【窓越しの掃除屋】
18
ピンポーン…
「ん……」
ピンポーン……
「……はーい……」
玄関のチャイムの音に寝惚け眼で返事をした。
(…新しいバイブかな…?)
眠さに頭も回らなかった。
裸の身体で起き上がり、ベッドから下りる。
ピンポーン
「はーい。今出るよーっっ…うわっ……」
歩き出そうとして立ちくらみを起こした。
……メシ…いい加減に食わなきゃな。
ピンポーン
「はーいっっ。ちょっと待ってってっ!!」
しつこいチャイムに返事をしながら、パンツを履いてジーンズを履いた。
「はーいはいはい……」
返事をしながらTシャツに頭をくぐらせ、裸足のままでスリッパも履かずに玄関向かった。
「はーい…」
ドアの向こうに立っていたのは宅配便の配達員じゃなくて、シャンクスだった。
「大丈夫?肋骨折ったんだって?」
ドアチェーンの隙間からひょこっと顔を覗かせた。
赤い髪が太陽に透けて輝いていた。
「シャンクス…わざわざ来てくれたの?」
「うん。そこまで来たからさ、ちょっと寄り道」
ヒョイッと長い指で外の道路を指す。
「だからお供付きなんだけどね。それより大丈夫か?何やったの?」
最初何のことだか分からなくて、キョトンとしてしまった。直ぐに親方から聞いたんだって気が付いて、慌てて痛そうな顔をした。
「あ、う、うん。大したことない」
アレ?っとシャンクスが小声で言った。
バレた?!と、思ってザーッっと血が引いたけど、シャンクスはそれ以上は追求してこなかった。
シャンクスは、関東二大勢力の一つの『赤龍会』の二代目。筋金入りのヤクザだ。
普段は穏やかだし優しいし、時折笑っちゃうぐらい子供っぽい一面も見せてくれるけど、筋金入りのヤクザだと思う。
色んな意味で大人な人で、そう簡単にはキレないけれど、一旦キレれば容赦はしない。
太陽の光と匂いが似合う人でもあるけれど、夜の暗さと血の匂いもとても似合う。
人を殺すのも、手段だったら躊躇わない人だって、片腕のベンが言っていた。
仲間を大事にする人で、仲間のためだったら命も惜しいとは思わない。
シャンクスには片腕が無い。
仲間を守る為に失ったって言っていた。
求めれば、必ず与えてくれる人。
だから、何かを捧げたいと思う人。
唯一認めている大人だ。
「あのさ…サンジ」
「ん?何?」
シャンクスが情けなそうに眉を下げながらサンジを見た。
「お腹空いたんだよね、俺」
あんまり子供っぽかったから、ついついドアチェーンを外してしまった。
「ここんとこずっと家にいたから、そんな大したモンとか出来ないよ?」
「いーよいーよ。何でもヘーキ」
おじゃましまーす、と、のんびりとした声で言いながら、ひょい、っと身体をドアのこちら側に入れてきた。
キッチンに通して、手近な椅子をすすめた。
「んじゃ、パスタとかでも良い?」
「ん?いーよいーよ」
「んじゃ、ちょっと待ってて。直ぐ作るから。何か入れるよ?何が良い?コーヒー?紅茶?」
「ほうじ茶。ある?」
「あ、あるかなぁ…あ、あったあった。古いけど良い?」
「ん、いーよー」
ヤカンに水を入れて火を着ける。
戸棚を開けて、湯のみを探す。
「んー……確かココだったよなー…最近使わなかったからなー……」
シャンクスに背中を向けて、一番上の棚の奥の方を背伸びしながら探す。
「んー……あ、あった」
前付き合っていた女の子と益子に旅行に行った時のお土産の湯のみ。長いこと使ってなかったら、うっすら埃がたかっていた。
あ、そーだ。今日は戸棚の掃除しよ。
流しで湯のみを洗い、水切りカゴに逆さに入れる。
少し考えて、自分の分のコーヒーの用意もした。
パスタ鍋に水を張って、もう一つのコンロにも火を着ける。
塩とパスタを用意して、机に置き、
「エビとほうれん草で良い?」
一応聞いてみる。
「うん」
机に頬杖をついたシャンクスがこっちを見ながら返事をした。
「両方とも冷凍だけどね」
言いながら冷凍庫からむきエビと茹でてから凍らせたほうれん草を取り出した。
お湯が沸いたんでお茶を煎れる。
「はい、どうぞ」
「ありがとー。……あちっっ」
「火傷、すんなよ」
「うへー…もうしちゃったよ」
舌をぺろっと出しながら、シャンクスがぼやいた。
バカだなーって笑いながら、料理を作った。
「俺も食おうっかな…」
「ああ、食おうよ。…なんか、痩せたんじゃないのか?」
「そんなことないよ」
って言いながらパスタ皿を二枚取り出す。
食わすにオナニーばっかだったもんな。そりゃ、痩せるよな。
立ちくらみもしているし。
俺はシャンクスと話をしながら、二人分のパスタを作った。
「ん〜良い匂いしてきたねぇ」
グーグー腹を鳴らせながら俺の動きを眺めてメシを待っているシャンクスの姿は、ここんところ一人で過ごしてきた俺に取っては、丁度良いくらいの刺激で、急に人恋しくなる自分に少しだけ笑えた。
醤油をベースにパスタオイルを作り、解凍したエビを炒めてバスタを絡める。ほうれん草を最後にフライパンに投げ込んで、大きく数回返して絡ませた。
湯気が上がっているうちに、パスタ皿に山盛りで盛りつけた。
「はい、お待たせ」
「うわっ、早いねー」
「パスタ半分に折ったからね。茹で時間も短く済ませたよ。さ、どうぞ」
「いただきまーす」
やっぱりサンジのメシは美味しいねェ〜と、ニコニコしながら食ってくれた。
誰かが食ってくれるのって、やっぱ嬉しい。
前料理作ってやったヤツって……って思いかけて急いでヤメた。
素面の時には、やっぱ最悪にムカつくし。
旨そうに食ってくれるシャンクスの向かいに座って、
「んじゃ、いただきまーす」
俺も久し振りに食いモンを口にした。
「はーい」
口一杯にパスタを頬張ったシャンクスが、目をほころばせ返事をしてくれた。
何だか、ちょっと、嬉しかった。
我ながら、旨いパスタだった。
「アレ、気持ち良い?」
食後に入れ直したコーヒーを飲みながら話してたら、話の途中に普通に聞かれた。
「何?」
何のことだか分からなくて聞き返すと、
「アレ」
って言って、ベッドルームの床を刺された。
「!!!!」
そこには吸盤張り付く形のバイブがセットされたまんまだった。
「あっ!!あああ…アレはっ…」
アワ食ってたらシャンクスが涼しげな顔をして聞いてくる。
「気持ち良いの?」
なんつーか…逃げようがない。
俺は観念して正直に答えた。
「う、うん。結構…良い…よ」
うわっ、スッゲーはずかしーっっ。顔が熱い。絶対耳まで赤くなってるぜ。
「ふーん…。どーやって使うの?」
「ぐっ………どうって」
「見せてよ」
シャンクスは真っすぐ俺を見て、さらっと言ってきた。
「一人エツチしてるとこ、見せてよ」
こ……断ろうと思ったんだけどさ……
「…じゃあさ…見せたら…俺とセックスしてくれる?」
「良いよ」
シャンクスは、ドアから覗き込んできたときみたいな表情で笑って言った。
「なんかさ、今日のサンジは凄い色っぽい顔してるからさ、先刻から勃っちゃってんだよね」
もう…赤くなるしかなかった。
俺、もしかしたら見られるの好きなのかもしれない。
「ね…見える?ちゃんと…見えてる?」
素っ裸になって床から生えてるバイブを自分のケツに刺しながら、ちょっと大袈裟に喘いでみせる。
「うん。良く見えるよ」
キッチンで椅子に座って頬杖をついたまま、シャンクスがちょっとだけ余裕のない口調で答えてくれた。
俺はうっとりとシャンクスを見ながら、ゾロのことを考え…シャンクスに手を伸ばした。
「来てよ……俺…セックスの方が好きなんだ……」
鏡を見ながら厭らしい顔を何度も作った。
一番自分で気に入った表情をシャンクスに見せた。
「早く…来て……」
(………ゾロ……)
シャンクスは、うん、と、頷いて椅子から立ち上がった。
強請ってキスしてもらった。
だってさ、キスって一人じゃ出来ないし。
肌も出来るだけ密着させる。
知ってたけれど、肌の感触って気持ちが良い。
改めて思い知らされた。
「ずっと一人で?」
「…うん…ずっとしてた。グッズ使わないと落ち着かないくらい欲しくなっちゃっててさ…ホント…辛くて……」
キスの合間に答えた。
「何か薬でもやったの?」
「ううん…やってない……」
……はは…でも…ある意味薬みたいなモンかな。一回で中毒にはなってるかもしんない。
前戯とか全然なくても良い感じで、身体がほぐれている。ずっとこんなことばっかやってたから、当たり前って言ったら当たり前なんだけど、もう、いつでもオッケーって感じだった。
久し振りの本物のペニスが側にあると思うだけで、嬉しくて、身体は期待に震えてしまう。
キスだけであっという間に受け入れ態勢に入ってしまった。
「…ね…良いよ……もう挿れてよ……」
シャンクスのチンコはバカでかいって言うよりも、とにかく形が良くて強靭そう。お姐さん達で使いこなしてるから、持久力も半端じゃない。
「強請られるの、初めてだね」
「あれ…そうだっけ……?」
今までケツが感じるって身体は、自分的にも無し無しで、たまに身体を重ねるシャンクスに対しても積極的にはなれなかった。相手が挿れたくなってるから挿れさせてあげるってスタンス。
この何日間かで、百八十度変わったかもしれない。
「俺さ…ホントはケツで感じんの…大好きなんだ……」
「…肋骨平気?」
笑いに含ませて尋ねてくる口調は、俺がウソ吐いてるのバレバレって感じで、
「ごめん……ウソ吐いた……」
抱きつきながら謝った。
「ごめん。ウソ吐いた。どこも痛くしていない」
「ん?痛くしてるみたいだけど?」
優しくシャンクスが俺の心臓の辺りにキスを落とす。
「ここら辺とか」
優し過ぎて、涙が出た。
乱暴にセックスされたかった。
壊されるみたいに突き上げて欲しかった。
でも、シャンクスのセックスはどこまでも優しかった。
まるで、守られてるみたいなセックスだった。
癒されるようなセックスだった。
だから…って訳じゃないけど、涙がずっと止まらなかった。
子供みたいにしゃくり上げながら腰を振った。
「もっと……もっと……ゾロ……もっと……っ……」
何を言ったのかも良く覚えてない。
セックスって……凄いと思った。
「オーナーが、サンジのことを探してる」
俺が満足するまで抱いてくれた後、ベッドの中でしっかりと抱き締めながらシャンクスは言った。
『オーナー』って言葉を聞いて、俺が身体を固くすると、宥めるように髪に何度もキスしてくれた。
「あんな形でサンジを失って、オーナーは不憫でならないって…まぁ、口では言わないけどそう思ってる。探偵まで雇ってお前を捜し始めたぞ」
「……俺は………もうあそこには帰れない……」
ジジイの足の代わりになりたくて、ジジイの夢を守りたくて、ジジイを守りたくて。でも出来なかった。
滅茶苦茶になったバラティエで、ジジイを待つなんて、俺にはとても出来やしない。
「あそこで働く資格もないし…」
「そう思ってるのはサンジだけかもしれないよ?」
そうかもしれない。きっとジジイは俺が帰っても何も言わない。きっとあの部屋を与えられて、副料理長の座を用意してくれるに違いない。
でもだからって、それにのうのうと甘んじられる訳ないよ。
出来るんだったらとっくにそうしてる。
出来ないのは………
出来ないのは………
…………そう。
俺が自分を許せないからだ。
もし俺じゃない誰かが俺と同じことをしたら…きっと俺はそいつを蹴り殺す。
命に代えてバラティエを守らなかったことを絶対に許さない。
命が惜しくて身体を投げ出し、誰も守れず、自分の命ばっかり大事に思って、バラティエがどうなろうと何もしない。
厨房が汚れていっても掃除すら出来ない。
そんなのは……人間のクズだ。
クソと同じだ。
絶対に許せねェ。
生きてる価値も理由も見付からねえ。
「……ダメだ……やっぱり戻れねぇ……」
そんなヤツ、バラティエにも、ジジイにも側にいちゃならない存在でしかない。
俺は、一番やっちゃならないことをやったんだ。
「………サンジ?」
命に代えてもジジイとジジイの夢を守るとか言ってて、結局は自分の命がなによりも大事だった。
屈辱を快感だと思い込んで……実際にそうなって……もう誰とも関わり持たず生きてきゃ良いのに…セックスしたさに……それも出来ねぇ………。
「………最悪だ」
「ん?」
「………俺は……最悪なヤツなんだよ…」
言葉にしたら、本当だって言うのが一層分かった。
「……今更……もう…戻れないよ……」
俺は胸に埋めていた顔を上げて、シャンクスに縋った。
「シャンクス…お願いだ……俺を一緒に連れてって」
「……サンジ…」
「俺、何でもするっ。兵隊でも…鉄砲だっていいっ。……バラティエには帰らない。現場にもてん帰りたくない……誰にも会いたくない…でもっ…シャンクス…っ…アンタだけは別なんだっ…一人はもう嫌だ…っ…。何でもするっ。何でもするから……お願いだから………俺を一緒に連れて帰ってっ」
戸惑ったような、困ったような顔をされたけれど、気にしてる場合じゃなかった。
首に齧り付くようにしがみつき、一緒に連れて帰ってくれと懇願した。
長い長い沈黙が流れた。
黙っているシャンクスが断りの言葉を考えているかと思うと、怖くて顔が見れなかった。
でもだからって諦める訳にはいかない。
何度も何度も『お願いだから』と繰り返す。シャンクスが何かを言おうとしても遮るように懇願を続けた。
「……戻って来れなくなるぞ」
引き剥がすように身体を離すと、俺の顔を確かめるように見詰めながら、ゆっくりとシャンクスは口を開いた。
「極道の世界は進むことしか出来ない場所だ。後戻りは勿論のこと、振り返ることすら許されねェ。料理人の道は完全に閉ざされる。それでも良いのか?」
「…分かってる」
「……よし…分かった」
シャンクスの目が厳しくなる。
「明日の朝、迎えにくる。部屋は組のモンに片付けさせるからそのままで大丈夫だ。自分の清算だけしてこい」
真剣な表情でそう告げた。
俺は、黙って一度だけ大きく頷いた。
「後悔するようなことだけはするなよ」
「……わかった」
一度だけ、きつく身体を抱き締められた。
ピンポーン…
「郵便物でーす。代引き小包お持ちしましたー」
ドアの外で、緊張感の欠片もない声が俺を呼んでいた。
シャンクスが帰った後、部屋の掃除の続きをやった。
何にも考えられなくて、いつも通りに時間を過ごした。
いつもと違うことって言ったら、オナニーをしてないことぐらいだった。
代金引換小包は、中身を見る気もなくなって、そのままゴミ箱に捨てた。
食器棚の食器を全部洗って、棚をきつく絞ったフキンで丁寧に拭いた。
机の上にシャンクスの携帯電話が忘れてあったのを見付けた。
「…明日…渡せば良いな……」
小さく笑って携帯を撫でた。
清算することなんて、たくさんありすぎるから、何もしないでいっちまおう。
鞄を取りだして、本当に身の回りのものだけ詰め込んだ。
「……証明書とか…いるのかな……?」
なんかいらなそうだよな。
でも…と、思って免許証だけ持っていくことにした。
バイクぐらいは乗れた方が良いだろうしな。
「……あれ?」
いつもの場所に置いてない。
いつもズボンのポケットに、定期入れの中に入れたヤツを持って歩いてて、洗濯しないように、部屋に戻ったら、パソコンを置いてる机の引き出しに入れとくようにしてんのに……。
暫く探したけれど、見付からない。
「………んー……ここんとこ使わなかったからなぁ…」
どこにやったっけなぁ………。
どうにも思い出せなかった。
最後に使った時は………
『ピンポーン』
ドアチャイムの音が鳴った。
「…はーい」
今日はホント人が来る日だな。
ふとデジタル時計を見たら午後七時を表示していた。
「誰だろな……あ…」
シャンクスかもしれない。
そうだよな。俺と違って、電話とか大事な用事掛かってきそーだし。忘れっぱなしって訳にもいかないんだろうな…。
『ピンポーン…ドンドンドンッ」
「はーい。待っててー」
ドアチャイムの音がドアを叩く音に変わる。
そんなに急いでるんだな。よっぽど携帯大事なんだな。
携帯電話を手に取って、玄関に急いだ。
シャンクスと信じて疑わず、
俺はドアチェーンも着けずに。
そのまま大きくドアを開いた。
「………っっ!!」
目の前にゾロが……いた。
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