【1184 1210】
11
「………クソッ…参ったな……」
十分後。
俺は再び11号室の前に立っていた。
時間は十一時五十三分。
配達の完了時間まで後二分しか無い。
(あの野郎…どこほっつき歩いてんだよ…)
流石に口にするのは場所的にヤバいんで、心の中で毒づいてみる。
たまにあるんだよ。こーいうの。
直に受け取れない場合の受け渡し方法を指示しないまま注文だけをして来るヤツ。
許可を受けてる訳じゃないから勝手に部屋の中に入っておいて来る訳にも行かない。
複数で頼んでくれてりゃなんとか誰かには渡すことが出来るのに、単独で頼んでる場合にはそれも出来ない。
最悪同じ研究やってる学者に託すって言う手もあるが、基本あんまり良い顔はされない。
そりゃそうだ。
俺だって女の子ならともかく、野郎相手に託された食事を渡すのに神経使いたくねーもん。
「……はぁ…」
いらいらしながら懐中時計を取り出し眺める。
「……五十五分になっちまったよ…」
反応がないと思いつつもドアを少し強めにノックする。
『コンコンッ!』
「…何やってんだよ…おい…っ」
十二時二十分には二時限目が終了するから、腹を空かせてやってくる学生のためにも売り上げのためにも、それまでには店に戻りたい。
『コンコンコンコンッッ(怒)』
右手にコーヒーポットとサンドイッチの入った袋を抱え木製の扉を睨み付けながら次第にノックの音を大きくして行く。
『コンコンコンッ!…コンコンコンコンッッ!!』
「……チッ」
時簡内に配達出来ないイライラが溜まる。
(クッソー…蹴り壊してやろうか)
フッ…と物騒な思考までが過り始める。
(……ええいっ!ままよ…っ)
賠償金額的にに考えれば器物破損より不法侵入。
とにかく俺はケータリングを完了させたい。
意を決して扉の取っ手に手を掛けた。
「……あ…」
扉には鍵は掛かっていなかった。
少し力を入れただけでゆっくりと扉は内側に開いて行く。
「お…オ・ファーメです……ご注文の品…届けに来ました…よ……」
首だけ部屋の中に入れて小声で声を掛けた後、するりと身体を部屋の中に滑り込ませた。
部屋の中の電気は消えていた。
でも窓から差し込んでくる光でそんなに暗いとは感じなかった。
「………」
研究室なんてどこも同じ造りで、見慣れてるって言ったら見慣れている筈なのに、何だか妙にドキドキした。
許可も無く勝手に入り込んでいるっていうのが変に緊張感を増幅させる。
呼吸をするのも警戒してしまう。
取りあえず、早いところ品物置いて部屋から出よう。
キョロキョロと辺りを見回しながら気が付き易くてうっかり落ちたり倒したりしないようなスペースのある場所を探す。
昨日見たままの研究室は本棚に入りきれない本が机の上にも床の上にも大量に積み上げられている。それぞれの本の山が絶妙なバランスを保ちながら固まっていて、昨日も感じたんだけど、ちょっと見た目にはまるで山脈だ。
ちょっと突いただけでも雪崩…いや傾れ落ちてきそうで
恐い。
いかにも取っ付き難そうな題名の本には色とりどりの付箋が貼られていて読み込んでいるのが分かる。
…この本の山を見ただけでも世界が違うんだなって思う。
「………」
何か…何でか…本の山をじっと眺めていた。
この本…読むのに一体どれだけ時間を掛けたんだろうな…。俺には一生掛けたって絶対に読み切れないって自信を持って言い切れるような量だけど、きっとあのサメ男は読んだんだよな…。
ずっと…一人で…?
「………」
……俺には…出来ない話だな……。
一人は、苦手だ。
ふと、昨日見たサメ男…ロロノアのことを思い出す。
俺の顔を見詰めたまま、全くのノーリアクションで。
息も苦しくなるような迫力のある存在感。
強い…「……っ」圧力のある視線…。
視線の高さは殆ど同じで。
なのに異様に大きく感じた。
何を考えてるのか全然分からないような表情と視線。
何の接点も感じなくて。
だから…人間だとは思えなかった。
電気の消えた研究室は暗くはないが明るくもない。
昨日よりも気配が無くて、どこか海のような感じがしている。
ロロノアが積み上げられた本の一つを取り上げて頁を捲って読み耽っている姿をじっと、想像してみた。
食パンの一枚も置くスペースも無い机の所で。
壁一杯の本棚の前で。
窓の側で。
部屋の隅に置いてある3人掛けのソファーに座って…。
「!!!」
想像しながら何気に机から一番離れた場所にある応接コーナー兼仮眠コーナーに置いてあるソファーの方に視線を向けて…心臓が爆破しそうになった。
(ロ…ッ……ロロノア…っ!?)
変に吸い込んだ空気を吐き出すことも出来ないまま、たっぷり一分。
も…瞳孔が完全に全開になってんじゃねーかって感じでフリーズしたまま、ひたすらソファーで寝ていたロロノアを凝視する。
(ゆ…夢か?幻覚か?今だったらどっちでも良いぞっ)
コーヒーポットとサンドイッチの入った袋を力一杯抱き締めて、不法侵入で警察に掴まっている俺とか翌朝の新聞の一面にババーンと記事にされちゃっているところをリアルに想像したり、いやいや、敵(サメ男・ロロノア)が目ぇ醒す前にどっかそこら辺にポットと袋を置いてさっさと逃げちまえとか、脳がフル回転で勝手なことを想像したり考えてみたりしているものの…指一本動かすこともままならない。
あわわわわ………ヤバいって…ヤバいってっ…!!
「………」
(ひぇぇぇぇっっっ……!!)
身動き出来ずに凝視していた俺の視線の先で…それまで気配無く眠っていたロロノアの目がゆっくりと……開いた……っっ!!
「…う…ぐぅ…」
喉の奥で変な声が出るものの、やっぱり身動きするのが出来ない。
「………」
無表情の視線を向けられて、ゴクリ…と唾を飲み込んだ。
ど…どうしよう……。ヤベェ…泣きそうだ……。
うわぁ…こんなんだったら勝手に入らなきゃ良かったよぉ……。
ああー…もう背中が汗でビチャォビチャだぜ……。
「……誰だ…?」
少し声が寝惚けている。
「あ…俺…オ・ファーメの……」
「お…ふぁーめ…?」
表情がぽわん…とした感じに変わった。
「……ああ…昨日来た…サンドイッチ屋…か…?」
「そ…そうそう…そうっ」
「どうして…ここにいるんだ…?」
「や…それ…は……」
返答に窮しているとロロノアが、ふわぁ…と大きな欠伸をしていた。
むにゃむにゃと聞き取れないような音を出した後、
「今は…昨日か…?」
「……は?」
変なことを聞き出した。
「昨日の…今か…?」
「……寝惚けてるのか…?」
「……そうなのか…?」
「んな…俺が知る訳ねーだろーが…」
「……そうか…」
何に納得したのかは分からないが、そのまま数秒眠りに落ちて、また目を開ける。
「今朝…俺の夢に…出てたよ…な…?」
「……はぁ?」
「…何だ…それも…知らねェのか……?」
「知らねーよ…」
「……フフ…ッ」
「…っ」
こいつ……自分で今笑ってんのに気付いてんのか…?
何だか良く分からないけど……ビックリするぐらい意外な表情してみせてるぞ…っ…。
多分…コイツ…寝惚けてるんだ。
ロロノアは何度か眠りに落ちかけながらほとんど回っていない滑舌でまた俺に尋ねて来た。
「…これも……夢か……?」
「……ああ…夢だ…」
「………そうか…」
「……まだ寝てても良いのか…?」
「………ああ…」
「……じゃあ…寝ろ…」
「……ん…」
「………目ぇ…醒めたら…残さず食えよ…」
「………」
返事の変わりにまた小さく微笑った。
「……………」
遠くにチャイムの音が聞こえた。
大学の二時限目の終りを知らせるチャイムだろう。
この建物の中はチャイム鳴らしてないんだな…。こんな時間までいることも無かったら知らなかったぜ。
俺の店で聞くよりも遠くに聞こえんだ。
意外だよな。こっちの方は敷地内なのにな…。
チャイムが鳴った後、また静けさが戻り、耳を澄ますとロロノアの規則正しい寝息が聞こえた。
「……変なヤツ…」
忍び足でロロノアが眠っているソファーに近付き、コーヒーテーブルの上にコーヒーポットとくしゃくしゃになってしまったサンドイッチの入っている袋を置いた。
当たり前だが代金の用意はされてない。
「…ま、いいか」
不法侵入 VS 無銭飲食。
これで引き分けってことにしようぜ。
テーブルの上に昨日渡したコーヒーポットを見付けて回収。
何でか知らないが、ロロノアはぐっすりと眠ってしまったらしく、もう不用意には目を醒したりはしなかった。
静かに木製の重い扉を閉める。
「…やべぇ…っ」
急いでワゴンを押しながら一気に玄関の方に向って走り出した。
午後の開店時間が五分遅れたオ・ファーメは暫くの間、購買のパン屋の状態に陥った。
『ピー…カタカタカタカタ…』
閉店後、遅い昼飯を済ませ店内の掃除をし、明日の買い出しと小麦粉の発注を終わらせ、残り少なくなったブルーベリージャムとマーマレードを大瓶に三つずつ作った。
新しいレシピをノートに書き留め、嫌々ながらも出納簿を書き上げ、銭湯にでも行こうかな点なんて考えていた頃ファックスがカタカタ言いながらセットしていたコピー用紙に印字を始めた。
「…んん?こんな時間にどこからだ…?」
見ると見覚えのあるさっぱり理解が出来ない数式と三角形が幾つも書き込まれた紙の余白に書かれた個性的な文字があった。
『タマゴサンド 一・ツナサンド 一・コーヒーはポットに五杯分 11研究室 追伸一・今月の平日は同様のメニューで毎日配達を希望する
二・今日の支払いは、明日累計金額にて請求希望
三・ノックしても返答無く且つ鍵が掛かっていない場合には入室を許可する』
「……ったく……」
やっぱりコイツ、俺は苦手だ。
続く
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