「見聞録」
3
これは、俺が各世帯のダウンライトを付けている間の話。
9階建てA棟屋上。棟屋の上の僅かな足場にコウイチがへばりついている。
避雷針は建物全体の電気設備をカミナリなどの許容範囲以上の電力から守る為の装置である。通常建物の最も高い位置に取り付けられる為、完全に屋上まで建物自体が出来上がらないと取り付ける事が出来ない。その為、電気工事の仕事の中で最も高所の作業となり、落下事故などの危険性も高い。実際年間に何人もの電気工事士が転落による負傷、死亡事故の犠牲になる。自分の身体を建物の一部に繋ぎ止める安全帯は高所作業時には装着が義務付けられ、普段はヘルメットすら付けたがらないコウイチですら棟屋の梯子と自分の身体をしっかりと安全帯で繋いでいた。
朝礼の後、谷田は電動工具のバッテリーとボルト類の予備を持ち、コウイチが作業をしている屋上へと向かった。
屋上の鉄製の扉を開けると、上空の冷たく強い風が狭い入り口に押し寄せて来る。谷田は一瞬小さく息を吸うと、冷たい空間に身体を慣らす様に深く深呼吸を繰り返し、外へと足を踏み出した。
「お待たせ」
マフラー代わりに白いフェイスタオルを首に巻き縛り付けているコウイチは、既に立ち上げた避雷針をボルトで固定器具と縫い合わせている最中で、手元から目を反らさずに頷いてみせた。
「・・・アネキどうだった?」
「別に平気だったよ」
「怒られなかった?」
「ああ」
「あ、ホント?」
「つーか、お前ズルイぞ。お姉さん来るからって逃げんなよ」
手早くボルトを固定器具の穴に差し込み、裏側からスプリング付きのワッシャーを差し込んでナットをかける。堅く締め付けない仮止めの状態を三つの穴全てに施した後、改めて一つずつ二度と緩むことのないように堅く本決めをしていく。
後ろ姿だけでもコウイチが満身の力を込めているのが分かる。
「ゴメンゴメン」
「あの部屋掃除するだけでも大変だったんだからな。岡野さんがいなかったらぜってー間に合ってねぇぞ」
「だな。あはは」
「あはは、じゃねぇぞ」
コウイチが左手を谷田に向かって伸ばす。谷田は素早く足下を見回し、コウイチが立てた六尺脚立(高さ約180センチメートル程のキャタツ)の側に置かれたバケツの側に行き、中から固定器具を取り出した。
脚立に登りコウイチの左手に固定器具をしっかりと乗せる。コウイチは避雷針に固定器具を取り付ける間に谷田は素早く脚立を降り、今度はバケツの中からボルト・スプリングワッシャー・ナットを三組握ると同じ早さで脚立を登る。谷田が登り切り、手の中の一組を差し出すのとコウイチが左手を伸ばすのはほぼ同時。仮止めするとコウイチはまた手を伸ばす。谷田はそのタイミングと自分が材料を渡すタイミングを合わせる。
この間二人の間に全く会話は無い。谷田はコウイチの行動のタイミングを完全に熟知しているのをコウイチは良く知っている。だから、二人の間には仕事上不可欠な声掛けが存在しない。つまりはとても気が合っているのだ。
流れるような一連の動きの後、コウイチは渾身の力でナットを締め上げると、避雷針を見上げ、満足そうに溜め息を付いた。
「よしっ・・っと。・・・ゴメンゴメン。いや、マジで」
今度はきちんと谷田の方に顔を向け、慢心の笑顔で両手を合わす。
家族にも見せていないかもしれない屈託の無い笑顔に吊られて思わず谷田も笑ってしまった。
「・・・ったくずりィよなぁ」
「まあまあ。後で借りは返すからさ」
「・・・・高ぇぞ」
「えーっ。ユウはホントに高いからなー」
「たりめーだ。忘れんなよ」
「へいへい」
コウイチは安全帯を外し、足場から身軽な動きで脚立に乗り移る。ひょいひょいと降り、くるりと身体を反転させると、まるで子供の様な表情で、最後の一段から谷田めがけて飛びついた。
谷田は驚いたものの、二周り程細みのコウイチの身体をしっかりと胸に抱きとめた。
そのまま巻き込み念を押す。
「・・・高いからな」
谷田の胸に顔を押し付けたコウイチがクスクスと嬉しそうに笑う。
「・・・おう」
二人は素早く身体を外した。そして何ごとも無かったように仕事の顔に戻る。
「後は?」
「えーとね・・アース潰しかな」
「幾つ?」
「七つ」
「ん。分かった」
「悪いユウ、ハンダとトーチ何処にあるか分からなくってさ・・・」
「それなら先刻の掃除で見つけたぜ」
「え?ホントあーよかった。んじゃ、それ持って来てvv」
「へいへい」
荷物の半分を手にした谷田は、コウイチより一足先に扉に手をかけると、振り返り言った。
「あ、そうだ。お姉さんから伝言。『掃除は自分でやれ』ってさ。今朝慌ててやったのバレバレだったぞ」
「げげっっ」
固まったコウイチにちっきり止めをさした。
「お前だけまた怒られるかもな」
コウイチを置き去りにしてさっさと階段を下りて行ったのは、笑い顔を見られたくなかったせいである。
つづく。 戻る 4へ。 TOPへ。
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