【窓越しの掃除屋】

10

 「いらっしゃいませー」
 入荷した弁当の仕分けをしながら、店員がだるそうな声を上げる。
 俺は入り口のカゴを掴むと、真直ぐ酒のコーナーに向かい、手当り次第に酒を放り込んだ。
 銘柄も何も関係ない。
 とにかく量が欲しい。
 明るい店内でふと見ると、自分のズボンに自分のザーメンがこびり着いているのに気が付いた。
 ごわごわした感じがムカついた。
 日本酒のコーナーで持てるだけの酒を掴んでレジに向かう。
 会計を済ませて出口に向かい、思い付いて下着の替えを追加で買った。
 そして出て行こうともう一度入り口に顔を向けた時、
 「…………!!!…………」
 心臓が飛び出しそうな程驚いた。
 俯いて歩いていた目の前の男が、俺の両手に持った酒が入った袋を驚いたように眺め「すげぇなぁ…」と、小声で言いながら、顔を上げて俺の顔を見て……目を丸くした。
 「………ゾ…ロ……?」
 「……よぉ……」
 「……お、おう…」
 柄に無く、頭の中で慌てて気の利いた言葉を探すが見付けられない。
 会えて嬉しいとか、どうすれば少しでも一緒にいられるか…そんなことを考える余裕すら無かった。
 ただ、ただ、驚いて、顔の表情すら無くなる。
 何も喋れず、両手に酒がぎっしり詰まったデカいビニール袋を持ったまま突っ立ている俺に、目を丸くしたままの掃除屋が、
 「お前……なんでこんなとこにいるんだよ……?」
 と、心底驚いたような声で言った。
 「……や、酒飲もうと思って……」
 我ながらアホっぽい声だった。
 「え…まさかゾロ、お前ン家って、この近くなのか?」
 「あ?…ああ」返事をしてから俺も気付いた。「なんだお前もこの近くに住んでんのか?」
 「あ……ああ」
 「どこだよ?」
 聞けば、俺の家から二十分も離れていない場所だった。
 「偶然だな」
 素直な感想を口にした。
 「ああ…そうだな」
 「立ち話もなんだし、どっかで飲むか?…なんなら、俺ン家来るか?何にもねぇけど」
 「あ、…いや、いいや。明日も早ぇし」
 警戒したように言う掃除屋の顔を見たら、もうどうしても家に呼びたくなった。
 「泊まってきゃ良いよ」
 言ってから、泊まらせるような環境じゃ無かったことに気が付いた。でも、まぁ、いいか。
 「な、来いよ」
 「え?でも、お前ン家、誰か来てんじゃねーの?」
 「は?誰もいねーよ。何で?」
 「だって、その酒の量」
 「あ、これか?」片手で袋を持ち上げながら「一人で飲もうと思ってた」
 「一人で?ホントかよ?」
 驚く掃除屋の顔を見たら、何だか意味も無く嬉しくなって、殊更何でもなさそうに言ってやった。
 「ああ。別に大した量じゃねェし」
 「マジかよー……」
 呆れ半分、感心半分の入り混ざった表情に、つい笑ってしまった。
 「なんだよ」
 「んん?」
 「何笑ってンだよ」
 「ん?や、別に。な、飲みに来いよ。」
 「………んー……」
 「イイじゃねェか。な?」
 掃除屋は長いこと黙って考え込んで…それから小さく頷いた。
 「ん…分かった。行くよ」
 「そうか」
 多分、俺、笑ったんだと思う。しかもかなり全開で。
 掃除屋が意外なモノでも見たように、俺の顔を見て、それから泳ぐように視線を外した。
 どっかで見たような気もしたが、どうでも良い。
 ガキみたいに気分が高調して来るのを必死で隠しながら言葉を探す。
 「あ、じゃつまみとか買うか?」
 「何だよ、つまみもなしで飲むつもりだったのか?」
 「一人で飲む時につまみなんて要らねェだろう?」
 「はぁ?何だかよく分かんねぇな……」
 取りあえず、掃除屋につまみを任す。
 掃除屋は俺が買った酒を覗き込むと、
 「…しっかし選んでねーなぁ……」
 なんて言いながら、チーズだの、さきいかだのチョコレートだのアイスだのと手際よく買い込む。
 「なぁ、漬け物も買うか?」
 「あ?どっちでも良いぞ」
 ……ガキみたいにワクワクした。
 「あ、俺ン家箸ねーから貰った方が良いぞ」
 「え?どーいう家だよ?」
 「別に、普通の家だぜ?」
 「普通の家だったら箸ぐらい置いとくだろう」
 「そーか?」
 「そーだよ」
 「じゃ、皿とかは?」
 「…多分ねーな」
 「多分ってなんだよっ」
 ったく…と、ぼやきながら、割り箸と紙皿と、考え込んで紙コップも買い込んでいた。
 結構大きな袋を下げて二人でコンビニを後にする。
 帰り道、俺は生まれて始めて部屋を掃除しときゃ良かったな、と、思った。







 「しっかし……まぁ……見事に何にも無い部屋だな…」
 掃除屋の第一声。
 「…四畳半?……俺ン家よりデカく見える」
 「お前ン家、どれぐらいだよ」
 「六畳」
 「じゃあ、お前の方が広いじゃねーか」
 「…や、そう言う意味じゃ無くて」
 「汚ねーな」
 「そうか?」
 「しかもクセーし」
 「そうか?」
 「そーだよ」
 よしっ、と、掃除屋が腕まくりをする。
 「一先ず掃除だ。酒はそれからだ」
 有無を言わせないような表情で、掃除屋が言った。
 「先ずは洗濯物を一つに纏めて」
 「ああ?俺も掃除すんのか?」
 「当たり前だろっ。ココ、お前ン家だろーがっ」
 洗濯物をガーッと纏めてゴミ袋に放り込む。
 溜まってるっても元々そんな衣装持ちって訳じゃねーから四十五リットルのゴミ袋二つ分にもならなかった。
 『絶対明日洗濯しろよ』
 と、約束させられ、玄関先に放り出される。
 「盗まれたらどうすんだよっ」
 「ンな訳ねーだろ」
 …ま、そうか。
 洗濯物がなくなると、本当に何もなくなった。
 引っ越した頃の部屋の状態と変わらない。
 それで終わりかと思ったら、掃除屋はハンドタオルを拾い上げて、雑巾代わりに畳を拭き始める。
 「……へぇ…面白い拭き方すんだな」
 「ってお前なぁ…畳の目に沿って雑巾掛けなんて、基本中の基本だぜ?…っとに掃除しねぇんだなぁ」
 「や、普通しねェだろ」
 「や、しろって」
 何度もタオルを畳み直しながら、手際良く部屋を綺麗にしていく。
 サッシの汚れを拭き取った後、流しで丁寧にタオルを濯ぐと、最後に窓を綺麗に拭き上げた。
 「……全然使われてねーな…可哀想に…」
 そのまま台所まで掃除をされる。
 洗剤があったら、換気扇まで掃除されるところだった。
 
 「…さすが…プロだな」
 「ん?まーな」
 一時間もしないで部屋の中は見違えるように綺麗になった。

 「…何だか現場で酒飲んでるみたいだな…妙に落ち着かねェ」
 「そうか?」
 「そーだよ…」
 そう言いながらも掃除屋は旨そうに酒を飲んでいる。
 「机と座布団ぐらいは買えば?」
 「…そーだな。この近くに売ってる店あるか?」
 「あるある。駅前に安っすい店幾らでもあるぜ」
 「今度付合ってくれよ」
 「ああ、いーよ」
 ガランとした部屋の中で、二人で酒を飲む。
 つまみのせいか…いつもよりずっと旨く感じた。
 聞けば掃除屋は俺と同い年で、それにはエラく驚いた。
 「なんだよっ。そんなに驚くことねーだろーがっ」
 掃除屋は、年下に見られることを自分でも知っているのか、ブーブーと文句を言っていた。
 くだらない話をしながら…俺はずっと心臓をバクバク言わせていた。
 間近に掃除屋がいる…それだけで舞い上がっている自分がいる。
 掃除屋は、酔いが回ったのか、いつもより饒舌で、いつもより機嫌が良さそうで、いつもより良く笑っていた。
 俺は酔ったフリをしながら、掃除屋を眺め続けた。
 壁に寄り掛かり、俺よりもずっと遅いペースで、だが、とても旨そうに酒を飲む。
 ほんのりと顔を赤くして、指先まで赤くしている姿を冷静に見るのは難しかった。
 抱きてェ…。
 性欲が頭をもたげる。
 我慢したのは…………。


 ……怖かったからかもしれない。
 掃除屋の身体はやっぱり華奢で、力だけなら絶対に俺が上回るだろう。
 力で押し倒せば、楽勝で抱ける。
 女みたいに丁寧に抱いてやれば、喜ばせられるだろうって自信もあった。
 デカいチンコが好きならば、十分満足させられる自信もあった。
 数時間前までは想像も出来なかった状況。
 目の前にアノ掃除屋がいる。
 しかも、警戒心を解いて、楽し気に笑う掃除屋がいる。
 レイプされた時に間違い無く男に感じていた、アノ掃除屋がいる。
 俺が抱きたいと夢にまで見た、掃除屋が、いる。
 だが。
 「俺さ…ゾロとこうやって話が出来て良かったよ」
 掃除屋は、俺を友人と思って笑う。
 もし今ここで…欲しいままに掃除屋を抱いたら…もう二度とこんな夜は来ない。
 自分でもヌルい考えだと分かっていた。
 それでも、楽しいと感じられるこの時間を嬉しいと知ってしまった。
 トロン…とした表情で、くだらない話をしながら楽しそうに笑い、間近に迫っている睡魔に身体を半分預けている姿は、今の俺にとっては、どんな女の媚びよりもエロいと思った。
 それでも……
 この時間を失うのは怖かった。


 「……ゾロ……」
 すっかり呂律が回らなくなった掃除屋が、俺の名前を呼んだ。
 「…んん?」
 「……俺さ……まだ礼言ってなかったな……」
 「……ん?」
 「………左官屋のバカ連中にさ……」
 「……ああ……気にするな」
 紙皿に綺麗に盛り付けられたつまみを細い指で摘まみ上げながら掃除屋がゆっくりと喋る。
 「俺……すげー…怖かった……ああいうの……ホント……ダメなんだ……なのに…俺……昔のクセで……スゲー……感じ………あ……じゃなくて…………ま…どうしようもなくなって……さ……最悪……だった……ゾロ…が……来てくれた時……怖くて……恥ずかしくて……パニクッた。………礼も言えなかった………ホント……ごめん……」
 「…………そんな……今更だろう?」
 掃除屋は俺の声も耳に入っていないのか、俺の語尾に重なるように寝言みたいな言葉を続ける。
 「…ナミさん……と一緒に……連れ去られた時も……そうだ………アバラ折られて………また……ヤられるかとおもって………怖くて………また………感じさせられるかと……思ったら………怖くてさ………キレてたゾロも怖かった……けど………」
 長い沈黙の後、掃除屋の静かな寝息が聞こえ出した。

 「………『けど』なんだよ……」
 呟いた自分の声が、笑っちまう程情けなくて、笑ってしまった。
 くったりと眠る掃除屋に触ることも出来ず、寝姿を肴に残った酒を飲み続けた。
 (頭、おかしいんじゃねェか?男なんだぞ)
 飲みながら、それでも良い…と、思った。
 もうダメだ。
 俺、こいつが好きだ。
 これ以上、誤魔化せそうにない。
 (…でもな…お前と同じだ)
 触ることも出来ない。
 まして抱くことも出来ない。
 「…………参ったな……」
 本当にどうかしている。
 レイプされてた男のセックス見せられて一目惚れなんてな。
 最悪だ。
 ホント……最悪だ。
 進展なんて望めねェっていうのによ。

 友人でも良い……?

 ……さぁ…どうだかな……。

 口に含んだ日本酒が、舌の上で苦く甘く広がった。


 気が付くと身体を丸めて寒そうに掃除屋が眠っていた。
 慌てて何か掛けるものを探したが見付からなかった。
 俺の作業着を掛けたら……朝、蹴り殺されそうなんで止めた。
 ダッシュでコンビニに走って戻ってバスタオルをありったけ買った。
 ネコの絵をしたフリースの膝掛けを見付けて、買おうとしたら、店員に『スピードくじの景品なんで…』と、言われてしまった。
 「分かった。なら、そのくじ全部買う」
 どうにも操作を覚えられないATMに店員を引っ張っていき、俺の口座から金を下ろさせて、箱ごと買った。
 フリースだけで良い。後は全部お前にやるって言ってんのに、店員は『困ります』の一点張りで、袋に全部詰められた。押し問答する時間も勿体無くて、俺はネコの皿だのコップだのおもちゃだのまで持たされたまま、自分の家までダッシュした。
 こんなに早く走ったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 小さく丸まって眠る掃除屋に、フリースを掛け、バスタオルをその上に重ねた。
 (座布団…ちゃぶ台…それから布団も必要か…?)
 掃除屋の寝顔を見ながらそんなことを考えていたら、ひどく楽しい気分になっているのに気が付いた。




 掃除屋の寝顔は、不思議と見飽きることは無かった。




 今、俺の部屋にはやたらと不釣り合いな耳にリボンを付けたネコの絵のフリースの膝掛けと、マグカップと皿とフォークとナイフがある。
 このコップでビールを飲むと、微妙に旨い気がするから不思議だ。

 因に掃除屋は、それを見る度腹を抱えて笑っている。


 続く。

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