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エースから言われた今日の調教開始の合図。
『早くイかせて欲しいんだ』
だ。
相手がこの言葉を言ったらセックスの行為を始める最終の意思表示となる。
一応は必ず『調教』することを前提にして依頼を受けているから一定の時間を過ぎれば自由に手を出すのだが、どうせならお互い合意でセックスはしたい。
どうしても嫌だと言えば何もせずに返すこともあると言えば、ある。
とはいえ、そもそもこの合図の言葉は悪趣味に出来ている。
『やっぱ、タダで気持ち良い思い出来るんだからコレくらいは頑張ってもらわないとねっ』
と、エース曰く愛のイタズラ心がたっぷりと込められているそうだ。
事前にしっかりとリサーチしたエースが本人に取っては相当恥ずかしくて口に出来ない言葉をチョイスしているんだと調教仲間の一人から聞いた。
「……んじゃ、食う?」
「…ああ」
誘われている気も多分にしたが、今日の合図とは全く違う文言なので黙って様子を眺めていたら、サンドイッチ屋はバスケットの中から手際良くサンドイッチやらチーズやらワイン(!!)やらコーヒーサーバーやらと出して来て
あっという間にソファーの側のサイドテーブルの上をランチの用意で埋め尽くしてしまった。
「ゾロはアルコール平気?」
「…ああ」
「良かった。コレさ、食前酒だからそんなに強くないし。飲み口もさっぱりしているからおススメナなんだよね。今日は学校も無いから良いかなぁ…とか思って入れてみたんだよね。今飲む?」
「それは良いな」
「よしっ、じゃあ開けちまおうぜ」
十五センチ程度のミニボトル。
「辛口でキリッとしてるから、レモンとカシスリキュールも持って来てるんだけど、カクテルにする?」
「いや…別にそのままで構わない」
「あ、ホント?」
言いながらカゴの中に入っているグラスを取り出した。
「色気無いけどショットグラスで良い?」
「ああ」
見るとサンドイッチ屋はヘヘヘ…っと笑いながらグラスを二つ取り出していた。
「何だ始めから一緒に食う気だったのか?」
「…まぁ、な。悪いか?」
「…いや、別に」
「えーっとリンゴだろオレンジだろ…マスカットもあったから持って来たぜ」
見たことも無い手付きで器用にリンゴの皮を剥いてオレンジを切り、ぶどうも一緒盛り付ける。
「それからチーズっ。旨そうだろ?とっておきだぜ」
小さなまな板らしきものを取り出すと薄くスライスしてクラッカーと一緒に添えた。
「…後は…えーっと…そうそうレバーペーストにバケットっ」
瓶詰めされた、食い物とは思えないような…一見セメントに良く似た物体をスライスしたフランスパンに塗りたくって更に並べる。
「おっ?レバーペースト初めて?」
「ああ…食えるのか?」
「勿論っ」
旨いんだぜ、と行った口調がまるで歌っているみたいに聞こえた。
サンドイッチ屋は、クロスを広げて皿を並べて、果物やら見たことも無い食い物やら酒やらチーズやら、そしていつも食っているサンドイッチやらをサイドテーブル一杯に並べてみせた。
(…?)
急にサイドテーブルが明るくなった気がして目を擦る。
天井を見上げてみたが照明はいつも通りだ。
「………」
だが、またサイドテーブルの上に視線を戻すと、やっぱりいつもよりも明るく見えた。
「…旨そうだな」
「旨そう、じゃ無くて旨いの」
サンドイッチ屋が満面の笑みを見せる。
「さ、食おうぜ」
「…頂きます」
「おっ、礼儀正しいんだな。エライエライ」
微笑いながらショットグラスに入ったワインを渡された。
「はい、カンパーイ」
強制的にグラスをカチンと鳴らされる。
「……」
何て言ったら良いのか思い付かずに一気にワインを飲み干した。
「……旨いな」
「だろ?若いヤツだから食前酒向きなんだけど、これがどうしてシャープでキレが良いんだよね」
「詳しいな」
「まぁな」
ニカッと笑って胸を反らす姿に密かに釘付けになる。
「意外と鍛えられたりして来たんだよね、俺。ソムリエの資格とか持ってんだぜ。実は」
「へぇ…凄いな」
「ヘッヘー」
だが酒には弱いようだ。
ショットグラス一杯で若干顔が赤くなり始めている。
「さ、食って食って。今日のランチは特別だせ?」
どうやら酔うと饒舌になるらしい。
薦められるままにリンゴを齧り、チーズを齧って、サンドイッチを頬張った。
「…これは?」
「んん?ああ、それはスモークチキンとサワークリームのサンドイッチ」
「旨いな」
「だろ?この組み合わせ、パンにも合うんだ。なぁ、そっちも食ってみろよ」
言われるままに隣のサンドイッチも頬張る。
「これも旨い」
「これはトマトとクリームチーズとバジルのサンドイッチ。それからそっちはいつものタマゴサンドとツナサンドだから」
どれを食べても旨かった。
いつも旨いと思って食っているが、今日はいつもより旨いと思った。
サンドイッチ屋が隣で座って俺がサンドイッチを食っているのを目を細めて眺めていた。
「…食ってるの見てて面白いか?」
「……うん」
尋ねると、細くなっていた目が更に細くなった。
メシの後、サンドイッチ屋と以前考えていた『メニューにハズレ無し』の話をした。
「…後でパウリーから言われたんだが、ハズレ無しって言うのは何を食べても旨いって意味なんだそうだ」
「ぶっ…そりゃそうだよな」
バカにされたような気分になって少し不貞腐れてみたが、サンドイッチ屋は気付かなかったらしく、そのまま話し続けていた。
「…でもさ、ゾロの考えも面白いと思うぜ?当たりクジ付きサンドイッチって良いよ。しかもみんなアタリなんだろ?良いよなソレ」
「馬鹿。そうしたら当たった店で交換してね系の無限ループが始まるんだぞ。しかも客が来れば来るほど景品を増やさなけりゃならねェぞ」
「やっぱな」
「やっぱって何がだよ?」
「ゾロってさ、もしかして当たりって言うとアイスの当たりくじみたいに『当たりが出たらもう一本』ってイメージしてんだろ?」
正にその通りだ。
「つうか、当たりって言ったら普通そうだろ?」
「そりゃそういうのもあるけどさ。でも別に当たりの景品が同じ商品にしなけりゃならないってルールはねーだろ?例えばキャンディ一個だって良い訳だし、何だったら十円の商品券にしたっても良いだろ?そうしたら何回も買わなけりゃ無料交換出来るまで金券は貯まらない訳だから逆にリピーターをゲットするには有効そうだし……って何だよ」
「……お前……賢いな…」
思いもつかなかった。
「俺は当たりと言ったら同じモンがもう一つ買った店で貰えるとばっかり思っていたぜ」
真剣な顔で言いながら、計算能力は最低だが知恵は相当回るんだなと褒めたら、
「何だろうな…不思議とバカにされてる気がするぜ」
と、眉を顰めた後、微笑っていた。
…楽しいと思った。
こんなにだれかと話していて楽しいと思ったことは無かったような気がする。
内容はくだらなかったような気がするし、どうでも良いような話だったような気もする。
料理の話は正直興味は無かったし、サンドイッチ屋を始める前に働いていたと言うレストランの名前を聞いても今一つピンと来るものも無かった。
だが、楽しかった。
気が付くと笑っていた。
サンドイッチ屋の笑った顔を見るのが楽しかった。
良くは分からないが、直ぐ側にサンドイッチ屋がいることがすんなり理解することが出来た。
今まで誰かが側に居て誰かと同じ時間を共有することは苦手なんだと思っていた。
だが。
今日はとても。
楽しかった。
サンドイッチ屋はショットグラス二杯分のワインですっかり饒舌になっていた。
良く笑い、良く喋った。
目の前で次々に表情が変化し、見ていて少しも飽きることが無かった。
どんな顔をしていても、綺麗な顔をしているんだと実感した。
(後は…あの合図だけだ…)
微笑いながら話をしている間、心のどこかでずっと考え続けていた。
後は…あの合図だけ。
屈託無い笑顔で笑うサンドイッチ屋が、実は俺と同い年だと知って驚いたのはサンドイッチ屋だけでは無かった。
内心俺もひどく驚いていたんだ。
同じ年数生きて来て、どう生きてこればこんな笑顔が出来るんだろうと、話をしながらずっと考えていた。
欲しい…
途中からずっと考えていた。
欲しい…欲しい……。
身体が欲しい。
早くこいつとセックスがしたい。
調教がしたい。
したい。
したい…。
今直ぐにでもセックスしたい…。
暫く大人しくなっていたペニスがまたググ…ッと勃起して行くのを感じながらサンドイッチ屋の話を聞き続ける。
(早く…早く……あの合図を……っ…)
段々と口数が減って行くのを自覚しながら俺はあの合図を待ち続けた。
「……あ…もうこんな時間だ…」
ふと気が付いたようにサンドイッチ屋が言った。
「ゴメンっ…つい楽しくて…時間経つの忘れてた」
「俺もだ」
「うわぁ…もう夕方だよ。さ、早く行かなきゃな」
(!!!)
…実際はもう少し違う言葉だったような気もした。
…実際は違う意味だったような気が少しだけした。
だが、身体は条件反射のように動いた。
「ううっ!!むぐっ…!!」
次の瞬間…気が付くと俺はサンドイッチ屋をきつく抱き締め…薄く形の良い唇に貪りつくように激しく唇を重ねていた。
どこかで『今のは合図ではなかったかもしれない』と思いながらも、俺はもう欲望を止めることは出来なかった。
「んなっ…何すんだよっ!!」
「…決まってんだろ……調教だよ…」
微笑ってみせるとサンドイッチ屋は怯えた表情で俺を見上げた。
続く
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