【青い制服緑の髪】

9


 
 上野を抜けて、銀座を抜けて、晴海通りを目指す。
 新大橋通りを曲がれば築地市場はもうすぐだ。

 いつもだったら一時間掛かるか掛からないかってぐらいの道程だけど今日は特別ゆっくり車を走らせる。
 出来るだけ振動が無いように丁寧に、丁寧に。
 女の子と一緒に乗るか、よっぽど繊細な食材を積んでない限り絶対しないようなハンドル捌きだ。
 「…ありがたく思えよ」
 ぼそっと助手席の男に声を掛ける。
 「………」
 返事の代わりに…って訳じゃないんだろうけどスースーと、何かやたらと気持ち良さそうな寝息が助手席から聞こえてくる。
 時計を見ると卸業者のセリの終わる時間も迫ってて、そうそうのんびりもしてられないところなんだけど、あんまりコイツの寝息が気持ち良さそうなんでどうにもアクセルを踏み込む気になれない。
 おかげで今日は自分でも笑うぐらいの安全運転だ。
 「…目当てのマグロが手に入らなかったらお前のせいだからな…」
 取りあえず文句ぐらいは言ってみる。
 気持ち良さそうな寝息だけが聞こえてくる。
 
 「………」
 信号待ちの度に助手席を見る。
 何度も何度も見る。
 シートに身体を預けて静かに眠るゾロの姿が側にある。
 「………」
 黙って見詰めて、黙って進行方向に向き直って、暫く走って、また、ゾロを見る。
 何度見ても、ゾロが助手席に座って眠ってる。
 あ、いるな…って思ってちょっと安心してみたりする。
 あー何か信じられないぜ…とか考える。
 だってさ俺本当にゾロと今日一日一緒に過ごすんだぜ。
 何度かそーしてみてーなー…とか考えたことあったけどさ、何つって誘ったら良いか分かんなかったからさ。
 まさかホントにこうして店以外で一緒に過ごせるなんて絶対無理とか思ってたからさ。
 でもさ…いざこうして現実になってみると、どーも実感が湧かないんだよな。
 だからかなぁ…。
 何度も何度も助手席に目がいくのって。
 ホントに今俺の隣にゾロがいるのか?って思っちまうんだよな。
 「………」
 何度もゾロを盗み見る。
 何回見てもゾロがいる。
 「………へへっ…」
 何だか変だ。
 意味も無くワクワクするよ。
 すげぇ楽しい。
 つーか、嬉しい?
 え?何で?
 「……うーん………」
 いくら考えても分かんなかった。
 分からないまま、何度もゾロを見る。
 俺にさんざん見られてるのにも気が付かないで、ゾロはぐっすり眠っている。
 「………」
 へぇ…こんな寝顔なんだ…って思った。
 穏やかで静かで暖かそうだ。
 そう言えばこいつの寝顔見るの初めてなんだって運転している途中で気が付いた。
 ま、そーだよな。ランチタイムの一時間だけしか一緒にいねーし。寝てる間なんてある訳ないか。
 「…………」
 へぇ…肌、綺麗なんだな……。
 丈夫で滑らかな肌。つるんとしててシミ一つない。
 「…………へー……」
 ……触ってみてぇな……。
 ………………。
 「……はは…アホか…」
 何浮かれてんだよ。俺。

 

 

 ゾロ。ロロノア・ゾロ。

 俺の店の斜め向かいに建っている、雑居ビルの中の郵便局の局員。俺の店の常連客。
 いつでもすげェ旨そうに俺の作った飯を食ってくれるところが気に入っている。
 『いただきます』と『ごちそうさま』がちゃんと言えるところも気に入っているし、好き嫌いはあっても全部残さず食べれるところも気に入っている。
 箸の使い方はあんまり上手じゃねーな。
 どっちかって言ったら『おいっソレどーやって持ってんだよ?』ってぐらいのイレギュラーな箸の構え方だ。
 ナイフとフォークを出してもフォークしか使わないタイプで、グラスの水は一気に飲み干すタイプだ。
 海老フライのシッポも魚の骨もチキンの骨も残さず食べるから、顎と歯はかなり丈夫なんじゃねーのかな。
 基本的には無表情な男で、リアクションはナノレベル級だ。郵便局員って仕事柄、せめて愛想笑いぐらいは体得してた方が良いかと思うんだが、まぁほとんど笑うことはない。あ、でも、もの凄くたまにだけどドスの効いた笑顔を見せてる時はある。
 ……まさかそれがあいつなりの営業スマイルか…?……うーん…だとするといっそやらない方が良いような……。
 まぁ、とにかく黙ってるとかなり物騒に見える男だ。
 勿体ねぇよな。素材自体は悪くねーのに。
 笑えばもっと良い感じに見えるのにな。
 文科系の仕事してるくせに、身体はしっかり体育会系。
 仕事的に重い荷物持つこともあるだろうけど、あの体格は規格外だ。無駄に筋肉質な気がしてならない。
 絶対マッチョマニアだね。ウエイトトレーニングとか毎日やってなきゃあんな身体にはならねーもん。
 男の俺から見てもムカつくぐらい良い体つきしてる。
 圧倒的だし、絶対的だし。
 胸板厚いし、手ェでっかいし。
 脱がれると、クラッ…と来る程身体スゲェし…。
 飯も良く食うけど…俺のこともしょっちゅう喰うし…。
 そう。しょっちゅう喰うし…。
 週二、三回は喰いに来る。
 性急で余裕もゆとりも全然ないような喰い方で。
 あんまり凄い喰い方だから、逆に身体が悦んで期待するようになっちまったから困りモンだ。
 何せ男同士だ。恋人とかそんな関係になれる訳も無い。
 なのにランチの後、求められるままにゾロとする。
 甘い言葉も無ければ、特別な感情も無い。
 それでも奇妙な関係は続く。
 まぁ…さ…元はと言えば、俺から誘ったんだけどさ。
 不思議なヤツで。気になるヤツで。
 『知り合い』でもなくて『友人』でもなくて。
 考えれば考える程、どんな『関係』なのか分からない。
 どっちかって聞かれれば、俺はゾロのことが好きだ。
 でもそれはホント単純な意味での好きってヤツで、複雑だったり難しい『好き』とは違う。
 いつまで続く関係かも分からない。
 でも。
 今は少しでも長く続けは良いと思ってる。

 
 ゾロは俺の車の助手席でシートに身体を預けて静かに眠り続けている。
 「………」
 特に理由も無いのに何だか変に顔が緩む。
 今日は一日コイツと一緒だ。
 なんか、すげー嬉しい。

 慎重に丁寧に。
 気持ち良さそうに眠っているゾロを起こさないように静かに車を走らせる。
 目の前に築地市場の正門が見えてくる。
 「…よーやく着いたぜ…」
 ちょっと残念な気分になりながら口にした。

 

 

 

 「…すげぇな…」
 「ん?面白いだろ?」
 「ああ」

 場内の駐車場(契約車両だけが停められる場所だから、個人的に来る時は場外市場のパーキングに停めると良いよ)に車を停め、どう起こそうか暫く悩みながらゾロの寝顔を五分ぐらい眺めてたけど、何だか恥ずかしくなって思わず叩き起こしてしまった。

 『おいゾロッ!起きろっ』
 『……』
 いきなり頭叩かれて不機嫌そうな顔するものの、寝惚けてんのか、ゾロはやたらと子供みたいな仕草で目を擦りながらしぱしぱさせた。
 『…ここは…?』
  『築地市場』
 『…市場でデートか?』
 『ああ』
 『…市場で何すんだよ』
 『そーだなー…』
 くわぁ…っ…とか大欠伸してるゾロを見ながら笑って答える。
 『お買い物とかだな』
 『……お買い物…な…ま、確かにそーだな…』
 『何だよ。何か言いたそーじゃねーか』
 『別に』
 『こんなのデートじゃねー…とか言いてーんじゃねーのか?』
 『…ま、色気はねェな』
 『嫌か?』
 『……いや…』
 ゾロは、何か言いかけて、止めて、それから笑った。
 『…っ…』
 いつもはリアクションなんかほとんどないヤツで、表情も乏しくて何考えてるか分かんないような男だから。
 『んん?どうした?変な顔して』
 『…いや…別に』
 驚いた。
 あんな風にも笑えるんだって、驚いた。
 『…さ、行くぞ』
 驚いて、驚いたことを気付かれたく無くて、慌てて車のドアを開けた。
 『早くしないと良いマグロが手に入らなくなるからな』
 『んん』
 ゾロは何も言わずに俺に続いて車から降りてきた。
 一瞬、意味も無くケツの穴がヒクリ…と言った。

 築地の朝は当たり前だが無茶苦茶早い。
 今日の目当てのマグロ何て言うのは午前三時の魚が出そろう時間帯から、仲卸業者の競争は始まってるようなもんだ。
 たまにニュースとかグルメ番組なんかで見たことあるんじゃないかと思うんだけど、だだっ広い倉庫に生のマグロと、その奥に大量の冷凍マグロが整然と並べられている。
 並べられた順に赤い絵の具で書かれるナンバーは、数が若い程大きくて質も良い上物だ。そのかわり価格も驚くような値段で取引される。
 入り口に近い方から本マグロ、メバチマグロ、キハダマグロにビンチョウマグロって感じでびっしりぎっしり並んでいる。仲卸業者は日によっては何百匹って捌かれるマグロから最高の一本を探し出さなきゃならない。
 でもって、俺達は更に仲卸業者の店の中から最高級の逸品を探し出さなきゃならない。
 商品なんてピンキリ。特にマグロ何て言ったら痛みの早い食材だから、見極めは本当に大切なんだ。
 当たり前だけど、俺は料理人として食べてくれる人の為にも出来る限り良い素材が欲しい。
 だから買い付けはいつも真剣勝負だ。
 昔ジジイのところで修行してた頃の言葉を思い出しながら食材をじっくり探し出して行く。

 ふっくらした魚体。
 赤身の色はとにかく鮮やかなもの。
 脂がしっかりと乗っているもの。

 良い品物はたくさんある。
 これだっ、って逸品も探せば見付かる。
 でも大抵は質と値段は比例する。
 俺はお客にには安くて旨い料理を提供したい。
 最初の頃は、値札の前でいつでも唸って苦しんでたな。
 だけど、何度も通っているうちに、安くても良い素材が存在するのに気が付いた。
 何度もリサーチしているうちに仲良くなった一人の業者から理由を聞いた。
 『良いマグロは何も番号が若くなくてもあるんだぜ』
 本当の目利きは、雑魚の中に埋もれて見付けにくくなってる『一流』を見付けられるんだそうだ。
 『ま、素材が良くて安いマグロは、朝一番には無くなるけどな』
 その言葉を聞いてから、俺は出来る限り早く市場に行くことを心掛けている。
 朝一番の競りが終って、仲卸業者が自分の店で解体作業をしている時間帯からゆっくりじっくり見て回る。
 目利きの仲卸業者を捜す。
 包丁さばきの秀でた業者を自分の目で探す。
 そのうち築地でも指折りの業者が誰か分かってくる。
 朝早くから場内を歩く。
 やがて業者に俺の顔を覚えてもらえるようになる。
 『ようサンジ、今日は良いのが入ったぞ』
 本当なら俺達料理人が買い付けに行くのは午前八時。
 でも俺は、業者がその日競り落とした一番の品物が欲しいから、どんなに遅くても六時には市場に入るようにしている。時には仲卸業者の競りにも付き合う時もある。
 早いだの眠いだの言ってられない。
 旨い食材を安く手に入れるのは大変なんだ。
 でも、一番大事なことだから、今まで一度だって苦に思ったことなんて無い。
 市場は朝早い。
 そんなことは当たり前。
 当たり前…なんだけど…さ。

 実は今日、少しだけ早く来たことを後悔してる。
 俺の買い出しに付き合わせて悪かったかな…とか思ってる。
 今日、ゾロと一緒だから、競りに連れて行って見せてやりたかったんだよね。どうせ一緒に行くんなら、一番面白いところを見せてやりたかった。だから朝の三時に待ち合わせた。
 でも、やっぱり流石に早過ぎたな。
 助手席で寝入ったゾロの顔を見ながら思った。
 何だか俺ばっかり浮かれちゃって悪いことしちゃったなとか少し反省した。
 でもさ、でもさ。
 築地市場をどうしても見せてやりたかったんだよね。
 俺が一番好きな場所の一つだからさ。
 駐車場ですっかり眠り込んでいるゾロを起こした時、眠そうにしているゾロを見て、少し胸が痛んだ。
 市場じゃ楽しめねーんじゃないかって、胸がざわざわした。
 一言も言われてねーけど、実はあんまり朝早くて呆れられてんじゃねーかと思って不安になった。
 つまんねーとか思われてたらどうしてよう。
 映画とか、ドライブとか。一日一緒に過ごす場所って他にも一杯あったけど、俺さ、何かどーしてもゾロと一緒に築地で買い出ししたいって思ったんだ。
 俺の好きな場所に連れてきたいなんて思ってたんだ。
 『デート』なんて冗談で言いながら、俺は本当に今日はこっそりデート気分なんだよね。
 野郎相手に『デート』なんて言うのもヘンな話だけど、冗談抜きでそんな気分になっている。
 ゾロと一緒だったらこういうのも悪く無いんじゃないかなって思ってる。
 でも、肝心のゾロがこんなクソ早い時間から俺に連れ回されんのを楽しめるか…どうか……考えるのを忘れてた。
 ヤベェ…俺、アホだ。
 浮かれて肝心なこと考えてなかったよ…。
 普通、デートって言ったら、相手が楽しむ場所を選ぶモンだよなぁ……。
 俺、自分の行きたい場所、選んでるし…。
 しかも迷惑にしかならないような待ち合せ時間にしちゃってるしよ……。
 ゾロ、メチャクチャ眠そうだったし……。
 これで買い出し楽しんでもらえなかったら、今日一日が台無しだぜ…。
 ………つーか、買い出しって……俺は楽しいけど……普通楽しいモンなのか……?
 ………あれ……そこんとこどーなんだ…?
 あああ……しまったなぁ…場合によったら、この後の予定が無くなるかもしんねぇぞ。えー…それはヤダなぁ…。
 実はさぁ…ココだけの話だけど『本日は都合により』俺の店は臨時休業してる。
 一日ずっと一緒にいられるようにってヤツ。
 築地行って、一般のヤツが個人で来ても滅多に見られないモン一杯見せて、場内案内して、楽しませてやりたいとか計画してる。
 店で使う食材の仕入れがメインだけど、今日は特別にゾロの為だけの仕入れもする。
 ゾロの好みは大体知ってるつもりだから、買いたいものも決まってる。
 あーだこーだ言いながら、二人で買い物してみたい。
 店の仕入れの分は、店の厨房に備え付けてある特性の冷蔵庫に保管して、ゾロの為に買う食材だけ持って俺の家に誘うんだ。『んじゃ、約束通り旨い酒飲ませるところに連れてってやるよ』とか言いながらさ。
 何だお前ん家じゃんとか言われたら、『まぁね』なんて良いながら無理矢理上げたりなんかしてさ。
 ゾロの好きな料理作って食わせて、のんびりするんだ。
 『お前店は?』何て言われたら『ん?今日は休み』ってしれっと言ってやるんだ。そしたら何て顔するだろう。
 いつもみたいに慌ただしく二人だけの時間を過ごすんじゃなくて、くだらない話とかしながらのんびりしたい。 飯にも酒にも満足したら。
 そしたらその後は。
 たまにはベッドの上で喰われてみたい。
 なんてさ。
 ばっちり一日の計画立ててたりなんかしてる。
 俺の後を付いてくるゾロは眠そうで、穏やかにも見えるけど、テンションが低そうにも見える。
 駐車場から水産物部の建物へ歩きながら俺の足取りは重かった。

 でも、結局はそんな心配も無用だった。

 続く

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