「鎖を持つ家」
8
自分でも情けないぐらいビビってた。
無茶苦茶ビビって全力疾走した。
肩引っ掛けたディバッグを必要以上に握りしめ、背中に密着させる。中身の揺れを直に感じさせて、意識をそっちに少しでも分散させる。
多分先刻のは寝床に帰って来たカラスの鳴き声で、別に怖いモンでも何でも無いのは頭のどっかで分かっている。なのに、気持ちはとにかくビビりまくってて、ワーッッ!!とか、ギャーッッ!!とか、そんな気分。
まるでホラー映画で最後に残ったヤツのパニック状態。
普段じゃあり得ないくらい走ってる。
足の裏に、地面の硬い土の感触が直に伝わる。
バタバタバタバタッッッ!!!
必死で走る。
それこそ、泣きそうなくらい怖くて。
「はぁっ…はあっ…はあっ……はっ…うわぁっっ!!!」
突然足が何かに突っかかってバランスを失った。
そのまま物凄い勢いで倒れ込む。
「……痛てててて………」
上半身を起こして振り返ると、小道を横切るように太い木の根が張っていた。
「……んーだよ……」
思わず声に出してみる。
「…痛てぇじゃねーかよ………」
取りあえず文句を言っといた。
暫くそのまま地面にへたり込んだまま、ゼェゼェと呼吸を整える。
確実に暗くなり始めた周りをとにかく見たくなくて、俯いて地面だけを睨み付ける。
(…………本当にシンはここにいるのかよ……)
不安がじわじわと襲い掛かる。
「……オレ…間違ってねぇよな……」
不安で不安で仕方がない。
自分のカンだけに頼ってここまで来たものの、この道の先にシンがいるなんて確証はどこにもない。
この道を……どこまで行ってもシンには……会えないんじゃ………
「……アホかオレは…っ」
必死で自分を叱りつける。
オレは、誰に会いたい?シンだろ?昨日変なヤツから電話が来ただろう?シンの机から、変な手紙も出て来たじゃねェか。擁護のアノ反応はおかしいだろ?この道の入り口で、電話をよこしたガキに会ったじゃねェか。
『後はただ真直ぐだ。迷うこともないだろう』
『………シンは?いるのか?』
『……いなくてどうする?』
『どうした?来るのか?帰るのか?』
………オレは……行く。
決めたんだ。オレは、シンに会いに、行く。
不安を意識の下にグイグイと押し込んで立ち上がった。
手掛かりは、多分この道の先にしかないんだ、と、何度も何度も呪文のように頭の中で繰り返す。
あのまま終わるのは…絶対に嫌だ。
今更お前のいない生活させんのかよバカ。
ふざけんな。
ブン殴ってやる…!!
頭の中で、シンにすっぽりと抱き締められる記憶をバックに物騒なことを考える。
………もう大丈夫だ……まだもう少し先に進める。
ギリギリのところで弱気に打ち勝つ。
その時だった。
「………ここは、」
「-------- っっっ!!!」
声も出ないくらいビビった。
全身の筋肉が緊張する。
汗が全部引っ込んだ。
女の声が、真後ろで、耳元で、囁くように続く。
「……なのになぜ、一族でもないお前がここにいる……?」
…つい先刻まで人の気配がなかったっていうのは……必死で無視する。
無視して……無視して……ゆっくり後ろを見る。
「っっっっ!!!!」
オレの右肩に、顎を乗せるようにして顔を近付けてオレの顔を覗き込んでいる女と目が、合った。
「っわぁっ!!」
慌てて逃げるようにして身体を反転させて女の方を見る。
女は表情一つ変えないでオレの顔を凝視している。
先刻のガキより遥かに年上の女。ガキと同じような巫女っぽい格好をしている。あのガキみたいに、顔には全く血の気が感じられない。切れ長の、感情の無い目はヘビに似ているような気がする。顔が整っている分、気味悪かった。
この山奥でようやく人に会えたって言うのに、逆に怖い。
女が身体の前に重心を置くようにして身を近付ける。それだけで自分の身体が竦んでしまう。
女は、口だけを動かすようにして声をだす。
「帰れ」
明らかに敵意の籠った口調。
でも、だからってオレだって素直に引き下がれるような状況じゃ、ない。
「あ…オレ…っ……シンに…」
ピクッ……。
女の表情が僅かに動く。
オレは大きく息を吸い込み一気に喋った。
「オレ…、山城って男を探してるから、見つかるまでは帰れない」
女の目が僅かに大きく開かれる。
「……………………お前…か………」
「え…?」
女の顔に一気に表情が現れる。物騒な、危険な、側にいるのは絶対マズいようなヤバい表情。
「………時間が無いのに…」
咄嗟にオレは走り出した。
ヤバいヤバいヤバいっっ!!!頭のどっかが警告を出してくる。
本能的に恐怖が限界に達した感じだ。
理由よりも先に足が動いた。
夜が始まり出そうとしている道を全速力で走る。
ダダダダダダダッッッ!!!!
シンへと繋がっている…筈の一本道を必死で。
なのに。
「っうわぁっっ…!……っっ……………」
追い縋るように首に両手を掛けられ、一気に締め上げられた。
「……ぐっ………う……っ………っ…………」
息苦しさを感じる余裕も無いまま、視界は急速に暗くなり………オレは意識を失った。
「………殺ス時間モ今ハ無イ……」
意識を手放す直前に、ギリギリ人の言葉のようなものが耳に、届いた…。
ゆっくりと、シンは両目を開いた。
夕暮れが迫る外の景色は、両目で見た時との違いは感じられない。
「…………………」
右目だけを閉じる。
「…………………」
暗闇の中で、シンは篤の顔を思い出す。
不思議なもので、あれだけ愛おしくて、いつも側にいたというのに、鮮明に思い出すことが出来ない。
忘れた訳ではない。見れば、分かる。
ただ、記憶の中に写真のように思い起こすことが出来ないだけ。
会えば、分かる。
見れば、分かる。
…………見れば。
だが、左目はもう永遠に篤を見ることは出来ない。
「……………」
諦めろ…と、シンは諦めようとしない自分の心を叱りつける。
……諦めろ。山代から篤を守るには、これしかなかったんだ。
「……ミシ…」
囁くように、天井の梁が軋んだ音を立てた。
宥めるように、家は囁く。
「………ミシッ………キシッ………」
家は、優しくシンを抱き込む。
だが、シンは心を閉ざしたままだった。
何を失っても、篤を想う心は、家に渡せない。
ふと、シンは思い出したように自分の鞄を取り出し、中から携帯電話を取り出した。
着信履歴を呼び出し、篤の声を探し出す。
『………今、終わった。これから行くから待ってて』
耳元で篤の声が再生される。
繰り返す。繰り返す。
夕闇迫る空気の中で光る画面。
「………」
シンは、唇を噛み締める。
「ギシッ!」
山代は、嫉妬の軋みの声をあげる。
『…………あんた、頭おかしいんじゃねーの?……気持ち悪ィんだよ。ホモ』
『……………』
『……一生だ。………一生束縛しろ。…絶対オレの側から離れるな。いつでもオレの目のつく所にいろ。いつでもオレのことだけを考えろ。オレを一人にするな』
『…………妹尾…』
『いいか……オレだけは…裏切るな』
「……約束する』
『………どうだか』
圏外。電気の無い家。電池の残りは後僅か。
篤の声も、記憶だけでは鮮明に思い出すことは出来ないのかも知れない。
シンは庭を見つめながらそう思った。
「……山代……どうしてお前は俺が欲しい?」
「……キシ…ッ……」
「お前のおかげで、俺は裏切り者だ」
「キシキシッ……」
「…山代…お前は一体何だ?どうして俺達がお前を守らなくてはいけない?縛り付けるのに、どうして篤を狙うと言うんだ?身体を切り落としても満足出来ないのか」
「……キュッ……」
「…………守りたいのは……お前じゃ……ない……」
一生、束縛したかった。決して側から離れたくなかった。いつでも目の届く場所にいたかった。決して一人にさせたくなかった。約束した通りに…なのに…。
「ギシッ!!」
……山代は、想うことすら許せないのだ。
「………山代…どうしてお前は俺を選んだ?」
「………ギ……ギギ……」
握りしめられた両手。耐えるように力を入れ、小刻みに震える身体。
シンは、自分の弱さを心底憎んだ。
だから、叫ばずにはいられなかった。
「…欲しいなら…目でも足でも腕でも何でもやるっっ!!でも、残りはお前のものじゃないっ!!家に繋がれてお前に束縛されても俺はお前のものじゃないっっ!!!俺は--------
」
部屋の入り口で怯えるテアイに気付き、口を噤んだ。
「………………シン様……」
「………ん?どうした?」
「テアイ…シン様…心配、で。見に、き、た」
「…………そっか………。ごめん。大丈夫だよ。心配しなくても大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように、シンは静かに嘘をついた。
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