【meraviglioso】
++奇跡++
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『奇跡』なんて、存在しねーし。
『サンジ君、元気?最近どお?』
ナミさんに、絶対に誰にも携帯番号を教えないって一方的に約束されて、携帯の解約は諦めた。
たまにこうやってメールが届いて、お互いの近況なんかをやり取りしたりしている。
ナミさんは優しい。
俺が何もかも捨てて逃げ出したのを決して責めたり理由を言わせようとしたりしない。
前の仕事の話もしないでくれる。
今日あったこととか、面白かった話とか、たまに料理のレシピなんかを聞いて来たり。本当、たあいない話ばかりをしてくれる。
『うん。元気にやってるよ。ナミさんは?』
『元気元気。そうそう、あたしサンジ君に報告したいことがあるんだ…』
唯一残った接点。
携帯電話の番号を変えようか変えないか。
未だに悩んで変えられないままだ。
未練。
………何に?
『へーそうなんだぁ。おめでとーvv』
『ありがとvvえへへっvv嬉しいvv』
『そっかぁー結婚かぁ。あーあ…俺も立候補したかったなぁ(涙)』
『うふふっ。残念ね……』
ナミさんに?
現場に?
前の仕事に?
……それとも…
「……はは…っ……」
日雇いのバイトが終わった帰り道。
『風致地区』のバス停を下りて、小さな喫茶店を右に曲がる。真っすぐ歩くと良い感じの公園があるからそこを斜めに突っ切る。これがいつもの帰り道。
銜えタバコを吹かしながらゆっくりゆっくりぼんやり歩く。
最近、何も考えないでほんやりするのが上手くなった。
ナミさんに『おやすみ』ってメールで送って、携帯を閉じた。
掃除屋を辞めて、二年が経った。
何とか流星群っつー、流れ星がエラくたくさん見えるって夜に、バイト帰りにいつも通っている家の近くの公園で一匹のネコを拾った。
まんじゅうみたいに小さく丸まってて、必死の感じも出せないくらい衰弱し切った表情で、足下からぼんやりと俺のことを見上げていた。
野良猫特有の警戒心の欠片も無いソイツは、俺が直ぐ側にいるっていうのに微動だにもしない。
だからって、愛想の良いネコだって訳でもない。
ぼー……っと、無表情で、俺に対して何の訴えかけも無いような感じで、ただ、そこにいるってだけだった。
「……おい」
声を掛けたら、
「…………ニャー……」
っと、掠れた声で返事をして来た。
「……ハラ減ってんのか?」
「………………ァー……」
……ふと、誰かに似てんな…って思った。
暫く考えてたけど、それが誰だか分かんなかった。
顎に生えた無精髭を摩りながら、死にかけのネコをぼんやり眺める。
ソイツもぼんやり俺を見上げる。
……別にそのまま放っておいても良いんだけどさ。
「……ウチに来るか?」
誰にも知られず死ぬのが可哀相だ…なんて…柄にも無く思ってしまった。
ホントはさ、ウチはペットダメなんだけどね。
でも、なんだかソイツの顔があんまりにも知能がなさそうな感じで、一人で生きて行くには無理があるように見えてならなかったんだ。
もしもコイツに欠片でも、生き抜く『強さ』みたいなモンがあったら、俺、拾わなかったと思う。
何も…本当に何も無いように見えたから。
今、俺が拾ってやらなきゃ、即飢え死にするんじゃねーかと思ったから。
なんか…なんとなく…見てらんなかったから。
だから俺…声を掛けずにはいられなかったんだ。
「おい、ウチに来るか?」
ネコの前にしゃがみ込んで、背中をさわさわと指で撫でながらもう一度声を掛けてみた。
小さな背骨の一つ一つの突起を、直接指先に感じた。
ギョッとして手の動きを止めたら、じんわり…と、頼りない体温を指先に感じた。
……うわあっ…って…思った。
…なんつったら良いんだろう…
………弱ぇ。
無茶苦茶弱ぇ……。
生きる為だけのエネルギーも無ぇんじゃねーか…ってぐらい何にも無い……。
まだ…親とか兄弟とか…そういうのと一緒にいなきゃダメなんじゃねーのか?
なんでこんなボロボロのヤツが一匹でいなきゃならねーんだよ?
ホント、見てられなかったんだ。
守ってやらなきゃ死んじまう。
ホント…見てらんなかった…。
ちーせぇネコは、ひたすらぼんやりと俺の顔を見上げていた。
「……ほら…」
腹にそっと手を差し込んで持ち上げた。
タマゴ三つ分ぐらいの重さしか感じなかった。
掌ぐらいのサイズはあるかと思ったけど、手に持ったらもっと小さくて、すっぽり隠れてしまうくらいの大きさしかなかった。
ネコは全然抵抗しないで俺の手の中でじっとしている。
力強さなんて微塵も無くて、ぐんにゃりしてて、どこまでもたより無さげな手触りだった。
それでも、生きてて、じんわり暖かかった。
「大丈夫か?」
ネコにそっと声を掛けた。
手の中のネコは、ただ、ぼんやりとされるがままにじっとしていた。
普通に扱っても殺しちゃうんじゃねーかと思って、ここ最近にないくらい慎重に抱き抱えながら連れて帰った。
「ほら、ミルク」
暖めた牛乳をスープ皿に注いで、ネコの鼻先に置いた。
「………」
「飲みな。暖まるぞ」
ネコは俺の顔とミルクを交互に眺め、
「………」
何となく何か考えたような顔をした後、おもむろにスープ皿の中に頭を突っ込んだ。
「ピャッ」
変な悲鳴を上げ、プルプルッ…っと顔を左右に振り、鼻先に付いたミルクを飛ばした後、ゆっくりと慎重に顔を突っ込み直し、小さな音を立ててミルクを舐め始めた。
「…うまいか?」
ネコはまるで俺の声が聞こえてないみたいなノーリアクションで、皿の中に顔を全部突っ込んだまま、じーっとミルクを舐め続けていた。
「………ゆっくり飲めよ」
良く分かんないけど、何となくそっとしといてやりたくなるような気分で、ポケットのタバコを取り出しかけて…やめた。
直ぐ隣にしゃがみ込んでネコがミルクを飲むのを眺めた。ミルクの表面にネコが舐める時に出来た波紋が、いくつもいくつも広がって行った。
野良のくせに、ネコはとにかく飲むのが遅くて、デミタスカップの半分ぐらいしか無いような量のミルクを全部舐め切るのに、五分以上も掛かっていた。
「ぶっ…ははっ…お前ジジイクセェなぁ」
「…はぁ…」みてぇな感じで上げたネコの顔は、口の周りがミルクで真っ白になっていた。
「なにメシ食って疲れてんだよ」
返事する訳でもなく、警戒する訳でもなく、笑うでもなく、ネコは拾った時と同じようなぼんやりとした顔つきで俺の顔を見上げている。
何となく頭を撫でてやりたいような気分になって、手を伸ばしたらギュッっと目を閉じ、身を竦ませた。
「…ん?…怖ぇか…?」
そろー…っと薄目を開けたネコの顔を覗き込みながら声を掛ける。
「………」
野良猫らしい表情に、何だか逆に安心した。
そ。警戒心はあるに超したことねぇからな。
腹が一杯になったのか、踞った姿勢のままでうつらうつら…と眠り始めたネコは、ボロボロのボサボサで、生きてるだけで精一杯なんだろーな…って感じだった。
「…………」
病気っぽくて、いかにも長生きしなさそうな感じ。
可哀相とか、哀れとか…そんなんじゃなくて…弱ぇな……って……ああ…もうコイツ死ぬな……って…そんな感じで……。
何でかな…せめて、屋根の下で死なせてやりてーな…なんて、思ったんだ。
ただ、それだけ。
「………ああ…そっかー……」
ふと、気付いた。
名前…いるよな……やっぱ……
無いよりはあった方が良いよな?多分。
名前一つ決めんのに、半日近く掛かっちまった。
料理何て言うのは、『なんとかとナントカの熱々グリルの何やらソース』なんて具合に、素材と調理法なんかの組み合わせだけでもサマになった名前になるけど、流石にネコに同じ方法で名前をつける訳にはいかねーだろう。
『ボソボソネコの栄養失調行き倒れ風』
…うーん……ボツだな。
………つーか長ぇし。
ひたすら静かに眠り続けるネコの側で、ひたすら名前を考える。
んー……んんー………うーん………。
途中で紅茶煎れて、飲んで、夕飯作って、食った。
「…………なかなか決められねーモンだよなー……」
俺さーロールプレイングゲームとかでも、主役の名前決めんのにエラく時間掛かるタイプなんだよねー…。
フロ洗って新しい湯に入れ換えて、風呂入って。
起き出して来たネコに新しいミルクやって、飲んでるの眺めて。
タバコ吹かして、ビール飲んで。
考えて、悩んで、考えて。
「……で、いっか…」
日付が変わる直前ぐらいに、ようやくネコの名前を決めた。
ジージ。
爺のジージ。
ミルク飲んだ後の顔がジジイ面だったから。
「…ジージ」
呼んでみた。
反応は全然なかった。
…ま、そうだよな。
今まで一度も名前なんて呼ばれたことも無かっただろうからな。
「ジージ…良い名前だろ?な?……ジージ」
ジージは…じーっと眠っていた。
続く
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