【青い制服緑の髪】
17
びっくりした。
もー…マジびっくりした。
すげー……すっげー……びっくりした。
ランチが終って、夕方の開店までの数時間。本来はランチの後の片付けと、夜の準備に当ててる時間だ。洗いモンだ仕込みだなんだかんだって、アッというに三時間は過ぎて行く。
一年前。
…ゾロとこんな関係になる前までは。
ランチ後の三時間っつーのは、俺に取って大事な『準備』の時間だった。腹ごしらえしたり、休んでみたり、買い出しに行ってみたり、特別メニューの仕込みをしたり。 ぼんやりしたりするのもこの時間の中に入っていた。
何にもしないでボーッとする。
時にはタバコを吸うのも忘れるぐらいぼんやりしてみる。
眠らないけど何にも考えていない時間。
たまに三時間丸々ぼんやりしていることもあったかな。
ぼんやりすんのってすごく大事。
色んなことがリセットされて、余分なモノが無くなっていく。頭ン中も、心の中も、言わば『ニュートラル』な状態になれる。しかも、すげー、自然に。
そーいうのって、意識してすんのは俺じゃ無理。
料理ってさ、『ニュートラル』な状態って案外重要。
そ。重要なんだ。
俺に取ってはかなり重要。
…重要…だった…。
ゾロと…あんな…関係になって………
俺……随分変わった。
前から料理すんの好きだったけど。
今はもっと好きになったような気がする。
料理の腕には前から自信があったけど。
今はもっと上手くなりたいと思う気持ちが強くなった。
昔は気持ちを『ニュートラル』にしてないと、レシピを生み出せなかったけれど。
今は何を見ても、何をしていても、ぱっと閃くようになった。
ランチが終って次に店が開くまでの三時間って、俺にとっては大事な時間だった。
料理人として働くために必要不可欠な時間だった。
今でも大事な時間に変わりはないけど。でも、ゾロがウチの店にランチを食いに来るようになって、ランチ後の三時間の間に来るようになって、キスして…キスされて…そのうち…セックスするようになって……で、気が付いたら三時間の休み時間が二時間になっちまって…でも、前より全然有効に使えるようになった俺がいて……。
一人で過ごしたいはずの時間をゾロと過ごすことが当たり前みたいになって…。
そしたら、いつのまにか料理に対する意識も変わっていたのに気が付いて。
セックス無しのランチタイムは物足りなくて。
セックス有りのランチタイムはボロボロに疲れてんのに気持ちは妙に穏やかで…。
勿論良いことばっかじゃないけど。
ニュートラルどころか、年中トップギア状態のような気がしないでもないけど。
それでも。
毎日が、
すごく、
すごく。
充実している。
誰かに何かを食べさせるのが前よりずっと好きになっていたのに気が付いた。
料理を通して相手を見れば、誰でも好きで。
それは、今でも変わらない。
俺が作った料理を食べてくれるのがすごく嬉しい。
残さず食べてくれるのを見るのが楽しい。
満足そうな顔を見るだけで、俺は相手を好きになる。
でも。
でも今は。
『特別』ゾロが好きだと思う。
いつでも感じる好きとは全然、完璧、異質のモノだ。
身体の深い場所から噴き上がって来るような感覚で、圧倒的で、絶対的で、少し怖い。
それでもこの感情の向く先がゾロだと思うと、不思議と全てを委ねられる。
俺は、ゾロが、好きだ。
セックスの最中気が付いて。
それからは、もう。
普通じゃいられなくなった。
隠すつもりじゃないけど、告白出来るモンでもない。
俺は男だし、ゾロも男だし。
セックス出来るだけでも満足しなきゃならないんだと頭では分かってる。
最近のゾロの言動に、まさかゾロも…って、期待はするけど確認なんて出来る訳が無い。
セックスしてることが恋人同士の証明になるのかどうかも分からないのに、勘違いするのは、多分、危険だ。
片思いでもセックス出来るだけまだマシだ。
もう店にすら来て貰えなくなるリスクを背負ってまで、進展しようなんて望んじゃいない。
辛いけど、辛くない。
恋愛なんて、多分そんなモン。
片思いで十分だ。
そんなの、全然ウソだけど。
好きだとかって感情も無いままセックスしていた時は、食材的に好かれてるんだと割り切っていられた。
今は正直、顔を見るのも見られるのも恥ずかしくてしょうがない。
もっと時間を掛けて欲しい。
もっとゆっくりして欲しい。
出来ることなら自分もゾロにしてやりたい。
色々…ホント色々欲張りになっていく。
ランチの後じゃ物足りない。
だって一時間しか時間が無いから。
でもさ、『後二時間いて欲しい』なんて。
んなこと言えるはずねーモン。
俺達それぞれ仕事があるから。
ただの我侭にしかならないし。
だから、良いんだ。
このままで十分。
良いじゃん、ゾロの部屋に行けるようになったんだから。
今夜だってそう。
仕事が終わったら、今夜もゾロの部屋に泊まれる。
二晩連続だぜ?どうするよ?ヤバいって。マジで。
理性とかブチブチ切れちゃうよ。
今夜も旨い料理を作って、酒飲んで、ああ……多分セックスも出来る。
想うだけなら自由だ。
頭の中で恋愛してると妄想出来る。
俺と同じように、ゾロも俺のことを好きだったら良いなって思いながら、俺はゾロとセックスをするんだ。
うん。それで十分。
そう。充分。
虻蜂取らずって良く言うじゃん?
ゾロのことだってきっと同じだ。
心身取らず。
ってね。
両方狙ったら、多分どっちも手に入らなくなる。
冗談じゃない。
俺はゾロが欲しいもん。
だから、心か身体のどちらかしか欲しがらないって決めたんだ。
片方だけでも手に入るなら幸せだよな?
…うん…幸せだよな。
随分時間はかかったけれど、俺なりに割り切ることが出来ていたのに。
ゾロはとんでもない時に俺の店に来て、とんでもないことを俺に聞いて来た。
『お前は俺をどう思っているんだ?』
…どうって…っ……!!
どうって……
言える訳ねーじゃねーか…っっ……
『…おっ……俺は………』
自分の部屋で俺の帰りを待っているとばっかり思っていたゾロが、今目の前にいる。
すげェ真面目な顔をして、店の中に入って来て、側に寄って声を掛けようとしたらもの凄い勢いで抱き締められてキスまでされた。
背中にまわされた腕の力に骨がミシミシ悲鳴を上げた。
頭が真っ白になった俺は、言葉を探しても見付からなくて、ひたすら言葉を詰まらせていた。
「俺のこと…どう思ってるんだよ……」
抱き締められたまま、暫く何も言えずにいたら、ゾロが耳元で呟いた。「なぁ…どう思ってる?」
ドスの効いた不安気な声。
「…んな…いきなり…何だよ……」
素直に『好きだ』なんて言えるかよ。
自分でも情けなるような震えた声は、ゾロの分厚い胸板に吸収される。
「おい…何か言えよ……」
「言えよって…なぁ……」
ボソボソ言った所でゾロの耳には届かない。
抱き締められている腕の力があんまり強くて理性が吹っ飛びそうになる。ギリギリのところで『好きだ』って言いそうになるのを堪えて、上手い言葉を探す。
見付からなくて間が持たなくなると、今度はゾロに答えを催促されるのが怖くなってモガモガ暴れた。
暴れるとゾロは落ち着かせる効果は全くないような激しさで、噛み付くようにキスをしてくる。
乱暴だけど、妙に熱くて情熱的で。
余計にこっちは追い詰められた。
「…どうなんだよ…」
唾液に濡れたゾロの唇に釘付けになる。
「…言えるかよ…っ……」
小さく毒吐き、またモガモガと暴れる。
「…お前こそ…どうなんだよ…っ…」
ぴた…っと、ゾロの力が止まった。
見上げると、固まったゾロの顔が間近にある。
「お前はどうなんだよ…っ」
「………っ」
無表情の端正な顔が、瞬時に赤く染まった。
「………っ」
「…………」
「………何真っ赤になってんだよ……」
「………うるせェ……っ………」
思わずこっちまで顔が熱くなりそうな表情だった。
「………っ…」
もっと追い詰めれば俺の気持ちを言わなくても良いかもしれないって思って、口を開きかけたら、がっちりホールドされてから唇を塞がれた。
焦ったようなキスで、誤魔化すようなキスで、黙らせたくてしょうがないようなキスだった。
形勢的には俺の方が完全に不利で、俺には絶対伝えられない言葉があって、なのにゾロはその言葉を聞きたがっていて、俺は白状させられそうなギリギリのところに追い詰められていた。
なのに、力尽くで黙らせてくるゾロの唇はいつものふてぶてしいって言った方がいっそしっくり来そうな程の動きどころか、俺をリードすることも出来ずにいる。
前歯同士がぶつかったら、どっちかのが欠けるんじゃないのか?ってぐらいの勢いで唇を塞がれ、焦ったように俺の口の中にバタバタと舌を突っ込み、俺の舌を必死で探し、触れ合った瞬間にグイグイと押して動きを封じようとする。
あんまりにも分かり易くてガキっぽいから最後は何だかおかしくなって、唇の端がニヤけてしまった。
そしたら今度は怒ったのか、舌を叩き付けるようにしながら絡めてきた。
もう、こうなってくるとお互いに最初なんでキスされたのかも良く分からなくなってきた。
バタバタバタバタと舌を絡ませ合い、唇を貪り合う。
やがて息が絡み合って、お互いの動きに合わせられるようになって、舌全体で絡み合わせられるようになってくる。
苦しいのを少し我慢してキスを続ける。
柔らかい筋肉の動きがザワザワと性欲をかき立て始めるようになってくる。
お互いがすっかり目的を見失い、いつものキスになって行く。
なぁ、こうしていると俺達まるで本物の恋人同士みたいだぜ?
「……お前、何真っ赤になってんだよ」
「……お前こそ ……」
背中に回されたままのゾロの手が、俺の背中を撫で擦る。
セックスの体勢になりかけながら、壁に掛かった時計を見て……
「まっ、待った待った待った!!」
身体を捩らせ、今度こそ本気でゾロから離れた。
「時間がねェッ!!」
「んん?ああ……」
いつの間にか三時を回っていた。
「今日の予約っ、特別メニュー頼まれてたんだっっ!」
ばたたたっっっ!!と傾れるようにカウンターの裏側に回り、注文票を取り出す。
「ぞっ、ゾロッッ!!」
「んん?!」
「悪いっっ!!留守番頼むっっ!!」
「はぁ?!」
目を丸くしているゾロには悪いが一先ず無視して、カウンターの上の財布を掴み、ドアの方に走って行く。
ドアノブを左手で掴んで思い切り開き、勢いで後ろを振り返ってゾロの顔を見る。
「ゾロッ!!」
「んん?!何だ?!」
俺の職業モードの声に条件反射的に反応したのか、ゾロも激混みの郵便局の中で仕事をしている時の口調で返事をして来た。
「これからライフで買い出ししてくる。十五分で戻るっ。その間に皿洗っといてくれっっ!!頼むっ」
「よしっ分かったっ!!任せろっっ!!」
ゾロは大きく頷くと、シャツを捲り上げ、なぜか側にあったタオルを手早く頭に巻き付け、まるで侍みたいな目付きで、手に取ったスポンジに洗剤をたっぷり含ませると、
『カチャッ』
まだシンクの中に大量に残るランチ用の皿を一枚取り出すと、真剣な表情で洗い始めた。
「サンジッ」
ゾロが俺を呼び付ける。
「ん?」
「ここは良いから早く行けっ!!」
鋭い声で言った。
「あっ、おうっ」
俺は全速力でライフに向かって特注メニューの素材を買いに走り出した。
無事食材を買い付けられてダッシュで戻り、慎重に皿を洗い続けていたゾロに洗い物は任せて、予約の準備。
仕込みが終った所でゾロも全ての皿を戸棚に仕舞い終わり、その頃にはバーテンダーのエースも店に入って来た。
「あれ?何?転職したの?」
「まさか」
二人をカウンターに座らせて少し早めの夕食の賄い。
開店直前の準備。
六時になって夜の部。
六時半に予約のお客さん。
何かの記念日らしいカップルの乾杯の後に、丁度オーブンのアリスタが焼き上がる。
「…よしっ…」
片手付きのシノピアを取り出してそのままテーブルに持っていく。
『わぁ…っ…』
可愛らしく口の前で両手を合わせて嬉しそうな完成を上げる女性に料理の説明。
「こちらは、豚肉のオーブン焼き『アリスタ』です。古くから伝わる伝統的なイタリア料理で、修道院で実際に食べられていた料理と言われています。今日はそのまま薄く切って召し上がって頂きます」
「おいしそう」
「ありがとうございます。今夜はそちらのワインに最も合うものをと言うことでご用意させて頂きました」
相手の男が危なっかしい手付きでコルクを抜くのを内心ハラハラしながらも表情を崩さず見守り続け、何とか抜けた所で女性の拍手におつきあい。それからグラスを二つテーブルに置き、
「では、楽しんで下さいね」
と、少し砕けた表情で笑いかけ、席から離れる。
他に頼まれた料理は既に最終段階まで調理が終って仕上げるのみ。
一先ずは二人だけの世界をつくっているだろうから、その間に他の席のお客さんのオーダーの準備。
ランチの時間と違って、メニューの数が減っているからそんなに時間も掛からずどんどん用意して行ける。
それでも、厨房は俺一人だけだから、注文が重なるとかなり忙しくなってきて、かなり集中しなくちゃさばけなくなる。
暫く夢中で店の中走り回っていたら、エースにとっておきの酒を一杯奢ってもらっていたゾロが、
「んじゃ…先に帰ってる」
と、普通に俺に声をかけて来た。
「ああ…っ。ゴメン。お前が居たの忘れてた」
素直に謝ると、ゾロが小さく首を横に振る。
「気にすんな」
「…ん」
盛りつけの合間にしっかりと目を合わせる。
「夜は夜で忙しいんだな」
「まぁね」
「…大丈夫か?後で来れるか?」
「勿論」
だって昨日約束したし。それに、
「俺も行きたいし」
即答すると、ゾロが僅かに表情を柔らかくさせた。
「分かった。じゃ、後で」
「…ああ」
普通に見送り、普通に仕事に戻った。
続く
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