「見聞録」
15.2


 服を脱がされても全く抵抗しなかった。出来なかったし、する気もなかった。
 大きな机の上に座らせられた。ひんやりと冷たくて固い感覚に無意識に肛門がキュッ…と、締った。何となく鳥肌が立った。
 エアコンの冷風が冷たくて、身を竦ませると、今まで俺を抱き締めていた人が俺から離れてドアの側にあるコントロールパネルの方へと歩いていった。
 『ピッ』
 と、電子音が鳴って風が止まった。
 続いて室内の電気も消える。
 大きな人影がゆっくりと振り返る。
 俺は、ぼんやりとその人影を見詰めていた。
 …………糸井課長……。
 無言で課長が歩いてくる。黒の上着を脱ぎ、ネクタイを弛めながら近付いてくる。
 先刻の恐怖が過った。身体が震える。怒られるんだと思ったら、また涙が出そうになってしまった。
 …でも、抱き締められたらそんな恐怖も忘れてしまった。
 課長の低い声が耳もとで聞こえた。
 「……僕は、君なら出来ると信じているよ。君の実力はあんなものではないはずだ…」
 そのまま耳朶を銜えられる。
 「……ん………課…長……」
 「やり方さえ分かれば、君は必ず出来るはずだよ…」
 吐息みたいに囁かれた。
 暖かい舌が俺の耳の中に差し込まれる。
 「んっ……」
 奥の方まで差し込まれ、ゆっくりと抜き差しされる。
 「あっ……んっ…」
 「岡野君」
 「……は…い…っ」
 「聞いているかい?」
 「……は……んっ……」
 自分の耳がこんなに感じるなんて知らなかった。暖かい課長の舌が耳の中で蠢く度にどんどん身体が熱くなっていくのが分かった。何をされているのか良く理解出来ていなくて。でも、身体は何をされるのか予想出来て。それをなぜか俺はとても期待していた。
 首を捻って頭を逸らし、課長の舌から逃げようとすると、頭を抱えられるように固定された。まるてお仕置きをしているみたいに舌の動きが乱暴になって、余計に身体が熱くなった。
 はぁ……はぁ……はぁ…はぁ……。
 暗がりに俺の喘ぎが小さく響く。
 自分の声だと気付いたら、恥ずかしくて余計に感度が増し始めた。
 「……止めて……下さ…い…課長……っ…」
 頭のどこかで、とんでもないことになっているのにようやく気が付く。
 でも、既に遅くて。
 散々耳を嘗め回された後、もう一度深く唇を貪られた。舌の動きも、その間の体中を撫で摩る手の動きも、いやらしくて気持ち良かった。
 ぐったりするまで貪られた。ようやく唇を解放されて、息苦しさに口を開いて呼吸をすると、自分の吐息が凄く熱い。しっかりと定まらない視線で、何とか課長の顔を見上げる。何だか俺、ヤバイことになりそうだった。上司相手に欲情しそうになっている。このままじゃ、勃起しそうだ。つーか、もう半勃ちだった。いくらなんでもマズイだろう。明日から糸井課長にあわせる顔がないよ。直ぐ側にある整った課長の顔を見詰めながら必死で抵抗の言葉を探す。ところが口を開いて喋ったものの、自分でもツッコミを入れたくなるぐらい甘ったるい声が出た。
 「…………やめて…ください……」
 「……どうして?」
 大きな掌が俺の頭を撫でる。そのまま耳の後ろに手を添えると、更に深く口付けられた。
 上手いキスとか、そういうのって良く分からない。
 そんなに恋愛の経験とかってないし。セックスだって、前の彼女が初めてだったし。
 でも、糸井課長のキスは上手だと思った。
 だって、俺の抵抗もそれで完全に奪われてしまったんだから。
 
 全身どこもかしこもキスされてしまったし、嘗め回されてしまった。
 背中とケツを嘗められた時は喘ぎ声まで上げてしまった。だって凄い感じるんだ。課長の舌は、まるで生き物みたいに全身を這い回る。時折ピンポイントで電流が走ったみたいに感じる場所がある。すると課長は目敏く俺の反応を見付けて、強弱をつけながら執拗に責めてくる。
 「ああっ…んんっ!!」
 強さによって感じ方が全然違う。電流どころか雷にでも打たれたみたいな…そんな衝撃のような快感が襲う。思わず声を上げて、首を仰け反らせてしまう。課長は俺が激しく感じる舌の動きの強さを見つけると、同じ強さで責め続けた。
 「ああっ…はぁっ……はぁっ……んんっ…あっ…課長……っっ……」
 暗がりの中、俺の荒い息と喘ぎ声だけが響く。
 唇や舌での愛撫がこんなに感じるものだなんて、その時初めて知った。
 我慢なんて最初の内だけで、羞恥心も最初の内だけだった。
 目を瞑って、感覚を追う。課長の舌と手が全身を愛撫する。もう、自分のモノは完全に勃起していた。無意識に腰が動く。扱きたいと思った。徐々に充血していくのが分かる。ケツを嘗められる頃には耐え切れなくてとうとう自分のモノに右手を伸ばした。
 「まだ駄目だ」
 課長が俺の右手を掴んで後ろに捻りあげる。
 「いやっ……」
 無意識に腰を振り、ねだるような甘い声が漏れてしまう。
 「どうして欲しい」
 「……いや……っ」
 「はっきり言いなさい」
 突然いつもの口調で叱られた。上司の厳しい声に身体が反射的に怯える。思い出したように羞恥心が湧いてくる。なのに課長は手を止めてくれないし、舌の動きも止めてくれない。仕事とは、とんでもなく懸け離れたことをされているってギャップに、逆に身体は熱くなる。ねっとりと、肩から首の付け根に掛けて舌を蠢かせながら、また囁かれる。
 「岡野君」
 「………は……い……んっ……」
 「…言いなさい。どうして欲しい」
 言いたかった。でも、恥ずかしくて言えなかった。
 達かして欲しい。それが駄目なら、せめてオナニーさせて欲しいですなんて言えなかった。ゆつくりとゆっくりと、俺に喘がせながら課長の舌が背中へケツへ下りていく。奥歯を力一杯噛み締めながら快感に耐えた。ここままじゃ、おかしくなる。課長に、悪い。
 あくまでも冷静な糸井課長の声が足下で聞こえる。
 「…そうやって、自分の意見も言えないのが君の欠点なんだよ」
 「あうっ…」
 性感帯を責め続けながら、ギリギリの場所を掠めて股間の周りを弄る。
 オナニーの時に自分を焦らすことはあっても、こんなに焦らすことなんてない。彼女とのセックスだって、彼女は直ぐに扱いてくれたしフェラしてくれた。
 こんなに我慢した経験なんてなかった。
 ペニスを握られなくっても、泣きそうなくらい、ペニスが感じ始めていた。
 もう少しこのままでいて欲しい。
 ああ、でも、もう欲しい……っ。
 「ああっっ!!」
 突然肛門を指で押し広げられた。自分でも見たことのない場所を見つめられて恥ずかしさに身を捩った。でも、逃げようとすればする程、ケツを捕まれ左右に広げられた。
 「は、恥ずかしい…です…課……ああっんっっ!!」
 ねっとりと暖かい舌の感触。頭のてっぺんにまで快感の衝撃が来た。激しい快感だった。今まで体験したこともないような、脳天に直撃するような気持ちよさだった。
 「……ああ……いい……イイ……ッッ……」
 とんでもないことまで口走ってしまった。
 「違…っ……ああっ…んっ……んっ……止めっ……あうっ……んんっっ…」
 汚い場所を嘗められているかと思ったら、恥ずかしくて申し訳なくてパニックを起こしかけた。必死で抵抗した。でも、課長は決して離してはくれなかった。明らかに一番感じてるその場所を丁寧に嘗め続けてくれる。時折『チュッ』と、小さな音を立ててキスをしてくれる。嘗められるより、精神的に感じてしまった。初めの感覚だった。感じて感じて、頭がおかしくなりそうだった。
 もう駄目だった。刺激が欲しくてケツごと腰を大きく動かす。知らない間に四つん這いの姿勢にされている。開いた両足の間でデカクなったペニスが涎を流しながら欲しがっていた。自分の喘ぐ吐息にさえも興奮する程我慢出来なくなっていた。
 「か、課長っ…お願い…ですっ……お願いですから……」
 熱にうかされたように俺は懇願した。
 「…どうして欲しい?」
 背骨を舌で伝い上がりながら、課長が背中を包み込むように抱き締める。
 俺は後頭部を課長の顔を擦り付け、首筋の愛撫をねだる。課長は耳朶に熱い吐息を吹き掛けると、ゾクゾクするような低い掠れた声でもう一度囁いた。
 「言いなさい。どうして欲しい」
 限界だった。俺は願いを口にした。
 「…………お願いです…達かせて下さい……」
 「……良い子だ…」
 大きくて長い指が俺のペニスをしっかりと握ってくれた。
 「……思った通りだ…君は十分に……素質があるよ……」
 自分以外の手で扱かれる感覚に追い詰められる。ケツを突き出し、会議室中に響くような声を上げながら、足を広げて太股を強ばらせていた俺には、糸井課長の言葉なんてもう何も聞こえなかった。擦りあげられる快感に悲鳴みたいな声を上げ、涎を流し、頭を揺らし、涙を流した。意識の全部がペニスに集中していく。何も考えられない。登り詰めていく快感だけを追い続ける。全力失踪した直後みたいな呼吸を繰り返す。射精前のアノジワジワした感じと亀頭の部分の独特の痛みに襲われる。
 「…………イ……ク……ッッ……」 
 一瞬呼吸が全く出来なくなって、動きも止まる。課長の熱くなった掌の感触が痛い程に身体に響く。
 
 「イ……クッッ…!!!」
 緊張が頂点に達する…っ……完全に自分がコントロール出来なくなる……。中が真っ白になって………っっ!!
 全身を強ばらせ、四つん這いの姿勢のまま、俺は課長の手で…達かされた。

 仕事を教えてもらうように。
 俺は糸井課長にセックスを教えられた。
 初めて会議室で抱かれた時は固くてカリの部分も銜えられなかった場所も、指だの機具だのを使われていく内に飲み込み方まで覚えてしまった。
 あんな場所のくせに、異常に感じる場所まで教えられてしまった。
 女みたいな感じ方まで教えられた。
 射精無しで何回でも登り詰めさせられた。
 課長の言ってる俺の『素質』が何か分かった頃、初めて課長の顧客を紹介された。
 一晩の接待で、今まで全くとれなかった契約がすんなり取れた。
 初めて書き込まれたグラフ。
 普通じゃ取れないような大口契約。
 驚く先輩。羨む先輩。いつしか妬まれるようになっていった。
 でも、俺は俺で必死だった。
 見ず知らずのオヤジ達に身体を投げ出すのも、命じられれば何でもやってこれたのも、皆、糸井課長に好かれたい一心でやったことだった。
 優しい課長にいつしか夢中になっていた。
 俺だけの人でなくても良いから、せめて仕事で誉められたかった。
 だから、命じられれば何でもやったし、どこへでも行った。
 どんなに先輩に陰口を叩かれても、辛くあたられても、無視されても、頑張った。
 課長を一人占めにしたいと思ったこともあった。でも、そんなこと出来る筈もなかった。他の営業部の人と笑って話をしているのを見るのも耐えられなくなっていった。
 あきられたらどうしようと思った。
 せめてセックスが上手でありたいと思った。でも、どうすれば上手になれるのか、見当もつかなかった。冷たくされる度、捨てられるかと心底怯えた。
 気が付けば、契約が全然取れなかった昔より、辛くなっている自分がいた。
 胃が、ギリギリと痛んだ。
 営業部でトップクラスの営業成績を取れるようになった頃、とうとう俺は倒れてしまった。
 急性胃潰瘍。
 1ヶ月の入院を言い渡された。

 ベッドの上で丸くなって痛みを堪えながら、これからのことを考えた。
 何も思い浮かべられなかった。

 課長は一回も来なかった。

 発作的に初めて抱かれた会議室での夜を思い出す。
 耐えきれないような胃の痛みがその度に襲ってきた。
 どうすれば捨てられないだろうかと考えた。
 捨てられるのが何よりもあの時の俺は、恐かった。
 誰かを好きになるのがこんなに辛いなんて知らなかった。
 薬も注射も効かない。
 不安が、痛みを後から後から連れてきた。
 恐い夢を何度も、見た。
 




















  

 会社にはもう、俺の椅子はなかった。 






















 男の身体を欲しがる身体だけが残った。 
 

 つづく。  15.1へ戻る  TOPへ  16へ

岡野君の回想シーンです。

前の会社をリストラされてしまった理由です。

こういうのって、書いていても悔しいし切ないです。

さて、次回はまた現場へと戻ります。頑張れ岡野君っ。

お楽しみに。