「見聞録」
2
毎日毎日お得意先回って。愛想笑いで。ずっしり重い鞄を持って。夏なんか汗だくで。契約取れないと上司の嫌みがダラダラ続くし。セクハラなんてのも当たり前にあったりして。営業成績が上がらないと、取れれば何でもやります、みたいな。
・・・なーんだ。前の仕事もキレイなんて言えないじゃん。
ま、先の事は先に考えるつもり。なんて言ってる年でも無いんだよな・・。
「岡野君」
「はい?」
「今日2階から5階までのダウンライト回ってくれる?」
「あ、はいっ。・・・あ、でも昨日の分まだ6部屋残ってますけど?」
「うん。今日からまた暫く土曜はアネキが来るから大丈夫」
11月最後の土曜日。朝6時45分。荷物置き場にと陣取った電気室で材料に囲まれた真ん中の狭いスペースに男4人固まる様に座って朝の打ち合わせ。缶コーヒーの甘ったるい味が口の中に広がる。
「あ、それじゃあココ片付けておかないとまたカミナリ落ちますよ」
「・・あー多分大丈夫。アネキも現場が修羅場に入って来たらそんなにガミガミ言わねーから」
と、言いながらも物凄く歯切れが悪い。そう。本当にお姉さんは恐いのだ。
8月の中旬、親方さんが夏風邪でダウンした時に助っ人として来てくれた時、開口一番、
「コウイチッッ!!あんたまた散らかしてっ!!現場の詰め所は整理整頓っ!!何度言ったら覚えるのっっ!!」 と、怒鳴られたのだ。喧嘩っ早く血の気が多い職人と一目置かれるコウイチさんが、(しまったぁぁ)って顔で固まったのを見たのはまだあの1回きりだ。バシンバシンと落とされるお姉さんのカミナリに打たれながら大慌てで電気室を片付けるコウイチさんは、時には2-3人の鳶職人相手に殴り掛かって行くいつもの血の気の多さはどこへやら。なんとも、可愛らしかった。
「や、でもコレはちっとヤベーんじゃねぇの?」
谷田君もお姉さんの恐さは良く知っているらしい。
「・・・・だな」
と、最後に煙草をふかしてしいた親方さんが煙りを吐き出しながら言った。
「恵美は、怒らせると厄介だからな。谷田君と岡野君は朝礼までにちぃーっとばっかりキレイにしといてくれ」
6帖はあるであろうこの電気室。忙しさに任せて荒れ放題で、棚まで手が届かない始末。新しく入る電材で前の材料は地層(?)の下になり、足の踏み場の無い始末。下手に下の層を動かしたら雪崩が起きそうな感じである。
『はいっ』
俺と谷田君は残りの缶コーヒーを一気に飲み干し掃除に取りかかった。
朝7時30分。
警備員到着。正面のゲートの鍵が開けられる。ぞくぞくと職人達の車やらバイクやらが入ってくる。有料の駐車場から車を移動する為に、流れに逆らう様に親方さんが加え煙草で外に歩いてゆく。
「岡野さん上手いっすねー」
冬も始まっていると言うのに二人して汗だくになって電気室の中を片す。
「そんなことないよ。あ、そのF線取って」
「ほいっ」
丸められた灰色の電線を部屋の端に積み重ねる。段ボールに入ったコネクターを種類別に分けて新しい段ボールに放り込む。CD管もサイズに分けて壁の端に積み重ねる。雨に濡れた段ボールやいらないボルトはどんどん外に放り出す。徐々にスペースが開きだす。
「ごめんっ、谷田君使っても良い?」
「良いっすよ。遠慮なく何でも言って下さい」
コウイチ君と同い年で僕より年下の谷田君は、僕より先輩なのにとても僕に気を使ってくれる。見た目はがっしりタイプで大柄だからコウイチ君より恐い感じだけど、性格は実に温和な人である。俺は壁2方に脚立と足場で組まれた棚を指差した。
「俺棚の上、片すから。谷田君は工具箱そっちに移動してくれる?」
「わかりました」
開いた一角を指差して位置の確認を取ってから、俺は棚の前に脚立を立てて上の段から大雑把に材料の分類を始めた。
「岡野さん、今7時半っす。間に合いますか?」
「多分ね。いや、ギリギリどうかってトコロかな。コウイチさんの話だと修羅場になったらガミガミ言わないって言うから・・それに期待するしかないね。とにかく急ごう」
「はい。お姉さん、恐いっすからね」
「谷田君はお姉さん良く知ってるの?」
「・・・・・ええ」
時間に追われててその時の俺は、谷田君の妙な間に気が付かなかった。
もうもうと舞い立つホコリの中で俺達は大急ぎで片し続けた。
朝、7時45分。
「あら、思ったよりキレイじゃない。エライエライ」
お姉さん登場。ギリギリセーフ。
『おはようございます』
思わず二人でハモってしまう。
「おはよう。谷田君元気?」
「はいっ」
フフッと笑って今度は俺の方を向いた。
「えーと・・・岡野・・君だったっけ?」
「はいっ」
谷田君につられて思わず俺も姿勢を正してびしっと返事。
「前に一回会ったよね。続いてるんだね。ありがとね」
ふわっと笑う。長い髪がすごい真っ直ぐだ・・。
「あ、いえ、そんな・・」
「お父さんもコウイチもアホだけど、宜しくね」
「はいっ・・・はいっ?」
「アホなのよ、2人して。さてと、じゃ、頑張ろうかな」
お姉さんは長い髪を両手で後ろに一つに束ねると、すごい早さで三つ編みにして捩って後頭部に引き上げた。そのままポケットから髪止めを取り出してパチンと留めた。途端にキリリと顔つきが変わる。
「おー、恵美来たか」
「おはよ。はい差し入れ。コーヒーとクッキー。3時休みに食べようね」
戻って来た親方さんが途端にニコニコ顔になる。本当は跡取りにさせたかったのはお姉さんだったってだから、よっぽどお気に入りなんだろう。
「おーっ、ありがとうな」
お姉さんは腰道具を装着し、ペンチやドライバーの位置を確かめると頷いて、夏に新規入場で配給された侵入許可証のステッカー入りのヘルメットを被った。
「で、あたしの仕事は?」
「おう、3階の配線器具付けだ。6部屋はもうぶらさげてあるぞ」
「ん。で、プレートとハンドルは?」
「付けられたら頼む」
「ん。わかった。・・で、コウイチは?」
「コウイチなら避雷針の準備してるっすよ」
「そう。朝礼には降りてくる?」
「いや、多分サボるっすね」
「そ。谷田君はコウイチの梃子(てこ・助手のことです)よね」
「はい」
「じゃ、伝言しといてくれる?」
「良いっすよ?」
「『掃除は率先して自分からやりなさい』。・・・あなた達、コウイチに頼まれて今朝慌ててやったでしょう?」
お姉さんは『お見通しよ』って、感じの目つきでニヤっと笑うとそのまま朝礼をしに集合場所へと歩いて行った。
「・・・・相変わらずだね」
と、お姉さんの背中を見送りながら俺がぼそりと呟くと、
「・・・目敏いんすよ・・物凄く・・」
と、谷田君が隣で呟いた。
言葉の真意を知るのは暫く後の事で。
「ほら、朝礼だ。行くぞ」
親方さんに促されて俺達は、ラジオ体操が流れ出してる集合場所へと走り出した。
つづく。 戻る 3へ topへ
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