーんっっ!!」
 そんな中、俺の親方さんはとにかく元気一杯だ。
 「は〜い…っ」
 「そっから八角のボックス投げてーっっ!!」
 「分かりましたー……あー、コネクターはいくつれすか〜」
 いつもと全然変わらないコウイチさんの元気な声に必死で答える。
 「んーとねー……3つーっっ。サイズは22で頼むねーっっ」
 「ひゃーい…っっ…」
 拭っても拭ってもダーダーと流れ落ちる汗を手の甲でグイィィ…と力無く拭って立ち上がる。うわ…ぁ……立ちくらみがする。
 「大丈夫ー?!」
 「ら、らいひゅうぶ…れす……」
 自分的に精一杯笑ってみせて片手を上げる。
 そのまま最速(でも、よろよろするのは何故…?)で電材の入っている段ボールの山まで歩いて……段ボールを……じっと……見詰める…………。
 ……………………あれ……俺………何しにきたんだっけ………
 あんまり暑くて、頭の奥がズキズキと膨れ上がっているみたいに痛み出す。ダメージの強い痛みが脈拍のと同じ速さでリズムを刻む。
 ズキン……ズキン……ズキン……ズキン……
 ……ああ……なんか…なんだか……ヤバいよね……。
 ……そう…危険なんだよね。熱射病とか、熱中症とか。ここ数日は雲一つない青空。午前中からどんどん気温が上がって…まだ10時にもなっていないけど、気温は34度を超えている。現場で一番高いとこだから日陰なんて皆無で……あの……ほら……プールサイドみたいな感じ。アレの……プールの無いバージョン……?
 「岡野君」
 ……じりじりするんだよね……現場の屋上ってホント……はぁ……凄い……
 「岡野君、大丈夫?」
 じーっと立っててもムワァッッ!!っと暑いんだよね…。すっごい汗掻くし。
 熱射病とか本当に危ないから……現場の職人さんって、夏は絶対に水分補給は怠らない。俺も朝から2リットル以上は水飲んでるかな…………。でも……全然トイレとかに行きたくないんだよね…………あー…それだけ汗掻いているってことか……。……前の仕事でも営業で外回りしてた………時にも……随分と汗掻いてたけど………この仕事って………もー………半端じゃないくらい汗掻くよね………。あ゛ー…………暑い………。
 ……………………あー………空が青い……… 
 「岡野君っっ!!」
 「………あれ…?」
 15メートルも向こうにいたはずのコウイチさんの声が直ぐ耳元で聞こえた。
 「大丈夫?!」
 ……どうしたんだろう……そんな焦った顔して…………………
 「岡野君っ!!岡野君っっ!!!」
 ……あれ……?……なんでこんなにコウイチさんの顔がアップなんだろう……?…………………。ああ……えーと………何だかよく分からないけど……目が回って……えーっと………………
 雲一つ無い青空が、ぷつっ……と………


 ……暗くなって……って………あれ?…俺、目閉じてるよ。
 …あはは……それじゃ真っ暗にもなるよな。
 「………あれ…?」
 ぱかっと目を開けたら、雲一つ無い青空ではなく事務所の蛍光灯をバックに背負い、心配そうに俺を覗き込んでいるコウイチさんと目が合った。
 「コウイチさん、どうしたんですか?」
 あんまり心配そうな顔をしていたから思わず声を掛けると、ほっとした顔をしながらも、ぷーっと頬を膨らませた。
 「どうしたんですかじゃないよぉ。もーっ……いきなり倒れたんだからね」
 「え…誰がです?」
 「岡野君がっ」
 今横になってんでしょーっっ、って、突っ込んでから、水の入った紙コップを差し出してきた。
 「熱射病の一歩手前だって。ほら、水分補給」
 「あ……すみません…」
 「ほら」
 起き上がろうとした俺を制してコウイチさんが俺の背中に手を伸ばし、ひょい、って感じで上半身を支えて起こす。
 「わわわっ、そ、そんなっっ…だ、大丈夫ですからっ」
 「いいから」
 細みの、でもしっかりとしたコウイチさんの力強い腕が俺の身体を支える。
 もう……恥ずかしいやら嬉しいやらで…ボンッ、と、顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。
 「ひ、一人で起きれますからっ」
 折角のチャンスなんて思う余裕も無くコウイチさんの腕の中から逃れると、クラァッッ……と、視界が大きくブレた。
 「…………っ」
 「大丈夫?!」
 「……俺どうしたんですか?」
 「日射病で倒れたんだよ。ごめん。無理させてたんだね」
 「いえ、そんな…倒れる俺が悪いんですよ…」
 渡されたコップを受け取り中の水を飲み干す。ああ、美味しい。
 「済みません…忙しい時に……スラブの方は大丈夫ですか?」
 「一先ずギリギリのところは逃がしてきたから大丈夫。ガンちゃんもゴンちゃんも心配してたよ。待っててやるからゆっくり休めってさ」
 「……はい」
 ガンちゃんとゴンちゃんって言うのは、鉄筋屋の岩田さんと権藤さんのこと。…アノ二人をガンちゃんゴンちゃんって呼べるのは、現場広しと言えどコウイチさん一人だと思う。話せば確かに良い人達なんだけど、見た目がとにかく恐すぎる。
 そ、そんな二人に心配されちゃって…後でお礼を言うのも恐い。…いや、ホント良い人達なんだけどね。
 
 現場って、春夏秋冬を嫌っていう程満喫出来る職業の一つだと思う。
 高野電気工事の電気工事士見習いになって2年と半年。無くなったなぁなんて思っていた東京の四季も、実は今でもバッチリあることに気が付かされた。
 屋外の作業は遮るものなんて何も無い。太陽の日射しも吹き付ける風も、雨も雪も雷も、自分の身体で目一杯感じ取ることが出来る。特に今日のスラブ作業の日なんかは現場のどこよりも空に近い場所での仕事になるから、よりリアルに感じられる。
 春とか秋なんてすっごい空気が穏やかで、ヘルメットをしているのも勿体無いくらい風が気持ち良いし、何だか凄く良い匂いまでするから不思議だ。
 冬の天気の良い日の早朝は、放射冷却現象を骨の随まで味わえる。そのかわり、どこまでも続くピリッとした静寂な空は他のどの季節よりも透明度が高い。曇りの日はどんよりと、含んでいる水気の重さまで感じ取れるような気がしてくる。雪が降った日の作業は極寒の地獄だけど、まだ誰も足を踏み入れていないスラブは一面の銀世界。思わず小学生の頃の気分なっちゃって、ドキドキしながら足跡を付けてみたりなんかする。父親でもある親方さんから全権を任された、二代目のコウイチさんなんかは、俺よりも二つも年下のせいもあって、キャーキャー喜びながら雪だるまだの雪合戦だのと大騒ぎだ。
 夏も無茶苦茶暑いけど、信じられないくらい真っ青な空にドーンッッ!!と聳え立つ入道雲の眺めは圧巻だし、作業の後に食べるアイスはとにかく最高に旨い。
 コウイチさんなんかはもうアイス片手に、ニコニコ顔を止めることも出来なくなってしまっている。
 コウイチさん。
 パッと見た目には女性的とも言える造りの電気工事士。
 でも、良く見れば細みながらも筋肉なんて俺よりもしっかり付いているし、子供みたいなキャラクターが小柄に見せているだけで、俺より5センチ以上も背が高い。
 今時の若い職人さん同様、細かなところがオシャレだったりするけれど、軍手とペンチとドライバーは、流石に一流の職人さんだけあって、お洒落とは全く別の次元でバリッと似合っている。
 勿論腕も一流で、組みにも他の職人さんにも一目置かれるような作業が普通に出来る。
 最初の頃は(わーすごいなー。仕事が速いなー。力持ちだよなー)なんて、簡単に考えていたけれど、最近は少しだけ慣れてきて、ネジ一つ、電線一本の取り扱いがどんなに丁寧で正確かが分かり始めてきた。
 たまに他の現場の電気工事の応援に行ったりすると、コウイチさんの技量が分かる。
 この人は本当に凄いんだ。
 だから、絶対に自分の仕事に自信を持っているし、誇りを持っている。
 納得の行かないことや、意味無く仕事を妨害されたりなんかすると……人格が変わる。
 影で『狂犬』って恐れられているんだよね。
 喧嘩はホント、超一流だ。
 ホント……ホント……こんな凄い人の側にいると……俺……惚れちゃうんだよね。
 困ったことに。

 でも、知ってるんだよね。
 コウイチさん、誰よりも大切な人がいるんですよね。
 写真家になるべくアメリカで武者修行していて、で、来月帰ってくる、優しくて包容力があって、無口だけど結構情熱家で、たのもしくって、若干入っている天然ボケが実はチャームポイントの恋人ですよね。
 ……そ。分かっているんだ。
 俺はただのホモだけど、コウイチさんの場合は違うってことも。
 ただ、好きな相手が同性ってだけなんですよね。
 あんまり絆の強い二人だから、きっと俺なんか叶わないけど。
 でも、谷田君、俺だってまだ諦めてはいないんだからねっ。
 この前なんか、あわや……ってところまでいったんだからねっっ。
 …いけない。いけない。どうもコウイチさんのことを話そうとすると熱が籠っちゃうよ。
 まずは色恋よりコウイチさんの手足になれる見習いになるんだって決めたんだっ。
 男前になってから再度告白予定。こう御期待ですよっ。


 なんて鼻息を荒くしつつも熱射病で倒れてる俺って……。まだまだ過ぎる……。



 「岡野君、大丈夫?」
 「あ、はい。大丈夫です」
 コップに注がれた二杯目の水を味わいながら飲んでいると、コウイチさんが心配そうに声を掛けてくる。
 「岡野君は無理するからなぁ。…屋外作業は無理しないようにって言っただろう?ダメだよ。岡野君に何かあったら俺、どうすればいいか分からないよ」
 ドキン…。勝手に感情が意味を変換してしまう。
 「済みません…」
 「今度は、ヤバいと思ったら直ぐに言うんだよ」
 「はい」
 大人しく返事をする。そんな俺を見て、コウイチさんがクスッと笑う。
 ドキン…ッ……
 「ホントに…岡野君は頑張り過ぎるから……」
 ありがとね、と、続く言葉を噛み締めて聞く。
 誰にでも優しい人だって分かっている。本当に好きな人は誰かっていうもの知っている。でも……やっぱり……この人に優しい言葉を掛けられるのは…とても嬉しい。
 年下なんだけど、優しい人だって感じるこんな瞬間は、どうしようもなく嬉しくて堪らなくなってしまう。甘えたいな…なんて、とんでもないことまで思ってしまう。
 ドキン…ドキン……。
 クーラーの効いた部屋なのに、また身体が熱くなってくるのを感じる。
 …………ああ……本当に好きだ…な……。
 叶わなくても想ってしまう。
 鉄骨の油に汚れた手でしっかりとコップを握り締め、コクコクと水を飲みながら、そっと二人きりの時間を噛み締める。
 「……大丈夫?また顔が赤くなってきたよ。具合悪い?」
 「あ、いえいえいえっ…だ、大丈夫です」
 「本当に?」
 「本当です」
 そんなに覗き込まないで下さい…ドキドキしますから………。
 俺、こんなことでドギマギしてはいられないんです。コウイチさん、俺は決めたんですよ。
 俺、もっと頼もしい男になって、コウイチさんにも安心して仕事を任せられるような男になって、とにかく谷田君と同じ土俵によじ登れるまで頑張って、で、戦うんですから。俺、勝ってあなたが欲しいんです。
 俺、谷田君が帰ってきたら大勝負が始まるんです。谷田君がまた現場に、高野電気工事に戻ってくるまでに、少しでも良い男になっていたいんです。
 だから、こんなところでドギマギしているヒマなんてないんです。
 「…ホント、大丈夫です。済みませんでした。さ、作業に戻りましょう」
 自分でもビックリするぐらいしっかりした声が出た。
 座ったままの姿勢だったから、身長の高いコウイチさんを見上げるような形にはなってしまったけど、もう元気だよ、と、証明させるために、ちゃんときちんと笑ってみせた。
 ふと、まぶしそうな顔をされてしまい、また感情が
 『ドキン…ッ…』
 と、跳ねた。
 「……なんだか頼もしくなったね」
 そう言って笑うコウイチさんは、何だかちょっと…本当にちょつとだけだったけど色っぽかった。



 その前に、と、付き合わされたのがC棟四階の北側廊下の足場に連れていかれた。
 「ここ、何かありましたっけ?」
 と、聞くと、コウイチさんはニコッと笑って
 「ん?あるよ」
 と返事をしながら足場板の一つに腰を下ろして
 「さ、岡野君もおいで。あ、足下気を付けてね」
 と、自分の隣をペチペチと叩いた。
 不思議に思いながらも隣に腰掛けると……
 「……わぁ……涼しいですねぇ……」
 周りのビルの隙間を縫って、涼しい風が頬を撫でる。
 「ほら、あそこの公園、池があるだろ。この時間帯は30分ぐらいだけど風向きが変わるんだ。ま、ガンちゃんに教えてもらったんだけどさ。そうするとあそこの池の上を通った冷たい風が吹き込んでくるんだよ。で、ここの一スパンだけどこにも遮られるものも無く、ここまで風が来るんだってさ。うん。言った通りだ。涼しいね」
 林のように林立している薄暗い北側のビルの隙間、公園の景色が向こうに広がって見える。太陽の強い日射しが、一層公園の緑と池の表面を輝かせて見せてくれる。
 「さすが鉄筋屋さん達、涼しいところ知っていますねぇ」
 「うん。先刻、岡野君が倒れている最中、心配して見に来てくれた時に、こっそり教えてくれたんだよね」
 そう言いながら、足場に不自然に置いてあった発泡スチロールの箱の蓋を開けた。
 「さ、岡野君、遅くなったけど、昼飯食べよう」
 組が注文を取ってくれる仕出し弁当だ。
 事務所で俺がノビている間にコウイチさんが注文を取ってくれたらしい。
 冷たいお茶まで入っている。現場仕様。一人一リットルのペットボトルだ。
 大きな水滴で周りがびっしょりと濡れている。
 「ちょっと無理してでも食べなきゃね。この後、頑張ってもらうんだからね」
 「……………はいっ」
 ダメージの食らった身体には、ボリュームあり過ぎだったけど、ゆっくりながらも平らげた。
 隣では、ペロリと平らげたコウイチさんが気持ちよさそうに風に当たっている。
 現場の音からしてもう午後の作業は始まっているんだろうな。
 でも、今日は。
 後もう少しだけこのままで。
 俺もこっそり目を閉じて、現場の避暑地で風に涼しむ。

 まだ気温は上がりそうな勢いだけど、俺は身体の凄く深いところから、元気になるのを感じていた。

 たまにはこんな昼も良いよね。

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夏です。暑いです。現場は厳しい季節です。
でも、足場から見る青空はとても綺麗なんですよ。
岡野君もみなさんも、夏バテには御注意です。