「鎖を持つ家」
2

 「…いや、すなまいねぇ。今日は受付の子も看護婦達も皆休ませてるんでねぇ……」
 電気の消えた待ち合い室の、自販機の前で人の良さそうな声を出している。 
 先刻の警戒心丸出しの声が嘘みたいだ。
 「…あ、いえ。お構いなく」
 「いやいや、構うも何も、このありさまさ」
 腰を屈めて紙パックのコーヒーと牛乳を取り出して振り返ってオレを見た。
 「あ、コーヒー飲める?」
 「はい」
 「そりゃあ良かった。さ、じゃ、どうぞ」
 ペタペタとスリッパの音を立てながら、オレの前を歩き、診察室の手前にある応接室へと案内された。
 すすめられるままにソファーに座ると、コーヒーのパックを置かれ、
 「冷たいうちにどーぞ」
 なんて、勧められる。
 「あ………どうも……」
 ミルクたっぷり砂糖たっぷり。コーヒーと思わなければ、まぁ、旨い。
 一気に半分ぐらい飲んで一息ついて、先生を眺めた。
 どこにでもいるような、いかにも人の良さそうなジジイ。
 年寄り特有の警戒心はあるものの、人懐っこい笑いは上手い。医者なんて言う職業柄かもしれないな。笑いジワがかなり深い。子供にウケるタイプだな。
 …初めてこの島に着た時に熱出して、この診療に連れてこられた。休診日だったっていうのにも関わらず、直ぐに中に入れてくれた。
 『初めまして。君が妹尾君だね。シン君から話はよく聞いておったよ。一度会いたいと思っていたよ。ああ…でも出来れば元気な時に会いたかったねぇ。辛かっただろう。夏風邪は大変だもんねぇ。さ、もう大丈夫だし楽にしなさい』
 医者って言うだけで苦手なのに、不思議と安心して治療を受けた覚えがある。あのシンが懐いてるジジイっていうのもあったのかもしれないけど、『怖がることは絶対しないよー』みたいな穏やかな感じが滲み出ていて、安心していたんだと思う。そう言えば、注射がとにかく痛くなかった。
 医者→注射→痛ぇ→怖ぇ。
 って、連鎖的に恐怖感煽られなかったのが良かったのかもな。
 診察室で点滴を受けながら、世間話やシンの小さかった頃の話を聞いた。
 『芯は強い子なんだけどね、どうにも言葉に不器用でねぇ。思っていることの半分も上手く言えなくてね』
 まるで自分の孫みたいな口調だったを憶えている。
 こういうヤツもいるんだなぁって、ちょっと羨ましく思った。
 だから。
 第一印象が良かった分、先刻の表情の違和感は大きかった。シンの名前を出した瞬間表情が固まった。明らかに何かを知っている顔だった。しかも、秘密めいた良くない何かだ。でなきゃあんなに顔色が変わる訳ない。…去年の後期に取った、感情心理学の講議がこんなところで役に立つとは思わなかった。 
 こいつ、シンの居所知ってる………。
 何の確証もないまま、オレは確信していた。
 「……えーと、妹尾君だったね。久し振りだね。いや、先刻会った時は思い出せなかったよ。これでも記憶力には自信ある方だったんだけどねぇ。うん。元気そうで何よりだ」
 「…擁護先生」
 「…ん?何かな?」
 「あいつ、どこにいるんですか?」
 「さあ……僕は知らないねぇ」
 普通、嘘を吐いてる時って言うのは、目の動きが早くなったり汗をかいたり微妙に声のトーンが変わったりする。…………ちくしょう。こいつ、タヌキだよ。
 まぁ、医者なんて、隠し事が上手くないとやってられない時もあるだろうしな…。
 「シンは、この島に帰るって言ってました」
 「ああ、そう。……いや、僕はまだ会っていないなぁ」
 「…これから会いに行くんでしょう?」
 「いや…どうして?」
 「……電話で、そう教えられました」
 「誰に?」
 オレは咄嗟にシンの机の引き出しに隠してあった手紙の差出人の名前を言った。
 「水屑です」
 「…っ…」
 よしっ。畳み掛けてやる。
 「…ここに来る前にシンの実家に行って来ました。東京にいるって言われました。実家に帰るって、あいつは言って出ていったのにですよ。…電話で彼女は…次期当主に選ばれたって言ってました。だからシンはもう戻らないって。…でも今ならまだ会えるとも言ってました。あなたに会うよう指示を出されてます。後はあなたに案内させると言われました」
 「…実際この島にいるって確証もないんだよねぇ」
 「シンは、そんな嘘を言うような男じゃありません。先生だって、知ってるでしょう?」
 …例えるんだったら、隠し続けた病名がいよいよ患者にバレる時の表情。
 ただ目を細めただけだった。
 でも表情は全く変わった。
 人の心を底の底まで覗き込もうとするような嫌な感じの目付きも、案外このジジイは似合ってるのかもしれない。
 「……妹尾君」
 口調まで変わる。他に誰もいないのに、急に声のトーンが小さくなった。
 「……君は………どこまで知ってるんだい?」
 ものすごく躊躇いながら、重たい口調で尋ねられた。
 「……全部です」
 オレは挑むような気持ちで言った。
 本当は全然、何一つ分からない。このジジイが唯一の手掛かりだ。
 掛かるはずのない携帯電話から掛かってきたガキの声…多分水屑ってヤツじゃないと思う。声の相手はまるっきりのガキで、手紙の字体は大人の落ち着いた筆跡だった。
 それでも水屑の名前を出したのは正解だった。少なくとも、あの手紙を書いたヤツと、このジジイは何らかの関係があるはずだ。これだけ態度が変わったんだから。
 ジジイは長い間考え込んでいた。
 「…オレは、あいつに用事があります。でも、あなたと一緒でなくては行けません。……シンに、会わせて下さい」
 「君は、シン君の何なんだね」
 「…………友人です」
 「本当に?」
 「…………いいえ」
 こんなに長い間、誰かの目を見詰め続けたことって、もしかしたら初めてだったかもしれない。何でか分からなかったけど、目を逸らしたら負けだと思った。
 会いたい。
 そう思ったら、必死だった。
 思い返せば、こんなに必死に何かをしたのは生まれて初めてだったかもしれない。
 「………シン君は、君に別れの言葉を言ったかな」
 医者の問診のような口調で、擁護が言った。
 「はい」
 「それでも、君は諦めないのかね?」
 「はい」
 「例えば、君を守るためにシン君が君から離れたんだとしたら?」
 オレは、悩まず言ってやった。
 「そんなの関係ありません。オレがあいつに会いにいくんです」
 「…………そうか…そうか。……それは良い」
 それは、普通で、でも、複雑な表情の笑いだった。
 「………君の気持ちは良く分かった……でも、残念だが僕は君を連れてはいけない」
 「どうしてですかっ」
 「僕にはそんな権限なんてないからね」
 慌てた。
 「そんな…っ、オレは、あなたに連れていくように指示されてるんですよっ」
 「水屑さんに?」
 「はい」
 「それは、嘘だね」
 「う、嘘じゃないですっ」
 「いや、嘘だね」
 「どうしてそんな事が言えるんですかっ」
 「あの家にね、何も通っていないんだよ。電気もガスも水道も、電話もね」
 んな家あるかよっ。
 「でも…っ」
 「それに、あの水屑さんにに限って、他人を招き入れるような事は絶対にしないよ」
 食い下がって食い下がって。
 でも、それ以上の進展はなかった。
 「君の気持ちは分かるけれど、僕は君を連れてはいけない。……君のためにもね」
 一度こうと決めたジジイの決心を変えさせるのは、至難の技で。
 結局オレは、診療所を追い出されてしまった。
 「すまないね……これから一つ手術があってね……」
 「誰のですか?」
 「教えられない」
 応接室のドアが開けられる。
 さあ、と、ばかりにオレを見る。
 もうこれ以上は聞きだせないし、話も出来ない。
 ちくしょう……っっ。どうしろっていうんだよっっ。
 気が付けば、オレは土下座をしていた。
 「お…お願いですっ。シンに会わせて下さいっ。お願いですっ!!」
 「…妹尾君…」
 「あんな別れ方は…オレは嫌ですっ!!一人で行けるんだったら…っ、オレは一人で行ってますっ!!行けないから…こうしてここに来たんですっ!!!!教えてくれればオレ一人で行くから…っ…。どこにいるかだけでも良いですからっ!! お願いですっ!!教えて下さいっ!!!!」
 ジジイの声は暗く重く、絶対的なものだった。
 「………それは…出来ない」

 長谷ちゃんの車の中で暫く落ち込んでいた。
 「………どうしろって言うんだよ……っ」
 後は擁護に案内させるんじゃなかったのかよっ。
 ここまで来たっていうのによぉっ。
 カバンの中から携帯電話を取り出し、握りしめた。
 壊れた携帯はやっぱり壊れた携帯で、ウンともスンとも言いやしない。
 無茶苦茶落ち込んでるのに、気持ちはエラく焦ってて。
 会いたい。
 すげームカツク。
 でも、会いたい。
 すげー…会いたい。
 たった3日で根を上げるくらい……寂しかった。
 疲れが一気に襲って来る。
 「……あ゛ーっっ」
 ハンドルを握りしめながら声を出した。
 落ち込むのは後だっ後っ。とにかく全部はあいつにもう一度会ってからだっ。
 不覚にも半ベソをかきかけて、ギリギリのところで踏み止まった。
 『後はあいつに案内させる…』
 電話の声はそう言っていた。
 だったら、擁護はシンのところに行くはずだろう。っつーか、そうであって欲しい。
 正攻法で案内仕手貰えないんだったら、実力行使あるのみだろう。先刻までいた応接室を見る。目が合った擁護が、慌てたように姿を消した。
 オレは車にエンジンを掛けて、診療所を後にした。
 バックミラーに、また擁護の姿が窓に現れるのを確認しながら。

 つづく。

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擁護に断られた篤君。何やら思い付いたようであります。
さて、その案とは?